土佐、海を往く   作:海の藻

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第5話 土佐、居場所を得る

長門さんとの演習を終えた翌朝。

 

目を覚ますと、身体のあちこちに鈍い疲労が残っていた。特に肩と背中が重い。昨日、長門さんの演習弾を受けた場所だ。怪我と呼ぶほどのものではないが、身体を動かすたび、戦艦の砲撃を受けた事実を思い出す。

 

それでも、気分は悪くなかった。

 

負けた。力の差も、経験の差も見せつけられた。だが、次に何を覚えるべきなのかも見えた。そう思えば、この痛みも無駄ではない。

 

身支度を整え、食堂へ向かう。

 

昨日の演習で随分と身体を動かしたせいか、朝から腹が減っていた。艦娘になってからというもの、以前より食事の量が増えた気がする。特に艤装を使った翌日は、自分でも驚くほど空腹になる。

 

これも、身体が変わった影響なのだろうか。

 

そんなことを考えながら料理を受け取り、空いている席を探す。

 

「土佐」

 

声をかけられ、振り向く。食堂の奥に長門さんがいた。

 

「こっちだ」

 

長門さんが自分たちのいる席を指す。その周囲には陸奥さん、大和さん、武蔵さんが座っていた。

 

戦艦ばかりが集まった一角。そこに一つだけ、空いている席がある。

 

私は一瞬、足を止めた。

 

「……私が?」

 

「他に誰がいる」

 

長門さんが当然のように答える。陸奥さんがこちらを見て、柔らかく笑った。

 

「ほら。料理が冷める前に座りなさい」

 

大和さんも穏やかな笑みを向けている。武蔵さんは何も言わず、顎を使って空席を示した。

 

どうやら、本当に私の席らしい。

 

「そうか」

 

言われるまま、空いていた席へ腰を下ろす。向かいには武蔵さん、隣には陸奥さん。特に説明もないまま、再び全員が食事を始めた。

 

誰も私がここに座ることを不思議には思っていない。そのことが、かえって不思議だった。

 

「昨日はなかなか面白かったぞ」

 

武蔵さんが口を開いた。

 

「そうか?」

 

「ああ。長門を相手に、あれだけ正面から撃ち合えるとは思わなかった」

 

「正面から撃ち合うしかなかったんだ。逃げても、その先を狙われた」

 

「そこに気づいただけでも上出来だ」

 

武蔵さんは楽しそうに笑う。その隣で、長門さんが頷いた。

 

「私も、もう少し一方的になると思っていた」

 

「おい」

 

思わず長門さんを見る。

 

「事実だろう?」

 

「……まあ、そうだな」

 

反論できず、箸を取る。そのやり取りを見ていた陸奥さんが、口元へ手を添えて笑った。

 

「素直ねぇ」

 

「何がだ?」

 

「長門にそこまで言われたら、普通はもう少し悔しがるものよ」

 

「悔しいさ」

 

即答すると、陸奥さんの目が僅かに見開かれた。

 

「だから、またやりたい」

 

一瞬の沈黙。最初に笑ったのは長門さんだった。

 

「いい返事だ」

 

「次は勝つ」

 

「そう簡単にはいかんぞ」

 

「分かっている。昨日、七発も受けたからな」

 

武蔵さんが声を上げて笑い、大和さんも困ったように微笑んだ。陸奥さんは私の横顔を眺めたあと、どこか嬉しそうに目を細める。

 

特別な話をしているわけではない。誰かが改まって、私を受け入れると言ったわけでもない。

 

それでも、この席は妙に居心地が悪くなかった。

 

◆◆◆

 

「そういえば」

 

大和さんがふと思い出したように口を開いた。

 

「土佐さんは、もともと剣道と弓道をされていたのですよね?」

 

「そうだ」

 

「昨日の動きを聞いて、納得しました。戦艦の砲撃戦は、ただ火力が高ければいいというものではありませんから」

 

「距離と、位置取りか」

 

「ええ。それに、相手が何をしようとしているのかを考えることも大切です」

 

武蔵さんが続ける。

 

「相手の動きを読む。自分がどう動くかを決める。隙を作り、そこへ砲弾を叩き込む」

 

「……間合い」

 

