数日後の夕刻。
夕食を終え、食堂から自室へ戻ろうとしたときだった。
廊下の向こうから、二人の艦娘が歩いてくる。一人は眼帯をつけた天龍。もう一人は、その隣をゆっくりと歩く龍田だった。
二人とはまだほとんど話したことがない。すれ違えば挨拶を交わす程度だ。それでも、その姿には自然と目が止まった。
天龍の腰には大振りの刀がある。龍田が携えているのは、長い柄の先に湾曲した刃を備えた、薙刀にも似た得物だった。
艦娘が戦うために使うものは、艤装だけではない。知識としては知っていたが、こうして間近に見ると、砲とはまったく異なる存在感がある。
「あら?」
龍田が足を止め、穏やかな笑みを浮かべたままこちらへ視線を向ける。
「何か御用かしら?」
「……いや。武器が気になっただけだ」
「俺の刀が?」
天龍が片方の眉を上げる。素直に頷くと、腰の刀へ手を置いた。
「見る目があるじゃねえか。こいつは俺の自慢だからな」
「天龍ちゃん、その刀を見せたくて仕方がないものねぇ」
「余計なこと言うなよ、龍田」
龍田は楽しそうに笑う。
「土佐さんも、刀を使うの?」
「いや。今持っているのは、これだけだ」
腰の短剣へ手を添える。第一種軍装と共に支給された、護身や近接戦闘を想定した軍装の一部だ。手にも馴染み始めているが、剣道で扱ってきた竹刀とは長さも間合いも違う。
「剣道をしていたと聞いたけれど」
「誰から?」
「鎮守府のお話は、すぐに広まるものよ」
「……そういうものか」
「そういうものなの」
龍田は笑みを崩さない。その隣で、天龍が私の腰を見た。
「短剣じゃ物足りないって顔だな」
「顔に出ていたか?」
「いや。なんとなくだ。使いたいなら、妖精に相談してみりゃいい。艦娘に合わせた近接装備も作ってくれるぜ」
「作れるのか?」
「大抵のものはな。もっとも、ただ形を真似りゃいいってわけじゃねえ。艦娘の力で振るう武器だ。人間が使うものと同じ強度じゃ、すぐに駄目になる」
天龍の口調から、実際に壊した経験があるのかもしれないと思った。
すれ違う直前、天龍がもう一度こちらを見る。
「作ったら見せろよ」
「ああ。そうする」
二人の姿が廊下の角へ消える。
私は自分の腰へ目を落とした。
「……刀、か」
私は剣道をしていた。艦娘となった今も、道場で何度か竹刀を振っている。川内との模擬戦でも、長門さんとの砲撃戦でも、そこで覚えた間合いや足運びが私を助けた。
ならば、本物の刀を持ったとき、今の身体はどこまで動けるのだろう。
「……日本刀のようなものは、作れるのか?」
「できますよー」
「……っ」
足元から突然声がして、思わず半歩下がる。いつの間にか一人の妖精さんが立っていた。
「いつからいた」
「天龍さんと龍田さんがいたときからですー」
「それは、さっきからと言うには長くないか?」
「さっきからです!」
妖精さんは胸を張った。
「艦娘さんの装備なら、大抵のものは作れます!」
「大抵?」
「大抵です!」
天龍と同じことを言う。妙に自信満々だ。
「これよりも長いものが欲しい。日本刀に近いものだ」
「できますよー。ただ、艤装とは少し違います」
「どう違う?」
「艤装は、艦娘さんの力と繋がって動くものです。でも刀は、もっと身体に近い道具です。持つ人によって、長さも重さも違います。握り方も、腕の長さも、踏み込む速さも違いますから」
妖精さんは短い腕を一生懸命動かし、刀を振る仕草をした。
「土佐さんが使うなら、土佐さんの身体に合わせて作った方がいいです」
今の身体は、人間だった頃とは違う。腕の長さ、握力、踏み込みの速さ、身体が反応するまでの時間。すべてが変わっている。それでも、竹刀を握れば以前の感覚は確かに戻ってきた。
「私専用に作れるのか?」
「作れます!」
「刀身は?」
「できます!」
「鞘も?」
「できます!」
「鍔は?」
「できます!」
何を聞いても、間を置かずに答えが返ってくる。思わず口元が緩んだ。
「何でもできるんだな」
「妖精さんですから!」
「……一度、作ってみてくれ。ただし、艤装の飾りとしてではない。私が剣を使うための刀として作ってほしい」
妖精さんは一度だけ首を傾げ、それからにっこりと笑った。
