棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第二十五話 語らない背中

「……いつから、気づいていた?」

 

 ロイの声から、いつもの軽さが消えていた。

 そこには、気さくな冒険者ではなく、訓練を積んだ軍人のような口調だった。

 

 タクミは振り向かない。

 ただ足を止め、無言のまま、前を見据えていた。

 

 背後で、剣を抜く音がした。

 ケインが剣を構え、その隣でミレナが杖を掲げる。杖の先には、淡い光が集まり始めていた。

 

 二人が攻撃に移ろうとした、その時だった。

 

 

「――よせ!」

 

 

 ロイの鋭い声に、二人の動きが止まる。

 

「……こいつに手を出すな」

 

 三対一。しかも、剣の届く距離で背後を取っている。

 

 それでも、ロイは分かっていた。

 この男が、その気になれば――自分たちは何もできずに死ぬ。

 

 だが、タクミの意識は背後にない。

 すぐ後ろにいる三人よりも、はるか前方にいる"何か"の方が、よほど脅威だった。

 

「……なあ、タクミ」

 

 ロイは一歩、距離を保ったまま声をかける。

 

「罠ではない。俺は……お前を、気に入ってる」

 

 その言葉に、嘘はなかった。

 

「人間のくせに、ただ強い。なのに力を誇らない。仲間を切り捨てない。

 そして、――何よりも"信仰"を持っている」

 

 並べられる賛辞と誤解に、タクミは思わず苦笑が漏れる。

 

「正直に言う。俺たちの側に来い」

 

 タクミの頭が、わずかに横に動く。

 

「……今なら、まだ間に合う。武器を置いて、敵対する意思がないと示せ。

 助かると約束はできない。だが、お前も気づいているだろう?」

 

 ロイは通路の奥へ目を向ける。

 

「この先に行けば――お前は死ぬ」

 

 脅しではなかった。

 ロイは本気で、タクミを引き止めようとしていた。

 

 最初は、ただの監視対象だった。

 

 エルフの部隊を壊滅させる男。どれほどの怪物かと思っていたが、実際に会ってみれば、どこか気の抜けたところのある冒険者だった。

 

 誰とも群れない男かと思えば、仲間を気遣い、危険な場面では迷わず前に出る。

 

 何より、ロイには忘れられない光景があった。

 

 天使教の神殿で、静かに祈りを捧げるタクミの姿だ。

 リュミエルとも親しくしている。少なくとも、神殿に出入りすることを隠そうとはしていなかった。

 

 それが、ロイには不思議だった。

 同じ神を信じているはずの男が、なぜ自分たちと敵対しているのか。

 

 そう考えれば考えるほど、この男を殺すという結末が惜しく思えた。

 

 できることなら、こちら側に迎え入れたかった。

 

 もっとも、最終的な判断を下すのは自分ではない。

 それでも、一度だけ誘ってみたかった。

 

「……」

 

 静かな沈黙。

 

 やがて、タクミは小さく首を振り、ぽつりと呟いた。

 

『……死んで、夢だったらいいのにな』

 

 ――それは、この世界の言葉ではなかった。

 だからこそ、誰にも意味が分からなかった。

 

「……今、何て……?」

 

 ロイが聞き返したときには、タクミはもう歩き出していた。

 

 振り向かず、左手を軽く上げて、背中越しに振る。

 まるで、別れの挨拶のように。

 

 タクミは少しだけ苦笑した。

 

(まぁ……その時は――誰かの夢に化けて出るか)

 

 

 ◇

 

 

「……俺たちは、どうする?」

 

 ケインが小声で尋ねた。

 

 ロイはしばらくタクミの背中を見つめていたが、やがて口を開いた。

 

「任務は達成している」

 

 本来なら、回廊まで誘導し、後方からセラフィーネが追いついたところで挟み撃ちにする手はずだった。

 

 だが、タクミは自ら彼女の待つ場所へ向かっている。

 

(……ここで待機するのが筋なんだろうが)

 

 ロイは通路の奥へ目を向けた。

 

 ここは下層だ。いつ魔物が現れてもおかしくない。まして、白色個体まで確認されている。

 

 戦いが始まれば、周囲の魔物が集まってくる可能性もある。

 

 自分たちが残ったところで、援護になるどころか足手まといになりかねない。

 

(それに、セラフィーネ様が負けるはずもない)

 

 以前、彼女が魔人の部隊を壊滅させるところを、遠くから見たことがある。

 彼女の放った一撃が敵陣を薙ぎ払い、そこにいた魔人たちは跡形もなく消え去った。

 あの光景は、今でも脳裏に焼きついている。

 

 宮廷魔導師長である彼女に、今さら自分たちの援護など必要ないだろう。

 

(街の連中にも、俺たちの正体がバレてる可能性がある)

 

 これ以上、ここに残る理由はない。

 

「このまま回廊へ向かう。本国に帰還するぞ」

 

 二人が頷き、踵を返した。

 

 ロイは最後にもう一度、通路の奥へ目を向けた。

 

 タクミの姿は、すでに闇の中へ消えかけている。

 

(……リュミエル)

 

 街に残る彼女の顔が浮かんだ。

 

 タクミは、自分たちの正体に最初から気づいていた。

 

 ならば、リュミエルのことも疑っているかもしれない。

 

 帰還したら、ひとまず知らせておくべきか。

 

 だが、ロイはすぐに首を振った。

 

(……いや、必要ないか)

 

 この先には、セラフィーネ様が待っている。

 タクミが生きて街へ戻ることなど、あり得ない。

 

「……行くぞ」

 

 ロイは踵を返した。

 

 ――この時点では、エルフ側の計画に大きな狂いはなかった。

 

 予定とは違う形になったものの、タクミは自らセラフィーネ様のもとへ向かっている。

 

 あとは、彼女が仕留めるだけ。

 

 誰一人として、その結果を疑ってはいなかった。

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