「そういうことだ」

 

昨日の演習を思い返す。

 

長門さんとの距離を、私はずっと意識していた。どこまで近づけばこちらの砲撃を当てやすいのか。どこまで離れれば相手の砲撃を避けやすいのか。どの瞬間に踏み込み、どの瞬間に退くべきなのか。

 

考えていたことは、剣道と大きく変わらない。ただ、手にしているものが竹刀ではなく、背負っているものが戦艦の主砲になっただけだ。

 

「……面白いな」

 

「何が?」

 

陸奥さんが尋ねる。

 

「やっていることは、昔とあまり変わらない」

 

身体は大きく変わった。人間だった頃には持っていなかった力もある。それでも、これまで学んできたことは今の私の中にも確かに残っている。

 

陸奥さんは私の言葉を聞き、柔らかく笑った。

 

「そういうものかもしれないわね。身体が変わっても、あなたが今まで積み重ねてきたものまで消えるわけではないでしょう?」

 

陸奥さんの視線が、私の手元へ落ちる。

 

「全部持ってきているのよ。今のあなたの中に」

 

人間だった頃の私。戦艦として生まれるはずだった土佐。二つは別々のものではない。どちらか一方を捨てなければならないわけでもない。

 

「……そうだな」

 

小さく答えると、陸奥さんは満足したように微笑んだ。

 

◆◆◆

 

食堂の少し離れた席では、赤城と加賀が朝食を取っていた。

 

「昨日の演習、まだ話題になっていますね」

 

赤城が周囲を見ながら言う。食堂のあちこちから、長門と土佐の名が聞こえていた。

 

「そうね」

 

加賀は淡々と食事を続けている。

 

「長門を相手に、土佐さんが随分と粘ったとか。まだ着任して三日目だったのに、二発も有効打を取ったそうですよ」

 

加賀の箸が、ほんの一瞬だけ止まった。すぐに何事もなかったように再び動き始める。

 

「そうね」

 

赤城は、加賀が何度も視線を向けている先を見る。

 

長門、陸奥、大和、武蔵。戦艦たちの輪の中に、土佐が座っている。初めて見る者なら、以前からそこへ座っていたと思うかもしれない。

 

土佐自身には、まだ僅かな戸惑いが残っている。誰かに話しかけられるたび、ほんの少し反応が遅れる。それでも席を立とうとはせず、長門たちの会話を聞いている。

 

武蔵が笑う。大和が何かを説明する。陸奥が土佐の手元を見て、料理の皿を一つ近づけた。土佐は僅かに目を瞬かせたあと、陸奥へ礼を言った。

 

「すっかり馴染んでいますね」

 

「……そうね」

 

加賀の表情は普段とほとんど変わらない。けれど、土佐を見る目にはどこか穏やかなものがあった。

 

戦艦として生まれなかったはずの妹。その妹が今、戦艦たちの中へ迎え入れられている。

 

加賀の胸に浮かんだ感情が、安堵なのか、喜びなのか。本人にもまだ分からなかった。ただ、土佐が一人で食事をしていないことに、少しだけ安心していた。

 

「加賀さん。安心しましたか?」

 

「何のことでしょう」

 

「土佐さんのことです」

 

加賀はすぐには答えなかった。赤城も急かさず、静かに待っている。

 

「……あの人たちと一緒なら、心配はいらないでしょう」

 

「そうですね」

 

赤城の笑みが僅かに深くなる。加賀は再び食事へ視線を落としたが、その箸の動きは先ほどより少しだけ穏やかだった。

 

◆◆◆

 

食事を終えたところで、長門さんが声をかけてきた。

 

「土佐。今日、時間はあるか?」

 

「特に予定はない」

 

「なら、午後にまた演習をしないか? 昨日の続きだ」

 

思わず長門さんを見る。私がもう一度頼むより先に、向こうから声をかけてくれた。そのことが少しだけ嬉しい。

 

「……望むところだ」

 

「今度は私も混ぜてもらおうか」

 

向かいから武蔵さんが口を挟む。

 

「武蔵さんも?」

 

「ああ。昨日の話を聞いて、私もお前と撃ち合ってみたくなった」

 

「三人で撃ち合うのか?」

 

