棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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プロローグ

 迷宮第十六階層。

 

 冒険者組合の地図は、第十五階層で途切れている。

 その先――通称〈死域〉。

 

 ここまで来て、生きて帰れる冒険者はほとんどいない。

 

 崩れかけた天井から、細かな砂がぱらぱらと落ちてくる。

 壁には無数の傷が走り、石が大きく抉られた場所もあった。

 

 ここがただの通路ではなく、幾度も激戦の場となったことを物語っている。

 灯りをともすはずの魔石もほとんど砕け、通路の先は暗闇に沈んでいる。

 

 ――捧げなさい。

 

 声が聞こえたわけではない。

 だが、迷宮そのものがそう囁いたような圧が、身体を震わせた。

 

 そんな暗い通路を、一人の男が歩いていた。

 

 男の名は、タクミ。

 

 どこから来たのか。

 なぜ迷宮に潜り続けているのか。

 

 それを知る者は、ほとんどいない。

 この世界に迷い込んだとき、タクミは言葉すら話せず、何も分からなかった。

 だからなのか、言葉を覚えた今でも、自分のことを誰かに話そうとはしない。

 

 人と距離を置き、たった一人で迷宮へ潜る。

 

 だがその強さゆえ、人はただ一言、畏れを込めてこう呼ぶ。

 

 怪物。

 

 タクミの背にあるのは、節の多い漆黒の棍棒。

 身の丈ほどもある異様な武器を、彼は無造作に肩へ担いでいた。

 

 歩みに迷いはない。

 肩も揺れず、ただ前へ進む。

 

 そのとき、通路の奥から微かな揺れが伝わってきた。

 何かが、こちらへ近づいている。

 

 ズシン。

 

 肉の塊が石畳を踏みしめるような、鈍く重い音。

 呼吸ともつかない低い唸りが、闇の向こうから這い寄ってくる。

 

 現れたのは、灰銀の外殻に覆われた魔物――〈ゴルドグラント〉。

 かつて三十人の衛兵部隊を全滅させたとされる階層の主。

 

 大きく口を開き、咆哮を上げる。

 

 そして次の瞬間、巨体からは想像できない勢いで地面を蹴った。

 通路を揺らしながら、一直線にタクミへ突っ込んでくる。

 

 タクミは足を止めた。

 担いでいた棍棒を握り直し、一歩、前へ踏み込む。

 

 ――次の瞬間。

 

 雷鳴のような轟音が、迷宮を貫いた。

 

 振り抜かれた棍棒が、突進してきたゴルドグラントの頭部を正面から叩き潰す。

 

 堅い外殻は砕け、甲殻片が飛び散り、巨体は数メートル先まで吹き飛ぶ。

 床に叩きつけられた魔物は、そのまま動かなくなった。

 濁った体液が石畳を伝い、じわりと靴先まで広がる。

 

 石畳にはひびが走り、粉塵が舞い上がった。

 だがタクミは、その亡骸を一瞥もしない。

 

 手にした棍棒を見下ろす。

 

 この世界に迷い込み、何も分からなかった自分が、ここまで生き延びることができた。

 そのただ一つの理由は、これだった。

 

 棍棒を肩に担ぎ直し、また歩き出す。

 

 沈黙の中を、静かに進んでいく。

 ……この先に、帰る手がかりがあると信じて。

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