空が暗い。
雲ではない。艦載機だ。
味方と敵、その区別すら遠目には分からないほどの影が空を埋め、激しく交差している。
その下では、第一艦隊が敵主力と向かい合っていた。
◆◆◆
side 加賀
「敵艦載機、第二波!」
「迎撃します!」
赤城さんが弓を引き、放つ。私もそれに続き、艦載機を一斉に空へ上げた。
味方の航空隊が敵機と正面からぶつかる。
多い。
予想以上だった。
ヌ級だけではない。
敵艦隊の中央にいる旗艦――空母棲姫。
あれが出している。
「右から来ます!」
「分かっています」
赤城さんと航空隊を分ける。私が右、赤城さんが左。迫る敵機を次々と削るが、すべては止められない。
「大和さん!」
「はい!」
対空砲火が空を光で染め、迎撃を抜けた敵機が海へ落ちていく。
その向こうでは、敵戦艦が砲口をこちらへ向けていた。
「長門!」
「見えている!」
戦艦ル級flagshipの砲撃を、長門が回避する。着弾した海面が大きく爆ぜた。
「武蔵!」
「任せろ!」
武蔵が前へ出て主砲を斉射する。
直撃。ル級が大きく傾く。
「まだよ!」
陸奥が追撃し、もう一発が敵戦艦を捉えた。
「敵戦艦一、大破!」
「次!」
長門が叫ぶ。
第一艦隊は強い。
長門、陸奥、大和、武蔵。四隻の戦艦と、私、そして赤城さん。
現在、鎮守府がここへ投入できる決戦戦力だ。
第三から第六艦隊が作った道を、ほとんど消耗することなく進んできた。
だから、押し切れる。
そう思った。
「加賀さん」
「何?」
「来ます」
空母棲姫が動いた。
その周囲から、再び大量の艦載機が上がる。
「第三波……!」
先ほどより、さらに多い。
「迎撃!」
弓を引き、放つ。赤城さんも同時だった。
こちらの航空隊が押される。
違う。
数だけではない。
私たちが戦艦を守るために迎撃へ回れば、別方向から敵機が来る。空母棲姫の航空隊を追えば、今度はヌ級の航空隊が戦艦へ向かう。
「読まれている……」
「ええ」
赤城さんも同じことを考えていた。
「敵旗艦」
目を細める。
「こちらを見ています」
艦載機だけを見ているのではない。
艦隊全体を見て、こちらの動きに合わせて航空隊を操っている。
「長門」
「何だ!」
「敵旗艦は航空戦に慣れています」
「見れば分かる!」
長門が主砲を放つ。敵重巡が空母棲姫の前へ割り込み、砲撃を受けた。
「なら!」
長門が前へ出る。
「航空戦を終わらせる!」
その言葉に応じ、第一艦隊が一斉に前進した。
「大和!」
「はい!」
大和の主砲が轟音を放ち、戦艦ル級eliteを捉える。一発で敵の姿勢が大きく崩れた。
「武蔵!」
「分かっている!」
続く砲撃が命中し、敵戦艦が沈む。
強い。
こちらの戦艦は、間違いなく強い。
それでも空母棲姫は、まだこちらを見ていた。
まるで、この四隻の戦艦など怖くないと言うように。
「敵艦載機、低空!」
赤城さんの声。
「右舷!」
「大和さん!」
「迎撃します!」
対空砲火が低空を薙ぐ。
その瞬間。
違う。
「赤城!」
「え?」
別の一隊が海面すれすれを飛んでいた。
こちらの航空隊は、大和を守るために動いている。そのために空いた場所を、敵機が一直線に抜けてくる。
狙いは赤城さん。
「赤城さん!」
振り向く。
迎撃は間に合わない。
爆発。
炎と煙の向こうで赤城さんの身体が傾き、海面へ片膝をついた。
「赤城さん!」
「大丈夫です!」
すぐに返事はあった。
だが、大丈夫ではない。
右側の艤装が大きく損傷している。
「被害報告!」
「赤城、艤装中破! 発艦機構損傷!」
「航空運用能力、大幅低下!」
赤城さんが立ち上がる。
「まだ――」
「赤城」
こちらを見る。
「発艦できるの?」
返事がない。
「赤城」
「難しいです」
「なら下がりなさい」
「ですが」
「赤城」
私は空母棲姫を見る。
「あなたがここに残っても、私があなたを守ることになる」
「それでは勝てない」
