原作ウマ娘に告白されるモブウマ娘   作:雅媛

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3 将来

 しばらく海を眺めていたところで、大した問題ではないと思っていた。

 少年は隣に座ったまま、珍しく静かだった。

 普段なら十分も黙っていれば自分から何か話し始めるし、まして今日は初めての自分のバイクで走った日なのだから、まだ言いたいことはいくらでもあるはずだ。それなのに先ほどから海ばかり見ていて、ときどき砂を指先で弄っている。

 

「少年」

「なんだよ」

「腹でも痛いのか」

「なんでだよ」

「妙に静かだからな」

「オレだって静かなときくらいある」

「そうか」

「あるって」

 

 少し間が空いた。

 やはり何かあるらしい。

 こちらから無理に聞き出すほどのことでもないので、海へ視線を戻す。

 波が寄せては引いていく。

 遠くでは海鳥が飛んでいる。

 

「……なあ、姉ちゃん」

「なんだ」

「最近さ、友達が付き合い始めたんだよ」

「そうなのか」

「同級生同士で。片方がずっと好きだったらしくてさ」

「ふむ」

「で、ちゃんと告白して付き合った」

「めでたい話だな」

「まあな」

 

 少年が少し笑った。

 

「それ見てて、ちょっと思ったんだよ」

「何を」

「言わねえと分かんねえことってあるんだなって」

「それはそうだろう」

「……姉ちゃんはそういうの、さらっと言うよな」

「言葉にしなければ他人の頭の中は分からん」

「そうなんだけどよ」

 

 少年はまた黙った。

 どうも先ほどから歯切れが悪い。

 

「それだけか」

「いや」

「では続けろ」

「簡単に言うなよ……」

「話し始めたのは少年だろう」

「分かってるって」

 

 大きく息を吐く。

 レースのスタート前でも、こんな顔はあまり見なかった気がする。

 

「オレさ」

「うん」

「小さい頃から姉ちゃんのこと、ずっとカッケえと思ってた」

「知っている」

「いや、そこは知ってるだろうけど!」

「何度も言われたからな」

「そうじゃなくて……」

 

 少年が頭を掻く。

 

「最初に会ったときもそうだった」

「迷子だったときか」

「迷子じゃねえ!」

「まだ言うか」

「姉ちゃんこそまだ言うのかよ!」

「事実だからな」

「ちょっと道が分かんなくなってただけだ!」

「それを迷子と言う」

「話進まねえだろ!」

「それもそうだな」

 

 少年がこちらを睨む。

 少しだけいつもの調子に戻った。

 

「……で、姉ちゃんがバイク乗っててさ。家まで送ってもらって、すげえカッケえと思った」

「ああ」

「でっけえバイク乗って、自分で直して、知らねえガキが困ってたら普通に拾って家まで送って」

「放っておけなかっただけだ」

「そういうとこも」

「そうか」

「それでずっと姉ちゃんみたいになりたかった」

 

 これは初耳ではない。

 少年は昔から、いつか自分もバイクへ乗ると言っていた。

 大きいバイクがいい。

 自分で整備できるようになりたい。

 一人で遠くまで走りたい。

 そのたび私は適当に聞いていたが、本人の中ではかなり真剣だったらしい。

 

「レース始めてからもさ」

「うん」

「勝ったら、姉ちゃんに見てほしかった」

「見ていたぞ」

「知ってる。あとで聞いたら大体見てるから」

「見られるときはな」

「だから、勝ったら聞きたかったんだよ。カッケえって思ったか」

「なるほど」

「他の奴に言われるのと、ちょっと違ったんだ」

「どう違う」

「そこはオレも最近まで分かんなかった」

 

 

 少年が膝を立て、その上に腕を置く。

「昔は、姉ちゃんみたいになりたいからだと思ってた。でも途中から違ったんだと思う」

「違った?」

「ああ」

 

 こちらを見る。

 

「姉ちゃんみたいになりたいんじゃなくて、姉ちゃんに格好いいって思われたかった」

「…………」

 

 少し意味が変わってきた。

 

