会議室は、最初から荒れていた。
中央都市リューベンから来た使者は、机の上に置かれた文書を指で軽く叩きながら話している。
その口調は丁寧で、声も落ち着いている。だが、内容は一切譲歩の余地がなかった。
「――エルフ側は、あくまで平和的解決を望んでいます」
その言葉に、グランデルの首長エドリックが鼻で笑った。
「平和的、だと? タクミを差し出せと言っておいてか」
「言葉の問題ではありません」
使者は表情一つ変えなかった。
「大事なのは、これ以上話を大きくしないことです。何があったのか、こちらでは詳しく把握していません。ですが、エルフ側を刺激するのは得策とは言えないでしょう」
エドリックが、重々しく頷いた。
「一人の冒険者のために、街全体を危険に晒すな……そう言いたいわけか。だが……」
反論しかけた声が、途中で止まる。
机の端に座る男が、ずっと黙っていたからだ。
バルド。
腕を組んだまま、下を向いている。
さっきから誰の話にも反応していない。
しかし、話を聞いていないわけではなかった。
「……バルド殿」
使者が声をかける。
「あなたの意見も聞かせていただきたい。特級冒険者タクミ――彼は、現在どこに?」
(……迷宮にいる方が安全、か。お前の言った通りになったな)
その言葉で、バルドの意識は数日前へ戻った。
◇
タクミが消えて七日目。
非常時の合図を確認し、バルドは迷宮近くの森林へ向かった。
――生きている。そうわかった瞬間、肩の力がどっと抜けた。
夜の森は静まり返っている。
風の音さえ、ほとんど聞こえない。
――遅い。
そう思った瞬間だった。
背後に、気配を感じた。
振り向くと、そこには男が立っている。
タクミだった。
音もなく、気配もなく。
まるで最初から、そこにいたかのように。
外套も装備もあちこち傷んでいる。
それなのに、本人はいつもと変わらない顔をしていた。
「……無事か」
「ダイジョブ」
いつも通りの短い返事だった。
それからバルドは、タクミから事の経緯を聞いた。
ロイたち三人がエルフだったこと。
そして迷宮で、さらに格上らしいエルフと戦ったこと。
「……倒したのか?」
「ウン」
あまりにも普通に返され、バルドは一瞬言葉を失った。
だが、問題はそこではない。
話が進むほどに、胸の奥が冷えていく。
ギルドの中にエルフが入り込んでいた。
それだけでもとんでもねぇ話だが、回廊の動きも、迷宮の異常も、どこかで繋がっている気がする。
だが、その線が見えない。
ただ、タクミが本気で殺されかけた。
それだけは間違いない。
思っていた以上に、まずい状況だった。
「……すまん」
バルドは、視線を下げた。
「俺の判断だ。お前を危険な目に遭わせた」
タクミは、少し驚いたように目を瞬かせ、それから首を振る。
「バルド、ワルクナイ」
その一言に、バルドは何も返せなかった。
責められた方が、まだ楽だったかもしれない。
「エルフのスパイか……、すぐ動かねぇとな。他に心当たりある奴は知ってるか?」
「……ワカラナイ」
バルドはしばらく考え込み、そして顔を上げた。
「……タクミ、アルマレスへ行け。あそこは反エルフの都市だ。今の状況を伝えれば協力してくれるはずだ。伝手もある。俺が間に入って話をつける」
タクミは、黙って聞いている。
「前に行ったことがあるだろ。多少は土地勘もある」
しばらく沈黙が続く。
やがて、タクミが口を開いた。
「アリガトウ。……デモ、イケナイ」
「なんでだ」
タクミは、少しだけ視線を逸らした。
「……メイキュウ。ヤリタイコト、アル」
それ以上は言わなかった。
バルドも、すぐには聞き返せなかった。
十年近く付き合ってきたが、タクミが自分から過去を語ったことはほとんどない。
どこから来たのか。
なぜ迷宮にこだわるのか。
何を探しているのか。
聞けば答えることもある。
だが、肝心なところになると、いつも少しだけ笑って話を逸らした。
過去を詮索しないのは、冒険者の流儀だ。
だからバルドも、踏み込まなかった。
――だが。
誰にも言えないものを、ずっと抱えて――お前は辛くないのか。
バルドが口を開こうとしたが、先にタクミがぽつりと言った。
「ソレに、メイキュウのホウガ……アンゼン、カモ」
バルドは、力なく息を吐いた。
「……そうか」
こいつが行かないと言うなら、もう無理に追い出すことはできない。
今まで散々助けられてきた。今度は、こっちの番だ。
◇
「――バルド殿」
声に引き戻される。
意識が会議室へ戻る。
使者がこちらを見ていた。
「もう一度聞きます。特級冒険者タクミは、今どこにいるのですか?」
バルドは、ゆっくりと顔を上げた。
「何度も、答えている。任務中に消息不明だ。それから誰も姿を見てねぇ」
だが――それだけでは、終わらせなかった。
バルドは、使者を正面から見据える。
「それとな……、たとえ居場所を知っていたとしても――俺は渡さねぇぞ」
会議室が静かになった。
「アイツは人質じゃねぇ。中央やエルフの都合で動かす駒でもない」
隣に座る首長エドリックが、ゆっくりと頷く。
「彼を渡せば、それで終わる保証はあるのか?」
使者は沈黙を続けている。
「今回はタクミ。なら次は誰だ。その次は、どの街だ」
使者は文書を閉じ、静かに立ち上がる。
「……わかりました。本件は、中央へ持ち帰ります」
それだけ言って、会議室を後にした。
扉が閉まったあとも、誰もすぐには動かなかった。
バルドは、椅子に深く背を預ける。
(エルフを倒す人間、か……)
迷宮から連れ出されてきたあの男を、初めて見た時。
こんなことになると、誰が想像しただろう。
バルドは、しばらく天井を見上げていた。