赤城さんは一瞬だけ目を伏せた。
それから顔を上げる。
「……ええ。その通りです」
「赤城!」
長門がこちらを見る。
「航空戦の継続は困難です!」
赤城さんは自分の口で言った。
「第一艦隊から外れます!」
「第二艦隊!」
『こちら第二艦隊!』
金剛の声が返る。
「蒼龍を前へ!」
一瞬の間を置いて、返事があった。
『了解デース!』
続けて別の声。
『蒼龍、了解!』
後方から一人が抜け、速度を上げる。
『加賀さん!』
「蒼龍」
『代わります!』
「右をお願い」
『はい!』
「敵旗艦の航空隊だけを見ないで。ヌ級と連携しています」
『了解!』
赤城さんが私を見る。
「加賀さん」
「何?」
「お願いします」
少し間を置いて。
「空を、任せます」
赤城さんは、いつもの静かな笑顔を浮かべていた。
「ええ」
赤城さんが下がり、蒼龍が上がる。
たったそれだけで、第一艦隊の航空戦力が入れ替わった。
「蒼龍!」
「はい!」
「来るわ!」
「見えてます!」
二人で弓を引き、空へ放つ。
航空戦は途切れない。
赤城さんが抜けても戦いが続くように、蒼龍がここにいた。
◆◆◆
side 赤城
「赤城さん! こちらへ!」
榛名さんの声に従い、第二艦隊へ入る。
金剛さん、榛名さん、北上さん、神通さん、時雨さん。そして蒼龍さんが抜けた場所。
そこへ私が加わった。
「損傷は?」
神通さんが尋ねる。
「艤装です」
「お身体は?」
「軽傷です」
「航空戦は」
「新規発艦は難しいですね」
「では――」
「ですが」
空を見上げる。
先ほど発艦させた子たちは、まだ飛んでいる。
「すでに上がっている子たちは、まだ戦えます」
損傷した艤装では全機の収容は難しい。けれど、指揮はできる。
「第一艦隊へ抜ける敵を、ここで減らします」
金剛さんがこちらを見る。
「Akagi」
「はい」
「無理はNoデース」
「ええ」
「本当デスか?」
「本当です」
少し笑う。
「第一艦隊の正規空母として戦うのは、もう無理です。ですから」
残っている艦載機を見る。
「第二艦隊で戦います」
北上さんが肩を竦めた。
「頑固だねえ」
「北上さんほどでは」
「私、頑固かな?」
「大井さんに聞けば分かるんじゃないかな」
時雨さんが言う。
「それはやめとこっか」
小さな笑い声が生まれた。
その直後。
「来ます!」
神通さんの声で全員が前を向く。
敵軽巡二、駆逐三。第一艦隊を追うように進んでくる。
「赤城さん」
「はい」
「敵機を」
「任せてください」
残存機へ指示を送り、敵軽巡の上を低く飛ばす。
攻撃するためではない。
進路を縛るためだ。
「右へ行きます」
「承知しました」
神通さんは、もう動いている。
「Haruna!」
「はい!」
「左を押さえるデース!」
「了解です!」
二人の砲撃を避け、敵が右へ逃げる。
そこには神通さんがいる。
砲撃。
「時雨さん!」
「うん」
魚雷が走り、敵の進路をさらに狭める。
「北上さん」
「はいはい」
「三十秒」
「十分」
北上さんの魚雷が、逃げた先へ先回りするように伸びていく。
命中。
「一隻、大破!」
「金剛さん!」
「Fire!」
砲撃。
撃沈。
強い。
この艦隊も。
誰も誰かを待たず、それでいて誰の邪魔もしない。
私が航空隊で敵を右へ寄せれば、そこには神通さんがいる。神通さんが敵を追えば、時雨さんが退路を切る。
その先に、北上さんの魚雷と金剛さんたちの砲撃が来る。
必要な場所に、必要な攻撃がある。
「赤城さん」
「はい?」
「もう一隊、来ます」
「見えています」
「お願いできますか?」
「ええ」
弓を握る。
私はもう第一艦隊にはいない。蒼龍さんが私の場所にいる。
それでいい。
今、私がいる場所はここだ。
「通しません」
残存機が向きを変える。
「第一艦隊へは、行かせません」
◆◆◆
side 加賀
蒼龍の艦載機が敵機を追う。
「深追いしないで!」
