棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第四十五話 いつもの距離

 夜風が二人の間を吹き抜ける。

 

 リュミエルが顔を上げると、タクミと目が合った。

 

 その目に敵意がないことが分かり、緊張が少しだけ和らいだ。

 

(……よかった)

 

 思わず安心してしまったが、当のタクミはというと、彼女の姿を物珍しそうに眺めていた。

 頭巾からこぼれた白金色の髪と、そこから覗く尖った耳。月光を受けた髪は、きらきらと輝いている。

 

 タクミは、初めて見る彼女の姿に思わず見入っていた。

 

 やがて二人は、どちらからともなく歩き出した。

 一歩、また一歩と距離を縮めていく。

 

 あと二、三歩も進めば、手が届く。

 けれど、そこで二人とも足を止めた。

 

 ――いつもの距離。

 

 結局、それ以上は近づかなかった。

 

「……ヒサシブリ。ゲンキ?」

 

 先に口を開いたのはタクミだった。

 あまりにも普段通りの挨拶に、リュミエルは思わず言葉を失う。

 

(……どうして)

 

 怒っているわけでも、警戒しているわけでもない。まるで、いつもの神殿の裏庭で会ったときと変わらない調子だった。

 

 リュミエルには、聞きたいことも話したいこともあった。

 

 自分の正体とエルフ王国の動き。そして、タクミがこれから何をしようとしているのか。

 頭の中では何度も整理していたはずなのに、いざ顔を合わせると、何から話せばいいのか分からなくなってしまった。

 

 そして、ようやく口から出てきたのは――。

 

「……ええ。私は大丈夫です。その外套……とても似合ってますよ」

 

 そんな、何気ない一言だった。

 

(違う。こんなことを言いたいわけでは――)

 

 タクミはそんなことなど気にも留めず、嬉しそうに小さく頷いた。

 

「……アリガトウ。カイルとエマがくれた」

 

 いつもと変わらない返事に、胸が少し苦しくなる。

 さらに、タクミは彼女を見つめたまま続けた。

 

「……セリエルも、髪キレイ」

 

 月明かりに照らされた白金色の髪が、風に揺れている。タクミはそれを、何の遠慮もなくまっすぐ見つめていた。

 リュミエルは照れくさくなり、そっと視線を逸らした。

 

 胸の鼓動が早くなっているのが、自分でも分かった。

 褒められたことが嬉しかったのは確かだ。

 けれど、それ以上に不安なことがあった。

 

「……怒らないのですか?」

 

 それが何を意味するのか、わざわざ説明する必要はなかった。

 自分がエルフだったこと。ずっと監視していたこと。そして、今までいくつもの嘘を重ねてきたこと。

 

 タクミの表情が、ほんの少し変わった。

 しかし、そこに怒りはなかった。何かを考えるように少し黙ったあと、静かに答える。

 

「……ミンナ、理由アルカラ。オレモ」

 

 それ以上は、何も言わなかった。

 責めることも、問い詰めることもしない。

 

 リュミエルは、その短い言葉だけで理解した。

 タクミは、自分がエルフだと知っても、今までと同じように接してくれている。

 

 けれど、それは同時に、自分の事情には踏み込まないということでもあった。

 

 二人の間には、わずかな距離しかなかった。

 それなのに、どうしてもその先へ進めない。

 

 再び夜風が吹き抜けたとき、リュミエルは初めて彼と出会った日のことを思い出していた。

 

 あの出会いは、ただの偶然だった。

 最初から誰かに仕組まれていたわけでもなければ、お互いの素性を知っていたわけでもない。

 

 ただ、出会っただけ。

 それが、いつの間にか互いの立場や事情が絡み合い、こんな状況になってしまった。

 それでも――あの出会いだけは、嘘ではなかった。

 

 だからこそ、今の状況がつらかった。

 これまで当然のように従ってきた王国の命令にも、今は迷いが生じていた。

 

(……本当に、これでいいの?)

