迷宮入口前の防衛線は、すでに崩れかけていた。
兵士の盾が甲高い音を立てて弾かれ、受け止めた男がたまらず後ずさる。その隙を狙って、別のエルフが素早く踏み込んできた。
「詰めるな! 横を空けるな!」
バルドの怒声が飛ぶ。
迷宮入口前に築かれた防衛陣地では、防柵を頼りに人間側がどうにか前線を維持していた。
本来なら、散発的に現れる魔物相手には十分な布陣だった。
だが今、前にいるのは魔物ではない。
白銀の鎧を身にまとったエルフの戦士。
一人一人の剣技が優れているうえに、動きも速く、力も強い。攻撃を受け止めても構えごと押し込まれる。
兵士の一人が胸元を斬られ、その場に崩れ落ちた。
隣にいた兵士が慌てて槍を突き出すが、エルフの戦士は身体を捻って軽々と避けると、振り返りざまに槍の柄を斬り飛ばした。
「くそっ……!」
前列の兵士たちが後退し、その綻びを別のエルフが踏み込んでくる。
戦況は、あっという間に劣勢へ追い込まれていた。
そこへ、重い足音を立てて一人の男が割って入った。
バルドだった。
両手で握った分厚い剣を振り上げると、目の前のエルフに向かって勢いよく振り下ろす。
――ガァンッ!
エルフの戦士は咄嗟に盾を構えたが、あまりの衝撃に半歩後ろへ押し戻された。
予想以上の威力だったのか、驚いたように目を見開いている。
しかし、バルドは追撃しなかった。
今は敵を倒すことよりも、前線を突破されないことが重要だった。
「前だけ見ろ! 下がるな! 抜かれたら街まで一直線だぞ!」
その怒声に、崩れかけていた前列がわずかに持ち直す。
兵士が盾を寄せ、冒険者が隙間へ滑り込む。
バルド自身も一歩前へ出ると、左から迫る剣を受け止め、そのまま力任せに押し返した。
続けて踏み込んできた別の戦士には、横薙ぎの一撃を叩き込む。
浅い一撃だったが、受けたエルフは大きく体勢を崩した。
元特級。
引退したとはいえ、その実力は並の戦士を遥かに上回っていた。
だが、全盛期の頃と比べれば、衰えは隠せなかった。
(……ちっ、身体がついてこねぇ)
バルドは奥歯を噛みしめた。
一撃の威力にはまだ自信がある。だが、剣を振るうたびに腕が重くなり、足の動きも少しずつ鈍くなっていた。
若い頃なら、今の一撃で相手を斬り伏せ、その勢いのまま次の敵へ向かっていただろう。
ところが今は、押し返すだけで精一杯だった。
それを見抜いたのか、エルフたちが次々と攻撃を仕掛けてくる。
一人の剣を受け止めた直後、横から別の戦士が斬りかかり、さらに反対側から三人目が迫る。
見事な連携だった。
「うおおおおおっ!」
近くにいた冒険者が援護に入ろうとするが、迷宮の闇から矢が飛んできた。
さらに青白い魔弾が着弾し、激しい爆発とともに石片が飛び散る。
冒険者が吹き飛ばされ、後に続こうとした槍兵も足を止めた。
エルフたちは前衛だけでなく、後衛との連携も徹底していた。誰かが助けに入ろうとしても、弓や魔法によって妨害されてしまう。
「ぐっ……!」
バルドが兵士を庇おうと身体をずらした瞬間、エルフの剣が脇腹を掠めた。
鎧の隙間から血が滲み、思わず顔が歪む。
そこへ、別のエルフが踏み込み、喉元を狙って剣を振り上げる。
バルドは慌てて剣を戻そうとしたが、間に合わない。
(……まずい!)
身体を捻って避けようにも、すでに体勢が崩れていた。
終わった。
そう、誰もが思った瞬間だった。
――赤い閃光が、エルフの剣を勢いよく弾き上げた。
ガキィン!
