回廊偵察任務当日。
夜明け前の冒険者ギルド〈灰鉄の門〉は、まだ静まり返っていた。
タクミが扉を押し開けると、昨夜の酒と、消えかけた暖炉の匂いが漂ってきた。
普段なら冒険者たちで賑わう広間も、今はほとんど人がいない。
そんな中、中央の卓にはすでに三人の冒険者が集まっていた。
「オハヨ」
短く挨拶すると、真っ先にロイが振り向いた。
「おはようございます、タクミさん! 今日はよろしくお願いします!」
早朝だというのに、相変わらず元気な男だ。
タクミが残る二人に視線を向けると、それぞれ前に出てきた。
一人は剣士の男。
短く刈り込んだ茶髪に、少し日に焼けた顔。
革鎧の上から軽い胸当てをつけ、腰には片手剣。左腕には小ぶりな盾を装備している。
「……ケインだ。アンタの噂は聞いてる」
そう言って、軽く握手した。
もう一人は、杖を持った魔法使いの女性だった。
肩まで伸びた栗色の髪に、落ち着いた顔立ち。紺色の外套を羽織り、腰には小さな革袋をいくつも下げている。
「ミレナです。後方支援を担当します」
柔らかく微笑みながら、手を差し出してきた。
タクミはその手を握り返し、続いてケインとも握手を交わす。
「……タクミ。ヨロシク」
二人も頷き、簡単な挨拶を済ませた。
「揃ったな」
奥からバルドが姿を現した。
四人を見渡すと、最後にタクミへ視線を向ける。
「タクミ、今回は偵察だ。深入りはするな。首長からも、無理はするなと言われている」
「……ワカッタ」
「ロイ、ケイン、ミレナ。目的地までタクミを送り届けてくれ。……頼んだぞ」
三人が頷く。
その言葉を背に、四人はギルドを後にした。
◇
街門を抜けると、まだ朝の冷え込みが残っていた。
街道にはまだ薄い霧が残っており、その向こうには迷宮へ続く道が伸びている。
四人は並んで歩き始めたが、いつの間にか三人がタクミの前を歩く形になっていた。
ロイは何度か前方を確認しながら、やがてぽつりと口を開いた。
「……正直、今回の任務、ヤバいですよね」
先ほどまでの明るさとは違い、少し真剣な声だった。
「回廊の偵察なんて……タクミさんでも危険すぎると思います」
タクミはその背中を見ながら、苦笑を浮かべた。
「ダイジョウブ。ガンバルヨ」
軽く返しただけだった。
それでも、ロイは足を止めかける。
迷ったように少し考え、再び口を開く。
「……オレが逆の立場だったら、正直、怖くて行けないですよ」
ちらりと振り返る。
「どうして……引き受けたんですか?」
タクミは一瞬だけ視線を落とした。
それから、少し困ったように笑う。
「……ホカニ、デキルヤツ イナイ」
そう答えて、また前を向いた。
その言葉に、ケインとミレナがわずかに顔を横へ向けた。
二人とも、ほんの一瞬だけタクミを見る。
だが、何も言わずに前へ向き直った。
「ロイ」
タクミが前を向いたまま声をかける。
「代ワリニ イッテキテヨ」
「ちょ、ちょっと! それは勘弁してくださいよ!」
ロイが慌てたように声を上げる。
その反応に、タクミは小さく笑った。
ケインは小さく息を吐き、ミレナは何も言わず歩みを揃える。
先ほどまでの重い空気が、少しだけ和らいだ。
そんなやり取りをしながら、一行は迷宮へと向かった。
◇
迷宮前哨基地。
石造りの入口の奥には、いつもの暗闇が広がっていた。
入場の手続きを済ませ、四人は迷宮へ向かう。
その時だった。
肩に担いだ棍棒が、かすかに震えた。
(……ん?)
タクミは足を止め、棍棒を握り直す。
すると、手のひらにもう一度、小さな振動が伝わってきた。
(………)
――"相棒"からの警告。
タクミは目を細め、迷宮の奥を睨んだ
。
暗闇の向こうからは、何の気配も感じられない。
気づけば、棍棒の震えは収まっていた。
「タクミさん?」
先を歩いていたロイが振り返る。
「……ナンデモナイ」
タクミは棍棒を担ぎ直した。
「イコウ」
そう言って、三人の後を追った。
◇
迷宮上層。
湿った空気が漂う通路を、四人は進んでいた。
岩壁には苔が張りつき、天井からは時折、水滴が落ちてくる。
先頭を歩くロイが、不意に手を上げた。
「……来ます」
全員が足を止める。
前方の岩陰から姿を現したのは、刃牙猿《ブレードエイプ》だった。
前脚には刃のように鋭い骨が突き出し、長い腕を地面につきながら、こちらを睨んでいる。
それも一匹ではない。
奥からさらに数匹が姿を現した。
どの個体も目が白く濁り、通常の刃牙猿より一回り大きい。
(……強化個体か)
タクミは棍棒に手をかけたが、ケインが一歩前へ出た。
「前は任せろ」
次の瞬間、刃牙猿が地面を蹴った。
ケインは正面から突っ込んできた一匹の攻撃を盾で受け流し、横から剣を振るう。
刃が胴を裂き、魔物が悲鳴を上げた。
その隙に、別の一匹がケインの背後へ回り込もうとする。
「右!」
ロイの声が飛ぶ。
ほぼ同時に、ミレナが杖を向けた。
放たれた炎が魔物の進路を塞ぎ、動きを止めたところへロイが飛び込む。
一閃。
刃牙猿が崩れ落ちた。
残る魔物も次々と襲いかかってきたが、三人の動きに乱れはなかった。
ロイが敵の位置を知らせ、ケインが前を抑える。そこへミレナの魔法が重なり、隙を見てロイが仕留めていく。
白目の強化個体とはいえ、三人を相手にするには分が悪かった。
やがて、最後の一匹が倒れる。
「……ふう。片付きましたね」
ロイが剣についた血を払い、鞘に収めた。
ケインも剣を納め、ミレナは杖を下ろす。
タクミは三人の戦いぶりを見て、素直に感心していた。
(……上手いな。無駄がない)
それぞれが自分の役割を理解し、互いの動きを邪魔しない。
一級冒険者というのも、伊達ではないようだ。
「スゴイネ」
タクミが声をかけると、ロイが照れたように笑った。
「……いやいや、タクミさんには及ばないですよ」
ケインも軽く肩をすくめる。
「……アンタに褒められるとはな。光栄だよ」
タクミは小さく笑い、棍棒を担ぎ直した。
四人は再び歩き出す。
目指すのは、さらに奥にある中層。
そして、その先に続く〈狭間の道〉だった。
◇
回廊近くの下層。
広間は、不気味なほど静まり返っていた。
石床には魔物の亡骸が散らばり、壁には大きな亀裂が走っている。
その中央に、一人のエルフが立っていた。
オークの亡霊を始末するために。
――天使に最も近いエルフが。