――回廊前哨地。
迷宮とエルフの国を繋ぐこの場所は、夜になると静かだった。
外には霧が立ちこめ、塔の窓からは青白い魔法灯の明かりが漏れている。
観測塔の最上階。
会議室には、軍の上層部や議員たちが集まっていた。
部屋の中央には大きな円卓があり、その上にはグランデルの迷宮内部を示す魔力水晶が置かれている。
誰も口を開こうとしない中、軍団長がゆっくりと息を吐いた。
「――では、上級戦士団《エルドラン隊》の消息は、いまだ不明のままか」
分析官が小さく頷き、手元の記録板を開く。
「……はい。魔力量の急激な消失、現場に残された戦闘痕。それに、生存者の証言もあります」
その声はわずかに震えていた。
「総合的に判断して……ほぼ全滅と見られます」
その言葉に、誰もすぐには反応できなかった。
エルドラン率いた討伐隊は、王国でも選りすぐりの上級戦士で構成された部隊だった。
それが、ほぼ全滅。
容易に受け入れられる話ではなかった。
◇
「馬鹿な!」
正統派の老議員が、勢いよく卓を叩いた。
「精鋭の上級戦士が、人間ごときにやられるものか!」
怒声が部屋に響く。
何人かが顔を見合わせる中、若い戦士が口を開いた。
「……ですが、報告ではオークの武器が確認されています」
「何?」
「生存者の話では、人間の姿をしていたそうです。しかし、その動きは人間とは思えないほど速く、エルドラン殿たちを次々と――」
「戯言だ! オークは絶滅したのだ!」
老議員が途中で遮った。
「毒か、罠でも使ったのだろう。そうでなければ、たった一人で上級戦士団を全滅させるなど――」
「……その通りかもしれません」
若い戦士が、少し考えるように口を開いた。
「何か策を仕掛けられた可能性もあります。ならば我々も、同じように手段を選ぶ必要はないのでは?」
その言葉に、何人かが眉をひそめた。
「亡霊が人間の街へ戻るのであれば、身近な者を人質に取る。そいつを迷宮へ誘い出し、そこで始末するのです」
「…………」
「そうすれば魂も回収できる。それに、グランデル迷宮の異常を少しでも抑えるため、人間の生贄を用意することも――」
ギィ、と椅子の軋む音がした。
先ほどの老議員が立ち上がっていた。
「……貴様」
先ほどまでとは違う。
怒鳴ってはいないが、その顔からは怒り以上のものが見て取れた。
「自分が何を言っているのか、分かっているのか」
若い戦士が戸惑う。
「わ、私はただ、迷宮の異常を少しでも――」
「黙れ」
短い一言だった。
「生贄だと? あの惨劇を忘れたとは言わせんぞ」
それまでざわついていた会議室が、静かになった。
「また"魔王"出現の轍を踏む気か」
「……っ」
若い戦士の顔が強張る。
老議員は卓に手をつき、その男を睨んだ。
「第二魔王が遺した爪痕を、忘れていたとは言わせんぞ」
今度は、誰も口を挟まなかった。
「迷宮に人間の魂を捧げ続け、均衡を狂わせた結果……“第二の魔王”が現れ、我らは壊滅的な打撃を受けた」
老議員の拳が、わずかに震える。
「あの戦乱から立ち直るまで、どれほどの年月を要したか……その日を、この身で経験した者として断じて言う」
そして、若い戦士をまっすぐ見た。
「生贄という発想そのものが、奴らを呼ぶのだ。忌まわしき《魔王》をな」
若い戦士は何も言い返せなかった。
◇
「……その話は、そこまでだ」
軍団長が口を開いた。
「人質も生贄も認めん。我らの誇りにも、天使様の御心にも反する」
隣に座っていた司祭も頷く。
「天使様は、正しき戦いをお望みです。人質を取り、闇に紛れて敵を討つような行いは、我らの加護を損ないかねません」
「…………」
「ましてや、生贄など論外です」
若い戦士は、黙って視線を下げた。
軍団長はそれ以上追及せず、魔力水晶へ目を戻した。
「それよりも問題は、迷宮だ」
水晶には、グランデル迷宮の内部がぼんやりと映し出されている。
「亡霊の正体が何であれ、この迷宮の異常は無視できん。魔物の生成数は増え続け、魂の流れにも乱れが出ている」
軍団長は一度言葉を切り、集まった面々を見回した。
「この状況は、天使様も憂慮されている。一刻も早く事態を収めなければならん」
「では、もう一度精鋭を集め、討伐隊を組みますか?」
議員の一人が口を開いた。
「……相手は、あのエルドランたちを倒している。それも、ほぼ一方的にだ。同程度の戦士を何人送ったところで、結果は変わらん」
「では、どうするのだ」
誰かが言った。
「放っておくわけにもいかん。だが少人数では勝てず……かといって大人数も送れない。これでは手の打ちようがないではないか」
その時、軍団長の隣に控えていた副官が口を開いた。
「その件について、先ほど通達がありました」
副官は、手元の書状へ目を落とした。
「宮廷魔導師長《白光の大魔導士》セラフィーネ様が、近日中に前線へ向かわれるとのことです」
今度こそ、誰も声を出さなかった。
やがて、一人が小さく呟く。
「……セラフィーネ様が?」
「天使様の声を聴く、あの方が……」
「そこまでのことなのか……?」
軍団長はしばらく黙っていた。
そして、魔力水晶から目を離さないまま答える。
「……そういうことだ」
誰かが息を呑んだ。
「セラフィーネ様を動かさねばならぬほどの脅威――上は、そう判断したのだ」
再び、部屋が静かになった。
今度は誰も、その言葉を否定しなかった。