棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

5 / 22
第四話 灰鉄の門

 まだ朝の空気が残る石畳を歩きながら、タクミは〈灰鉄の門〉――冒険者ギルドへ向かった。

 

 分厚い扉を押し開けると、油と鉄の匂いが鼻に入ってくる。

 

 広間は朝から賑わっていた。

 奥には酒場もあり、焼きたてのパンの香りが漂っている。

 

 石床には長年踏み歩かれてきた跡が残り、壁際には古びた掲示板がいくつも並んでいた。

 

 討伐依頼や失踪者の情報が書かれた紙が、所狭しと貼られている。

 中には血がついたまま、黒く変色したものまであった。

 

 普段なら、朝から多くの冒険者が掲示板を眺め、今日受ける依頼を探している。

 

 だが、今朝は様子が違った。

 

 掲示板の前にはほとんど人がおらず、代わりに広間のあちこちで冒険者たちが集まって話をしている。

 

 鎧が擦れる音や、金具がぶつかる音。

 いつも以上に、多くの話し声が飛び交っていた。

 

「今日は掲示が出てないぞ」

 

「迷宮が閉鎖されたって」

 

「上層で妙な声を聞いたって話、本当だったのか?」

 

 そんな話が、あちこちから聞こえてくる。

 

 タクミは周囲を見ながら、受付へ向かった。

 

 忙しそうに行き来する職員も多く、書類の束を抱えた若い書記が、タクミの横を足早に通り過ぎていった。

 

 ――いつもと違う。

 

 そう思いながら受付へ近づくと、一人の女性と目が合った。

 

「……タクミさん」

 

 エマだ。

 

 藍色のベストの胸元には、ギルドの鉄の紋章がついている。

 タクミの姿を見て少し安心したようだったが、どこか落ち着かない様子だった。

 

「オハヨウ」

 

「おはようございます。ごめんなさい、今は受け付けを止めていて……」

 

 タクミは短く頷いた。

 

「ナニ、アッタ?」

 

 エマは周囲を確認してから、少し声を落とす。

 

「昨日、偵察班が戻らなかったの。二班とも。夜明けまで待ったけど、連絡もなくて……」

 

 そこで一度言葉を切った。

 

「それで今、上で会議をしてるの。ギルド長が朝一番でみんなを集めて」

 

 どうやら、昨日から異変は起きていたらしい。

 

 タクミは受付台へ目を向ける。

 

 いつもなら朝から動き続けている受付も、今日はほとんど仕事をしていない。

 

「タクミさん、今日は……迷宮、行くんですか?」

 

「モウ イッタ。バルド ト ハナシタイ」

 

「え?」

 

 それってどういう……。

 

 エマがそう言いかけたところで、タクミが奥へ顔を向けた。

 

 少し遅れて、重い扉が開く。

 

 低い足音が石床に響き、騒がしかった広間が少しずつ静かになっていった。

 

 灰色の短髪に、がっしりとした体格。

 右眼には義眼が収まっている。

 

「タクミ、来ていたか」

 

 グランデルのギルド長、バルド・グレインだった。

 

 タクミは一歩前に出る。

 

 バルドは顎で奥を示すと、そのまま背を向けた。

 

 タクミも後を追う。

 

 二人が廊下を歩く間、硬い足音だけが静かに響いていた。

 

 やがて執務室へ入り、扉が閉じられる。

 

 机の上には、迷宮の地図が広げられている。

 前哨基地や上層の通路には白墨でいくつもの印がつけられ、そのうち二ヶ所には大きな×印が書き込まれていた。

 

「……戻らなかった」

 

 バルドは立ったまま、地図を指で叩いた。

 

「昨日から、上層でいくつかのパーティがやられている。異変を調べに行った兵士の偵察班もだ。トロルが群れで居座っているらしい」

 

 顎鬚をさすりながら、続ける。

 

「夜明け前に討伐隊を出そうと考えていたんだが、別の場所で"強化個体"を見たって報告まで入った。群れの動きもおかしい。おそらく何か繋がってる」

 

 バルドはそこで一度息を吐いた。

 

「タクミ。お前には討伐隊と合流して――」

 

 そう言いかけたバルドを、タクミが遮る。

 

「タオシタ」

 

 バルドが固まった。

 返された言葉に、バルドの表情がわずかに揺れる。

 

「タブン タオシタ。クワシク ハナシタイ」

 

「…………」

 

 しばらくタクミの顔を見ていたバルドだったが、やがて顎に手を当て、長く息を吐いた。

 

「……いつものことだったか。書記を呼んでくる」

 

 ◇

 

 

 書記の聞き取りは、いつもながらスムーズに進んでいく。

 

 どんな魔物だったか、どのくらいいたか、どのくらいの強さか――。

 

 

 迷宮で出会った魔物を日常的に報告しているタクミにとって、いつもと変わらないやり取りであった。

 

 

 しばらくして書記が記録を終え、部屋から出ていく。

 

 再び、バルドと二人きりになった。

 

 

「……俺がまだ現役だった頃も、似たような変調があった」

 

 

 先ほどまでとは違う、低い掠れた声だった。

 

「上層で妙なことが起き始めてな。だが、大したことはないと思って放っておいた」

 

 バルドは自分の右眼へ触れた。

 

「その結果、仲間を失った。俺もこの眼を失って、冒険者を辞めた」

 

 タクミは何も言わずに聞いている。

 

「あの時だって、前触れはあったんだ。だが誰も、本気で考えなかった」

 

 バルドは机の上の報告書へ目を落とした。

 

 

「だからこそ、お前の報告は見過ごせん。……だが中央の連中は、数字と報告書しか見ねぇ。現場の声など耳に入らんだろう」

 

 

 タクミは黙って耳を傾ける。

 

 

「割に合わん、か」

 

 

 低く呟く。

 

 

「最近、ここの連中が他都市へ流れ始めている。危険が増しても、得られる報酬は変わらんからな」

 

 

 しばらくして、バルドがタクミを見る。

 

 

「タクミ。中央から調査団が来る。明日には到着するはずだ」

 

 

 タクミは黙って続きを待った。

 

 

「奴らの目的は、迷宮の異常の実態調査だ。今の状況じゃ護衛だけでは荷が重い。……戻ったばかりで悪いが、お前も同行してくれないか」

 

 

 タクミはすぐに答えた。

 

 

「……ワカッタ」

 

「すまんな。助かる」

 

 

 それだけ言って、バルドは椅子に座った。

 

 タクミが部屋を出ると、執務室は急に静かになった。

 

 残されたバルドは背もたれに身体を預け、机の上に広げられた迷宮の地図を見る。

 

「……嫌な感じがするな」

 

 窓の外は、すっかり明るくなっていた。

 

 それでもギルドの中には、落ち着かない空気が続いていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。