タイトルページに追加していますので、気が向けば見てみてください。
着任から三日目の午後。
私は演習海域へ向かうため、長門さんと並んで海を進んでいた。
空はよく晴れ、風も穏やかだった。波間に反射する陽光が、一定の間隔で目に差し込んでくる。
その静かな海を、長門さんは真っ直ぐ前だけを見て進んでいた。速度は速くも遅くもない。私が僅かに進路を変えても、間隔は一定に保たれている。
ただ並んで走っているだけで、力量の差が伝わってきた。
少し後方には、演習の判定役を務める那智と、見学を申し出た川内が続いている。
「土佐」
長門さんが前を向いたまま口を開いた。
「今日は私と一対一だ」
「……了解」
指定された海域へ入り、長門さんと距離を取って向かい合う。
砲を構える姿を見た瞬間、自然と身体が強張った。これまでの訓練とは違う。相手は私と同じ戦艦。それも、長い実戦経験を持つ艦娘だ。
静かに佇んでいるだけなのに、こちらへ向けられた主砲の一門一門が明確な圧力を放っている。昨日、川内を相手にしたときとは、感じる間合いそのものが違った。
速力では川内の方が上だろう。だが長門さんを前にすると、迂闊に近づくことも、無闇に離れることも正解には思えなかった。
「随分と硬い顔をしているな。緊張しているのか?」
「……少し」
「正直で結構。だが、遠慮はいらんぞ。私を先輩だと思って手を緩めれば、何も得られん」
「そのつもりはない」
主砲を展開し、背中から伝わる鋼鉄の重さを確かめる。昨日の訓練で、艤装に動かされるのではなく、自分の意思で動かす感覚を掴み始めた。川内との模擬戦では、相手を砲塔で追うのではなく、動きを読んで射線へ誘い込んだ。
それが長門さんにも通用するのか、試してみたかった。
那智が私たちの間から離れ、片手を上げる。
「使用するのは演習弾。有効打の判定はこちらで行う。両者とも、続行不能と判断した場合は即座に演習を中止する」
「ああ」
「了解した」
少し離れた場所で、川内が腕を組んでいる。普段の気楽な笑みはなく、細められた目が私と長門さんの間を往復していた。
那智が上げていた手を振り下ろす。
「――始め!」
次の瞬間、長門さんの砲塔が動いた。
――来る。
そう思ったときには、すでに身体が反応していた。機関の出力を上げ、横へ滑る。
轟音。
先ほどまで私がいた場所を砲弾が叩き、巨大な水柱が立ち上がった。一発だけではない。水飛沫で遮られた視界の向こうから、続けて砲撃音が響く。
「……っ!」
進路を変える。二発目が前方へ着弾し、その水柱を避けて左へ動けば、三発目が逃げ道を塞ぐ。反対へ切り返そうとした瞬間、その先の海面に四発目が落ちた。
爆発ではなく、巻き上げられた大量の海水に身体を叩かれる。姿勢が崩れた。
「土佐、姿勢を戻せ!」
那智の声が飛ぶ。艤装に引かれる前に腰を落とし、海面へ足を踏み込む。機関の出力を調整し、どうにか転倒を免れた。
水飛沫の向こうで、長門さんはこちらを見ていた。追撃はない。今の一連の砲撃だけで、私がどう動くのかを確かめていたのだと気づく。
「……なるほど。思った以上によく見ている」
言葉が終わるより早く、長門さんの砲塔が再び動く。
肩の向き。腰の位置。視線。砲塔の旋回。一つずつ拾う。
剣道と同じだ。相手が動いてから避けるのではない。動く前の僅かな兆候を読み、どこへ狙いをつけ、どの方向へ逃がそうとしているのかを予測する。
今度は、長門さんが作った逃げ道へ入らない。砲撃の直前、思い切って前へ出た。背後で水柱が上がる。
距離を詰め、右舷へ回り込むように進路を取る。砲撃の間隔、砲塔の旋回速度、次に狙う場所。頭の中で組み立てていく。
昨日の川内より動きは遅い。それなのに隙がない。川内は速力でこちらを翻弄した。長門さんは砲撃によって私の進路を選んでいる。
避けているつもりで、動かされている。
それなら。
私は急に速度を落とした。予想より早く止まったことで、長門さんの砲塔が僅かに先を向く。
ほんの一瞬。それだけで十分だった。
「――そこだ」
砲撃。
演習弾が海面を越える。長門さんはすぐに反応したが、完全には避けきれなかった。演習弾が艤装の端を捉え、その身体が僅かに揺れる。
「長門、一発」
那智の判定が響いた。後方で見ていた川内が、思わず身を乗り出す。
