棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第三十二話 拒絶の席

 会議室は、最初から荒れていた。

 

 中央都市リューベンから来た使者は、机の上に置かれた文書を指で軽く叩きながら話している。

 その口調は丁寧で、声も落ち着いている。だが、内容は一切譲歩の余地がなかった。

 

「――エルフ側は、あくまで平和的解決を望んでいます」

 

 その言葉に、グランデルの首長エドリックが鼻で笑った。

 

「平和的、だと? タクミを差し出せと言っておいてか」

 

「言葉の問題ではありません」

 

 使者は表情一つ変えなかった。

 

「大事なのは、これ以上話を大きくしないことです。何があったのか、こちらでは詳しく把握していません。ですが、エルフ側を刺激するのは得策とは言えないでしょう」

 

 エドリックが、重々しく頷いた。

 

「一人の冒険者のために、街全体を危険に晒すな……そう言いたいわけか。だが……」

 

 反論しかけた声が、途中で止まる。

 机の端に座る男が、ずっと黙っていたからだ。

 

 バルド。

 

 腕を組んだまま、下を向いている。

 さっきから誰の話にも反応していない。

 

 しかし、話を聞いていないわけではなかった。

 

「……バルド殿」

 

 使者が声をかける。

 

「あなたの意見も聞かせていただきたい。特級冒険者タクミ――彼は、現在どこに?」

 

(……迷宮にいる方が安全、か。お前の言った通りになったな)

 

 その言葉で、バルドの意識は数日前へ戻った。

 

◇

 

 

 タクミが消えて七日目。

 

 非常時の合図を確認し、バルドは迷宮近くの森林へ向かった。

 ――生きている。そうわかった瞬間、肩の力がどっと抜けた。

 

 夜の森は静まり返っている。

 風の音さえ、ほとんど聞こえない。

 

 ――遅い。

 

 そう思った瞬間だった。

 

 背後に、気配を感じた。

 

 振り向くと、そこには男が立っている。

 

 タクミだった。

 

 音もなく、気配もなく。

 まるで最初から、そこにいたかのように。

 

 外套も装備もあちこち傷んでいる。

 それなのに、本人はいつもと変わらない顔をしていた。

 

「……無事か」

 

「ダイジョブ」

 

 いつも通りの短い返事だった。

 

 それからバルドは、タクミから事の経緯を聞いた。

 

 ロイたち三人がエルフだったこと。

 

 そして迷宮で、さらに格上らしいエルフと戦ったこと。

 

「……倒したのか?」

 

「ウン」

 

 あまりにも普通に返され、バルドは一瞬言葉を失った。

 

 だが、問題はそこではない。

 

 話が進むほどに、胸の奥が冷えていく。

 

 ギルドの中にエルフが入り込んでいた。

 それだけでもとんでもねぇ話だが、回廊の動きも、迷宮の異常も、どこかで繋がっている気がする。

 

 だが、その線が見えない。

 

 ただ、タクミが本気で殺されかけた。

 それだけは間違いない。

 思っていた以上に、まずい状況だった。

 

「……すまん」

 

 バルドは、視線を下げた。

 

「俺の判断だ。お前を危険な目に遭わせた」

 

 タクミは、少し驚いたように目を瞬かせ、それから首を振る。

 

「バルド、ワルクナイ」

 

 その一言に、バルドは何も返せなかった。

 責められた方が、まだ楽だったかもしれない。

 

「エルフのスパイか……、すぐ動かねぇとな。他に心当たりある奴は知ってるか?」

 

「……ワカラナイ」

 

 バルドはしばらく考え込み、そして顔を上げた。

 

「……タクミ、アルマレスへ行け。あそこは反エルフの都市だ。今の状況を伝えれば協力してくれるはずだ。伝手もある。俺が間に入って話をつける」

 

 タクミは、黙って聞いている。

 

「前に行ったことがあるだろ。多少は土地勘もある」

 

 しばらく沈黙が続く。

 やがて、タクミが口を開いた。

 

「アリガトウ。……デモ、イケナイ」

 

「なんでだ」

 

 タクミは、少しだけ視線を逸らした。

 

「……メイキュウ。ヤリタイコト、アル」

 

 それ以上は言わなかった。

 

 バルドも、すぐには聞き返せなかった。

 

 十年近く付き合ってきたが、タクミが自分から過去を語ったことはほとんどない。

 

 どこから来たのか。

 なぜ迷宮にこだわるのか。

 何を探しているのか。

 

 聞けば答えることもある。

 だが、肝心なところになると、いつも少しだけ笑って話を逸らした。

 

 過去を詮索しないのは、冒険者の流儀だ。

 だからバルドも、踏み込まなかった。

 

 ――だが。

 

 誰にも言えないものを、ずっと抱えて――お前は辛くないのか。

 

 バルドが口を開こうとしたが、先にタクミがぽつりと言った。

 

「ソレに、メイキュウのホウガ……アンゼン、カモ」

 

 バルドは、力なく息を吐いた。

 

「……そうか」

 

 こいつが行かないと言うなら、もう無理に追い出すことはできない。

 今まで散々助けられてきた。今度は、こっちの番だ。

 

 

◇

 

 

「――バルド殿」

 

 声に引き戻される。

 

 意識が会議室へ戻る。

 

 使者がこちらを見ていた。

 

「もう一度聞きます。特級冒険者タクミは、今どこにいるのですか?」

 

 バルドは、ゆっくりと顔を上げた。

 

「何度も、答えている。任務中に消息不明だ。それから誰も姿を見てねぇ」

 

 だが――それだけでは、終わらせなかった。

 

 バルドは、使者を正面から見据える。

 

「それとな……、たとえ居場所を知っていたとしても――俺は渡さねぇぞ」

 

 会議室が静かになった。

 

「アイツは人質じゃねぇ。中央やエルフの都合で動かす駒でもない」

 

 隣に座る首長エドリックが、ゆっくりと頷く。

 

「彼を渡せば、それで終わる保証はあるのか?」

 

 使者は沈黙を続けている。

 

「今回はタクミ。なら次は誰だ。その次は、どの街だ」

 

 使者は文書を閉じ、静かに立ち上がる。

 

「……わかりました。本件は、中央へ持ち帰ります」

 

 それだけ言って、会議室を後にした。

 

 扉が閉まったあとも、誰もすぐには動かなかった。

 

 バルドは、椅子に深く背を預ける。

 

(エルフを倒す人間、か……)

 迷宮から連れ出されてきたあの男を、初めて見た時。

 こんなことになると、誰が想像しただろう。

 

 バルドは、しばらく天井を見上げていた。

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