棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第四十話 帰還の夜

 エルフ王国・白尖塔。

 

 白石で築かれた円形の議場には、王国の重臣たちが顔を揃えていた。

 

 軍を預かる将軍、国政を担う高官、そして天使教の高位神官。その顔ぶれは、いずれも王国の中枢を占める者たちばかりだった。

 

「自由都市連合より回答が届きました」

 

 文書を手にした官吏が、議場の中央で報告を始めた。

 

「特級冒険者タクミは現在も消息不明。確認中につき、回答は保留するとのことです」

 

「グランデルの諜報網からは?」

 

 軍部の席から声が上がった。

 

「同様の報告が上がっております。迷宮下層を最後に足取りが途絶えており、現在も行方は掴めておりません」

 

「……報告に食い違いはないようだな」

 

 別の重臣が腕を組み、考え込むように顎を撫でた。

 

「人間側が意図的に隠している可能性は?」

 

「低いでしょう。人間側も相当に混乱しているようです」

 

 その報告を聞き、重臣たちの間で短い議論が交わされた。

 やがて、議場の最上段に座る男が片手を上げると、それまでの話し声が収まった。

 

 エルフ王国宰相。

 王に代わって国政を取り仕切る、王国でも屈指の権力者だった。

 

「対象の処理は、引き続き迷宮内で進めろ」

 

 宰相の言葉に、軍部の将軍が頷いた。

 

「それと、中央都市〈リューベン〉へ再通告を行う」

 

「……再通告、ですか?」

 

「大魔奔鎮圧のため、グランデルへの聖翼遠征隊の派遣許可を求める」

 

 その言葉に、何人かの重臣が顔を見合わせた。

 

「それは……事実上の進軍ではありませんか?」

 

「違う。救済だ」

 

 宰相は、当然のことのように答えた。

 

「我らの信徒が危険に晒されている以上、見過ごすわけにはいかん。信徒の保護を最優先とし、必要な措置を講じる」

 

 その発言を受け、高位神官が静かに頷いた。

 

「天使の御心に従い、信徒を守ることは我らの務めです。聖翼遠征隊の派遣にも異論はございません」

 

「では、回答の期限はいかがいたしましょう?」

 

「七日だ」

 

 その短い返答に、議場がわずかにざわついた。

 

「七日以内に回答がなければ、我らの判断で動く。信徒を守るための行動を、いつまでも人間側の都合で遅らせるわけにはいかん」

 

 重臣たちは互いに視線を交わしたが、それ以上の反論は出なかった。

 

「それから、例の不穏分子についても、引き渡しを求めておけ。必要であれば、都市単位での浄化も辞さぬ」

 

 その言葉に、報告を担当していた官吏の手が一瞬だけ止まった。

 だが、宰相は気に留める様子もなく、淡々と続けた。

 

「我らが求めているのは、あくまで平和的な解決だ。人間側が正しい判断を下すのであれば、何も問題はあるまい」

 

 それを最後に議論は収まり、官吏たちは決定事項を書き留め始めた。

 

 やがて、遠くから祈祷鐘の音が聞こえてくる。

 ――猶予の始まりを告げる音だった。

 

 

◇

 

 

 タクミは街道を避け、夜の森を駆けていた。

 

 正面から街に入り、世話になった人たちに顔を見せたい気持ちはあった。だが、足裏には今も迷宮からの微かな振動が伝わってきている。

 

(……長居は、できないな)

 

 迷宮で感じた異常が頭をよぎる。

 

 できることなら、しっかりと別れを告げたい。

 けれど、今はそんな余裕もなさそうだった。

 

(……せめて、あそこだけは)

 

 行き先は決まっていた。

 

 宿〈石蔦亭〉。

 

 やがて木々の向こうに街の城壁が見えてくると、タクミは速度を落とした。

 

 城壁には古い補修跡がいくつもあり、ところどころ石の色が違っている。普段なら気にも留めないが、今夜はその上を巡回する兵士の姿もあった。

 

 タクミは壁際で足を止め、目を閉じる。

 

(上に一人。内側は……大丈夫そうだな)

 

 周囲に人の気配がないことを確認すると、その場で軽く膝を曲げた。

 

 次の瞬間、地面を蹴った身体が跳ね上がる。

 城壁の縁に手を掛け、そのまま一息で乗り越えた。

 

 

◇

 

 

 城壁の内側へ降り立ったタクミは、着地の衝撃を殺すように膝を曲げた。

 

 ――そのまま、一歩も動かずに止まった。

 

(……?)

