棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第二十一話 戻れぬ道の名

 宿〈石蔦亭〉を出て、タクミは大通りへ向かった。

 

 まだ朝だというのに、通りは静かだった。

 

 いつもなら聞こえてくる商人の呼び声も、荷馬車の音も少ない。

 露店も半分ほどが閉まったままで、開いている店にも客の姿はまばらだった。

 

(……空いてるな)

 

 タクミは歩きながら、辺りを見回す。

 

 いつもと同じ時間。

 いつもと同じ道。

 

 それなのに、見慣れた街が少し違って見えた。

 少し前まで、この時間になれば商人の呼び込みや客の声があちこちから聞こえていた。

 

 今は、それがない。

 

 そのまま歩いていると、前から鎧の音が聞こえてきた。

 

 見ると、十数人ほどの兵士がこちらへ歩いてくる。

 

 中央都市リューベンから派遣されてきた増援だ。

 ここ最近、こうした兵士を街で見かけることが増えていた。

 

 どうやら迷宮前の前哨基地へ向かうらしい。

 

「……またか」

 

「迷宮が異常だからか?」

 

「アルマレスみたいに、魔物が来るんじゃないだろうな」

 

 道端から、そんな声が聞こえてくる。

 

 兵士たちの表情も硬い。

 前を向いたまま、ほとんど言葉を交わさず、足早に通りを進んでいく。

 

 タクミが横を通ると、棍棒に一瞬、視線が集まった。

 何人かは、すれ違った後もタクミを振り返っていた。

 

(……何とかしないとな)

 

 迷宮で起きている異常は、もう迷宮だけの問題ではなくなっている。

 街の人間まで、それを恐れ始めていた。

 

 

 ◇

 

 

 ギルドの扉を押し開ける。

 

 鉄と油の匂いは変わらない。

 

 だが――やはり、ここも静かだった。

 

 朝の時間帯にしては、人がいない。掲示板の前も、待合の椅子も空きが目立つ。

 

 いつもなら、依頼書を奪い合う声や、遠征帰りの笑い声があるはずの場所だ。

 

「タクミー!」

 

 奥から声をかけられた。

 

 見ると、顔見知りの冒険者がこちらへ手を挙げている。

 

 タクミも軽く手を挙げて返した。

 

(……少ないな)

 

 改めて見れば、いつも見かける顔も何人かいない。

 

 迷宮の異常が長引き、危険を避けて他の都市へ移った冒険者も増えている。

 冒険者が減れば、それを相手にする商人も減る。

 

 大通りが静かだった理由も、それだろう。

 

「おはよう、タクさん」

 

 受付からエマが声をかけてきた。

 

「エマ。オハヨ」

 

「バルドさんに呼ばれてるんだよね?」

 

 タクミが頷く。

 

「今、別の人と打ち合わせしてるから、もう少し待ってて。すぐ終わると思う」

 

「ワカッタ。マッテル」

 

 タクミは受付から離れ、壁際で待つことにした。

 

 特にすることもない。

 行き交う人を眺めながら、しばらく時間を潰した。

 

 ◇

 

 やがて呼ばれ、ギルド奥の執務室へ向かった。

 ノックして入ると、バルドが机の前に立っていた。

 

「来たか」

 

 椅子を指され、タクミは腰を下ろす。

 

 机の上には、何枚もの報告書が広げられていた。

 赤い文字で何かを書き足した跡もある。

 

「昨日の迷宮の様子はどうだ?」

 

「ヨクナイ。……ツヨイヤツ、オオイ」

 

「……そうか」

 

 バルドは短く答えた。

 

 すぐには次の話をせず、机の上の報告書を一枚手に取る。

 何度か目を通してから、それを元の場所へ戻した。

 

「状況は変わらず、か」

 

「ウン」

 

「……タクミ」

 

 そこで、バルドの声が少し低くなった。

 

「正直に言う。今日は軽い話じゃない」

 

 タクミは黙って続きを待つ。

 

「ここ数日、迷宮内でエルフの動きが活発になっている」

 

 バルドが一枚の報告書を指で叩いた。

 

「特に――回廊だ」

 

 タクミの表情がわずかに変わる。

 

 ――回廊。

 

 迷宮を渡り歩く者なら、その名を"戻れぬ道"として知っている。

 

 人間が滅多に近づかない場所。

 その理由は、そこに現れる魔物だけではない。

 

「エルフと遭遇すれば、まず生きては戻れん。本来なら、誰にも行かせたくない」

 

 バルドはそこで言葉を切った。

 

「……だが、お前だけは例外だ、回廊まで偵察してきてくれ」

 

「……イイヨ」

 

 返事は早かった。

 バルドは少しだけ眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。

 

「それで、だ」

 

 椅子の背に身体を預ける。

 

「今回は護衛をつける」

 

「……ヒトリ、ダイジョウブ」

 

「お前ならな」

 

 バルドはすぐに返した。

 

「だが、わざわざ一人で全部やる必要もない。回廊までの道中は、護衛に露払いさせろ」

 

 バルドは少し黙ってから、続けた。

 

「……お前の出番は、回廊からだ」

 

 タクミは少し考えてから、頷いた。

 

「護衛は三名。全員一級だ。今うちで出せる中じゃ、最上位の連中だ。お前の知ってるやつだと、ロイがいる」

 

「……アブナイよ?」

 

「なんだ。不満か?」

 

 タクミは首を横に振った。

 そういう意味ではない。回廊へ向かうなら、自分一人でいい。

 

「ロイなら問題ない。今回の話をした時も、お前の負担を少しでも減らしたいと、真っ先に手を挙げたくらいだ」

 

 バルドはタクミの返事を待たず、話を進める。

 

「今回は俺の指示だ。たまには人を頼れ」

 

「……ワカッタ」

 

「ならいい。日時が決まったらエマから伝えさせる」

 

 バルドはそう言ってから、少しだけ間を置いた。

 

「タクミ……迷宮の異常も気になる。だが、それ以上にエルフの動きが妙だ」

 

 さっきまでより低い声だった。

 

「何を考えてるのか分からん。十分警戒しろ。……後は、生きて戻れ」

 

 タクミは短く頷いた。

 

「……キヲツケル」

 

 

 ◇

 

 

 ギルドを出ると、昼を知らせる鐘が鳴っていた。

 

(……そういえば)

 

 ふと、セリエルの顔が浮かんだ。

 行く予定はなかったが、何となく教会のある方角へ歩き出す。

 

 石段が見え始めたところで、足が止まった。

 

「……」

 

 見覚えのある男がいた。

 

 ロイだ。

 

 白い外套を羽織ったロイが、教会の前に立っている。

 ちょうど出てきた修道女に何かを話しかけ、いつもの調子で笑っていた。

 

 しばらくすると、二人はそのまま教会の中へ入っていく。

 

 タクミは、その場にしばらく立っていた。

 風が吹き、外套の裾が小さく揺れた。

 

 わざわざ入っていくほどの用事でもない。

 

(……今日は、やめておくか)

 

 そのまま踵を返した。

 

 来た道を戻り、そのまま市場の方へ歩き出した。

 背後では、昼を知らせる鐘がまだ鳴っていた。

 

 ――回廊。

 

 その名を口にした時から、戻れない道は、もう始まっていた。

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