「……いつから、気づいていた?」
ロイの声から、いつもの軽さが消えていた。
そこには、気さくな冒険者ではなく、訓練を積んだ軍人のような口調だった。
タクミは振り向かない。
ただ足を止め、無言のまま、前を見据えていた。
背後で、剣を抜く音がした。
ケインが剣を構え、その隣でミレナが杖を掲げる。杖の先には、淡い光が集まり始めていた。
二人が攻撃に移ろうとした、その時だった。
「――よせ!」
ロイの鋭い声に、二人の動きが止まる。
「……こいつに手を出すな」
三対一。しかも、剣の届く距離で背後を取っている。
それでも、ロイは分かっていた。
この男が、その気になれば――自分たちは何もできずに死ぬ。
だが、タクミの意識は背後にない。
すぐ後ろにいる三人よりも、はるか前方にいる"何か"の方が、よほど脅威だった。
「……なあ、タクミ」
ロイは一歩、距離を保ったまま声をかける。
「罠ではない。俺は……お前を、気に入ってる」
その言葉に、嘘はなかった。
「人間のくせに、ただ強い。なのに力を誇らない。仲間を切り捨てない。
そして、――何よりも"信仰"を持っている」
並べられる賛辞と誤解に、タクミは思わず苦笑が漏れる。
「正直に言う。俺たちの側に来い」
タクミの頭が、わずかに横に動く。
「……今なら、まだ間に合う。武器を置いて、敵対する意思がないと示せ。
助かると約束はできない。だが、お前も気づいているだろう?」
ロイは通路の奥へ目を向ける。
「この先に行けば――お前は死ぬ」
脅しではなかった。
ロイは本気で、タクミを引き止めようとしていた。
最初は、ただの監視対象だった。
エルフの部隊を壊滅させる男。どれほどの怪物かと思っていたが、実際に会ってみれば、どこか気の抜けたところのある冒険者だった。
誰とも群れない男かと思えば、仲間を気遣い、危険な場面では迷わず前に出る。
何より、ロイには忘れられない光景があった。
天使教の神殿で、静かに祈りを捧げるタクミの姿だ。
リュミエルとも親しくしている。少なくとも、神殿に出入りすることを隠そうとはしていなかった。
それが、ロイには不思議だった。
同じ神を信じているはずの男が、なぜ自分たちと敵対しているのか。
そう考えれば考えるほど、この男を殺すという結末が惜しく思えた。
できることなら、こちら側に迎え入れたかった。
もっとも、最終的な判断を下すのは自分ではない。
それでも、一度だけ誘ってみたかった。
「……」
静かな沈黙。
やがて、タクミは小さく首を振り、ぽつりと呟いた。
『……死んで、夢だったらいいのにな』
――それは、この世界の言葉ではなかった。
だからこそ、誰にも意味が分からなかった。
「……今、何て……?」
ロイが聞き返したときには、タクミはもう歩き出していた。
振り向かず、左手を軽く上げて、背中越しに振る。
まるで、別れの挨拶のように。
タクミは少しだけ苦笑した。
(まぁ……その時は――誰かの夢に化けて出るか)
◇
「……俺たちは、どうする?」
ケインが小声で尋ねた。
ロイはしばらくタクミの背中を見つめていたが、やがて口を開いた。
「任務は達成している」
本来なら、回廊まで誘導し、後方からセラフィーネが追いついたところで挟み撃ちにする手はずだった。
だが、タクミは自ら彼女の待つ場所へ向かっている。
(……ここで待機するのが筋なんだろうが)
ロイは通路の奥へ目を向けた。
ここは下層だ。いつ魔物が現れてもおかしくない。まして、白色個体まで確認されている。
戦いが始まれば、周囲の魔物が集まってくる可能性もある。
自分たちが残ったところで、援護になるどころか足手まといになりかねない。
(それに、セラフィーネ様が負けるはずもない)
以前、彼女が魔人の部隊を壊滅させるところを、遠くから見たことがある。
彼女の放った一撃が敵陣を薙ぎ払い、そこにいた魔人たちは跡形もなく消え去った。
あの光景は、今でも脳裏に焼きついている。
宮廷魔導師長である彼女に、今さら自分たちの援護など必要ないだろう。
(街の連中にも、俺たちの正体がバレてる可能性がある)
これ以上、ここに残る理由はない。
「このまま回廊へ向かう。本国に帰還するぞ」
二人が頷き、踵を返した。
ロイは最後にもう一度、通路の奥へ目を向けた。
タクミの姿は、すでに闇の中へ消えかけている。
(……リュミエル)
街に残る彼女の顔が浮かんだ。
タクミは、自分たちの正体に最初から気づいていた。
ならば、リュミエルのことも疑っているかもしれない。
帰還したら、ひとまず知らせておくべきか。
だが、ロイはすぐに首を振った。
(……いや、必要ないか)
この先には、セラフィーネ様が待っている。
タクミが生きて街へ戻ることなど、あり得ない。
「……行くぞ」
ロイは踵を返した。
――この時点では、エルフ側の計画に大きな狂いはなかった。
予定とは違う形になったものの、タクミは自らセラフィーネ様のもとへ向かっている。
あとは、彼女が仕留めるだけ。
誰一人として、その結果を疑ってはいなかった。