「最初はそれでもいい。だが、せっかくなら連携も見ておきたいな」

 

長門さんが顎へ手を添える。

 

「前半は三人での個人戦。後半は二対一に分かれ、組み合わせを交代する。それならば、砲撃と連携の両方を確かめられるだろう」

 

「面白そうだ」

 

武蔵さんが即座に賛成した。陸奥さんが呆れたように笑う。

 

「あなたたち、戦う話になるとすぐこれね」

 

「戦艦だからな。戦艦同士、砲を交えて分かることもある」

 

「……戦艦だから」

 

自分の口から、同じ言葉が漏れる。

 

胸元へ視線を落とす。黒い軍服。その内側にある、戦艦としての身体。加賀型戦艦二番艦、土佐。

 

着任した日、私はそれを自分とは別のもののように考えていた。私は私。土佐は土佐。この身体に残る感情も記憶も、私のものではないと思っていた。

 

けれど、今は少し違う。私が戦艦として戦い、戦艦として認められ、戦艦たちの中に座っている。それが思っていたほど嫌ではなかった。

 

「……土佐?」

 

陸奥さんの声で顔を上げる。彼女は少し心配そうに私を見ていた。

 

「何でもない。午後、よろしく頼む」

 

「ああ」

 

長門さんが笑う。武蔵さんも満足そうに頷いた。

 

「簡単に終わるなよ、土佐」

 

「そちらこそ」

 

そう答えると、武蔵さんが僅かに目を見開き、次の瞬間、楽しそうな笑い声が食堂に響いた。

 

◆◆◆

 

午後。

 

長門さんと武蔵さんに挟まれ、再び演習海域へ出た。

 

前半は三人が互いを狙う個人戦。開始の合図と同時に、左右から主砲がこちらを向いた。

 

「……二人とも、最初から私か」

 

「昨日の話を聞いたからな!」

 

武蔵さんが豪快に笑う。

 

「まずはどれほど動けるのか、見せてもらおう!」

 

砲声。

 

海面を蹴り、着弾地点から離れる。逃れた先へ、長門さんの砲弾が落ちた。昨日と同じだ。武蔵さんの砲撃から避ける方向を読み、その先を狙っている。

 

だが、昨日とまったく同じではない。

 

「……そこには行かない」

 

機関の出力を落とし、水柱の手前で急旋回する。長門さんの演習弾が進路の先を通過した。

 

「ほう」

 

長門さんの目が僅かに細くなる。

 

武蔵さんが横から距離を詰めてくる。長門さんよりも大胆で、迷いがない。正面から火力を押しつけ、そのままこちらの態勢を崩すつもりだ。

 

逃げても追われる。ならば、踏み込む。

 

「――っ!」

 

武蔵さんの砲撃を掠めるように避け、懐へ入る。主砲を旋回させるより、自分の身体ごと射線を合わせる。

 

照準が武蔵さんを捉えた。

 

「土佐、武蔵へ有効打!」

 

判定役の声が海上へ響く。

 

「やるではないか!」

 

武蔵さんは悔しがるどころか、さらに楽しそうに笑った。

 

「昨日より動きが良くなったな!」

 

「そうか!」

 

「ああ。だが――」

 

武蔵さんの視線が私の背後へ向く。気づいたときには遅かった。長門さんの演習弾が艤装へ命中し、身体が大きく揺れる。

 

「一人だけ見ていては、戦場では生き残れんぞ」

 

「……覚えておく」

 

「すでに一度教えたはずだ」

 

「なら、今度こそ覚える」

 

長門さんが笑う。

 

「いいだろう。続けるぞ」

 

三人の砲声が、幾度も海を震わせた。

 

一人へ意識を向ければ、もう一人から撃たれる。二人を同時に見ようとすれば、今度は自分の動きが遅れる。何度も被弾した。

 

それでも、昨日より長く動けている。相手の視線だけではない。水柱、砲声の間隔、海面へ映る影。自分の目で見えるものを一つずつ増やしていく。

 

前半終了の合図が響くと、武蔵さんが私のそばへ滑ってきた。

 

「どうだ?」

 

「二人同時は、難しいな」

 

「難しいで済ませるか」

 

武蔵さんは愉快そうに笑い、私の肩を強く叩いた。

 

