海へ出て、最初に気づいたことがある。
「漣、潮。右へ回れ」
「了解!」
「はい!」
那智の指示と同時に、二人が動いた。
速い。いや、速いだけではない。
漣が先へ出て、潮が僅かに遅れて続く。距離が開いたと思った瞬間、漣が速度を落とし、潮がその横を抜けた。
入れ替わる。
声はない。目も合わせていない。それでも、互いが次にどこへ動くのか分かっているように見えた。
「…………」
「土佐さん」
隣から声がした。鳳翔さんだった。
「前方、まだ敵影はありませんよ」
「ああ」
「お二人が気になりますか?」
「少しな」
前を見ると、漣と潮はもうこちらへ戻ってきていた。
「前方、異常なしです!」
「右側も大丈夫です」
「分かった。戻れ」
那智の指示に従い、二人が隊列へ入る。迷いがない。
「……慣れてるな」
「おっ。ご主人様、お褒めに与り光栄であります」
「誰がご主人様だ」
「まだそこ気にしてるんです?」
「当然だ」
「土佐さん」
潮が困ったように笑う。
「漣ちゃん、たぶんずっと言います」
「……そうなのか」
「はい」
「やめろ」
「善処しまーす」
「それはやめないやつだろう」
「鋭い」
前から那智が振り返る。
「遊ぶのはそこまでだ」
「了解」
漣の声が変わった。一瞬だった。
「鳳翔」
「はい」
「そろそろか」
「ええ」
鳳翔さんの艦載機が空へ上がる。その姿を見送る。
先日の出撃では加賀姉さんがいた。今回は鳳翔さんだ。同じ空母でも違う。飛ばし方、見る場所、声の掛け方。私には、まだ分からない。
「…………」
海を見る。
静かだ。けれど、この先には敵がいる。
◆◆◆
「敵艦隊を確認しました。距離、まだあります。敵六隻」
鳳翔さんの声が飛ぶ。
「内訳」
「重巡級一、軽巡級二、駆逐級三」
那智が頷く。
「戦艦級はいないな」
「確認できません」
「なら、予定通りだ」
那智がこちらを見る。
「土佐。初撃はお前だ。ただし、追うな」
「了解。分かっている」
「本当だな?」
「……分かっている」
「ご主人様、信用ないっすね」
「漣。右へ回れ」
「了解!」
また、声が変わる。
「潮は合わせろ」
「はい!」
「長良。中央。土佐の射線を空けながら軽巡を押さえろ」
「了解! 任せてください!」
「鳳翔は索敵を継続」
「はい」
「私は左を取る」
那智の主砲が動く。
「土佐。撃て」
見る。
距離。波。敵の進路。
先頭の重巡級へ砲塔を向ける。
「――撃つ」
主砲が吼えた。海面が震える。一発目は外れ、次弾が直撃する。
「命中!」
長良の声。敵の隊列が乱れる。
「行くぞ! 漣、潮!」
「了解!」
「はい!」
二人が左右へ散る。敵の砲塔が、こちらへ向くか、二人を追うか迷う。
その一瞬。
「長良!」
「はい!」
長良の砲撃が敵軽巡の進路を変え、そこへ那智の砲撃が突き刺さる。
「…………」
六人全員が別々に動いている。
なのに、敵へ向かう力は一つだった。
これが、艦隊で戦うということか。
◆◆◆
「敵重巡級、撃沈!」
「残る軽巡級と駆逐級一隻も後退!」
「駆逐級二隻、右へ離脱します!」
「追うな。予定海域から外れる」
那智が即座に言った。
「了解!」
漣が進路を戻し、潮と長良も続く。誰も追わない。
私は逃げていく敵を見る。
手は刀へ伸びなかった。
「土佐。問題あるか?」
「いや。ない」
砲口を下げる。
「なら戻れ」
「ああ」
敵を全滅させたわけではない。それでも、那智は帰ると言い、私たちは従う。
先日の私なら、敵が残っている、まだ戦える、なら倒すべきだと思ったかもしれない。
けれど、今は提督の言葉を思い出す。
『任務を達成しろ』
『帰ってこい』
「第三艦隊、帰投する」
那智の声に従い、六人で進路を変えた。
◆◆◆
港へ戻ると、すぐに妖精たちが集まってきた。艤装、残弾、燃料、艦載機、損傷。次々と状態を確認される。
「土佐さん、主砲こちら向けてくださーい」
「ああ」
「もうちょっと右です」
「こうか?」
「はいっ」
妖精が主砲の周囲を走り回る。
少し離れた場所では、鳳翔さんの艦載機が整備されていた。漣と潮は二人並んで何かを確認し、長良は那智と海図を見ている。
