前哨基地を出ると、冷たい風が外套を揺らした。
石畳を踏みながら進んでいると、霧の向こうから灰色の外套をまとったエルフの守衛たちが現れた。
「ついにお前が出て来たか――エルドラン」
先頭の守衛が、わずかに口元を緩める。
エルドランもわずかに口元を緩め、親指で背後を示した。
「変わりないようだな。……俺だけじゃない。見ての通りだ」
守衛の視線が、エルドランの後ろへ向く。
弓を携えたリアンナに、双剣を下げたフェルナ。
重装のカイゼルと、その隣には聖杖を手にしたミルセが立っていた。
いずれも、エルドランと同じ上級戦士の面々だった。
「……そうか。議会も本腰を入れてきたか」
「それで、状況は?」
エルドランが尋ねると、守衛は小さく息を吐いた。
「魔物は今のところ落ち着いている。だが、いつ不安定になるか見当もつかん。
それに――亡霊は、このすぐ先でも目撃されている。幸い、まだ襲ってはこないが……」
守衛は一行を見回し、声を落とした。
「――早く排除して、ここを安心させてくれ」
エルドランは苦笑する。
「そのために来た。少しだけ我慢しろ」
短い挨拶を残し、一行は回廊を抜けた。
迷宮の下層へ足を踏み入れると、湿った冷気が肌にまとわりつく。
壁に走る鉱脈が淡く光り、どこかで水の滴る音が続いていた。
リアンナが足を止め、弦に指をかける。
「動き……あり。通路の先、振動が近い。三、いや四。間隔は詰まってる」
フェルナが口元に笑みを浮かべた。
「ふうん。ようやく準備運動ね」
エルドランが片手を上げる。
それだけで、全員の足が止まった。
「フェルナ、先頭を抑えろ。リアンナはフェルナの援護。カイゼル、初撃は攻撃より分断を優先。ミルセ様は後列で祈祷維持」
「了解」
さっきまでとは空気が変わった。
「万物の根源たる、生の御霊よ。清き恵みを、この者達に注ぎたまえ」
ミルセが聖杖を掲げ、祈祷を唱える。
緑と白の淡い光が広がり、五人の身体を包み込んだ。
じんわりとした熱が身体の奥へ染み込んでいく。
「……これは、すごいな」
エルドランが思わず漏らした。
祈祷による身体強化そのものは珍しくない。
だが、これは明らかに質が違った。
力が増したというより、身体から余計な重さが消えていくような感覚がある。
(ふーん。お飾りって訳でもないのね)
フェルナが双剣を抜き、軽く手首を回す。
いつもより剣が軽い。
それを確かめると、満足そうに前を向いた。
◇
通路の奥から、石を擦るような低い音が聞こえてきた。
いくつもの音が重なり、少しずつ近づいてくる。
やがて粉塵が舞い、暗がりの向こうから巨体が姿を現した。
灰青の皮膚。その表面には黒い鉱石がいくつも浮き出ている。
岩牙トロル――下層を支配する、大型の魔物だ。
「来るぞ」
四体。
巨体が横に並び、通路をほとんど塞ぐ。
次の瞬間、先頭の一体が地面を蹴った。
「散開!」
エルドランの号令と同時に、フェルナが飛び出した。
石床を蹴って一気に距離を詰め、すれ違いざま双剣が閃く。
先頭のトロルの膝が深く裂け、灰色の破片が飛び散った。
巨体が大きく傾く。
「遮断壁、展開」
カイゼルが杖を向けると、通路を横切るように薄い光の壁が現れた。
先頭の一体と後続三体を切り離す。
勢いを止められなかった後続が、まともに障壁へぶつかった。
衝突音。
光の壁が大きくたわむが、持ちこたえている。
その隙にフェルナは、体勢を崩した先頭の懐へ入り込んでいた。
双剣が二度走る。
一閃目が胴を断ち、二閃目が喉元を裂いた。
灰が散り、巨体が崩れ落ちる。
「解除する」
すでに次の術を完成させていたカイゼルが、杖を突き出した。
赤熱した魔弾が放たれ、炸裂する寸前に遮断壁を解除。
直後――爆炎が弾けた。
障壁の向こうに固まっていた三体がまとめて吹き飛ばされる。
焦げた岩皮が砕け、低い咆哮が通路を震わせた。
「右をやるよ!」
リアンナの声。矢が二本続けて放たれる。
一射目が眼窩へ突き刺さる。
トロルが仰け反った瞬間、二射目が喉を貫いた。
ほぼ同時に、エルドランも踏み込んでいた。
剣身に青い光が走る。
爆炎で体勢を崩しているトロルに、一瞬で間合いを詰め剣閃が首筋を断ち切った。
――三体目。
最後の一体が咆哮を上げる。
だが、その横を黒い影が駆け抜けた。
「よっと」
フェルナだった。
振り下ろされた腕を潜り抜け、脇腹へ双剣を叩き込む。
そのまま背後へ抜けると、振り返りざまに脚を斬った。
巨体が膝をつく。
二本の刃が、同時に首へ食い込んだ。
――四体目。
最後の巨体が倒れ、通路に静けさが戻った。
粉塵がゆっくりと降ってくる。
戦闘が始まってから、一分も経っていない。
「ふう……準備運動、完了ね」
フェルナが双剣をくるりと回し、鞘に納めた。
リアンナは新しい矢を抜きながら、通路の先へ目を向ける。
「風の流れが変わった。……次がまた来るわ」
カイゼルが残滓を測るように指をかざした。
「振動数が違う。質量の大きな群れではない。――単独で一体。四足歩行型」
ミルセが聖杖を上げ、目を閉じ祈りの感覚を確かめる。
エルドランは剣を鞘へ戻し、通路の奥を見据えた。
「……目的地は、この先だ」
誰も応えない。
霧が流れ、舞い上がった粉塵も少しずつ収まっていく。
五人の足音だけが低く響き、再び闇の奥へと吸い込まれていった。
◇
別の通路を、"亡霊"も静かに進んでいた。
目指す先は、彼らと同じ"狭間の道"
――何も知らず、同じ場所へ。