私、この女好きです。
side 赤城
提督室には、海図が広げられていた。
昨日、加賀さんを旗艦とする哨戒艦隊が予定海域で敵艦隊と接触した。
敵は六隻。戦艦ル級flagship、戦艦ル級elite、重巡リ級elite、軽巡ホ級、そして駆逐艦が二隻。
哨戒任務で遭遇するには、少々重い編成だった。それだけなら、まだ偶然で片付けることもできたかもしれない。
問題は、その後方だった。
「偵察の結果、さらに奥に別の艦隊を確認しています」
加賀さんが、海図の一点を指す。
「大型艦を含む編成です。ただし、詳細な艦種と数までは確認できていません」
提督が腕を組む。
長門さん、陸奥さん、武蔵さん、大和さん、加賀さん。そして、私。
皆の視線が海図へ集まっていた。
「加賀」
長門さんが口を開く。
「昨日の敵は、追撃してこなかったんだな」
「ええ。こちらが退けば、それ以上追ってくる様子はありませんでした」
「となると」
武蔵さんが海図を見下ろしたまま言う。
「狙いは撃沈ではなく、足止めか」
「私もそう判断しています」
加賀さんの指先が、昨日交戦した地点をなぞる。
「敵は、私たちをこの先へ進ませないことを優先していました」
「……何かを守っている」
大和さんが小さく呟いた。
「可能性は高いでしょう」
私は答えた。
ただ、それが何かはまだ分からない。主力艦隊の集結地点か、補給拠点か、輸送部隊か。あるいは、こちらへの侵攻準備なのか。
「推測だけで主力を突っ込ませるわけにはいかんな」
長門さんの言葉に、提督が頷いた。
「まずは調べる」
海図の複数箇所へ印が置かれる。
「一方向からではない。複数の艦隊を出す」
確認するのは、敵の警戒線、艦隊規模、配置。そして、その奥に何があるのか。
「それを確認した上で、攻略作戦を組む」
誰も異論を挟まなかった。
昨日の敵がただの哨戒艦隊ではないのなら、こちらも次は哨戒だけでは済まない。
◆◆◆
「昨日の艦隊については?」
提督の言葉に、加賀さんが姿勢を正した。
「鳳翔さん、足柄、神通、時雨。いずれも問題ありません」
淡々と、けれど正確に報告を続ける。
「特に足柄が重巡リ級eliteを抑えてくれたことは大きかったと思います。あの重巡が自由に動いていれば、被害はさらに大きくなっていたでしょう」
そして、当然、次の名前が出る。
「土佐は?」
一瞬、加賀さんの表情が硬くなった。ほんの僅かだったが、私には分かった。
陸奥さんの指先も、机の上で僅かに強張る。
「戦艦ル級eliteを単独で撃破しています」
加賀さんが答える。
「砲戦能力については、十分です」
「長門、どう見る」
提督が視線を向ける。
「火力については、もう疑う必要はないだろう」
長門さんは即答した。
「訓練でもそうだったが、実戦でも通用している」
「私も同感だ」
武蔵さんが腕を組む。
「あれだけ撃てる戦艦を、戦力として数えない理由はない」
そこで言葉が切れた。
「ただし」
長門さんが続ける。
「経験が足りん」
誰も否定しない。
弱いのではない。戦える。けれど、知らないことが多い。
「次の作戦にも、土佐さんを?」
大和さんが尋ねる。
提督は少し考えた。
「候補から外すつもりはない」
加賀さんが顔を上げる。陸奥さんも提督を見たが、二人とも何も言わなかった。
「主攻に置くのは、まだ早いだろう」
長門さんが言う。
「使うなら、遊撃か」
「こちらも同じ考えだ」
提督が海図を見る。
「第三か第四へ回す。旗艦候補は、那智」
なるほど。
那智さんは、土佐さんの着任当初から初出撃や訓練を通して彼女の能力を見ている。戦い方も癖も、ある程度は知っている。
「補佐には鳳翔を考えている」
こちらも納得できる人選だった。
鳳翔さんは昨日、実際に土佐さんと同じ海にいた。どこまで戦えるのか。そして、どこで危うくなるのか。その両方を見ている。
何より、経験がある。
「悪くないと思います」
私が言うと、長門さんも頷いた。
「……私も異論はないわ」
陸奥さんが海図を見たまま言う。
「那智と鳳翔さんなら、土佐を任せられる」
主力艦隊と遊撃部隊。
海図の上で示された二つの進路は、途中から別々の方向へ分かれていた。
まだ編成を決める段階ではない。まずは偵察。その結果次第で、投入する戦力も変わる。
けれど、土佐さんを戦場から遠ざけるつもりはない。
それは、きっと正しい。
問題は別にある。
◆◆◆
「土佐について1つ。…大破後も、継戦を主張しました」
加賀さんの声が僅かに低くなった。
「……やはりか」
長門さんが息を吐く。
陸奥さんの指が、ゆっくりと握られた。
「本人は、まだ戦えると」
「ええ」