帰ってきた。
けれど、終わってはいない。補給が終われば、また出る。
その向こう、通信室から艦娘が走ってくる。
「第四艦隊より報告! 敵警戒部隊と接触。現在交戦中です!」
那智が顔を上げた。
「第五は?」
「予定海域へ進行中! 第六艦隊、北側で敵影を確認したとのことです!」
海図へ新しい印が増える。
私たちが海にいた間も、別の場所で戦っていた。
「土佐さん!」
振り返ると、長良がこちらへ駆けてくる。
「どうした?」
「さっきの砲撃、すごかったです!」
「戦艦だからな」
「そういう意味じゃなくて。敵の動きを見てから撃っていましたよね。私、射線を邪魔していませんでした?」
「していない」
「本当ですか?」
「ああ」
「よかった!」
長良は大きく息を吐いた。
「気にしていたのか?」
「もちろんです。土佐さんが撃てる時に、私が邪魔をしたら駄目ですから。那智さんにも、射線を空けろって言われていましたし」
「そうか」
「次はもっと上手くやります!」
次。
自然に、その言葉が出た。
「私もだ」
「え?」
「まだ、艦隊での戦いには慣れていない」
「土佐さんが?」
「ああ。漣と潮の方が、私より上手い」
長良が目を丸くする。
「……そこをちゃんと認められるの、すごいですね」
「?」
「あ、いえ! 次も、よろしくお願いします!」
「ああ。よろしく、長良」
一瞬、長良の目が丸くなる。
「はい!」
返事は、先ほどまでより少し大きかった。
◆◆◆
二度目の海は、最初より少しだけ違って見えた。
「漣、潮。右」
「了解!」
「はい!」
「長良、左へ寄れ」
「はい!」
指示。移動。間隔。
私は先ほどより少し早く、皆の位置を把握できる。
「土佐。長良の前へ出すぎるな。射線を潰す」
「了解」
「長良。土佐の右後方を維持」
「分かりました!」
六人が動く。
先ほどより近い。そう感じた。
「敵艦隊、確認。七隻」
鳳翔さんの声。
「内訳」
「戦艦級一、重巡級二、軽巡級一、駆逐級三」
「戦艦級は」
「ル級。flagshipではありません」
「なら、やる。土佐、戦艦は任せる」
「了解」
「全艦、戦闘用意!」
敵が見える。
ル級の砲塔が、こちらを向く。
「来るぞ!」
砲撃。散開。海面が爆ぜ、水柱が上がる。
その向こうにいる敵を見る。
砲塔。肩。身体の向き。
狙いは、私。
なら、問題ない。
「撃つ」
主砲。外れる。
「焦るな、土佐!」
「分かっている!」
次。
敵重巡の砲口が右へ動く。
「――長良!」
長良へ向いている。
考えるより先に、身体が動いた。
「土佐!?」
前へ出る。
砲撃。衝撃。
「っ……!」
艤装が軋み、足元が滑る。だが、浅い。
「土佐さん!」
「問題ない」
「でも!」
「長良。撃て」
敵を見る。
「私は受けられる。お前は撃て」
「……はい! 撃ちます!」
長良が即座に砲を上げ、敵軽巡へ砲撃を命中させる。
「今のは悪くない。だが、その位置から前へ出るな!」
那智の声が飛んだ。
「ああ!」
「戦艦を落とせ!」
「了解!」
ル級を見る。
先ほどの砲撃で、こちらへ意識が向いている。
それでいい。
漣。潮。長良。
そちらへ撃たせなければいい。
照準。撃つ。
直撃。敵戦艦が揺れる。
「入った!」
「まだだ」
次弾を撃つ。敵の艤装が砕ける。
「戦艦級、撃沈!」
「よし! 残敵を崩す!」
那智が前へ出る。漣と潮が同時に動き、その間を長良の砲撃が抜ける。
見える。
先ほどより、皆の動きが見える。
◆◆◆
二度目の帰投。
妖精が私の艤装を叩いている。
叩く。見る。また叩く。
「どうだ?」
妖精がこちらを見て、親指を立てた。
「問題ないのか」
頷く。
「ならいい」
「土佐さん」
長良の声がした。
「ん?」
「さっきは、ありがとうございました!」
「何がだ?」
「私の前に出てくれたでしょう。あれです。助かりました。でも、びっくりしましたよ。いきなり前に出てくるんですから」
「礼を言うようなことか?」
「え?」
「私の方が装甲が厚い。なら、私が受けた方がいい」
長良を見る。
「長良が無事なら、それでいい」
長良はしばらく何も言わなかった。