激しい金属音が響き、火花が飛び散る。
予想外の攻撃にエルフの戦士が後ずさり、バルドも思わず目を見開いた。
そこに立っていたのは、一人の女だった。
長槍に巻かれた赤い布が、風に揺れていた。
兜の隙間からは燃えるような赤髪がこぼれ、黄銅色の軽鎧がその身体を覆っている。
すらりとした体格だったが、その立ち姿には少しの隙も感じられなかった。
薄闇の中、その女の周囲だけが、かすかに熱を帯びているように見えた。
見たことがない者でさえ、直感する。
耳にしてきた噂が、そのまま人の形を取って立っている。
そう思わせるほどの存在感だった。
――烈槍のアマリア。
最強と称される冒険者だった。
「……遅かったか」
アマリアは周囲の状況を確認すると、小さく呟いた。
その背後から、さらに数人の冒険者が駆け込んでくる。
巨盾を構えた大柄な男が、、崩れかけていた前列へ割って入った。
エルフの攻撃を正面から受け止め、そのまま押し返していく。
同時に、長弓を持った女が近くの高台へ飛び乗った。
着地するなり矢を放ち、一射目でエルフの肩を射抜く。続く二射目は、前へ出ようとした別の戦士の腿に突き立った。
さらに後方では、神官らしき女が祈りを捧げていた。
淡い光が周囲の兵士たちを包み込み、傷ついた者たちが次々と立ち上がっていく。
その横では痩せた魔導士が両手を掲げ、青白い魔弾を連続して撃ち込んでいた。
突然現れた援軍によって、エルフ側の攻撃が少しずつ押し戻されていく。
彼らは皆、アマリア率いる烈槍団の中核を担う冒険者たちだった。
「烈槍……」
「烈槍のアマリアだ……!」
先ほどまで押されっぱなしだった兵士たちの表情が、明るくなっていく。
失いかけていた士気が、再び高まっていく。
アマリアは、倒れかけていたバルドへ視線を向けた。
「まだ立てるか、ギルド長」
バルドは脇腹を押さえながら、にやりと笑った。
「……誰に言ってやがる」
「ならいい」
それだけ言うと、アマリアは前方へ向き直った。
目の前には白銀の戦士たちが並び、その背後には迷宮の暗闇が広がっていた。
彼女は長槍を握り直し、ゆっくりと腰を落とした。
それを見たエルフの戦士が、真正面から斬り込んでくる。
鋭い踏み込みだったが、アマリアは身体を半歩ずらすだけで剣を避けた。
そのまま長槍を突き出す。
特別な技を使ったわけではない。ただの突きだった。
しかし、その速さと威力は桁違いだった。
エルフは咄嗟に盾を構え、槍を受け止めた。
だが、その衝撃に耐えきれず、盾ごと腕が押し上げられる。
がら空きになった胸元へ、アマリアがさらに一歩踏み込んだ。
続けざまに放たれた突きが胸当てに叩き込まれ、重装備のエルフが勢いよく吹き飛んだ。
両足が地面から離れ、そのまま後方の仲間を巻き込んで転がっていく。
瞬く間に、敵の前列に大きな隙間ができた。
そこへ巨盾の男が踏み込み、盾を押し出してさらに敵を後退させる。
高台からは矢が降り注ぎ、さらに魔導士の放った魔弾がエルフたちの後方で次々と炸裂した。
烈槍団の連携によって、エルフたちの陣形が少しずつ崩されていく。
アマリアは、すでに次の敵へ向かっていた。
長槍を引き戻すと、そのまま横薙ぎに振るう。
エルフの戦士が剣で受け止めた。
だが、アマリアは力で押し込まなかった。
受け止められた瞬間、手首を返して槍を半回転させる。
柄が剣身に絡みつき、エルフの剣先が大きく横へ流された。
「なっ……!」
体勢を崩した戦士の足元へ、アマリアは槍の柄を滑り込ませる。
踏み込もうとしていた足を払われ、エルフの身体がふわりと宙に浮いた。
その瞬間には、もう槍が振り上げられていた。
――ドンッ!
振り下ろされた長槍が、宙に浮いた身体を真上から叩き落とす。
エルフは受け身を取る間もなく、地面へ打ちつけられた。
それを見た二人のエルフが、すかさず左右から斬りかかってくる。
アマリアは表情ひとつ変えず、長槍を構え直した。
右から迫る剣を槍の柄で受け流すと、その勢いを利用して身体を回転させた。
赤い布が大きく翻り、長槍が弧を描く。
左から迫っていた戦士は、咄嗟に剣を構えたものの間に合わず、横薙ぎの一撃をまともに受けて吹き飛ばされた。
さらにアマリアは回転の勢いを殺さず、そのまま踏み込んで槍を突き出す。
「ぐあっ!」
残る一人の腹部に柄尻が深くめり込み、その衝撃でエルフは後方へ吹き飛び、地面を転がっていった。
アマリアは倒れた敵を一瞥すると、すぐに次の相手を探した。
しかし、その時だった。
――ゴゥン。
地面の奥から、何かを叩くような鈍い音が響いてきた。
誰もが一瞬だけ動きを止める。
迷宮の底で膨れ上がっていたものが、一段跳ね上がったような響きだった。
その響きに、アマリアの脳裏にはあの時の光景が蘇った。
――二年前。
アルマレスを襲った大魔奔。
押し寄せる魔物の群れ。
崩れる陣形。
あの時も、自分の街は今と同じ音を立てていた。
そして、その最前にいたのが――あなただった。
崩れかけた前線で、たった一人、押し寄せる魔物を食い止めていた。
言葉を交わしたのは、一度だけだ。
何を言ったかも、何を返されたかも、もう曖昧だ。
それでも、ひとつだけ覚えている。
あなたは、誰よりも前で、誰よりも深く、街を守っていた。
凱歌をあげる街から、何も語らず、静かに去っていった。
見返りもなく。
誇るでもなく。
ただ、当然のように。
アマリアは長槍を握り直すと、迷宮の入口へ視線を向けた。
「……借りは返す」