「だが、面白かっただろう?」

 

「ああ。面白かった」

 

「それでこそ戦艦だ」

 

◆◆◆

 

短い休憩を挟み、後半の連携訓練が始まった。

 

最初の組み合わせは、私と長門さん。相手は武蔵さんだった。

 

「私が前へ出る。土佐は私の砲撃を見て、武蔵の退路を塞げ」

 

「了解」

 

「私だけを見て動くな。武蔵も見ろ」

 

昨日の演習で、長門さんは砲撃によって私の進路を作った。今度は、その砲撃が私のために道を作る。

 

開始の合図。

 

武蔵さんが正面から踏み込んでくる。長門さんが撃つ。武蔵さんは砲撃を避けるため右へ進路を変えた。

 

その先へ砲塔を向ける。だが、武蔵さんはさらに進路を変え、射線から外れた。

 

「遅い!」

 

武蔵さんの主砲が私を捉える。避けようとした瞬間、長門さんの砲撃が武蔵さんの正面へ落ちた。巨大な水柱が立ち上がり、視界を遮る。

 

「土佐、今だ!」

 

長門さんの声。考えるより先に前へ出る。水柱の脇を抜け、武蔵さんの側面へ回り込む。

 

「武蔵へ有効打!」

 

判定が響く。

 

武蔵さんは主砲を下ろさず、今度はこちらへ狙いを向ける。逃げれば長門さんの射線を塞ぐ。一瞬だけ迷う。

 

「そのまま進め、土佐!」

 

長門さんの声を信じ、そのまま武蔵さんの前を横切る。背後から砲声が響き、長門さんの演習弾が私のすぐ後ろを通り抜けた。

 

近い。演習弾だと分かっていても、背筋が冷える距離だった。それでも、長門さんの砲弾が私に当たるとは思わなかった。

 

振り返らず、次の位置へ移動する。

 

「悪くない! ならば、これはどうだ!」

 

武蔵さんの連続砲撃が、私と長門さんの間へ水柱を作る。互いの姿が見えなくなる。

 

それでも、先ほどまでの位置と進路は分かっている。右へ出れば長門さんの射線と重なる。左へ回る。

 

水飛沫を抜けた先で長門さんと目が合う。長門さんは何も言わず、僅かに顎を動かした。その視線の先に武蔵さんがいる。

 

私は頷き、長門さんとは反対の方向へ進路を取った。左右から武蔵さんを挟む。

 

「なるほどな!」

 

武蔵さんが嬉しそうに吠える。

 

三隻の主砲が同時に動いた。

 

◆◆◆

 

組み合わせを変えながら、演習は続いた。

 

武蔵さんと組めば、長門さんと組んだときとは何もかも違った。

 

「土佐、合わせろ!」

 

武蔵さんは細かな指示を出さない。自分が前へ出ることで相手の注意を引き、その隙をこちらへ預ける。豪快に見えて、私の位置を常に把握していた。

 

武蔵さんの背中を追い、大きな艤装の向こうから飛び出して相手の側面へ砲撃する。武蔵さんは私の砲声を聞くと、確認することなく次の位置へ動いた。

 

こちらが当てると信じている。そのことが分かった。

 

次は、武蔵さんと長門さんを相手に私一人。当然のように追い詰められた。

 

それでも二人の連携を見れば、先ほど自分がどこで遅れていたのかが分かる。砲撃が交差し、互いの射線を塞がない。片方から逃げれば、もう片方の間合いへ入る。二隻の戦艦が、まるで一つの艤装であるかのように動いている。

 

何度目かの被弾で身体が大きく揺れた。それでも止まらない。

 

砲塔を長門さんへ向ける。長門さんが回避し、その先へ武蔵さんが入ろうとした瞬間、狙いを変える。武蔵さんの進路へ演習弾が落ちた。

 

「武蔵へ有効打!」

 

「今の状況で私を狙ったか! いいぞ、土佐!」

 

武蔵さんが声を上げて笑う。長門さんも笑っていた。

 

二人の声を聞き、私も笑っていることに気づく。

 

戦うことが楽しい。初出撃のときにも、そう思った。けれど、今日は少し違う。

 

