棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第四十三話 余所者のまま

 座り込んだまま、タクミは両手で顔を覆った。

 

 ――なんで、こんな事に。

 

 喉の奥が熱くなり、息が震える。涙がこぼれそうになって、慌てて奥歯を噛みしめた。

 

 ――泣くな。

 

 エマに聞かれる。ドアの向こうにいる気配。

 きっと心配して戻ってきたのだろう。

 

 タクミは声を押し殺し、震える両手に顔を押しつけた。

 

(帰りたい)

 

 死が身近ではなく、明日のことを考えればいいだけの生活。

 

 こっちでは――もう無理だ。

 

 エルフに目をつけられた、それだけで終わりだ。

 今までのように静かに暮らすことはできない。

 ここを出て、新しい場所でやり直せる保証なんてどこにもない。

 

(俺は……何やって……)

 

 十年。

 ただ、生き延びて。

 

 結局、俺はこの世界で余所者でしかない。

 

 特級冒険者?

 相棒のおかげで、強いフリが出来ているだけだ。

 

 出来るようになったのは、カタコトの言葉と、棍棒を振り回す技術だけ。

 

 ――何を、してきた?

 

 考えれば考えるほど胸が苦しくなり、タクミは顔を覆う手に力を込めた。

 

 そのまま、どれくらい経っただろう。

 

 両手で顔を覆ったまま、しばらく動けずにいた。

 

 その時、胸に温かいものを感じた。

 締めつけられるような苦しさが、少しずつ和らいでいく。

 

(……なんだ?)

 

 呼吸が楽になり、乱れていた鼓動も落ち着いていく。

 おかしい。さっきまであんなに苦しかったのに、こんな急に治まるはずがない。

 

 タクミがゆっくりと顔を上げると、目の前に赤い光の粒が漂っていた。

 火の粉のような小さな光が、部屋の中をふわふわと舞っている。

 その一つが身体に触れた途端、胸に残っていた嫌な感覚が、すっと薄くなった。

 

(癒し……か?)

 

 いや、違う。

 

 傷を治しているわけではない。もっと内側の、自分でもうまく説明できない部分に、何かが直接働きかけている。

 光の流れを目で追うと、部屋の入口に立てかけてあった棍棒に行き着いた。

 

 相棒は小さく震えていた。

 その表面から、赤い粒子が少しずつ零れ出している。

 

(……そうか)

 

 そこでようやく、タクミは気づいた。

 この十年、あれだけ魔物と戦っても、恐怖に押し潰されずに済んだ理由。

 何度も死にかけながら、それでも心が折れなかった理由。

 

 俺が強かったんじゃない。

 

『……もうやめてくれ』

 

 思わず声が漏れた。

 

(こんな事に、力を使わないでくれ)

 

 ただ落ち込んでいるだけの自分のために。

 相棒だって、もう以前のように力を使える状態ではないはずだ。

 

 棍棒から返事はなかった。

 ただ、漂っていた赤い光が一つ、また一つと消えていき、やがて部屋には何も見えなくなった。

 

 タクミはしばらく、その場に座り込んでいた。

 呼吸は落ち着き、手の震えも止まっている。

 

 ……楽になったのではない。

 ただ、戦うのに不要なものが削られただけだ。

 

(おんぶにだっこ……これでいいはずがない)

 

 タクミは大きく息を吐き、ようやく顔を上げた。

 

 今は泣いてる場合じゃない。どうするにしても、まずは自分のやるべきことを考えなければ。

 

 街を離れ、もう一度迷宮の深層へ向かう。

 そして、あの門の先へ。

 そこに答えがあるなら掴めばいい。何もなかったら、その時にまた考えればいいだけだ。

 

 そう決めたところで、ドアを叩く音がした。

 

「タクミさん? 大丈夫?」

 

 エマの声だった。

 ドアが少しだけ開き、隙間からエマがそっと顔を覗かせる。

 

 タクミは慌てて立ち上がると、近くにあったクローゼットの扉を開け、その陰に上半身を隠した。

 

 泣いた跡を見られたくない。

 

「ウン。ダイジョウブ」

 

「……本当に?」

 

「ダイジナモノ、トラレテナイ。スグ、イク」

 

 そう答えながら、タクミは服を脱ぎ始めた。

 それを見たエマは一瞬固まり、慌てて顔を引っ込める。

 

「わ、わかった。下で待ってるから!」

 

 ぱたん、とドアが閉まった。

 

 タクミは小さく息を吐くと、クローゼットから装備を取り出した。

 装備はすべて、同じものをいくつも揃えていた。どうせ壊れるのだから、特注品に金をかけるより、使い潰して交換する。

 それがタクミのやり方だった。

 

 慣れた手つきで装備を身につけ、最後に部屋を見回す。

 

 そこで、棚に置かれた一冊の本が目に留まった。

 白い翼の意匠が刻まれた表紙。

 天使教の聖書だった。

 

 タクミは棚から本を取り、何気なくページをめくった。

 

 そこには、聖杖を掲げた翼のある人影が描かれている。

 

(唯一神、か……)

 

 この世界では、天使が神として崇められている。

 だが、今のタクミには、それとは別の何かがあるように思えてならなかった。

 

 相棒から感じる気も、石蔦亭に残る微かな気配もそうだ。

 それらは、これまでエルフや天使に関わるものから感じてきた力とは、どこか違っていた。

 

(……そういえば、あの時も)

 

 ふと、アルマレスを訪れた時のことを思い出した。

 あそこでは天使教が固く禁じられ、街で天使の像を見かけることはなかった。

 

 代わりに祀られていたのは――大地の女神。

 

 石蔦亭の裏庭にある、あの石像と同じ姿をした女神。

 タクミは聖書を閉じ、しばらく表紙を眺めた。

 

 まだ確信があるわけではない。それでも、今まで別々だと思っていた出来事が、少しずつ繋がり始めている気がした。

 

 そして、もう一つ。

 

 この世界に来た時、確かに聞こえた声。

 

 ――天使から、私を救って。

 

 あれは、ただの偶然ではなかったのかもしれない。

 

(……行くしかないな)

 

 タクミは聖書をベッドへ放ると、再び装備を確かめた。

 

 もう、その本に目を向けることはなかった。

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