「分かりました!」
「それと、あまり派手なものにはしないでくれ。黒い鞘で、装飾も必要最低限でいい」
「土佐さんらしいですね!」
「まだ作ってもいないのに分かるのか?」
「分かります!」
妖精さんは小さな足音を響かせ、廊下の向こうへ走っていった。
竹刀ではない、本物の刃。以前とは違う身体で、以前とは違う世界で。それでも剣を握る感覚だけは、きっと変わらない。
そう思うと、少しだけ楽しみだった。
◆◆◆
翌朝。
道場へ向かおうとしていた私は、廊下の途中で呼び止められた。
「土佐さん!」
昨日の妖精さんだった。一人ではない。数人が集まり、細長い包みを運んでいる。一人は前を抱え、一人は後ろを支え、もう一人はその上に跨がっていた。
「できました!」
「……早いな」
「がんばりました!」
包みを受け取り、布をほどく。
中から一振りの刀が現れた。
長さは一般的な日本刀より僅かに長い。私の身長と腕の長さに合わせたのだろう。鞘は艶を抑えた黒。柄巻も黒く、鍔は簡素な丸形だった。
余計な装飾はない。軍装の腰へ差しても、違和感なく馴染むだろう。派手さはない。それでも目を離せなかった。
「抜いてみてください!」
「……ああ」
左手で鞘を持ち、右手で柄を握る。親指で鍔を押し、ゆっくりと鞘を引く。
朝の光を受け、刀身が静かに輝いた。反りは深すぎず、刃文も控えめだ。飾るためではなく、使うために作られた刀。そう思えた。
「……」
握っているだけなのに、身体の奥に妙な感覚がある。
懐かしい。
真剣を扱う機会など、人間だった頃にもほとんどなかった。それなのに、手の中にあるものを知っているような感覚があった。
「どうですか?」
「……よく分からない」
妖精さんたちの表情が揃って曇る。
「嫌だという意味ではない。むしろ逆だ。初めて持つはずなのに、妙に手に馴染む」
妖精さんたちの顔が一斉に明るくなった。
「土佐さんに合わせましたから!」
柄の長さも太さも丁度いい。刀身の重心も、私が竹刀を振るときの感覚へ近づけてあるらしい。
「道場で試してもいいか?」
「もちろんです! でも、真剣ですから気をつけてくださいね!」
「ああ」
その言葉を聞いたとき、私は十分に気をつけるつもりでいた。
◆◆◆
道場へ入り、周囲に誰もいないことを確認する。妖精さんたちは壁際に並び、こちらを見上げている。
私は道場の中央に立ち、刀を正眼に構えた。
その瞬間、身体が自然に沈む。足が開き、重心が落ちる。肩から余計な力が抜け、左手が柄を支え、右手が添えられる。視線が切っ先の向こうへ伸びた。
何も考えていない。それでも身体が知っている。何度も繰り返した構え。長い時間をかけて身につけた型。人間だった頃の私が積み重ねてきたもの。
だが、まったく同じではない。
刀が軽い。腕も肩も、以前より自由に動く。それでいて身体の軸は揺れない。
「……なるほど」
一歩踏み込み、刀を振り下ろす。
鋭い風切り音が道場に響いた。
「……速い」
自分で驚いた。切っ先がどの軌道を通ったのか、目では追いきれなかった。
もう一度構え、今度は踏み込みを意識する。床を蹴った瞬間、身体が一気に前へ出た。
「――っ」
想定していた間合いを越え、慌てて踏み止まる。
「速いですね!」
妖精さんが嬉しそうに声を上げた。
「速すぎる。私の感覚が、身体に追いついていない」
以前なら、この速度では動けなかった。だが今の身体は動けてしまう。人間だった頃の感覚で踏み込めば想定した場所を通り越し、同じ力加減で振れば必要以上の速度が出る。
長門さんとの演習でも感じたことだ。この身体には力がある。だからこそ、扱う側が理解しなければならない。
もう一度構える。今度は急がない。
足を置き、呼吸を整え、身体の中心を意識する。踏み込み、振り、止める。
先ほどより遅い。だが、切っ先がどこを通り、どこで止まったのかを把握できた。
速さを求めるのではなく、自分の意思で動かせる範囲を確かめる。身体が持つ力を抑えるのではない。必要な分だけ使う。
海上航行や砲撃と同じだ。身体に任せれば動ける。だが、それだけでは自分のものにならない。
「……そうか」
刀を見下ろす。