「はい!」
すぐに戻ってくる。判断が早い。
私の航空隊と蒼龍の航空隊を組み直し、敵航空隊を削っていく。
「敵航空隊、減少!」
「長門!」
「聞こえた!」
長門が前へ出る。
「陸奥!」
「ええ!」
「大和!」
「はい!」
「武蔵!」
「おう!」
四隻の戦艦が、残った敵主力へ砲塔を向ける。
ル級flagship。リ級flagship。ヌ級elite。そして、空母棲姫。
「まず護衛を剥がす!」
長門の斉射で海が割れる。
ル級が応射し、武蔵がその砲撃を受けた。
「武蔵!」
「この程度!」
「大和!」
「はい!」
大和の砲撃がル級を直撃する。
「敵戦艦、大破!」
「陸奥!」
「任せて!」
追撃を受けたル級が沈む。
「次!」
リ級が前へ出て、空母棲姫を守る。
「邪魔よ」
私と蒼龍の航空隊が同時に攻撃し、対空砲火を上へ向けさせる。
「長門さん、今です!」
「撃て!」
長門の主砲がリ級を捉え、撃沈する。
残るのはヌ級と空母棲姫。
「敵空母、発艦!」
「蒼龍!」
「はい!」
航空隊をぶつける。
あれだけ失いながら、空母棲姫はまだこれほどの数を出してくる。
化け物。
その言葉が頭を過った。
赤城さんを落とし、こちらの航空隊を削り、戦艦四隻に護衛を剥がされても、まだ戦っている。
「加賀さん!」
「分かっています!」
航空隊を上へ回し、敵機を引きつける。
「蒼龍!」
「右、空けます!」
敵機がこちらへ寄る。
その下には空母棲姫。
「大和!」
「見えました!」
大和の主砲が向く。
空母棲姫が動き、砲撃を避ける。
「外した!?」
「違う」
武蔵が笑った。
「避けさせた」
その先には、すでに武蔵の砲塔が向いている。
「読んだぞ」
轟音。
命中。
空母棲姫の身体が大きく揺れる。
「まだ!」
陸奥の砲撃も命中する。
「敵旗艦、損傷拡大!」
「続けろ!」
長門が撃つ。
空母棲姫が応射した。
砲弾が長門のすぐ横へ落ち、海面を爆ぜさせる。
「この距離で……!」
「空母だと思うな!」
長門が叫ぶ。
「姫級だ!」
大和が前へ出て主砲を放つ。
直撃。
今度こそ、空母棲姫の姿勢が崩れた。
『空母棲姫、大破!』
「追うぞ!」
長門の声と同時に、敵旗艦が後退を始める。
「逃がすな!」
第一艦隊が前へ出る。
私も蒼龍も航空隊を追わせ、後方から第二艦隊が続いた。
空母棲姫は大破している。
今なら沈められる。
「追撃!」
今度こそ、ここで沈める。
◆◆◆
side 土佐
遠くで砲声が続いている。
第一艦隊は、まだ戦っている。
「土佐!」
「聞いている!」
主砲を放つ。
敵駆逐が回避する。
「長良!」
「はい!」
「右へ追う!」
「了解!」
長良の砲撃を避け、敵が左へ進路を変える。
「由良!」
「見えています!」
由良の砲撃が命中した。
「潮!」
「はい!」
魚雷を避けるため、敵がさらに後退する。
「追うな!」
那智の声。
「位置を守れ!」
「了解!」
止まる。
前へは出ない。
ここが私たちの場所だ。
第一艦隊と第二艦隊が帰るための道を守る。
少し前の私なら、追っていたと思う。
今は追わない。
その必要がない。
「敵艦、後退!」
長良の声が響く。
「下がった?」
「待て」
那智が敵を見る。
「違う」
「何が?」
「戻っている」
敵はこちらに背を向けている。
逃げている。
だが、鎮守府から遠ざかる方向ではない。
第一艦隊のいる中央へ向かっている。
別の敵も動いていた。
第四、第五、第六艦隊が押さえていた残存艦が、すべて中央へ向かっている。
「敵艦、複数!」
鳳翔さんが報告する。
「各方面から中央へ集結しています!」
「中央?」
長良が尋ねる。
「第一艦隊の方ですか?」
「はい!」
「何のために……」
由良が遠くを見る。
その時、無線が入った。
『敵旗艦、空母棲姫――大破!』
一拍。
『第一艦隊、追撃中!』
大破して逃げている。
だから、敵が戻っている?
