棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第四十一話 変わらぬ場所

 誰も、すぐには口を開かなかった。

 

 カイルはまだタクミの肩に手を置いていた。エマも外套の端を握ったまま、離そうとしない。

 二人とも、目の前にいる男が本当に帰ってきたことを、まだ信じられずにいるようだった。

 

「……お前な」

 

 先に口を開いたのはカイルだった。

 

「生きてるなら、もっと早く顔出せよ。こっちがどんだけ心配したと思ってんだ」

 

 口調は少し荒かったが、無事な姿を見てほっとしているのが伝わってきた。

 

 タクミは申し訳なさそうに視線を落とす。

 

「ゴメン……。ミツカル、ヨクナイ」

 

「客は今、お前しかいねぇよ。それより、大丈夫なのか?」

 

「ダイジョウブ。ゲンキ」

 

 タクミはすぐに答えたが、どう見ても元気そうには見えなかった。

 外套はあちこち裂け、乾いた血が黒くこびりついている。頬も以前よりげっそりとこけていた。

 

 それに、何より目つきが違う。

 以前よりもずっと鋭くなったその目に、カイルは少し戸惑った。

 

「……とりあえず座って。お茶、淹れるから」

 

 エマが近くの椅子を引く。

 

「アア、アリガト。……デモ、スグ戻ル」

 

「戻るって、どこに」

 

 エマが問い返そうとした、その時だった。

 

「……うっ」

 

 突然、エマが口元を押さえた。

 顔をしかめ、何かを堪えるように俯くと、そのまま奥の調理場へ駆け込んでしまう。

 

「エマ?」

 

 驚いたタクミが後を追おうとすると、カイルがその腕を掴んだ。

 

「ああ、大丈夫だ。つわりだよ。最近ひどくてな、ちょっとした匂いでも駄目なんだ」

 

 そう言いながら、カイルも漂ってくる臭いに顔をしかめた。

 

「……着替えよう。臭い、きついぞ」

 

 そう言われて、タクミは自分の格好を見下ろした。

 魔物の返り血が染みつき、革の胸当てにも黒ずんだ汚れがこびりついている。

 

 迷宮にいる間は気にもしなかったが、確かにひどい臭いだった。

 

「……ゴメン。スグヤル」

 

 

 ◇

 

 

 カイルが持ってきた大きな籠に、タクミは装備を一つずつ放り込んでいった。

 どれもひどい有様だった。革の胸当ては大きく裂け、腕当てには何かに削られたような深い傷が残っている。

 

 なかなか外れない肩当てに苛立ったのか、タクミは金具ごと引きちぎり、そのまま籠へ放り込んだ。

 

 カイルは思わず眉をしかめた。

 

「……それで、どこで何してたんだよ」

 

 カイルは籠に放り込まれた、傷だらけの防具を眺めながら尋ねた。

 

「……イロイロ、アッテ」

 

「色々って……迷宮にいたのか?」

 

「……ウン。トラブル、アッタ」

 

「トラブルで済む格好かよ、それ」

 

 カイルは顔を上げて、少し真剣な表情になった。

 

「……なあ、タク。何があったか教えてくれよ。大変だったんだろ?」

 

「……アー」

 

 タクミは困ったように目を泳がせた。

 

「ホント、ゴメン。イロイロ……」

 

「……俺じゃ頼りにならねぇか?」

 

 カイルは籠の縁を掴む指先に、力を込めながらタクミを見た。

 

「俺にだって、何か手伝えることがあるかもしれないだろ?」

 

 タクミが顔を上げて、気まずそうにして視線を落とす。

 

「アブナイ。イエナイ。……ゴメン」

 

「だから、何が危な――」

 

 そこまで言いかけて、カイルは口を閉じた。

 

 タクミがあまりにも申し訳なさそうな顔をしていたからだ。

 昔から、言いたくないことがあると、決まってこんな顔をする。

 

 カイルは小さく息を吐き、しばらく考えてから口を開いた。

 

「……タク。ひとつ聞いていいか?」

 

「……ナニ?」

 

「お前、エルフが探してるって噂は……本当なのか?」

 

 その瞬間、タクミの手が止まった。

 