この身体は私の身体だ。人間だった頃に積み重ねてきたものを、この身体ならもっと先まで持っていける。そのためには、力を知らなければならない。
私は刀を鞘へ戻した。
「妖精さん。ありがとう」
「どういたしまして!」
刀を左腰へ差す。短剣とは違う重みが加わった。一振りの刀があるだけで、立ったときの感覚まで僅かに変わる。
黒い軍装。右脇腹の下に短剣。左腰に黒鞘の刀。
鏡に映った姿を見つめる。
「……悪くない」
妖精さんたちが得意そうに胸を張った。
◆◆◆
刀を受け取ってから、三日が経った。
私は時間を見つけては道場へ通い、今の身体で刀を扱う感覚を確かめていた。
人間だった頃の剣道とは違う。身体が軽い。踏み込みも、腕の振りも、以前とは比べものにならない。だからこそ力加減には気をつけていた。
――つもりだった。
その日の午後、私は屋外に設けられた訓練区画へ来ていた。真剣を扱う以上、道場の床や壁を傷つける可能性がある。妖精さんからも、十分な広さがある場所で訓練するよう勧められていた。
周囲に人がいないことを確認する。区画の外には林が広がっていた。境界までは十分に距離がある。少なくとも、そう思っていた。
「……もう一度」
刀を構え、呼吸を整える。踏み込み、振り下ろす。
鋭い風切り音。
「……悪くない」
最初に比べれば、随分と身体が馴染んできた。切っ先の位置も、踏み込む距離も調整できている。
もう一度。今度は踏み込んだあとに身体を回し、斜めへ斬り上げる。問題ない。
ならば、もう少し速く。
足を踏み込み、身体を回す。その瞬間、足元の土が僅かに崩れた。重心が流れ、止めるつもりだった切っ先が想定より外側へ伸びる。
――ズンッ。
両手へ重い感触が伝わった。
訓練区画の境界近くに立っていた木。その幹へ、刀が深々と食い込んでいる。
「…………」
これほど深く入るとも、そもそも木へ届くとも思っていなかった。踏み込みで崩れた足、想定を越えた腕の伸び、艦娘の力で振るわれた刀。いくつもの誤りが重なっていた。
ゆっくりと刀を抜く。幹には、思っていた以上に深い切れ込みが残った。
「……そんなに力を入れたつもりはなかったんだが」
言ってから、それが言い訳にしかならないことに気づく。力を入れたつもりがなかったのではない。自分がどれほどの力を出したのか、理解できていなかっただけだ。
――ぎし。
木が僅かに揺れた。
――ぎし、ぎし。
「……まずい」
刀を手にしたまま一歩下がる。木はゆっくりと傾いた。倒れる方向には誰もいない。不用意に近づく方が危険だと判断し、さらに距離を取る。
そして、地面を震わせる音と共に木が倒れた。
舞い上がった土と枯れ葉が、ゆっくりと落ちていく。
「…………」
倒れた木を見る。手にした刀を見る。もう一度、木を見る。
誰もいない。怪我人もいない。建物にも届いていない。だからといって、何もなかったことにはできない。
刀を鞘へ戻し、倒れた木へ小さく頭を下げた。
「……すまない」
そのまま踵を返す。
「報告しよう」
足取りは、訓練区画へ来たときよりも明らかに重かった。
◆◆◆
執務室の前で立ち止まり、三度ノックする。
「土佐です。報告があります」
「入れ」
扉を開け、提督の机の前まで進む。提督は腰の刀を見たあと、私の表情へ視線を移した。
「何があった?」
「先ほど、鎮守府敷地内の樹木を一本倒しました」
提督の表情が僅かに変わる。
「原因は?」
「刀の訓練中、振った刃が幹へ当たりました」
「故意に斬ったのか?」
「違います。足元を崩し、止めるはずだった刀が想定より外へ流れました。刀を抜いたあと、木が倒れました」
「周囲に人は?」
「いませんでした」
「怪我人や、建物への被害は?」
「ありません」
提督は一度頷き、机上の敷地図を開いた。
「使用の許可は取ったのか?」
「屋外区画の使用許可は取っています。ただ、真剣を使うことまでは伝えていませんでした」
「そうか」
短い沈黙。提督は怒鳴らなかった。そのことが、かえって胸に重かった。
「土佐。今回、最も問題だったのは何だと思う?」
「自分の力と間合いを把握できていなかったこと。それから、真剣を使うと申告せず、適した場所か確認しなかったことです」