「まさか」
那智の顔が変わる。
「鳳翔!」
「はい!」
「敵の進路!」
「確認します!」
少しして、鳳翔さんが息を呑んだ。
「全艦――空母棲姫へ向かっています」
遠くで水平線が光る。
数秒遅れて砲声。
また光る。
今度は複数。
「一斉射……」
空母棲姫を狙っている。
なら、沈む。
四隻の戦艦に追われ、大破した敵が逃げられるはずはない。
そう思った。
鳳翔さんの様子が変わる。
「どうしました?」
潮が尋ねる。
「敵艦が、前へ出ています」
「前?」
「空母棲姫の前へ」
再び一斉射。
「敵戦艦、被弾! 大破!」
また別の敵が動く。
「敵重巡、前へ!」
砲声。
「直撃!」
短い間のあと、鳳翔さんが続けた。
「轟沈……」
「何を……」
由良が遠くを見る。
「何をしてるんですか」
長良も呟く。
私も見た。
遠くて姿までは見えない。
だが、情報は入ってくる。
「さらに二隻、空母棲姫の前へ!」
砲声。
「回避していません!」
回避しない。
何故。
「……避けたら」
気づいた言葉が口から零れる。
「姫に当たる」
皆が私を見る。
分かった。
敵は逃げているのではない。
姫を逃がしている。
「姫を守っているのか」
由良が呟く。
「深海棲艦が……」
また一隻が沈む。
そして、別の一隻が前へ出る。
「あいつらも……」
言葉が止まった。
盾。
その言葉が頭に浮かぶ。
私も長良の前へ出た。潮を守ろうとした時も同じだった。
私が受ければいい。
私が盾になればいい。
けれど、鳳翔さんは言った。
必要なら盾になれ。
でも、全部を自分で受けるな。
守ることと、一人で背負うことは違う。
敵がまた沈む。
姫はその後ろで遠ざかっていく。
盾。
同じ言葉。
だが。
「……違う」
「土佐さん?」
鳳翔さんがこちらを見る。
「あいつらは、帰るつもりがない」
姫だけを帰す。
自分たちはここで沈む。
それを最初から選んでいる。
胸の奥がざわつく。
私は盾になろうとした。
それ自体が間違いなのではないと、鳳翔さんは言った。
必要なら盾になれ。
でも、帰れ。
私も全員の中にいる。
「土佐」
那智が呼ぶ。
「引かれるな」
「分かっている」
「見るなとは言わん。覚えておくのもいい」
那智も遠くを見る。
「だが」
こちらを振り向く。
「真似はするな」
「ああ」
もう一度、遠くを見る。
「あいつらも、守るのか」
答えはない。
ただ敵が沈んでいく。
「私たちは」
息を吐く。
「全員で帰る」
鳳翔さんがこちらを見て、少し笑った。
「はい」
「そうです」
那智が前を向く。
「だから、まだ終わっていないぞ」
「ああ」
主砲を戻す。
「ここを守る」
◆◆◆
side 加賀
「撃て!」
長門の号令で主砲が斉射される。
また敵が入った。
ル級が回避せず、砲弾を受け止める。
空母棲姫には届かない。
「次だ!」
武蔵が叫び、大和が装填を急ぐ。
空母棲姫は少しずつ遠ざかっている。
大和が撃つ。
今度はリ級が前へ出た。
「避けない……?」
蒼龍が呟く。
「避ければ姫に当たるからよ」
砲弾が直撃し、リ級が沈む。
「加賀さん!」
「航空隊を回して!」
「はい!」
上から空母棲姫を狙う。
だが、敵航空隊はまだ残っていた。大破しても、空母棲姫は艦載機を動かし続けている。
「蒼龍!」
「敵機、引き受けます!」
「無理をしないで!」
「分かってます!」
航空隊が交差する。
その下では長門たちが追撃を続け、第二艦隊も周囲の敵を削っていた。
『敵駆逐二、撃沈!』
神通からの報告。
『右、空きました!』
