棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第十一話 迷宮の三禁

 迷宮には、破ってはならぬ掟がある。

 

 

 一つ、死んだ仲間を運ぶな。

 

 迷宮は魂を喰う。連れ帰ろうとすれば、お前まで呑まれる。

 

 

 二つ、群れるな。

 

 十を越えりゃ、迷宮が怒る。あれは"数"を嫌う。

 

 

 そして――三つ、エルフに出会うな。

 

 見たら逃げろ。祈れ。戦う前に死ぬ。

 

 

 古くからの冒険者は、これを"迷宮の三禁"と呼んだ。

 

 忘れた者は、皆、迷宮に喰われた。

 

 

 ◇

 

 

 ――オークの亡霊。

 

 

 それは、グランデルの迷宮に突如として現れた。

 

 

 最初の予兆は、小さな異変だった。

 

 儀礼のために狩りへ向かった下級戦士が、一人、帰らなかった。

 

 

 迷宮で消息を絶つこと自体は珍しくない。

 

 魔物の群れ、あるいは儀礼の獲物に敗れることもある。

 

 しかし――立て続けに三つの部隊が姿を消した。

 

 

 迷宮は天使様の加護のもとにある。

 

 加護がある限り、エルフの部隊が容易く全滅することなど、まずありえない。

 

 

 ――何かが起こっている。

 

 

 そんな噂が広がり始めた頃、一人の戦士が生きて戻ってきた。

 

「オークの生き残りがいた」

 

 錯乱した妄言として処理されるはずだった。

 

 だが、かつて一匹残らず滅ぼしたはずの、あの強大な種族。

 

 だが、もし本当に生き残りがいるのなら――放置はできない。

 

 

 議会はすぐに決断を下した。

 中級戦士を中心とした調査団を派遣し、正体を突き止めよと。

 

 

 そして、報告は途絶えた。

 

 

 帰還した者はわずか一名。

 全身に傷を負い、光の加護も癒しきれぬまま、こう証言した。

 

 

「オークの武器を使う――人間の姿を見た」

 

 

 その言葉に、場は静まり返った。

 

 誰もが、その意味をすぐには受け入れられなかった。

 

 

 ◇

 

 

 白石に囲まれた会議室には、五人のエルフが集められていた。

 

 天井には翼を模した彫刻が並び、壁際の魔灯が淡い光を放っている。

 

 机を囲む五人は、いずれも上級戦士。その名を知らぬ者はいないほどの実力者たちだった。

 

 

「――それで、我々が招集されたってわけね」

 

 

 金髪を後ろで束ねた若い女エルフが口を開く。名はフェルナ。

 まだ百にも満たぬ若輩ながら、風の魔法を得意とする俊敏な戦士である。

 

「そうだ」

 

 答えたのは、深緑の外套を羽織った壮年の男――エルドラン。

 聖翼遠征隊の隊長を務める人物だった。

 

 低い声が室内に響いた。

 

「中級戦士団が壊滅した。上層は異常事態と判断した」

 

「それにしても、過剰な反応ではないか」

 

 鋭い目つきの青年カイゼルが、腕を組んで唸る。

 

「ここまでの顔ぶれを揃えるなど、まるで戦だ。人間相手にそこまで警戒する理由があるのか?」

 

「上層の判断だ」

 

 エルドランは淡々と返した。

 

「裏を取ったが、天使様から神託が下りたらしい。――これは儀礼の狩りではなく、討伐任務だ」

 

 その一言に、場の空気が一変する。

 

 誰もが息を詰めた。神託――その言葉が意味するものはひとつ。

 

 

 天使様からの直接の指令、つまり最優先任務。

 

 

「神託、ね」

 

 フェルナが呟く。

 

「人間相手に? そんな話、聞いたこともないわ」

 

「おもしろいじゃないか」

 

 そう言って笑ったのは、銀髪の弓手リアンナだった。

 

 椅子の背にもたれたまま、背中の矢筒に軽く触れる。

 

「魔族も獣人も、近頃は骨のある相手がいなかった。久々に腕が鳴る」

 

 その口元には、楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 

 

「相手が"亡霊"でも、手加減はしないさ」

 

 

 その軽口に、場の緊張が少しだけほぐれる。

 

 だが、エルドランだけは表情を変えなかった。

 

 リアンナの視線が、端に座る静かな女性へと向く。

 