「そうだ。怪我人がいなかったのは幸いだが、それは安全に扱えたという意味ではない」
「……はい」
「今後、真剣を使う場合は専用の区画を用意する。単独での訓練も、当面は禁止だ」
刀の柄へ目を落とす。
「了解しました」
「刀を取り上げるわけではない」
顔を上げる。
「使うなとも言っていない。使いたいのなら、扱えるようになれ。そのために必要な訓練と場所を用意する」
「……はい」
「今回の木については妖精たちに確認させる。処理が必要なら、伐採材として利用することになるだろう」
「費用や作業について、私にできることがあれば」
「必要なら指示する。まずは同じことを繰り返さないことを考えろ。それと、何も隠さず、すぐに報告へ来たことは正しい」
一瞬、言葉が出なかった。
「……ありがとうございます」
「褒めているわけではない。当然のことだ」
「それでも」
頭を下げる。
「今日は刀を預け、訓練を切り上げろ。身体にも異常がないか確認しておけ」
「了解」
執務室を出て、自分の手を見る。
この身体は、まだ知らないことばかりだ。どれほど速く動けるのか。どれほど強く踏み込めるのか。どれほどの力を、無意識に出してしまうのか。
刀を扱う以前に、まず自分の身体を知らなければならない。それもまた、艦娘として戦うために必要な訓練なのだろう。
反省すべきことも、次にすべきことも分かった。それでも、胸の沈みは消えなかった。
◆◆◆
妖精さんへ刀を預けたあと、私は廊下を歩いていた。
足取りが重い。怪我人はいない。施設にも被害はない。それでも気分は沈んでいた。
刀を握ることが楽しみだった。今の身体なら、人間だった頃より先へ進めると思った。その矢先に、自分の力を扱えず、木を一本倒した。
もし、あの場所に誰かがいたら。倒れた先に建物があったら。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
「土佐?」
顔を上げる。廊下の先に、長門さん、陸奥さん、大和さん、武蔵さんがいた。演習帰りらしい。四人は私の顔を見ると揃って足を止めた。
「どうした?」
「……いや。何でもない」
「何でもない顔ではないわね」
陸奥さんがすぐにこちらへ歩いてくる。声は柔らかいが、逃がすつもりはなさそうだった。
「何があったの?」
「……木を倒した」
「木?」
「鎮守府の敷地にある木だ」
四人の視線が集まる。
「刀の訓練をしていた。踏み込みで足元を崩して、止めるつもりだった刀が木に当たった。抜いたあとに倒れた」
「提督には報告したのか?」
長門さんが尋ねる。
「ああ。今、報告してきた」
「怪我人は?」
「いない。周囲の施設も無事だ」
長門さんは一度頷いた。
「ならば、まずはそれでいい」
「だが、私がもう少し確認していれば――」
「事故は起きなかったかもしれん」
長門さんは否定しなかった。
「お前の確認不足だったことも事実だ。提督からも注意を受けただろう」
「ああ」
「ならば覚えておけ。そして同じことを繰り返すな」
軍人らしい簡潔な言葉だった。慰めるために失敗を小さく扱わず、一度の失敗ですべてが終わったようにも扱わない。
「……了解」
「それで十分だ」
その隣で、武蔵さんが腕を組む。
「しかし、素振りで木を倒したのか」
「正確には、素振りの途中で刀が当たった」
「どちらでも大して変わらんだろう」
「変わる」
武蔵さんは少し考えたあと、豪快に笑った。
「まあ、艦娘になったばかりで加減を間違えるのは珍しくない。私も最初は扉を一枚外した」
「……外した?」
「普通に開けたつもりだった」
大和さんが困ったように眉を下げる。
「あのときは大変だったのですよ。武蔵は、壊れた扉を持ったまま固まってしまって」
「大和。それは言わなくてもいいだろう」
「事実でしょう?」
「長門は訓練用の標的を一度に全部壊したことがあったわね」
陸奥さんが楽しそうに口を挟む。
「陸奥」
「事実でしょう?」
「出力の調整を誤っただけだ」
「ええ。本人は一門だけ撃ったつもりだったのよね」
「大和さんは?」
尋ねると、大和さんの笑みが少し固まった。
「私は……食器を何枚か」
「何枚だ?」
武蔵さんがにやりと笑う。