「長門!」
「分かった!」
前へ進む。
射程には、まだ届く。
「大和! 武蔵! 陸奥!」
「はい!」
「おう!」
「いつでも!」
「撃て!」
四隻が同時に撃つ。
敵が前へ出た。
一隻、二隻、三隻。
爆発と水柱が上がり、煙が海面を覆う。
「敵戦艦、轟沈!」
「重巡、大破!」
「駆逐一、反応消失!」
「空母棲姫は!」
返事が少し遅れた。
『健在!』
遠い。
「まだ追える!」
武蔵が叫ぶ。
「長門!」
「分かっている!」
さらに前へ出ようとした、その時だった。
『第一艦隊』
提督からの通信。
「まだ射程内だ!」
『分かっている』
「なら!」
『敵旗艦との距離は』
短い間。
『開き続けている』
長門が歯を食いしばった。
正しい。
敵はこちらに勝とうとしているのではない。
姫を逃がす。
そのためだけに沈んでいる。
一隻を沈めている間に姫が遠ざかる。
敵は避けない。
だからこちらは当てられる。
だが、当てた砲弾は姫には届かない。
『敵旗艦、さらに後退』
偵察機から報告が入る。
『空母棲姫、大破状態で戦域離脱』
海が急に広くなったように見えた。
「逃がしたか」
長門の声が低い。
「ええ」
姫の姿は、もうない。
残された敵だけが海上にいる。
『敵主力、撤退を開始』
『近海より敵反応、後退』
提督から続けて指示が来る。
『第一艦隊』
長門が顔を上げる。
『追撃中止』
「……了解」
今度は反論しなかった。
姫はすでに射程の外。追えば、こちらもさらに海域の奥へ入ることになる。
赤城さんは第一艦隊から外れた。戦艦たちも無傷ではない。
『第二艦隊は第一艦隊を援護。残敵を処理しつつ、帰投路へ移行』
『第三艦隊から第六艦隊は現在位置を維持。第一、第二艦隊の帰投路を確保しろ』
そして。
『全艦へ』
少し間があった。
『作戦目標達成』
勝った。
それでも、誰も喜ばなかった。
長門が、空母棲姫の消えた方向を見ている。
「次は」
小さな声が聞こえた。
「逃がさん」
「長門」
「分かっている」
長門がこちらを見る。
「今は帰る」
「ええ」
長門は前へ向き直った。
「第一艦隊、残敵を処理する」
そして全員へ告げる。
「帰投するぞ」
◆◆◆
side 赤城
「敵軽巡、右!」
「Haruna!」
「はい!」
榛名さんの砲撃を敵が避ける。
「時雨さん!」
「うん!」
魚雷が走り、敵の退路を狭めた。
「神通さん」
「見えています」
神通さんが前へ出て砲撃する。
命中。
「北上さん」
「じゃ、終わらせよっか」
北上さんの魚雷が敵軽巡を捉えた。
「敵反応、消失」
神通さんが周囲を確認する。
「この周辺は以上です」
息を吐く。
艤装が重い。
戦っている間は感じなかった痛みが、遅れてやってくる。
「赤城さん」
榛名さんが顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
少し間を置いて、笑う。
「今のは、本当に大丈夫です」
「ならいいけどさ」
北上さんが言う。
「帰ったら、ちゃんと入渠しなよ?」
「もちろんです」
「約束だよ」
「はい」
前方から第一艦隊が戻ってくる。
蒼龍さんもいる。
「赤城さん!」
「蒼龍さん」
「すみません」
「何がです?」
「沈めきれませんでした」
首を振る。
「あなたが謝ることではありません」
「でも」
「蒼龍さん」
「はい」
「繋いでくれて、ありがとうございました」
蒼龍さんが少し目を丸くする。
それから、もう一度大きく答えた。
「はい!」
◆◆◆
side 土佐