 

 リュミエルは少し迷ってから、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 

「……どうして、戦い続けるのですか?」

 

 タクミは戸惑った。

 どうして、と聞かれても、すぐには答えが出てこない。

 

 言われて初めて考える――本当は帰りたい。

 

 元の世界に帰って、何も気にせず普通に暮らしたい。その気持ちは、今だって変わっていない。

 それならなぜ、自分はまた迷宮へ向かおうとしているのだろう。

 

 タクミは、ふと視線を動かした。

 

 目の前に立つリュミエル。

 その向こうには、城壁に囲まれたグランデルの街が見える。

 

 ――ああ、そうか。

 今になって、ようやく気がついた。

 

「守リタイ……」

 

 ぽつりと漏れた言葉に、リュミエルの目が大きくなる。

 

 タクミが何を見ているのかは、すぐに分かった。

 背後に広がる光景。そして、その手前に立っている自分も。

 

 しばらく、どちらも何も言わなかった。

 やがてリュミエルは、静かに口を開いた。

 

「私は、あなたの敵側です」

 

 タクミは黙って聞いていた。

 

「あなたのそばに立つことは出来ません」

 

 リュミエルは少し迷ったあと、言葉を続けた。

 

「……ですが、エマとカイルには手出しをさせません」

 

 今度はタクミが目を見開いた。

 しばらく彼女を見つめていたが、やがて小さく頷く。

 

「アリガトウ」

 

 そう言って、深々と頭を下げた。

 その約束が、リュミエルにとって簡単なものではないことは、タクミにも分かっていた。

 自分の立場を危うくしてまで、カイルとエマを守ろうとしてくれている。

 

 軽い気持ちで受け取れるはずがなかった。

 

 一方のリュミエルは、突然の行動に少し戸惑っていた。

 エルフの間では、そこまで深く頭を下げる習慣はない。

 

 けれど、彼が心から感謝していることは伝わってきた。

 思わず手を伸ばしかけたが、途中で止める。

 

 やがてタクミが頭を上げると、また二人の目が合った。

 今度は、どちらからともなく視線を逸らしてしまう。

 

(……近い)

 

 手を伸ばせば、すぐに届く。

 

 今まで何度も、こうして向かい合ってきた。

 それでも、互いに踏み込もうとはしなかった。

 

 けれど、今は違う。

 

 隠していたものを知り、それでもなお互いを受け入れてしまった。

 ずっと抑えてきた気持ちが、今になって溢れそうになる。

 

 タクミは何かを言いかけた。

 リュミエルも口を開こうとして、結局言葉が出てこない。

 そして、どちらからともなく、ほんの少しだけ足を踏み出した。

 

 ――その瞬間だった。

 

『始まった』

 

 不意に、相棒の声が聞こえた。

 

(――来た)

 

 直後、地面の奥から重い響きが伝わってきた。

 最初は地鳴りのようだったが、すぐに足元が揺れ始める。

 揺れは何度も繰り返され、そのたびに少しずつ大きくなっていった。

 

 二人はすぐに理解した。

 

 迷宮が――動き出した。

 

「セリエル……!」

 

 タクミが声をかけると、リュミエルはすぐに首を振った。

 

「行って! こっちは大丈夫です……!」

 

 タクミは一瞬だけ、彼女を見つめた。

 

 今までありがとう。

 一緒にいて楽しかった。

 黙っていて、ごめん。

 

 最後になるかもしれないのに、何を伝えればいいのか分からなかった。

 けれど、どの言葉も上手く出てこない。

 

 結局、口から出たのは――。

 

「……マタネ……!」

 

 いつもの別れ際と変わらない言葉。

 リュミエルも何か返そうと口を開いたが、声が出てこなかった。

 

 タクミはすぐに振り返り、地面を蹴った。

 次の瞬間には、その姿が見えなくなっていた。

 遅れて強い風が吹き抜け、リュミエルの髪と黒衣を大きく揺らす。

 