「武蔵。数は関係ありません」
四人が互いの失敗を巡って言葉を交わしている。どれも今となっては笑い話らしい。
「……みんな、あるんだな」
大和さんが穏やかに頷く。
「私たちも、最初から何もかも分かっていたわけではありません。自分の身体を知ることも訓練の一つです。失敗したことだけを理由に、刀を諦めなくてもいいと思います」
「……諦めるつもりはない。ただ、また同じことをしたらと思うと」
「そのために訓練をするのでしょう?」
「……ああ」
「でしたら、大丈夫です」
次は正しく扱うと、私が答えることを信じてくれている声だった。
「ありがとう、大和さん」
「どういたしまして」
「ほら」
陸奥さんが私の隣へ立つ。
「みんな、そう言っているでしょう? だったら、もう少し顔を上げなさい」
「そんなに落ち込んでいたか?」
「ものすごく。今にも切腹しそうな顔をしていたわよ」
「そこまでは考えていない」
「それなら安心ね」
陸奥さんは笑い、私の肩をぽんと叩いた。その手はすぐには離れない。
「怪我人はいない。建物も無事。提督にもきちんと報告した。あとは反省して、次に活かす。それで十分よ」
「……ありがとう、陸奥さん」
陸奥さんの目が僅かに細くなり、肩に置かれた手が一度だけ優しく動いた。
「どういたしまして」
「しかし、土佐。刀を持つ戦艦というのも、なかなか悪くないと思うぞ」
武蔵さんがにやりと笑う。
「黒い軍装に黒鞘の刀。よく似合っていた。今度、私とも手合わせしてみるか?」
「武蔵」
長門さんが即座に止める。
「今の土佐は、身体の加減を覚えている途中だぞ」
「だからこそ、加減を知っている相手がいた方がいいだろう」
「お前が加減を知っている側だと言いたいのか?」
長門さんと大和さんの視線を受け、武蔵さんの笑みが僅かに引きつる。
「……何だ、その目は」
陸奥さんが堪えきれずに笑い出す。私も少しだけ口元が緩んだ。
「笑ったわね」
「そう見えたか?」
「ええ。やっとね」
陸奥さんは満足そうに私の腕を軽く引いた。
「こんなところで立ち話をしていないで、食堂に行きましょう。お腹が空いているでしょう?」
「……少し」
「なら決まりね」
四人の間に、自然と一人分の場所ができる。長門さんに呼ばれ、歩幅を合わせる。先ほどまで重かった足取りが、いつの間にか軽くなっていた。
◆◆◆
食堂へ入ると、多くの艦娘で賑わっていた。
長門さんたちと料理を受け取り、いつもの席へ向かおうとする。
「お、土佐」
聞き覚えのある声に呼び止められる。見ると、天龍と龍田が同じテーブルに座っていた。
天龍の腰には、あの日と同じ大振りの刀がある。龍田の得物は食事中だからか、壁際へ立てかけられていた。
「刀、できたんだろ?」
天龍の視線が私の左腰へ向かう。そこには何もない。
「あれ? 持ってねえのか?」
「今は妖精さんに預けている」
「もう手入れか? できたばっかりだろ」
「……少し事情がある」
天龍と龍田の視線が揃って私へ向いた。後ろにいた陸奥さんが口元へ手を添える。何が起こるのか分かっている顔だった。
「事情? 何があったんだ?」
「……木を一本倒した」
「木?」
「鎮守府の敷地にある木だ」
「刀で?」
「ああ」
「試し斬りでもしたのか?」
「違う。素振りをしていたら、誤って刃が幹へ入った」
「それで木が倒れたのか?」
「抜いたあとに」
短い沈黙。
次の瞬間、天龍が腹を抱えて笑い出した。
「ははははは! お前、刀を作って三日で木を斬り倒したのかよ!」
「斬り倒そうとしたわけではない」
「でも倒れたんだろ?」
「……倒れた」
「十分じゃねえか!」
天龍は机を叩きながら笑っている。私は黙って視線を逸らした。後ろから武蔵さんの笑い声まで聞こえてくる。
「武蔵さんまで笑わないでくれ」
「あらあら」
龍田が頬へ手を添える。天龍のように声を上げてはいないが、目は明らかに笑っていた。
「それで、刀は没収されてしまったの?」
「没収ではない。安全の確認と、訓練方法が決まるまで預けているだけだ」
「本当に? 土佐さんが、また別の木を倒さないように隠されているわけではなくて?」
「違う」
「森がなくなってしまったら大変だものねぇ」
