深層〈死域〉――第??階層。
爆炎が通路を埋めていた。
次の瞬間、その炎を突き破るように巨大な影が吹き飛んだ。
死域の黒獅子〈アビスレオン〉。
巨大な獅子の姿をした魔獣で、その全身を覆う黒い影は、炎に包まれても消えることがなかった。
炎に包まれた巨体が石床へ叩きつけられ、二度、三度と転がっていく。
アビスレオンは爪を床に食い込ませ、石を削りながら強引に体勢を立て直した。
炎の中で崩れかけていた輪郭も元に戻り、すでに次の攻撃に備えている。
そして顔を上げた、その時だった。
目の前に、三つの火球が迫っていた。
低く唸ったかと思うと、巨体が一気に加速する。
アビスレオンは逃げる素振りも見せず、火球めがけて猛然と突進した。
一つ目を紙一重でかわし、二つ目の横をすり抜ける。だが、三つ目の火球はそれまでとは大きさが違った。
通路を塞ぐほどの火球が迫り、アビスレオンは避けきれないと判断したのか、大きく吼えた。
直後、咆哮の衝撃波が通路を駆け抜け、巨大な火球が押し潰されたようにしぼんで消えていった。
その火球の陰から――タクミが飛び出した。
下から突き上げるように振り抜かれた棍棒が、アビスレオンの巨体を抉り上げる。
全身を覆う影は、物理的な衝撃を受け流す。だが、腹側だけは守りが薄い
凄まじい衝撃とともに巨体が跳ね上がり、そのまま天井へ激突する。
石壁が大きく砕け、アビスレオンの身体もろとも粉々になった。
タクミはすぐに棍棒を担ぎ直し、周囲へ視線を走らせた。
前からも後ろからも、魔物が近づいてくる気配がする。
ただ、単純に数が増えているわけではなさそうだった。
階層のあちこちに散っていた魔物が、自分のいる場所へ集められているような感覚だ。
迷宮が、深層の一点に魔物を集中させている。
(――そうだ。それでいい。もっと来い)
ここに集まる分だけ、地上へ向かう魔物が減る。
軽く息を整え、通路の奥へ目を向ける。
目的は、その先にある黒い門だ。
棍棒を握り直すと、タクミは再び走り出した。
次の群れが、まるで迎えに来るように通路の奥で蠢いていた。
◇
迷宮入口前哨基地では、夜明け前から防衛準備が続いていた。
兵士たちは防柵の状態を確かめ、冒険者たちは交代で持ち場につく。
弓兵も矢の残りを数えながら、いつでも戦えるように備えていた。
地鳴りは、相変わらず続いている。
本来なら、とっくに魔物が怒涛のように押し寄せてきているはずだった。
だが実際に現れるのは、散発的な群れだけだ。
前衛が足止めし、後衛が攻撃を加え、冒険者たちが取りこぼした魔物を仕留める。
今のところ、防衛線が崩れるような事態にはなっていなかった。
誰もが、おおよそ見当をつけていた。
今この瞬間も、あの男が迷宮の奥で暴れ回っているのだろう。
兵士や冒険者たちが順番に休憩へ入る中、バルドだけは迷宮入口を睨み続けていた。
大魔奔の兆候が確認されてからというもの、ほとんど現場を離れていない。
「ギルド長」
兵士長が近づき、水の入った革袋を差し出した。
「ここは私が引き継ぎます。少し休まれては」
バルドは革袋を受け取ったものの、口をつけようとはしなかった。
「楽になったと思うなよ」
そう告げると、兵士長が少し不思議そうな顔をした。
「今の静けさは、ロクなもんじゃねぇ」
バルドは兵士長の横を通り過ぎ、迷宮入口の正面で足を止めた。
迷宮入口からは、時折低い唸りのような音が聞こえてくる。
その奥で何が起きているのか、ここからでは確かめようがない。
出てくる魔物が減っているのは、確かにありがたいことだ。
負傷者も出ていない。このまま大魔奔が収まってくれれば、どれほど助かるだろう。
だが、長く迷宮と付き合ってきた勘が、それを否定していた。
これは、収まっている静けさではない。
偏っている静けさだ。
「警戒を下げるな」
バルドは兵士長にそう告げた――その時だった。
見張り台で、ひとりの兵がふいに顔を上げた。
「……誰かいる」
迷宮入口の暗がりに、人影が立っていた。
その人物がゆっくりと一歩前に出ると、松明の明かりがその姿を鮮明にする。
エルフの戦士。
片手にはすでに剣を握っており、こちらを警戒する様子もなく堂々と立っている。
つい先ほどまで、そこには誰もいなかったはずだ。
「エルフだ!」
「なんでこんなところに……!」
前哨基地のあちこちから声が上がり、兵士たちがざわつき始めた。
「持ち場を崩すな!」
バルドの怒鳴り声が響く。
「魔物だけが敵じゃねぇ! 目を離すな!」
その声に兵士たちは慌てて構え直した。
冒険者たちもそれぞれ武器を抜き、迷宮入口を睨みつけた。
そんな様子を気にも留めず、エルフの戦士が口を開いた。
「大魔奔への対応として、この区域は我々が保護する」
その声は、前哨基地の端までよく通った。
「出入口の管理、および迷宮周辺の封鎖は、これより我らが引き継ぐ。人間側の統制では、これ以上の混乱を防ぐことはできない」
突然の宣言に、全員が困惑した。
保護、封鎖、引き継ぐ。
聞こえのいい言葉を並べてはいるが、要するに前哨基地と迷宮の管理をすべて明け渡せと言っているのだ。
「てめぇ、何を勝手なことを――!」
バルドが怒鳴り返そうとした、その瞬間だった。
エルフ戦士の背後で、迷宮の闇が一斉に動いた。
次の瞬間、無数の矢と魔法が飛び出してきた。
「なっ……!」
入口付近にいた兵士たちが次々と矢に射抜かれ、倒れていく。
さらに火球が防柵を吹き飛ばし、光槍が高台へ直撃した。
つい先ほどまで、バルドが立っていた場所だった。
凄まじい轟音とともに木材が砕け、石片が周囲へ飛び散る。
「ぐああっ!」
爆風に巻き込まれた兵士たちの悲鳴が、夜明け前の前哨基地に響き渡った。
エルフの戦士は、最初から時間を稼ぐためだけに前へ出ていたのだ。
「敵襲!! 敵襲だぁっ!!」
誰かが必死に叫んだ。
回廊から送り込まれたエルフの強襲部隊。
救援の名を借りた制圧が、ここに始まった。