「今日だってそうだ」

「今日?」

「自分でバイク乗れるのはずっと楽しみだった。でも姉ちゃんが後ろから見てるって思うと、それも嬉しかった」

「ミラーを見すぎていたな」

「それ今言うなよ!」

「事実だ」

「……ちゃんといたら安心したんだよ」

「私は消えん」

「分かってるけどさ」

 

 少年は少し笑う。

 

「自分のバイクで走れるようになっても、姉ちゃんと走りたいって思った」

「それはさっき聞いたな」

「バイクだけじゃなくて」

「うん」

「これからレースしなくなっても、普通に会いたいし。なんかあったら話したいし。姉ちゃんが他の奴とばっか遊んでたら嫌だし」

「随分勝手だな」

「分かってる」

「自覚はあるのか」

「あるよ」

 

 そして今度こそ、少年はまっすぐこちらを見た。

 

「だから、ちゃんと言う」

「うん」

「オレ、姉ちゃんが好きだ」

「…………」

「憧れてるって意味じゃなくて」

 

 一度、息を吸う。

 

「女として好きだ。付き合ってほしい」

 

 波の音が妙に大きく聞こえた。

 なるほど。

 そういう話だったか。

 

「……困ったな」

「やっぱダメか?」

 

 少年の耳が少し下がる。

 

「いや」

「じゃあいいのか?」

「それも違う」

「どっちだよ」

「だから困っている」

 

 私は海を見る。

 嫌なら話は簡単だった。

 少年は昔拾った子供で、そういう対象には見られない。

 そう言って終わればいい。

 だが、実際にはそうでもない。

 好かれて不快ではない。

 むしろ嬉しい。

 自分でも思っていた以上に。

 

「少年」

「だから今それで呼ぶなよ……」

「大事な話だからこそ呼んでいる」

「…………」

「私はお前に好かれて、嫌ではない」

「……おう」

「嬉しくもある」

 

 少年の耳が上がった。

 

「じゃあ――」

「最後まで聞け」

「……おう」

「ただし、付き合うつもりはない」

「なんでだよ」

「理由はいくつかある」

「聞く」

 

 すぐに返された。

 

「まず少年は未成年だ」

「……やっぱそこかよ」

「そこは大きい」

「オレもう十六だぞ」

「十六だから未成年なのだろう」

「もう子供じゃねえ」

「それは知っている」

 

 今日一日見ただけでも分かる。

 自分で考えられる。

 危険なこととそうでないことも判断できる。

 トゥインクル・シリーズという世界で何年も走り、大勢から期待され、その中で自分の進路まで決めて引退した。

 昔の子供と同じだと思っているわけではない。

 それでも。

 

「大人ではない」

「…………」

「少なくとも、私から見ればな」

「姉ちゃんが年上すぎんだろ」

「否定はしない」

「自覚あんのかよ」

「ある」

 

 少年が少しだけ笑った。

 すぐに真面目な顔へ戻る。

 

「年齢差が嫌なのか?」

「それだけではない。少年がもっと大人になって、それでも私がいいと言うなら、年齢そのものは大した問題ではない」

「じゃあ」

「今は駄目だ」

「……頑固だな」

「よく言われる」

「オレに?」

「特に少年にな」

「そりゃ言うよ」

 

 砂浜へ手をつき、少年が空を仰ぐ。

 

「他は?」

「うん?」

「理由いくつかあるんだろ」

「ああ」

「全部聞く」

 

 逃げるつもりはないらしい。

 

「自分が何者か分かっているか」

「ウオッカ」

「そういう話ではない」

「じゃあ競走ウマ娘?」

「引退したがな」

「元競走ウマ娘」

「少年」

「なんだよ」

「お前は随分有名だぞ」

「知ってる」

「本当に分かっているか」

「さすがに分かってるって」

「GⅠをいくつも勝って、歴史に残ると言われている。引退したからといって明日から普通の学生に戻れるわけでもない。街へ出れば顔を知られているし、これから先も仕事はいくらでも来るだろう」

「まあ」

「私は場末の整備工だ」

 

 少年の眉が動いた。

 

「荷物を運んで、バイクを直して、一日働いて飯を食う。それで満足しているし、この仕事を恥じたこともない」

「ならいいじゃん」

「私自身はな」

「じゃあ何が問題なんだよ」

「釣り合ってはいないだろう」

「…………は?」

 

 明らかに不機嫌になった。

 