「どうした?」
「いや、本当に迷いがないんだなって」
少しだけ困ったように笑う。
「土佐さんって、そういう人なんですね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です」
「分からない」
「でしょうね」
また笑われた。
「でも、次は私もちゃんと避けます。土佐さんばかりに受けてもらうわけにはいきませんから」
「別に構わないぞ」
「私は構います」
「そうなのか」
「はい。同じ艦隊ですから」
はっきりと言われた。
同じ艦隊。
那智。鳳翔さん。長良。漣。潮。そして、私。
「ああ。それなら、分かった」
長良が笑った。
◆◆◆
三度目の出撃。
海へ出た時、少しだけ身体が重かった。
動けないほどではない。砲も問題なく、艤装も妖精が確認している。けれど、最初とは違う。
「疲労を感じる者は言え」
那智が言った。
誰も声を上げない。
「土佐」
「問題ない」
「聞く前に答えるな」
「…………」
「鳳翔」
「私も大丈夫です」
「長良」
「はい! まだいけます!」
「漣、潮」
「まだまだいけまーす」
「大丈夫です」
「よし。ただし、最初の二回と同じだと思うな。向こうも馬鹿じゃない。こちらが削れば、配置を変える。増援を出す。警戒も強くなる」
鳳翔さんの艦載機が遠くを飛んでいる。
「こちらだけが学ぶわけではない、ということですね」
「ああ。だから見る。海も、空も、味方も、敵もだ」
那智は前方を見据える。
「無理なら帰る」
誰も異論を言わなかった。
◆◆◆
「敵影! 正面、六!」
鳳翔さんの声が飛ぶ。
「内訳!」
「重巡級二、軽巡級二、駆逐級二!」
「戦艦はいないな」
「はい。ただ――右後方にも反応があります」
「別働か」
「おそらく。数、四!」
那智が舌打ちする。
「挟む気か。距離は」
「まだあります」
「なら正面を崩す。別働が来る前に抜けるぞ!」
「了解!」
動く。
今度は言われる前に、私は少し左へ寄る。長良が右後方へ入った。
長良を見る。目が合う。
一度、頷かれた。
私も頷く。
「土佐! 重巡を止めろ!」
「了解!」
撃つ。
敵が散る。
「漣!」
「行ってきまーす!」
「潮、合わせろ!」
「はい!」
二人が走る。
長良が私の射線を空け、那智がその隙間を埋める。鳳翔さんの艦載機が敵の進路をずらす。
分かる。
今までで一番、動きやすい。
「……これなら」
戦える。
六人で。
◆◆◆
「別働、接近!」
「あとどれくらいだ!」
「まもなく射程に入ります!」
「ちっ。正面の軽巡を落とす!」
「了解!」
砲を向けた時、敵重巡が動いた。
こちらではない。
誰を狙っている。
砲口。角度。進路。
長良。
「長良!」
「はい!」
「右!」
長良が動く。
一発目を避ける。
次。
「っ!」
水柱が立ち、姿が消れる。
「長良!」
「大丈夫です!」
声が返ってくる。
いる。
よかった。
その瞬間。
「土佐さん!」
長良の声。
右後方の別働部隊。駆逐級。雷跡。
「っ――」
回避。
間に合う。
「漣!」
「見えてる!」
漣が割り込み、砲撃する。
雷跡の先で海面が爆ぜた。魚雷が一本、誘爆する。残る雷跡も、立ち上がった水柱に呑まれた。
「ご主人様、前だけ見すぎ!」
「……すまない!」
「あとでジュース一本!」
「分かった!」
「やった!」
「戦闘中だ!」
那智の声が飛ぶ。
「はい!」
次。
敵を見る。
今度は一つだけではない。
正面。右。味方。
全部を見る。
「土佐!」
「ああ!」
敵重巡へ撃つ。
直撃。
「一隻沈黙!」
「正面が崩れる! 抜けるぞ!」
那智が叫ぶ。
その時だった。
敵軽巡が、まだ一隻動いている。
砲口が向く。
「――長良!」
撃たれた。
「っ……!」
直撃。
「長良!」
長良の身体が傾き、艤装から煙が上がる。
それでも倒れない。
「まだ……!」
歯を食いしばり、砲を上げる。
「まだやれます! 戦えます!」
その言葉が耳に入った。
聞いたことがある。
いや、違う。
自分で何度も言った。
『大丈夫だ』
『まだ動ける』
『戦える』
「長良」
「はい!」