ただ砲を撃てることが嬉しいのではない。相手がいる。自分の動きを見てくれる者がいる。誤れば撃たれ、上手く動けば笑ってくれる。

 

組んだときには、自分の背中を預けられる。同時に、誰かの背中を任される。それが、こんなにも楽しいものだとは思わなかった。

 

「まだ動けるか、土佐!」

 

長門さんの声が飛ぶ。

 

「ああ!」

 

「ならば、もう一度だ!」

 

「望むところだ!」

 

砲声が響く。今度は、誰の声より先に私が笑っていた。

 

◆◆◆

 

演習を終え、三人で港へ戻る。

 

艤装を解除した途端、身体から力が抜けた。思っていた以上に疲れていたらしい。足元が僅かに揺れた瞬間、横から伸びた腕が私の肩を支える。

 

「おっと」

 

武蔵さんだった。

 

「大丈夫か?」

 

「ああ。少し力が抜けただけだ」

 

「それを大丈夫とは言わん。歩けるか?」

 

「問題ない」

 

自分で立ち直ろうとしたが、武蔵さんの腕は肩から離れなかった。

 

「遠慮するな。今日のお前は十分に動いた」

 

「しかし」

 

「こういうときは、素直に肩を借りておけ」

 

反対側から長門さんが言う。

 

「無理をして倒れられれば、こちらの監督責任になる」

 

「……そうか」

 

「そういうことにしておけ」

 

長門さんの口元には小さな笑みがあった。

 

僅かに迷ったあと、武蔵さんの肩へ体重を預ける。武蔵さんは何も言わず、支える腕へ少し力を込めた。

 

「重くないか?」

 

「戦艦一隻を支えられんほど、柔ではない。むしろ、もう少し頼れ」

 

そう言って、武蔵さんは豪快に笑った。

 

長門さんも隣を歩いている。三人で港を進む間、演習を見ていた艦娘たちがこちらへ視線を向けていた。

 

好奇心、驚き、それから僅かな笑み。

 

私は武蔵さんに支えられたまま、その視線の間を歩いた。不思議と、居心地の悪さはなかった。

 

◆◆◆

 

その日の夕食。

 

食堂へ入ると、朝と同じ一角から声が飛んできた。

 

「土佐、こっちだ」

 

長門さんだった。陸奥さん、大和さん、武蔵さんもいる。朝と同じ席が、一つだけ空いていた。

 

今度は立ち止まらなかった。料理を持ったまま真っ直ぐその席へ向かい、腰を下ろす。

 

「今日は随分と派手にやったそうね」

 

陸奥さんが私の肩へ目を向ける。

 

「武蔵に肩を借りて戻ってきたと聞きました」

 

大和さんの声には僅かな心配が含まれていた。

 

「少し疲れただけだ」

 

「お風呂へ入る前に、きちんと身体を冷やしてくださいね」

 

「ああ。分かった」

 

大和さんは私の返事を聞いても、まだ少し心配そうだった。

 

武蔵さんが笑う。

 

「安心しろ。最後までしっかり撃ち返してきたぞ」

 

「それとこれとは別です」

 

大和さんに即座に返され、武蔵さんの笑みが止まった。長門さんが肩を揺らし、陸奥さんも口元へ手を添えて笑った。私も僅かに口元が緩む。

 

「土佐」

 

隣から陸奥さんが呼ぶ。

 

「何だ?」

 

「これ、食べる?」

 

陸奥さんが、自分の前にあった小鉢を差し出す。

 

「いいのか?」

 

「朝から随分食べていたでしょう。今日もお腹が空いているんじゃない?」

 

言われて自分の膳を見る。すでに半分以上なくなっていた。

 

「……そうかもしれない」

 

「なら、どうぞ」

 

小鉢を受け取る。

 

「ありがとう、陸奥さん」

 

陸奥さんは一瞬だけ目を細めた。

 

「どういたしまして」

 

それを見ていた長門さんが、何気ない様子で口を開く。

 

「明日もここで食べればいい」

 

「明日も?」

 

「ああ。時間が合えばな」

 

「別に、毎回確認しなくてもいいぞ」

 

武蔵さんが続ける。

 

「席が空いていれば、勝手に座れ」

 

