棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第二十六話 踏み越える決断

 ――この先にいる。

 

 通路の奥から、細い糸のような魔力が伸びてきた。

 

 見えない何かが、全身をなぞっていく。

 

 すでに、こちらの存在は知られている。

 

 その奥から伝わってくる魔力も、尋常ではなかった。

 これまで出会ってきた敵とは、質も大きさもまるで違う。

 

 強大で、底が見えない。

 

 深層で何度も感じた、あの嫌な感覚だ。まるで魂の奥まで覗き込まれているようだった。

 

 棍棒を握る掌に、わずかな熱が走る。

 

『……お前は見つかった』

 

 "相棒"の声に、怒りも焦りもない。

 ただ、事実を伝えるような声だった。

 

 タクミは一度だけ、ゆっくり息を吐いた。

 

 ――"来た"時を思い出す。

 

 暗闇。

 何もない場所で、目を覚ます直前に聞いた声。

 

 女の声だった。

 幼いようにも、大人のようにも聞こえた。泣いていたのか、震えていたのか。

 今となっては、それすらはっきりしない。

 

 ただ、あの言葉だけは覚えている。

 

「――お願い……」

 

「天使から……私を、救って……」

 

 当時は意味が分からなかった。

 

 顔も知らないし、声の主が誰なのかも分からない。

 それでも、一つだけ気になる言葉があった。

 

(天使……)

 

 その言葉を思い出すたびに、胸の奥が反応する。

 

(会えたら、帰れるかもしれない)

 

 もちろん、根拠なんてなかった。

 それでも、他に縋れるものはなかった。

 

 エルフに聞くことはできない。

 この世界の支配者であり、天使の眷属。

 過去に現れ、彼らと敵対した魔王が、同郷人だった事実を掴んでいる。

 

(正体がバレたら……終わりだ)

 

 だから、避けた。

 できるだけ関わらず、気づかれないように。

 

 転移した場所――この迷宮の深層。

 

 あそこへ行けば、何か分かるかもしれない。

 帰る道が、残っているかもしれない。

 

 そう思って、十年。

 

 ずっと歩き続けた。

 

 途中で、人と出会った。

 街に住み、名前を呼ばれ、居場所ができた。

 

 その中に、エルフの矢で死んだ者がいた。

 

(……見過ごすことができなくなった)

 

 だから、殺した。

 迷宮を徘徊し、人間を狩るエルフを。

 

 エルフを避けてきたのは、事実だ。

 けれど、ただ逃げてきたわけじゃない。

 

(……ずっと、探してきた)

 

 通路の先から、淡い白い光が差し込んできた。

 

 まだ距離があるのに、魔力が伝わってくる。

 

 "相棒"が、低く唸った。

 

 深層でどれほど危険な魔物と向き合っても、相棒がここまで反応したことはない。

 

 タクミは通路の奥を見据えた。

 

 その先に何がいるのかは分からない。

 ただ、十年間探してきた手がかりが、ようやく見つかったのかもしれない。

 

『……望んでたんだろ』

 

 タクミは、棍棒を握り直す。

 

(ああ)

 

(願ってもない)

 

 もう、避けているだけでは何も変わらない。

 何かしなくては――たとえ、負けても。

 

 ただ――

 

(確かめる)

 

 この先に、あの声があるのか。

 天使が、本当に"鍵"なのか。

 

 ロイは「死ぬぞ」と言った。

 つまり、向こうは最初からこちらを殺すつもりなのだろう。

 

 話し合いの余地はない。

 

 ――それならば、先手必勝。

 

 タクミは膝を沈め、一瞬で地面を蹴った。

 

 空気が裂ける。

 

 次の瞬間には、もうそこにタクミの姿はなかった。

 

 

◇

 

 

 通路を抜けた先は、広間だった。

 

 円形に近い広間で、天井もかなり高い。

 床には古い魔法陣が幾重にも刻まれ、壁に埋まった結晶から淡い白い光が漏れていた。

 

 その中央に――彼女はいた。

 

 純白と蒼を基調とした長衣に、背中まで伸びた銀白色の髪。

 静かに佇む姿は、彫像のようにも見える。

 

 セラフィーネは、迫ってくる人影を捉えると、わずかに息を吐いた。

 

「……速い」

 

 驚いた様子はない。ただ、目の前で起きていることを確認するような声だった。

 

 すでに彼女の周囲では、魔力が動き始めている。

 目で追っているわけではない。周囲に広げた魔力で、侵入者の動きを捉えているのだ。

 

 右手に持った細身の杖を、わずかに前へかざす。

 

 次の瞬間――

 タクミの棍棒が、広間を切り裂いた。

 

 踏み込みは一瞬。

 それだけで、距離が消える。

 

 ――轟音。

 

 棍棒が光の障壁に叩きつけられ、凄まじい衝撃が広間に響き渡った。

 

 だが、障壁は砕けない。

 

 衝突した場所から無数の光の粒が弾け、二人の間に舞い散った。

 

 その向こうで、タクミとセラフィーネの視線がぶつかる。

 

 互いに理解した。

 

 ――逃げ場はない。

 ――ここで、ケリがつく。

 

 ここから先は、力だけが答えになる。

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