棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第二十九話 干渉

 ――何が、起きた……?

 

 セラフィーネは、目の前で起きたことが理解できなかった。

 

 タクミが放った波動が、確かにセラフィーネの身体を貫いた、その瞬間。

 それは攻撃ではなかった。

 

 干渉だ。

 

 構築されていたはずの術式が、途中で断ち切られたように霧散する。

 

(……なぜ……?)

 

 纏っていた障壁が揺らぎ、〈暴風〉の流れが乱れ、維持できない。

 魔力の循環が狂い、制御が効かなくなる。

 

 そして――

 

(……加護が……)

 

 消えていく。

 

 確かにそこにあった感触。

 世界の"手"に包まれ、守られていたという絶対的な安心。

 

 それが、一瞬で失われた。

 

 魔力を使う時は、いつも何かが力を貸してくれた。

 詠唱を始めれば、応えがあった。

 障壁を張れば、その外側にもう一枚、見えない何かがあった。

 

 物心ついた頃から、ずっとそうだった。

 当たり前すぎて、意識したこともない。

 

 ――それがない。

 

 まるで世界から放り出されたような感覚だった。

 

 背に浮かんでいた光輪が崩れ、形を失う。

 平衡感覚が奪われ、セラフィーネは地面に叩きつけられた。

 

「くっ……!」

 

 その時、セラフィーネは違和感を覚えた。

 手のひらから、低い振動が伝わってくる。

 

 ――鼓動のように、大地が鳴っている。

 

 四つん這いの体勢で、顔を上げる。

 

 そこには、刻印が赤く脈動する"杖"を水平に向けたタクミがいた。

 

 その周囲には、無数の火球が浮かんでいる。

 

 青白い光を帯びた炎が、ゆっくりと膨らんでは縮んでいた。

 

 まるで呼吸しているかのように。

 

「……馬鹿な」

 

 思わず、声が漏れた。

 

「人間がオークの……」

 

 目の前にあるのは、かつて自分が見たことのある魔法。

 だが、それを使っているのは人間だった。

 

 セラフィーネは、歯を食いしばった。

 

(……呼び戻せ)

 

 天の名を、心の奥で呼ぶ。

 祈りではない。命令だ。

 

 自分は選ばれし者。天使の声を聴くことを許された存在。

 拒まれるはずがない。

 

 ――応答はない。

 

(なぜ?)

 

 もう一度、呼ぶ。

 今度は、少し長く。

 

 これまで一度も、返ってこなかったことはない。

 声を求めれば、いつでもそこにあった。

 

 ――何もない。

 

(……お願いします)

 

 三度目は、命令ではなくなっていた。

 

 それでも、天は答えなかった。

 

 代わりに感じるのは、地の底から押し上げてくるような重い圧力だった。

 

(これは……)

 

 大地。

 

 天から与えられるはずの力が、まるで大地に押し返されているようだった。

 

 戸惑っている場合ではなかった。

 セラフィーネは反射的に詠唱を再開する。

 

 だが、その前に――火球が、放たれた。

 

「っ!」

 

 炎の群れが、一斉に襲いかかる。

 

 セラフィーネは咄嗟に杖を掲げ、〈光矢〉を放った。

 光の矢が次々と火球を撃ち抜き、爆炎が広間を埋めていく。

 

 ――防いだ。

 

 そう思った瞬間、撃ち抜かれた火球の欠片が、次々と爆発した。

 

「――っ!」

 

 視界が、真っ白に染まる。

 

(……見えない)

 

 そこで、ようやく気づいた。

 

(これが、狙い……!)

 

 ――障壁を。

 

 だが、その一瞬。

 

 タクミにとっては、十分すぎる隙だった。

 

 爆炎を割って、炎をまとったタクミが飛び出す。

 

 棍棒を振り上げ、すでに目の前まで迫っていた。

 

 セラフィーネは反射的に障壁を展開する。

 

 しかし、間に合わない。

 

 振り下ろされる棍棒。

 

 傷つくことなど意に介さず、炎の中を真っ直ぐ突っ込んでくる。

 その姿に、かつて見たオークの幻影が重なった。

 

 障壁が砕け散った。

 

 直後、凄まじい一撃が身体を捉える。

 

 身体が宙を舞う。

 

 自分が吹き飛ばされたのだと理解するより早く、セラフィーネは悟っていた。

 

 ――終わった。

 

 薄れゆく意識の中で、彼女は自分が"世界の外"にいることを悟った。

 

 もう、あの加護は戻ってこない。声も、導きも、もうない。

 

 ――ならば。

 せめて、この脅威だけは、ここで。

 

 そこから先は、もう考えられなかった。

 

 

◇

 

 

 轟音とともに、セラフィーネの身体が壁に叩きつけられた。

 

 砕けた石が飛び散り、身体が力なく地面へ崩れ落ちる。

 

 タクミはすでに動いていた。

 

 地面を蹴り、一気に距離を詰める。

 

 棍棒を振り上げ、そのまま叩き込もうとした。

 

 ――だが。

 

 寸前で、腕が止まった。

 

 壁際に崩れたセラフィーネは、動かない。

 

 無防備なその姿を見て、握っていた手から少しだけ力が抜けた。

 

 先ほどまで感じていた、あの障壁の気配がない。

 

 魔力の反応も、ほとんど感じられなかった。

 

(……もう、必要ないか)

 

 タクミはゆっくりと棍棒を下ろした。

 

 勝敗は、すでに明らかだった。

 

 だが、勝ったという実感より先に、身体が悲鳴を上げた。

 

「……っ」

 

 荒い息が漏れる。

 棍棒を床に突き立て、支えにしながら、膝が崩れ落ちた。

 

 焼けるような痛みと、痺れが残っている。

 叩きつけられた感覚が、まだ身体のあちこちに残っていた。

 

 それに、やけに身体が重い。

 腕も脚も、思うように動かない。

 

 少しでも力を抜けば、そのまま倒れ込んでしまいそうだった。

 

 棍棒がなければ、立っていられなかった。

 

(これは……きついな)

 

〈共鳴衝〉を使った。

 

 覚悟はしていたつもりだったが、思った以上に身体への負担が大きい。

 

 セラフィーネに、起き上がる気配はない。

 

 タクミは膝をついたまま、しばらくその姿を見ていた。

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