「当てた……」
その声には、驚きと喜びが入り混じっていた。
だが、長門さんはすぐに姿勢を戻していた。目が合う。長門さんは笑っていた。
「見事だ、土佐」
そう言いながら、すでに砲塔はこちらを向いている。背筋が冷えた。
避けきれない。
砲声。衝撃が艤装を突き抜け、身体ごと海面を押し流された。
「土佐、一発!」
海面へ片足をつき、姿勢を立て直す。演習弾でも、これほど重い。実戦で受ければ、ただでは済まない。
「まだだ、土佐!」
「分かっている!」
再び向き合う。
怖い。長門さんの砲撃は重い。次にどこを狙われるのか読めても、必ず避けられるとは限らない。
けれど、それ以上に――面白かった。
剣道の試合とも、弓を引くときとも違う。それでも、相手との距離を読み、動きを見て、次の瞬間を取りにいく感覚はよく似ていた。
砲撃で作る間合い。速度によって生まれる駆け引き。相手に進路を選ばせる一発。その裏を取るための判断。
戦艦同士の撃ち合いも、結局は同じなのかもしれない。自分の身体と相手の身体、その間にあるものを読む。
私は主砲を長門さんへ向けた。
「……もう一度だ」
長門さんが楽しそうに笑う。
「望むところだ」
◆◆◆
それから、何度も撃ち合った。
長門さんの砲撃を避ける。距離を取る。一気に踏み込む。照準を合わせ、撃つ。外す。着弾を見て修正し、再び撃つ。
一度通用した動きは、二度目には通じなかった。速度を落として照準をずらそうとしても、長門さんは減速を見越して砲弾を置いてくる。横へ回り込めば、主砲だけでなく副砲が進路を塞いだ。
こちらが動きを読もうとしていることにも、すでに気づかれている。長門さんは時折、視線と砲塔を別の方向へ向けた。その僅かな動きに反応した瞬間、本当の砲撃が別の角度から飛んでくる。
「目に見えるものだけが兆候ではないぞ!」
「覚えておく!」
答えながら砲撃する。長門さんは身体を傾け、演習弾の射線から外れた。
こちらの狙いを読まれている。それでも先ほどより近い。次はさらに半歩。その次は、もう半歩。
勝敗だけを見れば、私はまだ長門さんには届かない。有効打の数も、避けた砲撃の数も、比べるまでもなかった。
それでも、演習が始まった直後よりは明らかに動けるようになっている。長門さんの砲撃を見ているだけではない。なぜそこへ撃ったのか。私をどこへ動かし、その先で何を狙っているのか。一つずつ考えられるようになっていた。
長門さんも、その変化に気づいていた。最初は反応を見るため、分かりやすく砲塔を動かしていた。今は視線で誘い、砲撃の間隔を変え、直前まで狙いを悟らせない。
一度教えたことを、次の瞬間には乗り越えようとする。それならばと、長門さんもまた手を変える。
戦艦同士の砲声が、幾度も演習海域を震わせた。
見守っていた川内は、いつしか腕を組むのをやめていた。
「……昨日とは全然違う」
「昨日の経験を、そのまま今日へ持ってきているな」
那智は二人から目を離さないまま答えた。
「私との模擬戦で掴んだこと、もう使ってるんだ」
「ああ。だが、それだけではない。撃ち合いながら覚えている」
那智の声には僅かな感心が滲んでいた。川内はしばらく黙っていたが、やがて楽しそうに笑う。
「本当に、次は危ないかもね」
◆◆◆
演習終了の合図が海上へ響いた。
「……今日はここまでだ」
長門さんが先に主砲を下ろし、私も艤装の力を抜く。緊張が途切れた途端、肩が重くなった。呼吸も随分と荒れている。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、よい演習だった」
那智と川内が近づいてくる。那智は記録を確認しながら結果を告げた。
「判定は長門の勝利。土佐、有効打を受けた回数を覚えているか?」
「ああ。七発だ」
「長門への有効打は二発。被弾を避けることへ意識を割きすぎて、後半は砲撃の精度が落ちていた」
「……そうだな」
「だが、最初の演習としては十分だ。長門の意図を読もうとしていた点も悪くない。もっとも、途中から逆に利用されていたが」
「分かっている」
川内が私の顔を覗き込む。
「どうだった? 同じ戦艦と撃ち合った感想」
「強かった。動きを読んでいるつもりで、こちらが読まれていた」
「へえ。そこまで分かったんだ」
