棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第二話 知らない夢

 ――熱い。

 

 

 胸を貫いたのは、鉤爪のように歪んだ魔物の腕だった。

 

 肉が裂け、骨が砕ける感覚が、痛みと共に広がる。

 

 血と鉄の匂いが鼻につく。

 胸の奥では、砕けた骨が嫌な音を立てていた。

 

 ……仲間を、逃がせたか。

 

 霞んだ視界の端に、遠ざかっていく人影が見える。

 

 声はもう届かない。血で潰れた喉からは泡しか漏れない。

 

 

 身体は崩れ落ち、意識が消え始め視界も見えなくなった。

 

 

 ――どれくらい経ったのだろう。

 

 真っ暗な中で、誰かがこちらへ駆け寄ってくる気配がした。

 

 

 自分を抱き起こし、助けようとしてくれている。

 

 輪郭はぼやけている。それでも、不思議と安心した。

 

 徐々に顔が認識できるようになり、違和感を感じ始める。

 

 

 ――耳元で、知らない声が重なった。

 

 

 ――ああ、良かった。お前が俺で。

 

 

 その言葉と共に、世界は闇に呑まれた。

 

 

 タクミは跳ね起きた。

 

 荒い息を吐き、額の汗を拭う。

 

 無意識に伸ばしていた手は、何もない空間を掴んでいた。

 

 

(……またか)

 

 

 枕元の水差しを取り、少しだけ水を飲む。

 

 もう慣れたはずなのに、胸の奥に残る声が消えない。

 

 

 ――知らない誰かの最期が、今夜も頭から離れなかった。

 

 

 ◇

 

 

 朝になると、石蔦亭の食堂にはいつもの賑わいが戻っていた。

 

 

 この宿は、古い時代の神殿を改装した建物で、

 

 天井は高く、古い装飾の下に花の模様が隠れている。

 

 迷宮へ向かう冒険者が泊まることも多く、グランデルでは昔から知られた宿だった。

 

「おはよう、タク!」

 

 厨房から出てきたカイルが、給仕盆を抱えたまま声をかけてきた。

 

 宿主の息子で、タクミとはもう長い付き合いになる。

 

 昔はその辺を走り回っていた子どもだったが、今ではすっかり宿の働き手だ。

 

「オハヨ」

 

「昨日、迷宮で誰か助けようとしたんだって?」

 

 パン籠を卓に置きながら、カイルが笑う。

 

「新人の冒険者がさ、お礼を言いたいってタクのこと探してたよ」

 

 ソウナンダと返しつつ、昨日のことを思い出す。

 

 助けた、と言っても命を救えたわけではない。

 

 ただ、亡くなった仲間を地上まで運んだだけだ。

 

 

(……そこまで気にしなくてもいいのに)

 

 

「カイル、あんまり仕事の話しちゃ駄目よ」

 

 横から声がして、エマがやってきた。

 

 ギルドで受付をしている女性で、カイルとは恋人同士。

 彼女もまた、タクミとは昔からの顔馴染みだった。

 

「でも、ほんとにありがとう、タクミさん。あの子たち感謝してた」

 

「……ソウカ」

 

エマが湯気の立つスープを卓に置く。

 

「今日は迷宮、行かないんでしょ? だったら急がなくていいんだから、ちゃんと食べてくださいね」

 

「アリガト」

 

 誰かに感謝されると、少しだけ救われたような気持ちになる。

 

 けれど、その気持ちはいつも長く続かなかった。

 

 パンをちぎり、スープへ浸す。

 

 

 食事を終えたタクミは、そのまま街へ出た。

 

 雨上がりのグランデルは、朝から賑やかだった。

 

 濡れた石畳の上を荷馬車が走り、道の端では商人たちが店を開き始めている。

 

 焼きたてのパンの匂い。

 香草を並べる店から漂う青臭い香り。

 少し離れた鍛冶屋からは、朝っぱらから金槌の音が響いていた。

 

 子どもたちが通りを走り抜け、その後ろを犬が吠えながら追いかけていく。

 

 迷宮の中では聞くことのない音ばかりだった。

 

 タクミは何軒か店を回り、油瓶や包帯、それに保存の利く干し肉を買っていく。

 

 どれも迷宮へ潜るには必要なものだ。

 

 何年も続けてきた、いつもの買い物。

 

 だが、ふと風が吹いたとき、タクミは足を止めた。

 

(……?)