敵が減り、海が少しずつ静かになっていく。
「第一艦隊、接近!」
長良の声に前を見る。
来る。
長門、陸奥、大和、武蔵、加賀姉さん、蒼龍さん。
少し離れて第二艦隊が続く。
金剛、榛名、北上、神通、時雨。
そして。
赤城さんもいる。
艤装は壊れている。
それでも、いる。
「土佐」
那智が呼ぶ。
「警戒を続けろ」
「ああ」
第一艦隊が私たちの前を通る。
加賀姉さんと目が合った。
小さく頷かれる。
私も頷く。
それだけでいい。
第二艦隊の中には神通がいる。
神通とも目が合い、互いに頷く。
時雨はこちらを見て笑った。
今度は私も笑うことができた。
最後に赤城さんと目が合う。
少し疲れている。
それでも、いつものように微笑んでいた。
私が頷くと、赤城さんも頷き返す。
第一、第二艦隊が通過したあとも、しばらく警戒を続ける。
敵影はない。
やがて無線が入った。
『第三艦隊から第六艦隊』
提督の声。
『任務終了』
少し間を置いて。
『帰投せよ』
「了解!」
那智が前を見る。
「帰るぞ」
「ああ」
周囲を見る。
那智。
鳳翔さん。
長良。
由良。
潮。
そして、私。
「よし」
「何がよしなんだ?」
「全員いるなと思って」
「当たり前だ」
那智が少し笑う。
「帰るぞ」
「ああ」
少し考える。
漣は先に戻った。
あいつも鎮守府にいる。
だから。
「帰ろう」
◆◆◆
鎮守府の港には、人と妖精さんが溢れていた。
声と足音が飛び交い、帰投した艦娘たちが次々と艤装を預けていく。
「おかえりなさいませ、ご主人様ー!」
聞き慣れた声だった。
「漣」
「はい!」
少し離れたところで手を振っている。
「ちゃんといたな」
「そりゃいますよ」
怪我はなさそうだ。
「そうか。ならいい」
漣が少し目を丸くし、それから笑った。
「なんですか、それ」
「何がだ?」
「いや。なんでもないです」
少し間を置いてから、言い直すように告げる。
「おかえりなさい、土佐さん」
「ああ。ただいま」
妖精さんがこちらへ来て、艤装を外していく。
「お願いします」
頷いた妖精さんが艤装を運んでいき、急に身体が軽くなる。
「土佐」
「ん?」
振り向く。
加賀姉さんがいた。
「姉さん」
加賀姉さんが止まる。
周りには人がいる。
でも、もう気にしない。
「姉さん?」
「怪我は?」
「ない」
「艤装は?」
「軽微だ」
「本当に?」
「ああ」
加賀姉さんが近づき、肩や腕を確かめる。
「大丈夫だ」
少し間を置く。
「帰ってきた」
「……ええ」
次の瞬間、抱きしめられた。
強い。
「姉さん?」
「……少しだけ」
腕が背中へ回る。
「少しだけ、このままで」
「ああ」
私も加賀姉さんの背中へ腕を回す。
「……おかえりなさい」
「ああ。ただいま、姉さん」
少し離れたところに陸奥がいる。
目が合う。
陸奥は笑った。
何も言わない。
今は加賀姉さんの時間。
そんな顔だった。
◆◆◆
夕食の食堂は、普段よりずっと人が多かった。
けれど全員ではない。入渠中の者も、修理に追われている者も、まだ戻れない者もいる。
「土佐さん、こっちですよー!」
「漣」
漣のいる卓には、潮、長良、由良、鳳翔さん、那智が座っていた。
そこへ加わる。
戦場では鋭く指示を飛ばしていた那智も、今は静かに箸を動かしている。
同じ人なのに、海の上とは違って見えた。
それでいいのだと思う。
食堂のあちこちで、今日の戦いの話が交わされている。
第一艦隊の砲撃。
第二艦隊の連携。
第三から第六までが作った道。
それぞれの話が繋がって、ようやく一つの作戦になる。