「大丈夫かどうかを、自分だけで決めるな」
「……え?」
口にして、気づく。
「…………」
私が言うのか。
「私が言えたことじゃないが」
「ご主人様」
「何だ」
「それ、盛大なブーメランでは?」
「……分かっている」
「ですよね!」
「漣! 今は前を見ろ!」
「了解!」
那智が長良を見る。
「長良! 後退しろ!」
「まだ動けます!」
「命令だ! 第三は戦闘を継続する!」
長良が唇を噛む。
なおも砲を握っていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……了解!」
「潮! 長良につけ!」
「分かりました!」
潮が動く。
六人の形が変わり、穴が開く。
「土佐! そこを埋めろ!」
「了解!」
前へ出る。
けれど、一人ではない。
左に那智。上には鳳翔さんの艦載機。右から漣。後ろには、長良と潮。
「撃つ!」
主砲が吼えた。
◆◆◆
敵を全滅させる必要はなかった。
「正面、離脱します!」
「別働も後退!」
「追うな! 第三艦隊、帰投する!」
那智の声に従い、すぐに進路を変える。
「長良」
「大丈夫です」
「それは禁止だ」
「……はい」
長良が苦笑する。
「航行できます!」
「分かった」
今度は、那智もそれ以上言わなかった。
潮が長良の横につき、漣もいつもより少し近い。
私はその後ろを見る。
敵は追ってこない。
倒し切っていない。
けれど、誰も戻ろうとは言わない。
私も思わなかった。
今は、帰る。
それでいい。
◆◆◆
港へ入る前から、長良の損傷は伝えられていた。
帰投すると、妖精たちがすぐに集まる。
「長良」
「はい」
那智が呼び止めた。
「お前はそのまま入渠だ。次の出撃から外す」
長良の顔が僅かに曇る。
「でも、まだ――」
言いかけて止まる。
それでも、すぐには引かなかった。
「私が抜けたら、第三の軽巡が足りなくなります」
「補充する。予備から入れる」
那智は即答した。
「長良。お前が抜けても、第三艦隊は出る」
昨日、聞いた言葉。
『お前が抜けても、作戦は続ける』
「だから」
那智の声は冷たくなかった。
「治してこい」
長良が俯く。
拳が強く握られていた。
少しだけ間があった。
「……はい。しっかり治して、戻ってきます!」
「ああ。次に必要なら、また呼ぶ」
「はい!」
今度の返事は強かった。
長良がこちらを見る。
「土佐さん。ありがとうございました!」
「何がだ」
「色々です」
「……そうか」
「はい」
少し考える。
「長良。治ったら、また一緒に出よう」
長良の目が大きくなる。
「…………」
「ああ、いや。必要なら、だが」
「もちろんです!」
長良が笑った。
「次は、今度こそ土佐さんに庇われないようにします!」
「別に庇っても――」
「土佐さん?」
「…………」
さっき、何を言った。
「分かった」
「よし!」
長良は満足そうに頷いた。
「では、行ってきます!」
「ああ。行ってこい」
長良が妖精たちと歩いていく。
その背中を見る。
第三艦隊。
那智。鳳翔さん。漣。潮。私。
一人、足りない。
「土佐」
那智に呼ばれる。
「お前も艤装を見せろ」
「私は軽い」
「聞いてない」
「まだ戦え――」
言葉が止まった。
「…………」
漣がこちらを見る。
「何だ」
「いえ」
にやにやしている。
「言いたいなら言え」
「二本目?」
「黙れ」
「はーい」
私は自分の艤装を見る。
『大丈夫かどうかを、自分だけで決めるな』
「…………」
ため息をつく。
「分かった。見てもらう」
妖精の方へ向く。
「それでいい」
那智が言った。
補給が始まる。
弾薬が運ばれ、艦載機が降りてくる。通信が飛ぶ。
「第四艦隊、帰投!」
「第五、交戦継続中!」
「第六より報告、敵増援の進路変更を確認!」
長良が入渠へ向かっていく。
それでも、作戦は止まらない。
長良を置いていくためではない。
長良が治せるように、誰かがその場所を繋ぐ。
「…………」
昨日より少しだけ、提督の言葉が分かった気がした。
『そのために、これだけ集めた』
第三艦隊の軽巡枠が一つ空いた。
けれど、次の出撃準備はもう始まっていた。