 

「浮かばれない顔をしているが……あなたも参加されるのね? ミルセ様」

 

 

 呼ばれた女性は、淡い金髪を揺らしながらゆっくり顔を上げた。

 穏やかな性格で信仰にも篤い、支援術を得意とする上級戦士だった。

 

 

「……任務とはいえ、同じ信仰を持つ人間かもしれません。気は進まないですね」

 

 

 その言葉に、フェルナとリアンナが顔を見合わせ、苦笑した。

 

「新世代ね」

 

 どちらともなく小声が漏れる。

 

「やめろ」

 

 エルドランが短く制した。

 

「ミルセ様、同胞に犠牲者が出ております。信仰の名を掲げながら、加護を汚す者がいるのなら、それは正さねばなりません」

 

 そして、少しだけ声を和らげる。

 

「貴方の支援術があれば、我らの損害を減らせますゆえ。……どうかお願い致します」

 

 ミルセはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

 

「……分かりました」

 

 それを確認すると、エルドランは席を立った。

 

「出発は月が沈む頃だ。それまでに祈りを済ませておけ」

 

 今度は誰も口を挟まなかった。

 

 

 ◇

 

 

 夜明け前。

 

 王都ルメシアの外縁、回廊区画の石畳には冷気が漂い、白い霧が薄く流れている。

 

 鐘が三度鳴る。祈りの時間を告げる合図だった。

 

 エルドランは外套の襟を正し、無言で前を見つめた。

 

 列の後方では、リアンナが弓帯を締め直し、カイゼルが鎧の留め具を鳴らしている。

 

 フェルナは肩に魔具袋を下げ、ミルセは胸の前で祈りの印を結んだ。

 

「行くぞ」

 

 五人は王都の外壁を抜け、迷宮へと続く通路を進む。

 

 壁には一定の間隔で魔灯が並び、青白い光が足元を照らしている。

 

 しばらく進んだところで、狩りへ向かう下級戦士たちとすれ違った。

 

 彼らは五人の姿を見るなり足を止めた。

 

 そして〈上級戦士部隊〉の徽章に気づくと、慌てて膝をついて頭を下げる。

 

 

「……お通りください、守護の方々」

 

 

 誰かがそう呟いた。

 

 その声には、敬意と、ほんのわずかな畏怖が混じっていた。

 

 エルドランは足を止めずに通り過ぎる。

 

「顔を上げろ。任務に戻れ」

 

 彼らが通り過ぎたあと、下級戦士たちは互いに目を合わせ、囁いた。

 

 

 ――上級戦士が動いた。

 

 ――神託は本当らしい。

 

 

 そのまま長い通路を進んでいくと、やがて巨大な扉が見えてきた。

 金属のような光沢を放つ白石の扉。

 中央にはいくつもの魔印が刻まれ、淡い光の膜が向こう側を覆っている。

 

「――開け」

 

 エルドランの声に応じて、封印が反応する。

 

 一つ、また一つと光が走り、やがて低い音とともに封印が解けていく。

 

 光の幕が消え、黒い空洞が現れる。

 

 

 世界各地の迷宮へ繋がる――〈回廊〉。

 

 

 五人はゆっくりと、その中へ入っていった。

 

 しばらく進むと、青白かった魔灯の色が少しずつ変わっていく。

 

 空気も乾き、どこからか鉄臭さが漂ってきた。

 

 さらに進んだ先に、石造りの小砦が見えてきた。

 

 それが、グランデル方面へと繋がる前哨基地――迷宮との境に設けられた監視拠点である。

 

 

 数名の兵士が慌ただしく迎えに出てきた。

 

「お待ちしておりました、エルドラン隊長!」

 

「状況報告を」

 

「はっ、ここ三日、異常な魔力の揺らぎが確認されています。深層からの瘴気が増しており、魔物の行動域が拡大中とのことです」

 

 エルドランは頷き、視線を前に向けた。

 

 迷宮への階段。その先の暗闇が脈打って見えた。

 

「……行くぞ」

 

 

 短く告げると、彼は封印門の奥へと歩を進めた。

 誰も言葉を発しなかった。

 

 

 やがて、その姿は一人、また一人と闇の中へ消えていった。

 

 

 ◇

 

 

 ――同時刻。"亡霊"が静かに下層に向けて進んでいた。

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