「でも、武蔵。土佐さんの席が空いていなかったらどうするのですか?」

 

大和さんが尋ねる。

 

「誰かに詰めてもらえばいいだろう」

 

「あなたが詰めなさいよ」

 

陸奥さんが呆れたように言う。

 

「私か?」

 

「一番場所を取っているでしょう?」

 

「それは艤装を外していても同じなのか?」

 

四人の会話を聞きながら、手元の小鉢を見る。

 

明日もここで食べればいい。席が空いていれば、勝手に座れ。

 

それは命令でも、正式な約束でもない。誰も、私のための席だとは言わなかった。

 

それでも、その言葉が胸の奥へ静かに残った。

 

◆◆◆

 

少し離れた席で、加賀は戦艦たちの輪を見ていた。

 

朝には僅かに戸惑っていた土佐が、今は迷わず同じ席へ座っている。陸奥から小鉢を受け取り、大和の言葉へ頷き、武蔵と長門の会話を聞いている。

 

その姿は、もう客人には見えなかった。

 

赤城も同じ光景を眺めている。

 

「今朝より、自然になりましたね」

 

「ええ」

 

「土佐さんの席、きちんと空いていました」

 

加賀の視線が、戦艦たちのテーブルにある椅子へ向く。土佐が座るまでは、誰もそこを使わなかった。偶然ではない。長門たちは最初から、土佐が来ることを分かっていたのだろう。

 

「よかったですね」

 

「何がですか?」

 

「土佐さんに、一緒に過ごせる方々ができて」

 

加賀はすぐに答えなかった。視線の先で土佐が僅かに笑っている。加賀がこれまでに見た中で、最も自然な表情だった。

 

「……そうね」

 

今度は否定しなかった。

 

「ええ。本当によかったです」

 

赤城の声は優しかった。

 

加賀は土佐から目を離さない。一人で海を見ていた妹。自分の身体に戸惑い、何者なのかを確かめようとしていた妹。その土佐が、戦艦たちの輪の中で笑っている。

 

安心した。その感情を、今度は認めることができた。

 

同時に、ほんの僅かに胸の奥が落ち着かない。自分がまだ、土佐の隣へ座ったことがないからだ。

 

加賀はその感情へ名前をつけないまま、静かに箸を動かした。

 

◆◆◆

 

夜。

 

自室へ戻り、軍服を脱ぐ。演習の疲労が残る身体をベッドへ預けると、ようやく一日が終わったのだと実感した。

 

天井を見上げ、今日のことを思い返す。

 

朝、長門さんに呼ばれたこと。

 

陸奥さんが料理を分けてくれたこと。

 

大和さんが身体を心配していたこと。

 

武蔵さんに肩を借りたこと。

 

そして夕食でも、同じ席が空いていたこと。

 

昨日までの自分を思い出す。

 

土佐になった。なってしまった。そう考えていた。

 

目を覚ましたときには知らない身体になっていた。知らない力を持ち、知らない記憶と感情を抱えていた。

 

私は私。土佐は土佐。二つの境界を探し続けていた。

 

けれど、今日は誰もその境界を気にしなかった。

 

長門さんも。陸奥さんも。大和さんも。武蔵さんも。

 

私が土佐であることを疑わなかった。戦艦として戦う私を見て、当然のように名前を呼び、当然のように席を空けた。

 

まるで、最初からそこにいたかのように。

 

「……」

 

胸の奥が、少しだけ温かい。

 

自分から何かを求めたわけではない。仲間に入れてほしいとも、ここにいたいとも言わなかった。

 

ただ、気づけば、そこに自分の場所があった。

 

「……悪くないな」

 

小さく呟く。

 

窓の外には、静かな夜の海が広がっていた。

 

私はまだ、土佐という存在を完全には理解していない。歴史も、記憶も、この身体に宿る感情も、分からないことばかりだ。

 

それでも、少なくとも、ここでは。

 

私は戦艦として受け入れられている。

 

明日の朝、食堂へ行けば、きっとあの場所に席がある。

 

「……戦艦、か」

 

その言葉を口にする。初めて聞いたときより、ずっと自然に響いた。

 

「悪くない」

 

今度は、はっきりと。

 

そう思えた。

 

 

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