棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第一話 静かなる帰還

 闇の奥から地上へ続く道を、タクミは一人で歩いていた。

 

 迷宮第十六階層〈死域〉での探索を終え、長い階段を黙々と登っていく。

 

 石造りの通路はところどころ天井が低く、肩に担いだ棍棒が岩壁をかすめた。

 湿った壁には苔が生え、天井から落ちた水滴が、石床に小さな音を立てる。

 

 

 階層を上がるごとに、空気はわずかに軽くなっていく。

 それでも、深層に漂っていた鉄臭さは、まだ喉の奥に残っていた。

 

 

 五層目に入ったあたりで、足を止めた。

 

 

 深層よりも天井は高く、岩肌も乾いている。

 ところどころに古い採掘跡があり、壁際には焦げた焚き火の跡や、壊れた木箱が放置されていた。

 

 

 上層と比べれば暗く静かだが、人の気配はまだ戻ってこない。

 

 そんな通路の先に、何かが倒れていた。

 

 

「……」

 

 

 近づくと、それは冒険者の遺体だった。

 

 

 胸から腹にかけて深々と裂かれ、装備は半ば壊れている。

 

 血はまだ温かく、石床にじわじわと広がっていた。

 

 死んでから、それほど時間は経っていない。

 

 

 

 タクミは無言で膝をつき、遺体の肩を抱え起こした。

 

 

 

(若いな……)

 

 

 

 すでに生気はないが、幼さを残す顔を見て心中でつぶやく。

 

 

 ――せめて仲間のもとへ返してやらねば。

 

 

 そのまま遺体を肩に、ゆっくりと担ぎ上げた。

 

 

 その瞬間だった。

 

 

 ――置いていけ。

 

 

 声が聞こえたわけではない。

 

 だが、迷宮そのものが意思を持って囁いたかのような圧が、全身を包む。

 

 足首を掴まれたように動きが鈍り、背筋に冷たいものが走った。

 

 

 その瞬間、遠くから湿った足音と、壁を爪で引っかく甲高い音が重なって響いた。

 

 本能が危険を告げる。

 

 

 タクミは一瞬だけそちらへ視線を向けると、遺体を担いだまま、一気に駆け出した。

 

 

 ――迫りくる魔物の気配を感じ、棍棒を片手で持ち直す。

 

 

 途中、暗がりから魔物が何度か飛びかかってきた。

 

 だが、そのたびに棍棒が振るわれ、魔物は石床へ叩き落とされていく。

 

 

 迷宮の禁忌を冒しながら、出口に向けてタクミは疾走した。

 

 

 しばらくして通路の壁がなめらかな石から粗い岩肌へと変わり、風がわずかに入り込む。出口に近づいている証だ。

 

 

 すれ違う小規模なパーティーが、タクミと目が合うと黙って道を譲った。彼の肩の荷を見て、その表情を曇らせた。

 

 

 

 やがて前方に白い光が滲み始める。

 

 

 

 迷宮の入口は山裾に開いた巨大な洞穴であり、その周囲には木柵で囲われた前線拠点が築かれている。

 

 

 いくつもの焚き火が赤く燃えていた。見張りの兵たちが、槍を手に周囲を歩いている。

 

 

 門の脇には詰所と柵があり、槍を手にした二人の門番が立っている。

 

 

 一人と目が合い、互いに軽く顎を引いて会釈を交わす。

 

 言葉は要らない――顔見知りには、それで十分だった。

 

 

 タクミは遺体を門番に預けようと足を止める。

 

 すると、

 

「おい……! あれ!!」

 

 近くにいた若い冒険者たちが声を上げながら駆け寄ってきた。

 

 泣き叫ぶような呼びかけで、誰がこの遺体の仲間なのかは一目で分かった。

 

 タクミは遺体を地面に優しく下ろす。

 

「そんな……!」

 

 仲間の女性が膝をつき、顔を見た瞬間、押し殺せない悲鳴が藍色の空に響いた。

 

 彼らは必死に名前を呼び続け、震える手で遺体に触れた。タクミはしばらくその様子を見ていたが、何も言わず、その場を離れた。

 

 

 

 木柵を抜け、山道を歩き出す。

 

 森を渡る風が、迷宮の瘴気を洗い流すかのように頬を撫でた。

 

 

 やがて視界の先に、城壁に囲まれた街の灯火が揺らめく。

 

 自由都市グランデル――迷宮を背に生きる人々の街だ。

 

 この場所で、何度この光を遠くから見つめただろうか。

 

 

 ◇

 

 

 石畳を踏みしめて街へ入ると、馬車の車輪の音、商人たちの呼び声、焼き立てのパンや香辛料の匂いが押し寄せてくる。

 

 屋台では香草を混ぜた串焼き肉が並び、子どもたちが銅貨を握って順番を待っている。

 

 

 露店の明かりは油と魔石の混合灯で、淡い青白さが通りを照らしていた。

 

 

 冒険者ギルドは、広場の一角にあった。

 大きな扉を開けると、革と油の匂いと、冒険者たちの賑やかな声が聞こえてくる。

 

 中では依頼を吟味する者、報告を終えて酒をあおる者、仲間を失って肩を落とす者。

 

 

 ――それぞれの生と死がこの空間に渦巻いていた。

 

 

 タクミは受付に歩み寄り、簡潔に報告を済ませる。

 

 

 ざわめきの奥で、タクミの背を誰かがじっと見つめていた。

 

 タクミは気づかぬまま外へ出た。

 

 

 宿「石蔦亭」は街の外れにあり、花崗岩造りの外壁に濃い緑の蔦が絡みついている。

 

 扉を押し開けると、天井は高く、床は磨かれた石造り。壁や梁には、古い模様や花の彫刻がうっすらと残っていた。

 

 

「おかえり! タク」

 

 

「タダイマ」

 

 

 カウンター越しに青年が挨拶を寄こす。タクミは軽く手を上げて返し、そのまま階段を上った。

 

 自室に戻り、ようやく息をつく。

 

 部屋にあるのは、机と椅子、それに寝台くらいだ。窓の外には街の灯火が広がっている。

 

 

 棍棒を壁際に立てかけ、肩の荷を降ろすと、壁に掛けられた日めくりに目をやった。黄ばんだ紙束は、長い年月を物語っている。

 

 タクミはしばらくそれを眺めてから、今日の日付をめくる。

 

(……十年か)

 

 この世界に来てから、十年。

 迷宮へ潜り続けても、元の世界へ戻る方法は見つかっていない。

 

(この先、俺は帰れるのか……)

 

 答える者はいない。

 

 窓の外では、いつもと変わらないグランデルの夜が続いていた。

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