棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第十六話 心配という名の距離

 迷宮から戻ったタクミは、そのまま〈石蔦亭〉の扉を押し開けた。

 

 中に入ると、温かい空気が頬に触れる。

 

 焼き立てのパンと野菜スープの匂い。

 その奥に、ここが神殿だった頃から残る香の匂いが微かに混じっていた。

 

 夜の宿は、まだそれなりに賑わっている。

 食堂から話し声が聞こえ、カウンターではカイルが皿を拭いていた。

 

「おかえり、タク!」

 

 カウンターの奥からカイルが大きく手を振る。

 

「タダイマ」

 

 いつも通りの短い返事。

 

 だが、エマはすぐに気づいた。

 いつもより、少し声に元気がない。

 皿を抱えたまま、少し心配そうに目を細めた。

 

 近寄ったエマの視線が、タクミの外套の破れと返り血に向く。

 そして、首元に見える腫れで止まった。

 まるで葉の脈のように、火傷が広がっている。

 

 だが、そのことを口には出さなかった。

 

「今日のご飯、軽めのも残ってるよ!」

 

「……ソレ タノム」

 

 タクミはそれだけ答えると、階段を上がっていった。

 

 

 ◇

 

 

 階段を上がるたび、石を踏む音が響く。

 

 廊下にはいくつか灯りが点いていた。

 壁に残った神殿時代の模様が、その光でぼんやりと浮かんでいる。

 外套を脱いだ途端、焦げた草と金属のような匂いが微かに漂った。

 

(……危なかったな)

 

 改めてさっきの戦闘を思い出し、息を吐いた。

 

 強力な一撃をまともに受けたのは久しぶりだった。

 身体にも、まだ少し痺れが残っている。

 

 タクミは汚れた服を脱ぎ、簡単に身体を拭いてから着替えた。

 

 食堂へ戻ると、カイルがちょうど料理を運んできた。

 

「はい、軽めセット!」

 

「アリガトウ」

 

 タクミが食べ始めると、エマがそっと近づいてきた。

 

「タクミさん……その、大丈夫ですか?」

 

 声は控えめで、無理に踏み込まない優しさがあった。

 タクミは一度だけ目を上げ、柔らかく言う。

 

「……ダイジョウブ。シンパイ イラナイ」

 

 その一言に、エマは安堵したように微笑み、静かに離れた。

 

 

 ◇

 

 

 食事を終えると、タクミは部屋へ戻った。

 

 ベッドに腰を下ろし、そのまま壁に背を預ける。

 

「…………」

 

 静かだ。

 下の食堂から聞こえてくる話し声も、ここまで来るとかなり小さい。

 

 今日はこのまま寝てしまおうか。

 

 そう思い始めたところで――。

 

 ――コン、コン。

 

「タクミさーん、来客だよー!」

 

(……俺に?)

 

 扉を開くと、ニヤニヤ顔のカイルが立っていた。

 

「セリエルさんが来てるよ」

 

「…………セリエル?」

 

 その瞬間、カイルの顔が少しだけ真剣になる。

 部屋からはいつもにはない、焦げ臭さと薄っすらと血の匂い。

 

「……下で待ってるけど、……断っとこうか?」

 

 さっきまでのふざけた調子はなかった。

 

「……ダイジョウブ。スグ イクヨ」

 

「……そっか」

 

 カイルはそれ以上聞かなかった。

 

「じゃ、待ってるって伝えとく」

 

 

 ◇

 

 

 階段を下りると、セリエルは入口のそばで待っていた。

 

 食堂の賑わいも、ここまではほとんど届かない。

 薄暗いロビーに、いくつかの灯りだけが残っている。

 

 タクミの姿が見えると、セリエルがこちらを振り返った。

 

「こんばんは、タクミ。……今日、この近くで負傷者の治療をしておりました。

 せっかくでしたので、あなたの安否確認を、と」

 

 建前はあくまで職務。

 しかし、声の奥には微かな揺れがあった。

 

「……オレ、ダイジョウブ。イツモドオリ」

 

 その言葉に、セリエルの視線が、タクミの全身を確かめるように動いた。

 そして、肩の力を抜いた。

 

「……良かった。いえ、失礼。無事なら、それで……」

 

 タクミは少し考え、口を開く。

 

「ナニカ、タベル?ココデ」

 

 一瞬だけ、セリエルの表情が止まった。

 食堂の方へ視線を向け、それからタクミへ戻す。

 

 本当は、もう少しここにいたかった。

 

 だが――任務がある。

 

「……ありがとうございます。でも今日は、神殿へ戻らないと。

 また……誘ってくださいね」

 

「……ワカッタ」

 

 セリエルはタクミを見つめながら、静かに踵を返した。

 

 タクミはその背を、しばらく目を細めて眺めていた。

 表情は変わらないが、わずかに瞳の奥だけが鋭くなる。

 

 セリエルの姿が街道の角で見えなくなると、振り返り歩き出す。

 

 階段の影に、カイルとエマの二人が頭を並べている。

 

「……なぁ、アレ絶対両想いだよな」

 

「うん。タクミさん、気づいてないけどね……」

 

 

 ◇

 

 

 その夜。

 タクミは早めに寝床へ入り、眠りについた。

 

 ――光。

 

 身体に、凄まじい衝撃が走った。

 

 何が起きたのか分からない。

 

 視界が回り、次の瞬間には地面が目の前にあった。

 

 身体が動かない。

 

(……)

 

 それなのに――。

 なぜか、少しだけ笑いたくなった。

 

(……とど……い……た……か……)

 

 誰かの声が、鮮明に響く。

 

 タクミは跳ね起きた。

 

 胸が苦しい。

 腕に痺れが残り、背中に鋭い痛み。

 

 しばらく黙って首をさすり――。

 

『……効いてるよ』

 

 ぽつりと呟いた。

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