川内の目が僅かに細くなる。
「でも、二発当てたんでしょ? 三日目で長門さんから二発かあ」
川内は長門さんへ顔を向けた。
「長門さん、結構本気だった?」
「さて、どうだろうな」
長門さんは笑うだけで答えなかった。
「土佐」
「何だ?」
長門さんが改めて私を見る。先ほどまでの鋭い視線ではない。それでも自然と背筋が伸びた。
「お前は強くなるぞ」
「……そうかな」
「ああ。ただ砲を撃つだけではない。相手を見て、どう戦えばいいかを考えている。そして、自分の考えが通じなければ、その場で修正しようとする」
長門さんは、私が背負う艤装へ視線を向けた。
「最初は、お前が持つ技術で経験の差を埋めようとすることになるだろう。だが、いずれは逆になる」
「逆?」
「艦娘として得た経験が、お前の技術を支えるようになる。そのとき、お前の戦い方は今より遥かに厄介なものになるだろう」
長門さんの口元に、僅かな笑みが浮かぶ。
「そういう者は伸びる。私も、今から楽しみだ」
胸の奥が熱くなった。長門さんの言葉が、これから先にも自分が戦い続けていることを前提にしていたからだ。
今はまだ届かない。技術も、経験も、判断も。けれど、届かないからこそ。
「……次は、勝つ」
後ろで川内が息を呑み、那智が片方の眉を上げる。長門さんは一瞬だけ目を見開いたあと、声を上げて笑った。
「その意気だ。だが、簡単に譲るつもりはないぞ」
「ああ。分かっている」
「ならば、また相手をしよう」
差し出された手を握る。力強く、こちらを一人の戦艦として認めるような握り方だった。
◆◆◆
その日の夕食。
料理を受け取り、空いている席を探していると、少し離れたところから声が聞こえてきた。
「ねえ、今日の演習見た?」
「長門さんと土佐さんの?」
「勝ったのは長門さんだけど、土佐さんも二発取ったらしいよ」
「着任して、まだ三日目でしょう?」
「三日目で長門さん相手にそこまでやったの?」
足が止まる。
……随分と広まるのが早い。
視線を動かすと、噂をしていた艦娘たちから離れた席に川内が座っていた。私と目が合うと、自分ではないと言うように両手を振る。その隣で那智が呆れた顔をしている。
「私は広めてないよ」
「まだ何も言っていないが」
「顔に書いてあった。ここ空いてるよ」
二人と同じテーブルにつく。食事を始めても、周囲の会話は耳へ入ってきた。
「砲撃の避け方が変わってるんだって」
「剣道をやっていたからじゃない?」
「長門さんも褒めてたらしいよ」
小さく息を吐く。
「これでは食べにくいな」
「そのうち慣れるよ」
「慣れたくはない」
「無理だろうな」
那智が静かに口を挟む。
「長門を相手に三日目の新人が二発取れば、話題にもなる」
「二発しか、だ」
「二発も、だよ」
川内がすぐに訂正した。
「私との模擬戦だって、最初は砲塔で追いかけてたのに、途中から待つようになったでしょ。今日も撃ち合いながら、どんどん動きが変わってた」
川内は自分のことのように嬉しそうだった。
「後半は長門に利用されていたがな」
「それは長門さんだからでしょ」
「相手が誰であろうと、負けは負けだ」
「分かっている」
今日の演習を思い返す。長門さんの砲撃、動かされていた進路、読み取ったつもりの兆候、途中から混ぜられた偽りの動き。
まだ分からないことばかりだ。だが、次に同じ手を使われたなら、今日よりは上手く対応できる。
「土佐」
川内の声に顔を上げる。
「今、もう次のこと考えてたでしょ」
「ああ」
「やっぱり」
川内は笑い、那智は小さく溜息をついた。
「食事中くらい休め」
「考えているだけだ」
「お前の場合、そのまま食後に訓練場へ行きかねん」
「今日は行かない。長門さんにも休むよう言われた」
「私が言っても聞かないのに?」
「昨日は短時間だけだった」
「それを聞かないと言うんだ」
川内が堪えきれずに吹き出した。その笑い声に周囲の艦娘たちがこちらを見る。噂の中心にいることを思い出し、私は黙って料理を口へ運んだ。
◆◆◆
少し離れたテーブルでは、赤城と加賀が夕食を取っていた。
「長門さんを相手に、三日目で二発ですか」
赤城が周囲の話へ耳を傾けながら呟く。加賀は箸を動かしたまま、静かに答えた。
「……そうみたいね」