少しして金剛や榛名、北上たちも近くへ来た。
「近海が落ち着きましたから、向こうも放っておけません」
榛名が言う。
「そうか」
「でも!」
金剛が笑った。
「少しくらいは、本部でゆっくりしたいデース!」
「それは同感」
北上が頷く。
食堂を見回す。
誰かがいない。
それに気づいた。
「姉さん」
加賀姉さんを見る。
「何?」
「赤城さんは?」
加賀姉さんの目が、ほんの少し柔らかくなる。
「入渠中よ」
「まだ?」
「ええ。本人の怪我は軽いけれど、艤装の損傷が大きいわ。今夜はそのまま休ませるそうよ」
「そうか」
赤城さんの姿は港で見た。
だが、まだ話していない。
「祝勝会は」
長門の声が食堂に響く。
「全員の入渠が終わってからだ」
「賛成デース!」
「えー、今日やろうよ」
川内が不満そうに言う。
「お前は騒ぎたいだけだろう」
「だって勝ったじゃん」
「空母棲姫は逃がした」
食堂が少しだけ静かになる。
「だが」
長門は皆を見回し、箸を持った。
「今日のところは、よく帰った。食え」
そして続ける。
「明日のことは、明日考える」
「長門さんがそれ言うんだ」
北上が笑う。
「私だって休む!」
食堂に笑い声が戻った。
全員ではない。
入渠している人がいる。
別の海にいる人もいる。
だから宴会は、まだしない。
それでも今、ここにいる。
今日は、それでいい。
◆◆◆
食事を終え、自室へ戻ろうとしたところで足を止めた。
赤城さんは、まだ入渠している。
少し考えたあと、自室とは別の方向へ足を向けた。
◆◆◆
扉を軽く叩く。
「はい」
「赤城さん」
「……土佐さん?」
入渠室へ入ると、薄い湯気の向こうで赤城さんがこちらを見た。
肩まで入渠槽に浸かっている。
中へ入ると、赤城さんが少し目を丸くした。
「どうされたんですか?」
「見舞いだ」
「私の?」
「ああ」
「迷惑だったか?」
「いいえ」
赤城さんはすぐに首を振った。
「とても嬉しいです」
「そうか」
椅子へ座る。
「私が入渠していた時、赤城さんが来てくれただろう」
「ええ」
「あれが」
少し考える。
「嬉しかった」
赤城さんが黙る。
「だから、赤城さんもそうならいいと思った」
「……土佐さん」
「ん?」
「時々、本当に困った方ですね」
「何がだ?」
「何でもありません」
「そうか」
それから、しばらく話した。
食堂のこと。
皆のこと。
長門、那智、長良、由良、漣。
そして今日の戦いのこと。
「蒼龍さんが頑張ってくれました」
赤城さんが言う。
「ああ。見えた」
「見えたのですか?」
「遠かったがな。姉さんと一緒に戦っていた」
「そうですか」
赤城さんは安心したように笑った。
少しして、その声がゆっくりになる。
疲れているのだろう。
「眠いか?」
「少しだけ」
「なら寝た方がいい」
「ですが、土佐さんが」
「私はここにいる」
「…………」
「眠るまでいてやる」
赤城さんが目を細めた。
「それは、嬉しいですね」
赤城さんは入渠槽の縁へ頭を預ける。湯気の向こうで、長い髪が肩から水面へ流れていた。
ふと思い出す。
頭を撫でられると、少し落ち着く。
私は赤城さんの髪へ手を伸ばした。
「土佐さん?」
「嫌か?」
「いいえ」
湯気でしっとりとした髪を指先でゆっくりと撫でる。
しばらくすると、赤城さんの目元から力が抜けていった。
「……落ち着きます」
「そうか」
「はい」
やがて返事がなくなる。
寝息を確認して、もう一度だけ髪を撫でた。
「おやすみ、赤城さん」
