棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第十九話 仮面の下で

 夕暮れの光が、神殿の白い壁をオレンジ色に染めていた。

 

 遠くから鐘の音が聞こえてくる。

 

 修道院の裏庭は街の喧騒から離れていて、風が吹くたびに木々や草が小さく揺れていた。

 

 タクミは辺りを軽く見回してから、中庭の奥へ進む。

 

 辺りには青白い魔法灯がぽつぽつと灯り始めている。

 昼の務めを終えた修道女たちも、ほとんどが建物の中へ戻ったようだ。

 

 庭には、どこか甘い香の匂いと、湿った草の匂いが残っていた。

 

「こんばんは、タクミ」

 

 木陰から声がした。

 

 セリエルがこちらへ歩いてくる。

 白い修道服の裾が、風でふわりと揺れた。

 

「今日は……いつもより、早く来てくださったんですね」

 

「ウン。ハヤク キタ」

 

 タクミは短く答え、その隣に並んだ。

 

 二人で庭をゆっくり歩く。

 しばらく進んだところで、距離が近かったのか、互いの手の甲が少しだけ触れた。

 

 どちらからともなく、ほんの少しだけ距離が離れる。

 

 けれど、気まずさはなかった。

 

 タクミは何も言わず、そのまま歩いている。

 セリエルも隣を歩きながら、一度だけ横目でその顔を見た。

 

 こうして二人で歩くのも、いつの間にか当たり前になっていた。

 

 セリエルはふと思い出したように口を開く。

 

「そういえば……この前の本、どこまで読みましたか?」

 

「……テンシサマ、大工 ハジメタ」

 

「え……?」

 

 セリエルが足を止めた。

 眉を寄せ、何を言っているのだろうと考える。

 

 だが、すぐに気づいたらしい。

 

 じろりとタクミを見る。

 

「……タクミ。噓をつきましたね」

 

 その顔を見て、タクミはケラケラと笑った。

 

「マチガエタ カモ」

 

「もう……」

 

 セリエルは小さく息を吐いた。

 

 この人は、たまにこういう意味のない噓をついて、こちらをからかってくる。

 

 最初の頃は、本気で言っているのか冗談なのか分からず、何度も困らされたものだ。

 

 セリエルの表情が、少しだけ柔らかくなった。

 

 

 ◇

 

 

「それで、今日は急に……どうしたのですか?」

 

「……プレゼント ワタシタイ」

 

「プレゼント?」

 

 タクミは背中に隠すように持っていた革の手提げ袋を、そっと前へ出した。

 

 濃い焦げ茶色をした革で、縫い目もしっかりしている。

 普段のタクミが持っているには、少し不釣り合いに見えた。

 

「コレ。セリエルニ」

 

「え……私に?」

 

「ウン。ナカ ミテ」

 

 セリエルは少し戸惑いながら、それを受け取った。

 

 袋を開け、中を覗く。

 

 その瞬間――指が止まった。

 

「…………」

 

 中には、紙袋に包まれた香草が入っていた。

 

 包みを開いてもいないのに、微かな香りが漂ってくる。

 

 セリエルは、その匂いを知っていた。

 

「イイ ニオイ。セリエル、コウイウノ スキ?」

 

 革袋と一緒に、今日タクミが市場を回って探してきたものだ。

 

「……どうして……これを……」

 

 思わず漏れた声は、自分でも驚くほど小さかった。

 

 タクミは何も答えず、微笑を浮かべながら静かに頷いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 セリエルは袋を胸に抱きしめるように持ち、 ほんの少しだけ顔を伏せた。

 

 その瞳の奥に複雑な揺れが走り―― しかしそれを悟らせまいと、すぐに微笑み直した。

 

「……イキナリ キテ ゴメンネ。マタ オシエテネ」

 

「はい。また」

 

 タクミは軽く手を上げ、そのまま庭を出ていった。

 

 セリエルはその場に残り、遠ざかっていく背中を見送る。

 

(………)

 

 結局、その姿が見えなくなるまで、声をかけることはできなかった。

 

 ◇

 

 夜。

 

 修道院の自室へ戻ったセリエルは、机の上に革袋を置いた。

 

 改めて触ってみる。

 

 柔らかい。

 革の質もいいし、縫い目も丁寧だ。

 どう見ても、安物ではない。

 

(……こんな良いもの、わざわざ買ってきたの……?)

 

 もうすぐ、自分はこの街を離れる。

 

 それを考えて、旅先でも使えるものを選んでくれたのだろうか。

 

 そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。

 

 セリエルは袋から香草を取り出し、机の上にあった小瓶へ移していく。

 すぐに、懐かしい匂いが部屋いっぱいに広がった。

 

「…………」

 

 セリエルは手を止めた。

 

(この香り……やっぱり……)

 

 深い森。

 湿った土。

 朝露に濡れた草や花。

 

 ずっと昔から知っている、故郷の匂いだった。

 

 だが――この香草は、この辺りではまず手に入らない。

 

 人間の商人が扱うこともあるが、かなり珍しく、値段も高い。

 

(どうして、タクミがこれを……?)

 

 セリエルはしばらく瓶を見つめていた。

 

 やがて立ち上がり、部屋の隅に置かれた鏡の前へ向かう。

 

 鏡の中には、いつもの自分がいた。

 

 人間の修道女、セリエル。

 

 胸元へ手を当てる。

 

(……まさか、気づいているの……? タクミ……)

 

 魔力の〈仮面〉を解いた。

 

 身体を覆っていた薄い光が消えていく。

 

 髪の色が変わり、隠されていた長い耳が現れた。

 

 ――鏡の中に立っていたのは、人間の修道女ではない。

 

 エルフの女――リュミエルだった。

 

 本当の自分。

 

 彼女はしばらく、自分の顔を見つめていた。

 

 それから机へ戻り、香草の入った瓶を手に取る。

 

 鼻先へ近づけると、また森の匂いがした。

 

 少しずつ、肩の力が抜けていく。

 

(……今は……少しだけでいい)

 

 リュミエルは目を閉じた。

 

(……忘れさせて……)

 

 任務も。

 

 偽りの名前も。

 

 自分でも、まだどうしたらいいのか分からない気持ちも。

 

 今だけは考えないことにした。

 

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