 

 湿った風の中に、わずかに鉄臭い匂いが混じっていた。

 

 迷宮の奥で何度も嗅いできた匂いに似ている。

 

 しばらく風の向きを確かめてから、タクミは再び歩き出した。

 

 神殿へ続く道へ入ったところで、見覚えのある白い修道服が目に入る。

 

 

 セリエル――神殿に仕える修道女。

 

 タクミがこの世界に来て間もない頃からの知り合いだった。

 

 

 

「セリエル オハヨウ」

 

 

 呼ぶと、彼女は振り向いた。薄いヴェールの奥、灰青の瞳がふっと緩む。

 

 

「タクミ。……無事だったのですね」

 

 安堵が、その一言に混ざっていた。

 

 

「……コッチハ ゲンキ。ソッチハ?」

 

 

「ええ。あなたに比べれば、私は平和ですよ」

 

 セリエルが小さく笑う。

 

 タクミは少しだけ首を傾げた。

 

「イツモ ヨリ ツカレテ ミエル」

 

「仕事が増えたのです。……あなたのせいで」

 

 セリエルはくすりと笑い、胸に抱えた書簡を持ち直す。

 

「お勤めの報告もありますけれど」

 

 言い直して、目線を一瞬だけ落とす。

 

 

「あなたが連れ帰ってくる人たちのために祈ることも増えました。

 

 迷宮から戻ってくる亡骸は、どれも静かな顔をしています。あなたが運んでくる人は、とくに」

 

 

「ゴメン」

 

 

「いいえ。感謝しているのです」

 

 彼女は微笑み、風に揺れる白布を指先で押さえた。

 

 そして、囁くように付け足す。

 

 

「ちゃんと、休んでくださいね?」

 

 

「……ワカッタ。 アリガト」

 

 少しだけ沈黙が続いた。

 

 だが、昔からそうだった。

 

 会えば長々と話すわけではない。

 それでも、不思議と気まずくはならなかった。

 

 鐘が一つ、神殿の上で鳴った。鳥がばらばらに飛び立つ。

 

 タクミは軽く会釈し、その場を離れた。

 

「また」

 

 セリエルが小さく手を合わせた。

 

 少し歩いて振り返ると、彼女はまだこちらを見ていた。

 

 タクミも小さく手を上げ、それから再び歩き出した。

 

 ◇

 

 夕方には、石蔦亭の窓にも灯りがともっていた。

 

 部屋へ戻ったタクミは、いつもの場所に棍棒を立てかける。

 

 窓の外から、誰かの笑い声が聞こえた。

 

 食堂からは皿のぶつかる音。

 少し離れた通りからは、酔っ払いらしい歌声まで聞こえてくる。

 

 いつもの夜だった。

 

 タクミは椅子に座り、そのまましばらく窓の外を眺めた。

 

 セリエルの言葉、カイルとエマの笑顔、街ですれ違った人たち。

 

 今日も、少しだけ温かい日だった。

 

 宿の灯りも、人の声も、いつもと変わらない。

 

 

 それでも、ふと思う。

 

 

 俺は、いつまでこの生活を続けられるんだろう。

 

 朝起きて、棍棒を担いで、迷宮へ潜って、帰って――。

 

 それを十年。あと何年、同じことを繰り返せる?

 

 

(……何を変えればいい?)

 

 

 自分でもわからない。

 

 帰る方法も、いまだに見つかっていない。

 

 だから迷宮へ潜る。

 

 来た時と同じように、突然帰れるかもしれないと思って。

 

 それをずっと繰り返してきた。

 

 

『……どうすればいい?』

 

 

 この世界では、誰にも通じない言葉を吐き出し、タクミは目を閉じた。

 

 明日もまた、迷宮へ潜るために。

 

 

 ――今夜も、また誰かの夢を見る。

 

 

 知らない剣の構え、知らない魔物、知らない最期。

 

 目を覚ますと、腕が妙に重かった。

 

 寝台に腰かけたまま、右手をゆっくりと握る。

 

 指の動きが、自分のものではないように滑らかだった。

 

 夢の中で何度も剣を振った、その感覚が残っている。

 

 自分の記憶ではない。

 

 自分の人生でもない。

 

 それなのに、身体のほうが覚えていた。

 

 タクミは、握った右手をじっと見つめる。

 

 ……誰かと繋がっているような気がした。

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