静かに立ち上がり、部屋を出る。
◆◆◆
自室へ戻ろうと歩き始める。
「土佐」
「ん?」
足を止める。
廊下の先、壁際に陸奥が立っていた。
「陸奥」
「終わった?」
「見舞いなら」
「ああ」
陸奥が少し笑う。
「赤城さん、どうだった?」
「眠った。本人は大丈夫そうだった」
「そう。よかった」
「ああ」
少しの沈黙。
「陸奥」
「なに?」
「待っていたのか?」
陸奥が少し目を逸らす。
「少しだけね」
「私を?」
「そうよ」
「何故?」
「あなたねぇ……」
困ったように笑われる。
「まあ、いいわ。もう部屋に戻る?」
「ああ」
「じゃあ、その前に少しだけ付き合って」
「構わない」
「ありがとう」
二人で並び、陸奥の部屋まで歩いた。
◆◆◆
扉が閉まる。
部屋を見回す。
廊下には、もう誰もいない。
「……姉さん」
陸奥が止まった。
「どうした?」
「ううん」
振り返った顔は、先ほどまでより少し柔らかい。
「やっと呼んでくれたなって」
「二人だからな」
「そうね」
嬉しそうに目を細める。
「それがいいの」
「そういうものか」
「そういうものなの」
「分からない」
「そのままでいいわ」
陸奥が一歩近づく。
「土佐」
「ん?」
「おかえり」
今日、何度言われただろう。
同じ言葉なのに、一人一人、少しずつ違って聞こえる。
「ああ。ただいま、姉さん」
陸奥に抱きしめられた。
ゆっくりと腕が背中へ回る。
「今日は」
耳元で声がする。
「ずっと我慢してたんだから」
「何を?」
「これ」
腕の力が少し強くなる。
「港では加賀がいたでしょう?」
「ああ」
「赤城さんのお見舞いにも行ったでしょう?」
「ああ」
「だから、今は私の番」
「順番なのか?」
「そういうことにして」
「分かった」
少し笑われた。
しばらく、そのままでいる。
やがて陸奥が呼んだ。
「土佐」
「ん?」
「疲れた?」
少し前の私なら、大丈夫だと言っていた。
今も、言おうと思えば言える。
でも。
「……疲れた」
「うん」
頭を撫でられる。
「そうよね。今日は、たくさん戦ったもの」
「ああ」
「怖くなかった?」
少し考える。
「怖かったかは、分からない」
「そう」
「でも」
目を閉じる。
「帰れてよかった」
陸奥の腕が少しだけ強くなる。
「うん」
「皆も」
「ああ」
「姉さんも、帰ってきてくれてよかった」
しばらく返事がなかった。
「姉さん?」
「……駄目ね」
「何が?」
「今日の土佐」
陸奥が小さく息を吐く。
「いつもより、ずっと可愛い」
「意味が分からない」
「分からなくていいわ」
また頭を撫でられる。
「もう少し」
「ん?」
「このままでいましょう」
「ああ」
静かだった。
赤城さんのところとは、また違う。
何もしなくていい。
ただここにいて、撫でられ、抱きしめられている。
それだけだ。
少し前なら落ち着かなかったかもしれない。
でも、今は悪くない。
「姉さん」
「なあに?」
「ありがとう」
「こちらこそ」
「?」
「帰ってきてくれて」
陸奥が、もう一度私を抱きしめる。
「ありがとう、土佐」
「ああ」
目を閉じる。
今日はもう戦わなくていい。
誰かの前に立たなくていい。
盾にならなくていい。
ここでは、ただ帰ってきた。
それだけでいいらしい。
「…………姉さん」
「なあに?」
「もう少し」
言ってから、少し迷う。
「このままでいいか?」
陸奥の腕が、優しく強くなる。
「もちろん」
「そうか」
なら、もう少しだけ、このままでいる。
帰ってきた場所で。
むっちゃん………ちゅき