「何だ、その顔は」

「姉ちゃん、バカなの?」

「いきなりだな」

「だってそうだろ! なんでそこで勝ったレースの数とか仕事とか関係あんだよ!」

「世間では関係する」

「世間と付き合うわけじゃねえ!」

 

 予想していた反応ではある。

 

「少年はそう思っても、周囲までそうとは限らん」

「だから?」

「仮に付き合えば騒がれるかもしれない。私のところに記者が来るかもしれないし、少年のファンから何か言われるかもしれない。少年自身も、今までなら考えなくてよかったことを考える必要が出る」

「それくらい考える」

「今はそう言える」

「またそれかよ」

「またそれだ」

「オレがガキだから分かってねえって?」

「そこまで馬鹿にしてはいない。ただ、お前はこれから今までよりずっと自由になる」

「…………」

「レース中心の生活が終わった。行ったことのない場所へ行ける。今まで関わらなかった人間とも会える。仕事だって何をするか決めていないだろう」

「うん」

「その中で、もっと好きな相手ができるかもしれない」

「できねえよ」

「今はそう思っているだろう」

「今だけじゃねえ」

「それを確認する時間くらいあっていい」

「…………」

 

 少年が口を尖らせる。

 納得はしていない。

 当然だろう。

 ただ、ここで納得させる必要もない。

 

「別に、少年の気持ちを軽く見ているわけではない」

「だったら付き合えよ」

「それとこれとは別だ」

「大人って面倒くせえな」

「そうだな」

「否定しろよ」

「実際面倒だからな」

 

 少年が深くため息をついた。

 

「……でもさ」

「うん」

「姉ちゃん、オレが好きって言ったの、嫌じゃなかったんだろ」

「ああ」

「嬉しかったって言った」

「言ったな」

「じゃあ可能性はあんの?」

 

 難しい質問だった。

 

「今まで考えたことがなかった」

「マジかよ」

「少年は少年だからな」

「だからそれが嫌なんだよ!」

「仕方ないだろう。最初に会ったとき、お前は小さな子供だった」

「今は違う」

「分かっている」

「じゃあ今日から考えろ」

「命令か?」

「……お願い」

 

 急に素直になった。

 

「少なくとも」

「おう」

「今、お前に告白されて嬉しかったのは本当だ」

「…………」

「だから、絶対にないとは言わん」

 

 少年が固まった。

 

「どうした」

「いや……」

「うん」

「それ言われると、なんか急に恥ずかしくなってきた」

「自分から告白したのにか」

「うるせえ!」

 

 私は少し笑った。

 

「では、少年」

「なんだよ」

「今日はこれで終わりだ」

「終わり?」

「告白の話はな」

「待てよ」

「待たん」

「まだ決着ついてねえだろ!」

「ついた。今は付き合わない」

「……今は?」

「そこへ食いつくか」

「当たり前だろ」

 

 少年が考え込む。

 しばらく黙ったあと、何か思いついたらしく顔を上げた。

 

「じゃあ卒業したら」

「うん?」

「卒業したら、もう一回告白する」

「…………」

「それならいいだろ」

「何が」

「今すぐ付き合えとは言わねえ」

「ほう」

「姉ちゃんがオレを未成年だから駄目だって言うなら、待つ」

「卒業しただけでは急に何もかも変わるわけではないぞ」

「分かってる」

「本当に?」

「分かってるって!」

 

 今日は何度も同じことを言われている。

 

「でも、卒業するまで待つ。その間にオレも色々考える」

「うん」

「姉ちゃんが言ってるみたいに、もっといろんな奴にも会う」

「ああ」

「それでも姉ちゃんが好きだったら」

 

 少年がこちらを見る。

 

「もう一回言う」

「…………」

「そのときはちゃんと返事聞かせろ」

「今も返事はしただろう」

「今は未成年だから駄目って返事だろ」

「それも返事だ」

「そういう屁理屈じゃなくて!」

「では、何が聞きたい」

「オレと付き合いたいか、付き合いたくないか」

「…………」

「そのときは、少年だからって逃げんなよ」

 

 思わず少し笑った。

 