声も表情も普段とほとんど変わらない。けれど、その視線は何度も食堂の一角へ向いていた。
那智と川内に挟まれ、夕食を取っている土佐。本人は周囲から注目されていることを居心地悪そうにしているが、川内が何かを言うたび、僅かに表情を緩めている。
「これから、もっと強くなりそうですね」
「ええ」
「長門さんも、随分と評価していたそうですよ」
加賀の箸がほんの一瞬止まり、すぐに何事もなかったように動き始める。
「まだ三日目です。評価を決めるには早いでしょう」
「そうですね。ですが、嬉しそうですね」
「誰が?」
「加賀さんが」
加賀の視線が、ようやく赤城へ戻る。
「何を根拠に?」
「長門さんが土佐さんを褒めたと聞いてから、少しだけ表情が柔らかくなりました」
「気のせいです」
「そういうことにしておきましょう」
赤城は楽しそうに笑い、味噌汁の椀を手に取った。
加賀は再び食堂の向こうへ視線を向ける。戦艦として生まれなかった妹が、今は艦娘として海に立ち、自分の力で戦い方を学んでいる。
そのことを嬉しいと思う理由を、加賀はまだ言葉にしなかった。けれど、周囲が土佐の名を口にするたび胸の内に生まれる小さな誇らしさを、否定することもできなかった。
「……無茶をしなければいいのだけれど」
「心配ですか?」
加賀は僅かに間を置いた。
「着任したばかりですから」
「ええ。そうですね」
赤城は微笑んだまま、それ以上は何も言わなかった。
◆◆◆
夕食を終え、食堂を出る。廊下の窓から、夕暮れの海が見えた。
立ち止まり、演習海域の方角へ目を向ける。
長門さんには、まだ届かない。今日の私は、技術で経験の差を埋めようとしていた。相手の視線を読み、肩や腰の動きを見て、次の砲撃を予測する。それでも長門さんは、私が見ていることに気づき、その技術さえ利用した。
経験が違う。判断の速さも、砲撃の正確さも、戦場で積み重ねてきたものの重さも。
だが、届かないことが嫌ではなかった。次に覚えるべきことが、はっきりと見えたからだ。
「……次は、もう少し近づける」
すぐに勝てるとは思っていない。それでも、今日できなかったことを次は一つできるようにする。その次は、もう一つ。そうして積み重ねていけばいい。
廊下の先から、複数の足音が聞こえてきた。振り返ると、赤城と加賀が食堂から出てくるところだった。
「土佐さん」
赤城が柔らかく笑う。加賀の視線も私へ向いた。
「赤城。加賀も、今食べ終わったのか」
「ええ。土佐さんは、海を見ていたのですか?」
「ああ。今日の演習を思い返していた」
赤城が加賀を見る。その視線に促されたように、加賀が口を開いた。
「長門さんと撃ち合ったそうですね」
「もう聞いたのか」
「食堂中で話題になっています」
思わず息を吐くと、赤城が小さく笑った。
加賀は笑わず、私の身体を確かめるように頭から足元まで視線を動かした。
「怪我は?」
「ない。演習弾が何発か当たっただけだ」
加賀の眉が僅かに寄る。
「何発ですか?」
「七発」
「それを、だけとは言いません」
昨日の那智と同じようなことを言う。そう思いながら加賀を見ると、彼女は真剣な顔をしていた。
「本当に問題はないの?」
先ほどより僅かに柔らかい声だった。
「ああ。長門さんにも確認してもらった。少し疲れただけだ」
「……そう」
加賀の肩から、ほんの少し力が抜ける。
「心配してくれたのか?」
尋ねると、加賀は一瞬だけ黙った。隣で赤城が二人を見守っている。
「当然でしょう。あなたは、まだ着任して三日目なのだから」
「そうか」
胸の奥が僅かに温かくなる。
「ありがとう、加賀」
加賀の目が僅かに見開かれた。それから視線を逸らし、いつもの落ち着いた声で答える。
「お礼を言われるようなことではありません」
その横で、赤城の笑みが少しだけ深くなった。
私は二人へ別れを告げ、自室へ向かう。背後に残った赤城が加賀へ何かを囁き、加賀が短く答える。その声までは聞き取れなかった。
今日、長門さんには勝てなかった。それでも、私の戦い方が間違っているとは思わなかった。
人間だった頃に培った技術。土佐の身体が持つ力。そして、これから艦娘として積み重ねていく経験。
そのすべてが重なったとき、私はどのような戦艦になるのだろう。
まだ分からない。
だからこそ、楽しみだった。