「一本しか倒していない」
「次は二本かもしれないわ」
「次は倒さない」
間を置かずに答えると、龍田の笑みがさらに深くなった。
「ふふ。冗談よ。でも、刀を見せてもらえると思っていたから、少し残念ね」
「戻ってきたら見せる」
「木と一緒に?」
「刀だけだ」
天龍が再び吹き出した。
長門さんが片手で眉間を押さえる。
「天龍、龍田。そのくらいにしておけ。本人は十分に反省している」
「悪い悪い。馬鹿にしてるわけじゃねえ。ただ、想像以上だっただけだ」
「何がだ?」
「お前だよ。大人しそうな顔で刀を作らせたと思ったら、三日後には木を一本倒してる」
「事故だ」
「分かってるって。でも、艦娘の力で刀を振れば、そうなることもある。俺も最初は加減が分からなかった」
「天龍も何か壊したのか?」
「俺は――」
「倉庫の壁よねぇ」
龍田が横から答えた。天龍の表情が止まる。
「刀を振る場所を間違えて、壁に長い切れ目を作ったの」
「……壁を?」
「あれは建物が古かったんだよ」
「天龍ちゃんが斬るまでは、壊れていなかったけれど」
「昔の話だろ!」
「そうか。天龍も壁を斬ったのか」
「その言い方やめろ」
「事実だろう?」
「お前、長門みたいなこと言うな」
後ろで長門さんが片方の眉を上げた。
「私を巻き込むな」
武蔵さんが豪快に笑い、大和さんも口元を押さえている。陸奥さんは私の隣へ並ぶと、楽しそうに天龍を見た。
「これでお互い様ね」
「俺のはずっと前の話だ」
「土佐も、何年か経てば昔の話になるわよ」
「……何年も言われるのか?」
陸奥さんはにっこり笑った。
「もちろん」
「忘れてくれてもいいんだが」
「こういう話は、なかなか忘れないものよ」
どうやら、戦艦組の間でも長く残る話になるらしい。
「まあ、安心しろ」
天龍が椅子の背へ身体を預ける。
「刀が戻ってきたら、今度は俺が見てやるよ。少なくとも、斬っていいものと悪いものくらいは教えられる」
「倉庫の壁を斬ったのに?」
「お前、意外と根に持つな!」
「今聞いたばかりだ」
「だったら、そんな真顔で言うんじゃねえよ」
龍田が楽しそうに肩を揺らす。
「でも、天龍ちゃんに見てもらうのは悪くないと思うわ」
「ああ。刀が戻ったら頼む」
素直に答えると、天龍の表情から僅かに毒気が抜けた。
「……おう。任せろ」
「私も見に行っていいかしら?」
「構わない」
「ありがとう。今度は木から離れたところでね」
「……分かっている」
また周囲から笑い声が上がる。
居心地が悪い。それでも、先ほど廊下を歩いていたときのような重さはなかった。
失敗を知られ、笑われ、からかわれた。それなのに、誰も私から刀を取り上げようとはしない。
次はどうするのか。誰と訓練するのか。刀が戻ったら何を見せてもらうのか。皆が話しているのは、その先のことばかりだった。
「土佐。話が済んだなら、席へ行くぞ」
長門さんに呼ばれ、天龍と龍田へ軽く頭を下げて戦艦たちのあとを追う。
「土佐」
今度は天龍が呼び止めた。
「その刀、手放すなよ。お前が使うために作らせたんだろ?」
「ああ」
「だったら使えるようになれ。木を一本倒したくらいで諦めんな」
返事をする前に、龍田が口を開く。
「次に倒すなら、きちんと許可を取ってからにしましょうね」
「倒さない」
天龍が笑う。龍田も、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。
「……覚えておく」
二人へ背を向け、長門さんたちの待つ席へ向かう。
左腰に刀はない。それでも、今度こそ取り戻し、正しく扱えるようになりたいという気持ちは、以前より強くなっていた。
席へ着くと、陸奥さんが隣の椅子を引いた。
「少しは元気になった?」
「……さっきよりは」
「なら上出来」
失敗したことは消えない。それでも、その先へ進むことはできる。
明日になれば、また刀を握るための訓練が始まる。今度は一人ではない。
長門さんが訓練計画を考え、天龍も見てくれると言った。陸奥さんたちは失敗を知っても、変わらず隣の席を空けている。
そう思うと、左腰にないはずの刀が、先ほどよりも少しだけ近く感じられた。