私は昨日、入渠中の土佐さんが言った言葉を思い出す。
強くなりたい。
なんでも守れるくらい、強くなる。
あの人は沈みたいわけではない。自分の命をどうでもいいと思っているわけでもない。
ただ、『まだ動ける』が土佐さんの中では、簡単に『まだ戦える』へ変わってしまう。
「ですが」
加賀さんが続けた。
「最終的には、命令に従いました」
長門さんの目が少し細くなる。
「……刀を納めたのか」
「ええ」
しばらく、長門さんは何も言わなかった。
それから小さく頷く。
「なら、何も学んでいないわけではない」
その言葉に、加賀さんの表情がほんの少しだけ柔らかくなった。
「今朝も」
今度は大和さんが口を開く。
「入渠を終えて、すぐ軍装に着替えていました」
何となく、全員が同じことを考えた気がした。
「稽古へ行くつもりだったようです」
やはり。
「止めました」
「そうか」
「はい」
大和さんは少しだけ笑った。
「今日は休む、と言ってくれました」
「素直に?」
武蔵さんが聞く。
「はい。加賀さんにも、自分を大切にするよう言われたから、と」
私は隣を見る。
加賀さんは、何でもない顔をしていた。
なるほど。
「加賀さん」
「何」
「いえ」
今は、やめておきましょう。
それより考えるべきことがある。
土佐さんを、どうすれば帰せるのか。
命令で止めることはできる。昨日のように、信頼する人の言葉ならなおさら。
けれど、いつも加賀さんがいるとは限らない。長門さんも、大和さんも、陸奥さんも。誰も常に隣にいられるわけではない。
なら、土佐さん自身に帰ることを選んでもらわなければならない。
「……土佐さんに必要なのは」
気づけば声に出していた。
皆がこちらを見る。
「『沈まない理由』ではないのかもしれません」
加賀さんが私を見る。
昨日の土佐さんを思い出す。
――陸奥も。
――赤城さんも。
――加賀も。
――守れるくらい、強くなる。
あの人は、自分のためより誰かのための方がずっと簡単に頑張れてしまう。
なら。
「帰りたいと思える理由を」
一度、言葉を切る。
「増やして差し上げればいいのではないでしょうか」
「……どういう意味?」
加賀さんだった。声が少し硬い。
「あの子の情を利用するの?」
「いいえ」
私は首を振った。
「特定の誰か一人に依存していただく、という意味ではありません」
それでは、その人がいない戦場で意味がなくなってしまう。
「この鎮守府そのものを、土佐さんにとって帰る場所にしていただくんです」
加賀さんは黙っている。
「いろいろな方と戦う。頼る。頼られる。食事をして、話をして、そして一緒に帰る」
その積み重ね。
それなら、いつか。
土佐さんが『まだ戦えるから』ではなく、『帰るべきだから』と考えてくれるかもしれない。
「……なるほどな」
長門さんがゆっくりと頷いた。
「帰ることも、戦いのうちだと覚えさせるか」
「はい」
「利用するのとは違う」
長門さんは加賀さんを見る。
「あいつに、知ってもらうだけだ。自分が傷つけば、悲しむ者がいるとな」
加賀さんは少しだけ目を伏せた。
「……そう」
短い返事だった。
けれど、否定はしなかった。
「……それなら」
陸奥さんが静かに口を開く。
「私たちは、帰ってきたあの子を迎えればいいのね」
「はい」
「分かったわ」
陸奥さんは海図の上で分かれた進路を見つめた。
「待つのは得意じゃないけれど、覚えておくわ」
提督が海図を見る。
「次の編成を考える際には、その点も考慮しよう」
それで話は次の議題へ移った。
私はもう一度、海図へ視線を落とす。
帰りたいと思える理由を増やしていけばいい。
その時の私は、ただそう考えていた。
◆◆◆
会議を終え、廊下へ出る。
長門さんと武蔵さん、それに陸奥さんは、主力艦隊について話すため提督室へ残った。
扉が閉じる直前、陸奥さんは開いた手を一度だけ見つめた。
何かの感触を、確かめるように。
その表情を見て、誰のことを考えているのかは聞かなくても分かった。
隣には、加賀さん。
「加賀さん」
「何?」
「昨日」
少しだけ笑う。
「土佐さんと、何かありましたか?」
足が止まった。
ほんの一瞬。
「……何もないわ」
「そうですか?」
「何よ」
「いえ。随分と素直に休んでいるようでしたから」
「本人が成長したのでしょう」
「そういうことにしておきます」
「赤城さん」
「はい?」
「余計な詮索はしないで」
「ふふ」
やはり、何かあったらしい。
まあ、いいでしょう。
加賀さんが自分から話したくなるまで、待てばいい。
私はこういうことには、それなりに気がつく方だと思っている。
少なくとも、他人のことなら。
◆◆◆
夕食時。
