ミルセは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
目の前で起きた出来事に、理解が追いつかない。
(……うそ……どうして……?)
本来、この任務は選りすぐりの上級戦士が主導し、自分は後方から支援するだけのはずだった。
失敗するなんて、誰も考えていなかった。
リアンナもフェルナも、カイゼルも……そしてエルドランも。
全員が"狩る側"であるはずだった。
なのに――。
「っ……!」
最初に崩れ落ちたのは、リアンナだった。
倒れる瞬間すら見えなかった。
気づいた時には、矢筒が床を転がっていた。
(……回復……! 早く……!)
慌てて詠唱に入ろうとした、その時だった。
――破砕音。
視線を向けた時には、カイゼルは壁に叩きつけられていた。
ほぼ同時に、離れていたフェルナが頭から後ろへ倒れる。
あのエルドランさえ――抵抗の形すら残さず、床に沈んだ。
わずか数十秒の出来事。
(……全滅……? どうして、こんな……)
自分だけが残されたなんて、まだ信じられなかった。
足が震える。声も出ない。
動こうとしても、腰が抜けたように力が入らない。
(……来る)
亡霊が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
――ああ、次は……。
支援に特化した自分に、抗う術など存在しない。
殺される。
仲間たちのように、一瞬で。
ミルセは必死に後ろへ下がった。
しかし背中は壁に当たり、それ以上は逃げられなかった。
「……ッ……」
棍棒を握った亡霊が、自分の横で止まる。
目を逸らすことさえできなかった。
喉が詰まり、息が止まる。
――だが。
「…………」
亡霊は軽く会釈し、そのまま横を通り過ぎた。
「……え?」
声にならない声が漏れる。
殺されると思っていた。
むしろ、そのつもりで覚悟を決めていた。
だけど、亡霊は――自分を見たうえで通りすぎた。
(なんで……? 私だけ……?)
亡霊はゆっくりと奥へ歩いていく。
その姿が通路の闇に消えるまで、ミルセは動くことができなかった。
◇
しばらくして、やっと呼吸が戻った。
震える身体を支えながら、ミルセは仲間たちに駆け寄った。
「みんな……っ!」
倒れたまま動かないエルドランの胸に手を当てる。
しかし生死の確認をするまでもない。
発動した探知魔法が、もう誰にも命が残っていないことを伝えていた。
(……そんな……全部……)
震える指で口元を押さえ、嗚咽が漏れた。
辺りには、仲間たちの装備が散らばっていた。
折れた弓。砕けた剣。ひしゃげた盾。
ほんの少し前まで、みんなここに立っていた。
(私……何も……できなかった……)
ミルセは亡骸の前に膝をつき、震える声で祈りを捧げた。
「……せめて……せめて安らかに……」
その時だった。
――カサ……カサ……
何かが近づいてくる。
ミルセが振り返ると、異様に長い腕と裂けた顎を持つ魔獣が姿を現した。
腐魔種〈スクリーム・ゴーグル〉。
血の匂いを感知し、迷宮深層でよく発生する、危険度の高い魔物。
(……私も……ここまで、か)
魔獣は血の匂いに誘われ、真っ直ぐミルセに向かった。
その牙が光る。
なのに――ミルセの体は動かなかった。
祈りをやめようともしなかった。
(敵の気まぐれで生き残っただけ……
ほんとうなら、私も……みんなと一緒に……)
罪悪感に押しつぶされ、体が凍りついたまま動かない。
「……天使様……」
それが、救いを求めた言葉なのか、
天使に向けた最期の感謝なのか、自分でもわからなかった。
魔獣が跳びかかる。
牙が迫る。目を閉じる。
その瞬間――。
――ドォンッ!!
大地ごと割れたような轟音。
衝撃でミルセの体が大きく揺れ、思わず目を開いた。
そこには――棍棒で魔獣を粉砕したオークの亡霊の背中があった。
(……どうして……助けたの?……なんで……)
亡霊は返り血を軽く払い、棍棒を肩に担ぎ直す。
ゆっくりと振り向き、ミルセと目が合う。
「…………」
静かな目だった。
何を考えているのかまったくわからない瞳。
亡霊が短く言った。
「……ヒトリ アブナイ。オクルヨ」
ミルセは返事もできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
助かった理由も、これからどうすればいいのかもわからないまま。
ただ、目の前の亡霊を見つめていた。