 彼女はしばらく、その場から動けなかった。

 タクミが走り去った方向を見つめながら、小さく呟いた。

 

「……またね」

 

 次に会えたら、今度はリュミエルとして。

 

 

◇

 

 

「構えろ! 来るぞォ!」

 

 迷宮の入口前で、兵士の怒号が響いた。

 

 丸太を組んだバリケードの後ろでは、兵士や冒険者たちが一斉に武器を構えている。

 

 最前列には盾と槍を持った兵士たちが並び、その隙間を埋めるように冒険者たちが立っていた。

 弓を構える者もいれば、いつでも魔法を放てるように杖を握りしめている者もいる。

 

 誰もが黙って、迷宮の入口を見つめていた。

 

 無数の足音が重なり合い、地面を揺らしながら近づいてくる。

 時折混じる咆哮も、先ほどより明らかに大きくなっていた。

 

 ――近づいてくる。

 

「……来るぞ」

 

 誰かが呟いた。

 

 入口の暗闇が揺らぎ、魔物の姿が見え始める。

 

 ――溢れ出す、そのときだった。

 

 火の光が、その場にいる者の顔を明るく照らした。

 兵士たちが顔を上げると、巨大な火球が頭上を飛び越えていくところだった。

 

 炎の尾を引きながら飛んでいった火球は、そのまま迷宮の入口へ叩き込まれた。

 

 直後、凄まじい爆発が起こった。

 

 熱を帯びた爆風が防衛線まで押し寄せ、丸太のバリケードが大きく揺れる。

 砂利や木片が辺りに飛び散り、思わず盾の後ろへ身を隠す者もいた。

 

 入口付近にいた魔物たちは、まともに爆発を受けて吹き飛ばされていた。

 その中の一体が、地面に転がった後に身体を起こそうとする。

 

 しかし、そこに影が落ちた。

 上空から飛び込んできた男が、落下の勢いを乗せて棍棒を振り下ろした。

 

 ドォンッ!!

 

 凄まじい衝撃とともに、周囲の地面まで大きく陥没する。

 響いた音が、結果を確認する意味をなくす。

 

 突然の出来事に、防衛線の兵士たちは呆然としていた。

 

 爆発の炎が残る中、男がゆっくりと身体を起こす。

 その背中を見た瞬間、守衛の一人は思い出した。

 

 ――ああ、そうだ。

 

 この迷宮で何か問題が起こるたびに、何度この背中を見送ってきただろう。

 

 タクミは振り返った。

 防衛線のさらに後方、高台の上に見覚えのある大男が立っている。

 

 バルドだ。

 

 二人の視線が合う。

 タクミは何も言わず、左手で襟元の特級章を軽く叩いてみせた。

 

 それを見たバルドは、静かに頷いた。

 

 ――言葉を交わす必要はなかった。

 

 タクミはそのまま背を向け、迷宮へ向かって進もうとした。

 

 そのときだった。

 

「タクミィーー!」

 

 誰かが叫ぶ声。それをきっかけに、周囲の兵士や冒険者たちも次々と叫び始める。

 

「頼むぞ!」

 

「戻って来いよーー!」

 

「タクミ! 無茶すんなよ!」

 

 あちこちから飛んでくる声に、タクミは思わず足を止めた。

 少しだけ振り返ると、苦笑しながら手にしていた棍棒を軽く掲げた。

 

 それだけで、再び大きな歓声が上がった。

 

 タクミは今度こそ振り返らず、迷宮へ走っていく。

 やがて、その姿は入口の暗闇に消えていった。

 

 後に、こう語られる。

 あの夜、タクミはどこまで知っていたのか、と。

 

 その場にいた兵士や冒険者たちの証言は、いくつも残されている。

 しかし、肝心の本人が何を考えていたのかは、誰にも分からなかった。

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