「逃げているつもりはない」

「じゃあ約束」

「同じ気持ちだったら、だぞ」

「同じだって」

「未来のお前に聞け」

「オレだよ!」

「未来の少年もな」

「面倒くせえ!」

「大人だからな」

「便利に使うなよ、それ!」

 

 少年が笑う。

 私も笑った。

 

「分かった」

「何が?」

「卒業したあと、それでも同じ気持ちなら、もう一度聞こう」

「ちゃんと?」

「ちゃんと」

「姉ちゃんもちゃんと考える?」

「考える」

「約束な」

「ああ」

 

 少年が小指を差し出した。

 

「……何だ」

「約束」

「子供か」

「こういうのはちゃんと形にすんだよ!」

「少年だな」

「今はそれでいい!」

「いいのか」

「今回だけ!」

 

 仕方なく小指を絡める。

 

「卒業したら、もう一回言う」

「ああ」

「そのとき逃げんなよ」

「逃げない」

「場末の整備工だからとかもなし」

「それは状況次第だ」

「なし!」

「横暴だな」

「姉ちゃんが変なこと言うからだろ」

「では、少年がそのとき本当に私を選ぶなら、私もそれを理由にはしない」

「よし」

「満足か」

「まあまあ」

「随分偉そうだな」

「告白断られたんだから、これくらいいいだろ」

「それもそうか」

 

 指を離す。

 少年は思っていたよりずっと晴れやかな顔をしていた。

 

「もっと落ち込むかと思った」

「そりゃちょっとはショックだよ」

「そうなのか」

「当たり前だろ!」

「そうか」

「でも嫌だって言われたわけじゃねえし」

「それは言っていないな」

「待ったらもう一回聞けるし」

「気持ちが変わらなければな」

「変わんねえって」

「未来は分からん」

「姉ちゃんも変わんなよ」

「それは約束できんな」

「えっ」

「その間に私にも好きな相手ができる可能性はある」

「…………」

 

 少年の耳がぺたりと伏せた。

 

「姉ちゃん」

「なんだ」

「それ禁止」

「無茶を言うな」

「卒業まで待つんだから、そのくらい」

「少年の都合だろう」

「……じゃあできれば」

「急に弱くなったな」

「仕方ねえだろ!」

 

 笑ってしまった。

 

「善処する」

「それ一番信用できねえ言い方だろ!」

「では約束しない」

「善処でいい!」

「どっちだ」

「姉ちゃんが意地悪なんだよ!」

 

 少年が砂を払って立ち上がる。

 

「帰る?」

「そうだな。初日に暗くなるまで走らせるのは嫌だ」

「分かった」

 

 私も立つ。

 駐車場へ向かって二人で歩く。

 少し前までと同じ距離だ。

 少年は少年で、私は姉ちゃん。

 何も変わっていないようにも思える。

 

「姉ちゃん」

「なんだ」

「今日、言ってよかった」

「そうか」

「ずっと考えてたから」

「いつから」

「それは秘密」

「そうか」

「卒業したら教えてやる」

「覚えていたらな」

「絶対覚えてる」

 

 二台のバイクが見えてくる。

 少年の四百と、私の大型。

 朝と同じように並んでいる。

 

「少年」

「なんだよ」

「今日は格好よかったぞ」

「…………」

「運転も、告白も」

「おまっ……」

「何だ」

「今それ言うか普通!?」

「今思ったからな」

「そういうとこだよ!」

「何が」

「なんでもねえ!」

 

 少し速足になっている。

 

「少年」

「なんだよ!」

「走ると砂で滑るぞ」

「走ってねえ!」

「そうか」

「早く来い、姉ちゃん!」

「ああ」

 

 最後まで、少年と姉ちゃん。

 それでいい。

 少なくとも、今は。

 少年が先に駐車場を出る。

 私は少し距離を空けて、その後ろへ続いた。

 しばらく走ったところで、少年が一度だけミラーを見る。

 目が合った。

 朝なら前を見ろと言ったところだが、今度は何も言わなかった。

 少年は少しだけ笑って、すぐ前を向く。

 卒業したあとも、同じように私を振り返るのか。

 そのとき私は、この少年を何と呼んでいるのか。

 今考える必要はない。

 その答えは、もう少し先でいい。

 今はただ、少年の後ろを走って帰ろうと思った。

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