棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第三十四話 割れる円卓

 中央都市〈リューベン〉――議会都市と呼ばれるだけあって街並みはよく整えられている。

 磨かれた石造りの大通りには噴水の水音が絶えず響き、市場から漂う香草や香水の匂いも相まって、普段なら平和そのものと言っていい光景が広がっていた。

 

 だが、今日だけは少し様子が違う。

 

 街の中心に建つ白石の議事堂。

 その最奥にある円卓の間へ続く廊下では何人もの兵士が行き来していたが、警備が増えたわけではなく、それだけ多くの要人がこの場所に集まっているということだった。

 

 ここに集められたのは、人間界を構成する自由都市の代表者たちと、天使教の者たちだ。

 

 

◇

 

 

 円卓の間は広く、高い天井を支える白い壁には歴代の合意文書が飾られ、その間を埋めるように天使をかたどった彫刻が並んでいる。

 

 今日、この場に座っている者の中に冒険者はいない。

 政治を動かす者、金を動かす者、そして信仰を司る者たちが、これから話を始めようとしていた。

 

 議長席に座っているのは、リューベン首長――ユリウス。

 

 五十を越えた男で、話し方は柔らかく、表情も穏やかで、声を荒らげることもほとんどないが、その目だけは冷めていた。

 

 その近く、円卓の外側には白い衣を着た二人の男が立っており、一人は天使教の枢機卿代理、もう一人はその補佐役らしい文官だった。

 彼らには席が用意されていないが、だからといって、この場における立場が弱いという意味ではない。

 

 首長たちが揃い、重い扉が閉じられると、ユリウスは机の中央に置かれた文書へ指を添えながら、静かに口を開いた。

 

「本日は急な招集に応じていただき、感謝する。……結論から始めよう」

 

 一度、全員の顔を見回してから続ける。

 

「エルフ王国より正式な通告が届いた。内容は既に共有している通り――特級冒険者タクミの身柄引き渡し要請だ」

 

 その言葉に、円卓の空気が一気に張りつめた。

 誰もが分かっていた。あれは要請という形を取っているだけで、実際には拒否を認めるような内容ではない。

 

「そして同時に、別口の報告も来ている」

 

 ユリウスはもう一枚の書類を取り上げる。

 

「我々がエルフ領へ潜入させている特級冒険者より――エルフ側が、開戦準備に入ったとの一報だ」

 

 今度は何人かの顔色が変わった。

 

 港湾都市カストリア首長――ラドールはわずかに眉を動かしたものの、それ以上の反応は見せず、対して反エルフの都市アルマレス首長――ドランは、呆れたように鼻で笑った。

 

「ほう。穏やかな文面で脅しておいて、裏じゃ刃を研いでいるわけか」

 

 ユリウスはその皮肉を受け流し、そのまま話を続けた。

 

「それとは別に、グランデルからも報告が来ている。迷宮の異常が強まっているそうだ。地鳴り、振動、魔物の強化、密度の増加――大規模魔奔の前兆と見ていい」

 

 円卓の一角に座るグランデル首長エドリックの指がわずかに動いたが、本人は何も言わなかった。

 

 その隣にあるバルドの席は空いている。

 それを見たドランが舌打ちする。

 

「現場の男は来ない、か」

 

 そこで初めてエドリックが顔を上げ、低い声で答えた。

 

「――ギルド長は、迷宮を離れられん。今、街に必要なのは政治ではない。……防衛だ」

 

 それだけ言うと、また口を閉ざす。

 

 ラドールは肩をすくめながら、少しだけ軽い調子で口を挟んだ。

 

「政治の空気を吸うと咳き込むタイプなんだろ。……羨ましいよ」

 

 その冗談に、誰も笑わなかった。

 

 ユリウスは円卓を見渡しながら、今日扱うべき内容を整理するように告げる。

 

「議題は三つだ。第一に、特級冒険者タクミを連合としてどう扱うか。第二に、エルフの動きにどう備えるか。そして第三に、グランデルで起きつつある大規模魔奔への対応だ」

 

 そこで枢機卿代理が、場を刺激しないよう慎重に言葉を選びながら口を開いた。

 

