――この先にいる。
通路の奥から、細い糸のような魔力が伸びてきた。
見えない何かが、全身をなぞっていく。
すでに、こちらの存在は知られている。
その奥から伝わってくる魔力も、尋常ではなかった。
これまで出会ってきた敵とは、質も大きさもまるで違う。
強大で、底が見えない。
深層で何度も感じた、あの嫌な感覚だ。まるで魂の奥まで覗き込まれているようだった。
棍棒を握る掌に、わずかな熱が走る。
『……お前は見つかった』
"相棒"の声に、怒りも焦りもない。
ただ、事実を伝えるような声だった。
タクミは一度だけ、ゆっくり息を吐いた。
――"来た"時を思い出す。
暗闇。
何もない場所で、目を覚ます直前に聞いた声。
女の声だった。
幼いようにも、大人のようにも聞こえた。泣いていたのか、震えていたのか。
今となっては、それすらはっきりしない。
ただ、あの言葉だけは覚えている。
「――お願い……」
「天使から……私を、救って……」
当時は意味が分からなかった。
顔も知らないし、声の主が誰なのかも分からない。
それでも、一つだけ気になる言葉があった。
(天使……)
その言葉を思い出すたびに、胸の奥が反応する。
(会えたら、帰れるかもしれない)
もちろん、根拠なんてなかった。
それでも、他に縋れるものはなかった。
エルフに聞くことはできない。
この世界の支配者であり、天使の眷属。
過去に現れ、彼らと敵対した魔王が、同郷人だった事実を掴んでいる。
(正体がバレたら……終わりだ)
だから、避けた。
できるだけ関わらず、気づかれないように。
転移した場所――この迷宮の深層。
あそこへ行けば、何か分かるかもしれない。
帰る道が、残っているかもしれない。
そう思って、十年。
ずっと歩き続けた。
途中で、人と出会った。
街に住み、名前を呼ばれ、居場所ができた。
その中に、エルフの矢で死んだ者がいた。
(……見過ごすことができなくなった)
だから、殺した。
迷宮を徘徊し、人間を狩るエルフを。
エルフを避けてきたのは、事実だ。
けれど、ただ逃げてきたわけじゃない。
(……ずっと、探してきた)
通路の先から、淡い白い光が差し込んできた。
まだ距離があるのに、魔力が伝わってくる。
"相棒"が、低く唸った。
深層でどれほど危険な魔物と向き合っても、相棒がここまで反応したことはない。
タクミは通路の奥を見据えた。
その先に何がいるのかは分からない。
ただ、十年間探してきた手がかりが、ようやく見つかったのかもしれない。
『……望んでたんだろ』
タクミは、棍棒を握り直す。
(ああ)
(願ってもない)
もう、避けているだけでは何も変わらない。
何かしなくては――たとえ、負けても。
ただ――
(確かめる)
この先に、あの声があるのか。
天使が、本当に"鍵"なのか。
ロイは「死ぬぞ」と言った。
つまり、向こうは最初からこちらを殺すつもりなのだろう。
話し合いの余地はない。
――それならば、先手必勝。
タクミは膝を沈め、一瞬で地面を蹴った。
空気が裂ける。
次の瞬間には、もうそこにタクミの姿はなかった。
◇
通路を抜けた先は、広間だった。
円形に近い広間で、天井もかなり高い。
床には古い魔法陣が幾重にも刻まれ、壁に埋まった結晶から淡い白い光が漏れていた。
その中央に――彼女はいた。
純白と蒼を基調とした長衣に、背中まで伸びた銀白色の髪。
静かに佇む姿は、彫像のようにも見える。
セラフィーネは、迫ってくる人影を捉えると、わずかに息を吐いた。
「……速い」
驚いた様子はない。ただ、目の前で起きていることを確認するような声だった。
すでに彼女の周囲では、魔力が動き始めている。
目で追っているわけではない。周囲に広げた魔力で、侵入者の動きを捉えているのだ。
右手に持った細身の杖を、わずかに前へかざす。
次の瞬間――
タクミの棍棒が、広間を切り裂いた。
踏み込みは一瞬。
それだけで、距離が消える。
――轟音。
棍棒が光の障壁に叩きつけられ、凄まじい衝撃が広間に響き渡った。
だが、障壁は砕けない。
衝突した場所から無数の光の粒が弾け、二人の間に舞い散った。
その向こうで、タクミとセラフィーネの視線がぶつかる。
互いに理解した。
――逃げ場はない。
――ここで、ケリがつく。
ここから先は、力だけが答えになる。