 

 何かがおかしい。

 城壁を越える前から妙な感覚はあったのだが、近づいてみると、それが一層はっきりしてきた。

 

 タクミは周囲を見回した。

 

 そこは石蔦亭の裏庭だった。

 

 女性を模した石像に、苔の浮いた古い井戸。

 水浴びをするときによく利用していた場所で、足元の石の並びまで見覚えがある。

 

(……変わって、ない)

 

 何度も目にしてきた光景だった。

 

 ところが、そこに立っていると、建物の方からごく微かな気配が漂ってくることに気づいた。

 以前なら、恐らく気にも留めなかっただろう。

 だが、神気を感じ取れるようになった今なら分かる。

 

 タクミは担いだ棍棒へ視線を向けた。

 

(同じ、だ)

 

 棍棒と――この建物から感じる気は、よく似ていた。

 ただ似ているだけではなく、どうやら根本的なところで繋がっているらしい。

 

(……なんでだ?)

 

 眉をひそめながら、改めて石蔦亭を見上げる。

 

 気にはなったが、今は調べている時間がない。

 遠くからは、相変わらず微かな地鳴りが伝わってきている。

 

(先に用事を済ませよう)

 

 タクミは考えるのをやめ、裏庭を横切って宿へ向かった。

 

 そして、女性像の横を通り過ぎた、そのときだった。

 棍棒に刻まれた模様が、波打つように赤く明滅した。

 

 ――まるで、何かを拒んでいるかのように。

 

 だが、その光はほんの一瞬で消えてしまい、前を向いて歩いていたタクミが気づくことはなかった。

 

 

◇

 

 

 石蔦亭の中は、いつになく静かだった。

 

 暖炉には火が入っているものの、薪はいつもより少なく、広い食堂を照らす明かりも控えめだった。

 

 迷宮の異常が広まってからというもの、宿を訪れる客はほとんどいなくなっていた。

 

 今も部屋を借りているのは一人だけ。

 もっとも、その客も長いこと帰ってきていない。

 

 カイルは帳場の裏で棚を拭いていた。

 すでに十分綺麗になっているのだが、他にすることもなく、何度も同じ場所を拭いている。

 

 食堂では、エマが洗い終えた布を畳んでいた。

 仕事はほとんど片付いており、時折手が止まっていた。

 

 普段なら、この時間は食事を求める冒険者たちで賑わっているはずだった。

 それが今では、暖炉の薪が弾ける音ばかりが聞こえてくる。

 

 カイルは手を止め、誰も座っていない食堂を眺めた。

 

(……これから、どうなるんだろうな)

 

 迷宮の異常は収まる気配がなく、街では大魔奔が起こるのではないかという噂まで広がっている。

 

 エマも同じなのだろう。

 口には出さないものの、最近はどこか元気がなかった。

 

 そんなことを考えていた、そのときだった。

 

 ふいに、冷たい空気が室内へ流れ込んできた。

 

 カイルが顔を上げると、中庭へ続く扉がわずかに開いていた。

 こんな時間に誰だろうと思いながら目を向けると、一人の男が後ろ手で扉を閉めているところだった。

 ボロボロになった外套に、見慣れた棍棒。

 

 その姿を見た瞬間、カイルの手から布が滑り落ちた。

 

 見間違いではないかと、何度も瞬きをする。

 エマも物音に気づいて顔を上げたが、扉の前に立つ人物を見た途端、その場で固まってしまった。

 

「タク――」

 

 カイルが思わず声を張り上げようとした、その瞬間。

 

 タクミが慌てた様子で口元を指で叩いた。

 何度も、必死な顔で。

 

 ――静かにしてくれ。

 

 そう伝えようとしているのが分かり、カイルは慌てて口を閉じた。

 

 エマも同じように口元を押さえている。

 

 二人とも、タクミが身を隠さなければならない事情は知っていた。

 タクミは二人が静かになったのを確認すると、少しばつが悪そうに視線を逸らした。

 

「……アー、タダイマ」

 

 いつもと変わらない、少しぎこちない挨拶だった。

 カイルは何か言おうとしたが、うまく言葉が出てこなかった。

 

 二人はゆっくりと歩み寄る。

 

「……お前、本当に……」

 

 カイルが肩へ手を置き、言いかけたところで、声が詰まった。

 

 タクミは困ったように笑う。

 その隣では、エマが外套の端をそっと握っていた。

 

 しばらく俯いていたが、やがて顔を上げると、小さな声で呟いた。

 

「……おかえりなさい、タクミさん」

 

 その声を聞いて、タクミはようやく息を吐いた。

 

 ふと、鼻に馴染みのある匂いがした。

 

 暖炉で燃える薪の匂いに、古い石壁に染みついた生活の匂い。

 迷宮の血臭や腐臭とは違う、毎日のように嗅いできた匂いだった。

 

(――ああ……、帰ってきた)

 

 そう思った途端、張り詰めていたものが少しずつ緩んでいく。

 

 タクミは二人に囲まれたまま、しばらく動かなかった。

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