「――天使教としては、和平が最優先です。エルフ王国も平和的解決を望んでおります」

 

 その言葉を聞いたドランの眉間に深い皺が寄る。

 

「平和的解決? 身柄を出せ、拒否すれば敵対する。どこが平和だ」

 

「言葉の問題ではありません。戦火を避けることが目的です。……リューベンの総本山としても、民の命を第一に考えております」

 

 枢機卿代理は顔色一つ変えずに答え、それを見ていたラドールもゆっくりと頷いた。

 

「我々が戦争に耐えられると思う? エルフは強い。……ただ一人の冒険者のために、都市を焼くわけにはいかないよ」

 

 それは、この場にいる誰もが理解している現実だった。

 

 ユリウスも小さく頷いた。

 

「合理的だ。……だが、私が確認したいのは一点だ。タクミは"何をした"のか。エルフは、何をそこまで恐れている?」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 ただの冒険者一人を相手に、なぜ王国そのものがここまで動くのか。それは、既に全員が薄々感じていた疑問だった。

 

 ラドールが困ったように肩をすくめる。

 

「厄介者だから、で片づけられれば楽なんだけどね。……エルフは、そこまで雑な動きはしない」

 

 するとドランが、円卓を指先で軽く叩いた。

 

「なら決まってる。あいつは勝ってるんだろ」

 

 別の首長が、慎重に言葉を挟む。

 

「……倒している、では?」

 

「同じだ。勝っている、でいい。問題は相手だ。それがエルフなら、なおさらな」

 

 ドランは即座に返した。

 ユリウスは少し間を置いてから、手元の報告書へ目を落とす。

 

「グランデルからの追加報告では、偵察任務に同行した一級冒険者の中に、エルフのスパイがいた可能性が高いそうだ。……そして、その任務でタクミは消息不明となった」

 

 ラドールが、わずかに目を細めた。

 

「消息不明、ね。便利な言葉だ」

 

 その一言で、円卓が一瞬静まった。

 ユリウスは否定せず、その代わりに枢機卿代理が話を引き継いだ。

 

「エルフは、天使の加護を受けた民です。その者を迷宮において討ったとなれば……争い以前に、冒涜に近い行為と見なされます。人間の法でどう裁くかは、貴方方の自由ですが……天使教としては、そのような罪を犯した者を匿うという判断は、理解しがたい」

 

「馬鹿言うなよ」

 

 ドランが低く笑う。声は荒いが感情的ではなかった。

 

「迷宮の中でやり合うのは暗黙の了解だ。あそこは試練の場だろうが」

 

 誰も口を挟まない。

 

「そう決めたのはエルフだぞ。自分たちで定めて、人間にも呑ませた」

 

 ドランは枢機卿代理を睨んだ。

 

「で、負けた途端に冒涜だの罪だの言い出す。……駄々こねてるだけだろうが」

 

 その瞬間、ユリウスが静かに手を上げた。

 

「――そこまでだ」

 

 声を張ったわけではないが、それだけでドランも枢機卿代理も口を閉じる。

 

「感情論に踏み込むと、話が壊れる。我々は裁きを下す場でも、信仰を論じる場でもない」

 

 視線が、ドランと枢機卿代理の間を等しく往復した。

 

「議論すべきは、誰が正しいかではない。この件をどう処理すれば、人間界が分断されずに済むかだ」

 

 しばらく沈黙が続いた。

 やがて、ドランが椅子にもたれて、わざと軽い調子で言った。

 

「そういや、大事なことを確認してなかったな。結局、その冒険者は何をしてエルフを怒らせた? ――エルフ狩りでもしたのか?」

 

 冗談のつもりだったのだろう。

 重くなりすぎた場を、少しでも和らげようとしただけだった。

 だが、誰も笑わなかった。

 

 ユリウスは黙ったまま、枢機卿代理も答えず、ラドールはそっと視線を逸らす。

 

 そこでエドリックが、手元にあった一枚の書類を円卓へ滑らせる。

 

「……ギルド長バルドから、報告が届いている」

 

 そう言って、内容を読み上げた。

 

