棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第十三話 狭間に立つもの

 中層の中でも、ここだけ空気が冷たかった。

 

 岩盤がねじれ、長い一本道になった場所――〈狭間の道〉。

 

 天井は波打つように歪み、ところどころから岩が飛び出している。

 少し大きな音でも立てれば、そのまま崩れてきそうだった。

 

 足元には、小さな骨がいくつも転がっている。

 人間のものらしき骨もあるが、それ以上に目につくのは、大きな細長い骨だった。

 

 幅は、小隊が横に並んでも進めるほど。

 その先は闇の中へまっすぐ伸びている。かなり長いのか、途中から霞んで先が見えなかった。

 

 中層から下層へ向かうには、ここを通るしかない。

 

 だから――オークの亡霊も、必ずここへ来る。

 

 エルドランが手を上げた。

 

「全員、ここで止まれ」

 

 低い声だった。

 それだけで隊の空気が引き締まる。

 

 肩当てを軽く直し、エルドランは狭間の道の奥を見た。

 

「ここから先は一本道だ。……もうすぐオークの亡霊はここへ来る」

 

 リアンナは肩をすくめ、大げさにため息をつく。

 

「作戦通りねぇ。はぁ、つまらないのよね。もっと遊ばせてくれたらいいのに」

 

「ダメだ」

 

 エルドランはすぐに返した。

 

「これは狩りではない。討伐だ。――リアンナ、狙撃の準備を」

 

「はいはい、やりますよ」

 

 フェルナはすぐに〈探知〉を広げ、カイゼルは後方へ目を向ける。

 

 リアンナはぶつぶつ文句を言いながらも、手は止めない。

 大弓を床に立て、弓身を撫でる。すると、刻まれた風の紋が淡く光り始めた。

 

 その少し後ろで、ミルセは胸に手を当てていた。

 

(……やっぱり、嫌い。こういう空気)

 

 ミルセは王都の貴族出身だ。

 

 祈禱術に長けた一族に生まれ、幼い頃から周囲の期待を受けて育った。

 本来なら、迷宮での任務に参加する必要などない立場にいる。

 

 だが、今回は断りきれなかった。

 

(人間なんて……下等種なんかじゃない。

 天使様を信仰している人も多いって聞くのに。どうして、こんな……)

 

 他種族を狩る。

 

 エルフの間では、昔から続いてきた古い伝統だ。

 

 だが、ミルセは嫌いだった。

 相手が人間だから、エルフではないから――そんな理由で命を奪うことが、どうしても受け入れられない。

 

 彼女の内心が晴れないまま時間が過ぎ――。

 

 ◇

 

「……来たね」

 

 リアンナが弓を半ば引いた姿勢で、耳をそばだてた。

 

 フェルナも眉を寄せた。

 

「一体……足音が聞こえる。人間よ」

 

「ねぇ、本当に確認しなくていいの? オークの亡霊じゃない可能性だって――」

 

「構わん」

 

 エルドランが遮った。

 

「たとえ間違っていても問題はない。撃て。……亡霊でなくとも、邪魔をするなら排除する」

 

(そんな……)

 

 ミルセの口が思わず開く。

 だが、声が出る寸前で唇を閉じた。

 

 リアンナは軽く肩を回す。

 

「了解」

 

 片膝をつき、左足を伸ばす。

 身体を固定すると、大弓に矢をつがえた。

 

 矢の輪郭が、風に溶けるように薄くなっていく。

 

 同時に、リアンナの周囲で風が渦を巻き、視界に魔力の網が広がった。

 

 迷宮の簡易マップが浮かび、そこに――小さく点滅する光点。

 

 オークの亡霊。

 

(……あら?)

 

 リアンナが小さく笑った。

 

(足音を……消してる? へぇ。やるじゃないの)

 

 ほとんど聞こえない。

 

 それどころか、意識して聞かなければ、そこに誰かがいることすら分からないほどだった。

 

 時折、スタ、と小さな足音だけが聞こえる。

 そして次の一歩は、また完全に消える。

 

 どうやら、かなり上手く足音を殺しているらしい。

 

 ミルセの祈禱術で探知が強化されていなければ、リアンナでも見落としていたかもしれない。

 

(どんな顔をして倒れるのか、見たかったわ)

 

 光点が――射程へ入った。

 

「今」

 

 矢が放たれた。

 

 風魔法が矢を包み、狭間の道を雷光のように駆け抜ける。  

 曲道を風が強引に引き寄せ、矢は誘導されるように目標へ吸い込まれた。

 

 ――直撃。

 

 その直後、足音が止まった。

 

 ――だが。

 

 スタ、スタ……。

 

「……外れた?」

 

 止まったはずの足音が、また聞こえてくる。

 何事もなかったように、こちらへ歩いてくる。

 

 フェルナが目を見開いた。

 

「――いや」

 

 リアンナの笑みが消えた。

 

「当たってる。絶対に」

 

 すぐに二発目が放たれた。  

 矢は吸い込まれ、また直撃。  

 

 だが、足音は今度も止まらず――否、速くなっている。

 

「……矢は当たってる! でも……!」

 

 フェルナの声にも焦りが混じる。

 

 リアンナは舌打ちし、三本目をつがえた。

 

 光点はもう、狭間の道の入口まで来ている。

 

 目視できる距離。

 

「なんなのよ……!」

 

 矢をつがえた、その瞬間だった。

 

 足音が消えた。

 

(え……?)

 

 バキンッ!

 

 何かが弾けるような音が響いた。

 同時に、亡霊を示していた光点が――リアンナの目の前へ跳んだ。

 

 リアンナが目を見開いた、その刹那。  

 

 

 黒影が闇を裂くように現れ、棍棒を――横一文字に振り抜いた。

 

 

 風が砕けるような音。視界が白く弾ける。

 

 リアンナの身体が斜め後ろへ吹き飛び、壁へ叩きつけられる。

 そのまま崩れ落ち――動かなくなった。

 

 転がった矢筒が、カラリと乾いた音を立てた。

 

 リアンナがいた場所には、棍棒を肩に担ぎ直す"亡霊"の姿。  

 

 動作はゆるやかで、あまりにも自然。

 

 しかし、その異様さにエルフたちは――誰ひとり声を出せなかった。

 

 目の前で何が起きたのか。

 

 まだ、誰も理解できていなかった。

 

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