棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第十七話 異常の影

 朝のグランデルには、まだ冷たい空気が残っていた。

 

 タクミはいつもと変わらず、外套の襟を軽く整え、棍棒を肩に担いで歩き出す。

 

 目の前をゆっくり走る馬車。

 

 市場へ届く前のパンの香り。

 

 遠くで鳴る鍛冶場の槌の音。

 

 

(……ずっと、同じ朝を繰り返してる気がするな)

 

 

 通りの向こうから、誰かがタクミに手を振った。

 タクミも軽く手を上げて返す。

 

 毎朝のように棍棒を担ぎ、迷宮へ向かう男。

 それも今では、街の住人にとっても見慣れた光景になっていた。

 

 もっとも、毎日のように迷宮へ潜る冒険者など、そうはいない。

 それもまた、タクミが一目置かれている理由の一つだった。

 

 街を出て、迷宮へ続く街道を進む。

 

 しばらくすると、前哨基地が見えてくる。

 

 白い旗が揺れているのを確認し、タクミは少しだけ肩の力を抜いた。

 

 いつも通り手続きを済ませ、迷宮入口の前に立つ。

 

 そして、中へ足を踏み入れようとしたところで――ふと、何かが引っかかった。

 

 

(空気の感じが……違うな)

 

 

 タクミは足を止める。

 

 毎日のように潜っているからこそ分かる、小さな違いだった。

 

 壁も、いつもよりわずかに揺れているように見える。

 

 何より、この感じには覚えがあった。

 

 深層で感じる、あの重苦しさに似ている。

 

『……変だな』

 

 小さく呟き、タクミは迷宮の中へ入っていった。

 

 

 ◇

 

 

 中層を抜け、タクミは〈狭間の道〉へ入った。

 

 下層へ向かうなら、必ずここを通ることになる。

 

 細長い一本道を進みながら、タクミは周囲へ意識を向けた。

 

 魔物だけを警戒しているわけではない。

 

 この先からは、エルフと出会う可能性が一気に高くなる。

 

 それが、普通の冒険者が中層より先へ行きたがらない理由の一つでもあった。

 

 下層へ行けるだけの実力があっても、エルフに見つかれば話は別だ。

 

(……この前も、ここだったな)

 

 先日襲ってきたエルフたちの姿を思い出す。

 待ち伏せまでしていたところを見ると、偶然出会ったわけではない。

 

(最近、よく見るな……)

 

 以前は、ここまで頻繁ではなかった。

 

 何か理由があるのか。

 少し気にはなったが、今のタクミには分からない。

 

(迷宮の変化と、関係あるのか?)

 

 最近のエルフの動きも、どうにも引っかかる。

 ただ、今は考えても答えは出そうになかった。

 

 棍棒を握り直し、周囲を警戒しながら〈狭間の道〉を抜ける。

 

 下層へ入ったところで、タクミは足を止めた。

 

 違和感はさらに強くなっていた。

 

(……下層で、こんな気配は感じたことがない)

 

 うまく説明はできない。ただ迷宮が呼吸を乱しているような。

 

 そんな感触に近かった。

 

(いるな)

 

 タクミの感覚は、進む先に敵がいることを捉えていた。

 気配の強さからして、下層にいるような相手ではなかった。

 

 コツ……

 

 何かが石を蹴った。

 暗闇の奥から、ゆっくりと影が現れる。

 

 タクミは条件反射のように足を止め、棍棒をわずかに握り直す。

 

 じわり、と影がにじみ出るように、その姿を現した。

 

 痩せた白い狼。

 

 骨が浮き出し、裂けた皮膚の隙間から、白い光 が"にじむ"ように漏れている。

 

 そして――目が、真っ白だった。

 

(深層の個体……)

 

 タクミはすぐに気づいた。

 

 深層〈死域〉で何度も戦ったことがある。

 普通の魔物より遥かに強く、生きているものを見つければ執拗に襲ってくる強化個体。

 

 タクミ自身、何度も殺されかけた相手だ。

 

 だが――ここは下層だ。

 

(なんで、ここにいる?)

 

 白い狼は、一切の音を立てなかった。

 唸らず、呼吸すら感じさせない。

 

 そこに、生き物らしい気配はなかった。

 

 そして次の瞬間――

 地面を抉る速度で跳びかかってきた。

 

 速い。だが知っている速さだ。

 

 タクミは棍棒を滑らせて受け流す。

 狼の顎が棍棒に食い込み、火花が散った。

 

(力も深層の奴らと変わらない)

 

 狼が身体を捻り、そのままタクミの胸へ食らいつこうとする。

 タクミは半歩下がってかわした。

 

 再び飛びかかってきた狼の首を掴み、その勢いのまま石壁へ叩きつける。

 

 ドガッ!

 

 壁が凹み、白い光が煙のように散る。

 だが、狼は死ななかった。

 

 折れたはずの肢が不自然な角度で持ち上がり、崩れた顎が白光でつながるように動き出す。

 

(……再生まで同じか)

 

 異常だ。

 

 迷宮は階層毎に魔物のランクが区分けされているはずだ。

 

 ――狼が再び、白い光を散らしながら突進する。

 

 だがタクミは一歩も退かず、真正面から棍棒を叩き込んだ。

 

 ドォンッ!

 

 狼はそのまま床へ叩き潰され、白光が四散した。

 

 タクミは膝をつき、消えていく白い光を注意深く観察した。

 

(やはり深層で感じる物と同じ――)

 

 嫌な感じがした。

 

 ――そのときだった。

 

 迷宮の奥で白い光が走った。

 

 暗闇が一瞬だけ明るくなり、すぐに元へ戻る。

 

 一瞬だけ。だがあれは……。

 

(……魔奔の前にも、あんなのを見たことあったな)

 

 タクミは立ち上がり、棍棒を担ぎ直した。

 

 ここ最近の、上層での白目のトロール、そして先日の魔奔。

 

 バルドが言っていた嫌な予感が現実的になっている。

 

(……やっぱり、何か起きてるな)

 

 しばらく暗闇の奥を見つめてから、タクミは再び歩き出した。

 

 ――迷宮の深奥では、一つの"異常"に対して、すでに動きが始まっていた。

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