「"上位個体のエルフが迷宮に出現した。タクミはそれと交戦し――単独で勝っている可能性が高い"」

 

 誰かが、ごくりと喉を鳴らす。

 ドランはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口元を歪めた。

 

「……ほぅ。なるほど」

 

 上位のエルフを相手に、一人で勝った人間。

 

 誰も口には出さなかったが、この場にいる者たちの頭に浮かんだものは、おそらく同じだった。

 

 ――魔王。

 

 

◇

 

 

 ユリウスは一度息を吐き、そこで話を切り替えた。

 

「結論を出そう。連合の意見は割れている。……それでも、何かしら決めなければならない。リューベンとしては戦争を避ける。そのために必要な措置は取る」

 

 遠回しな言い方だったが、その意味は誰にでも分かった。

 

 ――タクミを切る。

 

「賛成と言っておこうかな」

 

 ラドールが困ったように笑った。

 

「申し訳ないけど、こっちは港でね。どちらにも扉は残しておきたい。中立は商売なんだ」

 

 その言葉に、ドランが椅子を鳴らして立ち上がった。

 拳を握り、そのまま吐き捨てる。

 

「ふざけるな。そんな前例を作るな。誰か一人差し出せば、次は俺たちだ。戦争? 上等だ。……一戦交えて、殴り返してやる」

 

 そこで、それまで黙っていたエドリックがゆっくりと口を開いた。

 

「一つ、確認しておきたい」

 

 全員の視線が集まる。

 

「切るか切らんかを、ここで決める意味があるのか」

 

 ユリウスが、わずかに眉を動かした。

 

「……どういう意味だ」

 

「グランデルに、あの男はいない」

 

 エドリックは淡々と続ける。

 

「任務中に消息を絶って、十日以上が経つ。生きているかどうかも分からん。差し出せと言われたところで、こちらに出すものがない」

 

 円卓が、わずかにざわめいた。

 

「エルフへの返答は拒否ではない。履行不能だ。……そう書けばいい」

 

 ユリウスはしばらく何も言わなかった。

 

「……時間稼ぎか」

 

「事実だ」

 

 エドリックは即答する。

 

「そのうえで、こちらからも一つ頼みがある」

 

 手元の書類を円卓へ置いた。

 

「グランデルは今、人手が要る。大魔奔が来れば、エルフを待つまでもなく街が落ちる」

 

 そこで一度言葉を切り、エドリックはラドールへ視線を向けた。

 

「グランデルが落ちれば、カストリアへ続く交易路の一つが死ぬ。迷宮から出る魔鉱石も、魔物素材も止まる」

 

 ラドールの表情から、少しだけ笑みが消えた。

 

 グランデルの迷宮から運び出される素材の一部は、隊商を通じてカストリアへ流れ、そこから海の向こうへ売られている。

 

「港に船が着いても、運ぶ荷も、運ぶ先も減る。それでも他人事か?」

 

 ラドールはしばらくエドリックを見ていたが、やがて苦笑した。

 

「……嫌なところを突くね。ずいぶん上手く議題をすり替えた」

 

「順番を直しただけだ」

 

 エドリックはそう返す。

 

「タクミ一人をどうするかで揉める前に、まずグランデルを守らせろ。街が落ちれば、その後で何を決めても遅い」

 

 ユリウスが小さく息を吐いた。

 

「……支援の件は、別途協議する。それでいいか」

 

 エドリックは頷く。

 

 そこで話を終えるかと思われたが、少し間を置いて、もう一度顔を上げた。

 

「それと、ひとつだけ」

 

 声の調子は変わらない。

 

「あの男が本当に上位個体を倒したのなら――諸君は、それほどの戦力をエルフへ差し出すつもりか?」

 

 誰も答えなかった。

 枢機卿代理が、初めて視線を伏せた。

 

 ドランが、喉の奥でくっくっと笑う。

 

「……そりゃあ、なあ」

 

 ラドールは、今度こそ視線を逸らした。

 

 ユリウスはしばらく何も言わず、やがて小さく息を吐いた。

 

(……タクミが戻るかどうかは、もう問題ではない……か)

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