「……ソレ、ドコデキイタ?」

 

 さっきまでとは違う、鋭い目がカイルに向けられる。

 

「街で聞いたんだよ。誰が言い出したかは知らねぇけど、結構広まってるぞ」

 

(……もう、そこまで広まってるのか)

 

 タクミは思わず顔をしかめた。

 自分がエルフに狙われていることを、街の人間まで知っているとは思わなかった。

 ふと横を見ると、調理場から戻ってきたエマが立っていた。

 

 不安そうに、こちらを見ている。

 

 エマの手が、無意識のように腹部へ添えられていた。

 タクミは思わず、そこへ視線を落とした。

 

「……本当なんだな?」

 

 カイルの問いに、タクミは少し迷ってから頷いた。

 

「……ウン。アイツラ、アブナイ」

 

「……なんでお前がエルフに狙われるんだよ?」

 

 思わず声が大きくなった。

 

「いや、悪い。責めてるわけじゃないんだ。何がどうなってんのか、さっぱり分かんなくてよ……」

 

 カイルは苛立ちを抑えるように頭を掻いた。

 目の前にいる友人が何か大変なことに巻き込まれている。それだけは分かるのに、自分には事情すら教えてもらえない。

 どうにも歯がゆかった。

 

「……ゴメン。オレ、イルト……ヨクナイ」

 

 タクミは二人を見たが、すぐに目を逸らした。これ以上、余計なことを言いたくなかった。

 

「そういう言い方、やめてください」

 

 不意にエマの声がした。

 振り向くと、彼女はこちらをじっと見ていた。

 

「あなたがいると良くないって、どういうことですか?」

 

 タクミは何も答えられず、ただ視線をそらしていた。

 

「私だって怖いですよ。迷宮も、エルフも……何が起きるのか分からないんですから」

 

 エマは少し俯いたが、すぐに顔を上げた。

 

「でも……タクミさんが帰ってきてくれて、よかった」

 

 誰も口を開かず、しばらくの間、暖炉の薪が弾ける音だけが響いていた。

 

「……ったく」

 

 カイルが大きく息を吐いた。

 

「俺はお前みたいに強くねぇし、迷宮に潜ることだってできねぇ」

 

 そこで一度言葉を切り、タクミの顔を見た。

 

「でもな、細かい事情は分かんなくても、お前が悪いことをするような奴じゃねぇってのは知ってる」

 

 カイルは少し照れくさそうにしていた。

 

「……ガキの頃からだぞ」

 

 タクミの呼吸が止まる。

 こんな状況でも自分を信じてくれることが嬉しかった。

 返す言葉が見つからず、しばらく俯いていたが、話題を変えるように口を開いた。

 

「……魔奔、オコル。ニゲタ方ガイイ」

 

 タクミはゆっくりと言った。

 迷宮の異常は、ますます悪化している。このままでは街にも大きな被害が出るかもしれない。

 

 だが、カイルは首を横に振った。

 

「そう簡単に出ていけるかよ。ここは俺たちの家なんだからな」

 

「みんな街から離れるつもりはありませんよ」

 

 エマも続けた。

 

「それに……あなたが帰ってくる場所、なくなっちゃうじゃない」

 

 そう言って、エマはいつものように微笑んだ。

 

 その顔を見て、タクミは何か言いかけてやめた。

 

「……キガエテクル」

 

 タクミはそう告げると、階段へ向かった。

 その背中を見送っていたエマが、何かを思い出したように声を上げる。

 

「あっ、タクミさん! ちょっと待ってください!」

 

 タクミが振り返ると、エマは気まずそうにカイルと顔を見合わせた。

 

「……あの、実は謝らないといけないことがあって」

 

 エマは少しためらってから、申し訳なさそうに口を開いた。

 

 

「タクミさんの部屋に……空き巣が入ったんです」

 

 

 その瞬間、タクミの表情が変わった。

 それまでの困ったような表情が消え、目つきが鋭くなった。

 同時に、周囲の空気がすっと冷え込んだような感覚があった。

 

 その異様な雰囲気に、カイルは思わず息を呑む。

 そこにいるのは、自分の知っているタクミとはまるで別人だった。

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