食堂へ入ると、部屋着姿の土佐さんが目に入った。
黒いVネックに灰色のスウェット。刀も短剣もなく、いつもの軍装姿とは随分印象が違う。鳳翔さんに髪を撫でられ、目元の力まで抜けている。
ああいう顔もするのですね。
そう思って見ていると、土佐さんがこちらへ顔を向けた。
「赤城さんも撫でるか?」
思わず言葉に詰まった。
「……今日は遠慮しておきます」
「そうか。撫でたくなったら言ってくれ」
あまりにも自然に言われて、また返事が一瞬遅れる。
「ええ。その時は」
いつものように笑ったつもりだった。
けれど、その言葉だけが妙に残った。
◆◆◆
翌日。
廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「赤城さん」
振り返る。
土佐さん。
今日は、いつもの黒い軍装だった。
軍帽。左腰の刀。右側の短剣。
昨日とは、まるで違う。
「…………」
やはり、似合っている。
そう思ってから、ふと昨日の姿を思い出した。
黒いVネック。灰色のスウェット。少し乱れたブルーグレーの髪。
鳳翔さんに撫でられて、緩んだ目元。
「……?」
土佐さんが、こちらを見ている。
「ああ、いえ」
何を考えているのでしょう、私は。
「おはようございます、土佐さん」
「ああ。おはよう」
こちらへ歩いてくる。
「この前はありがとう」
「この前?」
「入渠のとき」
ああ。
「来てくれて嬉しかった」
「…………」
真っ直ぐ、そう言う。
この人は、本当に。
「どういたしまして」
私は笑った。
「加賀さんが心配でしたから」
「うん」
土佐さんは頷く。
「それでも、赤城さんも来てくれただろ」
少しだけ目を細める。
「嬉しかったよ」
「…………」
また、困る。
「赤城さん」
「はい」
「今、暇か?」
「ええ。しばらくは」
「なら」
ほんの少し、首を傾ける。
「茶でも飲まないか?」
「私と?」
「他に誰がいるんだ」
それは、そうなのだけれど。
「ええ。喜んで」
並んで歩く。
土佐さんは昨日の話をした。
神通さんが部屋へ来てくれたこと。玄米茶を飲んだこと。餅入り最中には、やはり玄米茶だということ。
そこは絶対らしい。
陸奥さんのこと。夕立さんと時雨さんのこと。鳳翔さんのこと。
昨日は、いろいろな人と話したらしい。
「いい一日だったようですね」
「ああ」
土佐さんが頷く。
「休むのも、悪くなかった」
それは、よかった。
本当に。
「それに」
「はい」
「赤城さんもいたしな」
「…………」
歩幅が、ほんの少しずれた。
すぐに戻す。
土佐さんは気づいていない。
「私ですか?」
「ああ」
当然のように頷く。
「赤城さんといると落ち着くしな」
「…………」
困った。
また、これだ。
「土佐さんは」
「ん?」
「時々、本当に困った方ですね」
「?」
ほら、その顔。
やはり、何も分かっていない。
「何がだ?」
「いえ」
私は笑った。
「何でもありません」
◆◆◆
土佐さんと、お茶を飲んだ。
特別なことは何もなかった。
話をして、お茶を飲んで、それだけ。
それなのに、別れたあと。
私はふと、朝の会議を思い出していた。
――帰りたいと思える理由を。
――増やして差し上げればいい。
加賀さん。陸奥さん。長門さん。大和さん。武蔵さん。神通さん。時雨さん。夕立さん。鳳翔さん。
まだ、他にもきっとたくさん。
土佐さんは、もう一人ではない。
この鎮守府には、土佐さんの帰りを待つ人がいる。
それは、とても良いことだと思う。
私が、そうした方がいいと言ったのだから。
「…………」
歩みを止める。
では、私は?
「…………」
土佐さんにとって、私は何なのでしょう。
加賀さんのような姉ではない。
長門さんのような師でもない。
陸奥さんのように妹として可愛がっているわけでもないし、大和さんのように世話を焼いているわけでも、鳳翔さんのように穏やかに見守っているわけでもない。
友人。
同僚。
そう言えば、きっと間違いではない。
――赤城さんといると落ち着く。
そう言ってくれた。
なら、それで十分なはずなのに。
「…………」
何故でしょう。
それだけで片付けてしまうことに、ほんの少し引っ掛かる。
そして、何故か昨日の姿をまた思い出した。
軍装ではない、力の抜けた姿。
鳳翔さんの手の下で、僅かに緩んだあの表情。
それから今日。
いつもの軍装で、こちらへ歩いてきた姿。
やはり、格好いい方だと思う。
以前から、そう思っていた。
それだけの、はずだった。
「…………」
私は、土佐さんにとって何なのでしょう。
そこまで考えて、ふと気づいた。
どうして私は、それをこんなにも気にしているのでしょう。