グラディオンは動かず、こちらの出方をうかがっていた。
タクミの口元から流れていた血は止まり、痺れていた指先に感覚が戻ってくる。
裂けていた肩の傷は、ほとんど塞がっていた。
相棒は応えない。それでも身体に刻まれた〈高速修復〉は消えていなかった。
(範囲は……あそこまでか)
タクミは柱の削れ方や石片の飛び散り方に目を走らせた。
あの衝撃は全周に広がるが、どこまでも届くわけではない。中心から離れるほど威力も落ちているようだ。
(相棒なら、どうする……?)
――いや、慎重になりすぎだ。
十年、ずっと見てきた。踏み込みも、距離の詰め方も。
こっちは急いでるんだ。今まで通りにやればいい。
やる事は同じ――距離があれば。
タクミは左手を前へ出した。
すると、目の前に三つの小さな火が灯り、すぐに膨らんでいく。
やがてタクミの姿を隠すほどの大きな火球となり、空中で静かに揺れ始めた。
魔法はいつも通り使える。
すぐにでも攻め込むつもりだったが、違和感に気づき思わず足を止めた。
――奥へ響かない。
いつもなら、棍棒の奥から何かが返ってくる感覚があった。こちらが送り込んだ力に、さらに深いところから応えてくれるような、あの重い反響。
だが、今は何もない。
こうして〈火球〉を作ることはできるし、撃ち出すこともできる。しかし、あの奥から押し返してくるような力は感じられなかった。
(……共鳴衝は、無理だな)
それに、目の前に浮かぶ〈火球〉も少しおかしい。
これまで棍棒を通して放っていた火球には、どこか青白い揺らぎが混じっていた。
ただの炎とは思えないほど、強い熱を感じることもあった。
しかし、今の火球にはそれがない。
輪郭がはっきりしていて、炎なのに燃える音もしない。火球というより、光の塊に近いような気がした。
(……何だ)
タクミは一瞬戸惑ったが、すぐに考えるのをやめた。
今はそんなことを気にしている場合ではない。使えるなら、それでいい。
(行け)
三つの火球が、弾丸のような速さで撃ち出された。
それと同時にタクミも地を蹴り、火球の後を追うようにグラディオンへ向かって駆け出す。
その時、グラディオンの翼が動いた。
翼を羽ばたかせることもなく、巨体は宙に浮いたまま滑るように移動する。
空間の上を、竜のいる場所だけが横へずれたかのような、不思議な動きだった。
三つの火球はグラディオンを捉えられず、背後で次々と爆発した。激しい爆炎が広がり、周囲を呑み込んでいく。
(飛んだか……)
予想外の動きだったが、タクミは止まらなかった。
グラディオンが横へ移動したことで、むしろ振り下ろしの軌道ができた。
タクミはもう一度地を蹴り、飛び掛かろうとした瞬間、それは見えた。
グラディオンが片翼を折り畳み、胴を守るように前へ出している。
最初は盾にするつもりかと思った。
しかし、その翼の内側で白い魔力が脈打っている。
こちらからはほとんど見えないが、先ほど衝撃輪を放つ直前に感じたものと、よく似た気配だった。
タクミは反射的に踏み込みを止めた。
(違う……溜めてる)
折り曲げた膝をそのまま使って身体を捻り、横へ駆け抜ける。
直後、グラディオンの翼が勢いよく振り払われた。
白い衝撃が扇状に広がり、ほんの一瞬前までタクミが踏み込もうとしていた場所を抉り取った。
遅れて、凄まじい轟音が神殿に響き渡る。
タクミは足を止めず、攻め込める瞬間を探していた。
ただ硬くて速いだけの相手なら、まだやりようはあるが、こいつは違う。
こっちの速さに対応し、次にどう動くかまで読んでいる。
タクミは柱の陰を駆け抜け、散らばった石片を踏み砕きながら、もう一度グラディオンの正面へ回り込んだ。
白銀の瞳が、わずかに動いた。
足運びや肩の向き、棍棒の角度。
次にどこへ踏み込むつもりなのか、見極めようとしている。
――なら、見せてやる。
タクミは先ほどと同じ角度から踏み込んだ。
床を蹴り、身体を低く沈めて一気に距離を詰める。
タクミが踏み込むのとほぼ同時に、グラディオンの片翼が前へ動いた。
さっきと同じ、盾の構え。
――同じ形に、させた。
タクミは跳ばない。
代わりに、左手を翼へ突き出した。
掌の先に火が灯る。
至近距離で、光の塊が翼へ叩き込まれた。
だが火球が翼に当たった瞬間、弾かれた。
――いや、吸われた。
グラディオンの翼に沿って白い光が走り、火球を呑み込んだように、その輝きが一瞬だけ強くなった。
次が来る。
その時にはもうタクミは動いていた。
火球を撃った瞬間には地を蹴り、正面から衝撃が通る外側へ。
直後、グラディオンが翼を振り払った。
白い衝撃波が前方へ走り、タクミのいた場所をまとめて削り取った。
だが、タクミはすでに衝撃の範囲から抜けていた。
崩れた柱の根元を踏み台にして跳び上がり、そのままグラディオンの側面へ一瞬で回り込む。
竜の死角へ。
翼を振り払った今なら、背中ががら空きになっている。
グラディオンの瞳が、わずかに遅れて動く。
初めて、ほんの一瞬だけ竜の視線はタクミを追い切れなかった。
――ゴォン!!
重い音とともに、棍棒が背中へ叩き込まれる。
(硬っ……!)
思わず顔をしかめるほどの衝撃が、腕に返ってきた。
最初に頭を殴った時よりも硬く、棍棒を握る手が痺れるほどだった。
それでも、今の一撃は通ったはずだ。
背中の鱗には傷一つつかなかったが、衝撃までは殺しきれず、巨体が大きく揺らいだ。
そのまま前方へ押し出され、床を削りながら崩れた柱へ激突する。
凄まじい音を立てて柱が砕け、石片が周囲へ降り注いだ。
しかし、グラディオンは倒れなかった。
衝突した勢いを利用するように翼を広げると、巨体をふわりと浮かせ、空中で体勢を立て直した。そのまま砕けた柱の残骸へ、滑るように着地する。
そして、何事もなかったかのようにこちらを向いた。
(……効いてない、わけじゃないよな)
このまま追撃を仕掛けたかったが、あれだけの一撃を受けても、グラディオンにはほとんど隙がない。
タクミは追撃を諦め、棍棒を肩に担ぎ直した。
確かに手応えはあったし、あの巨体を吹き飛ばすこともできた。
だが、まともに一撃を入れたというのに、竜にはまだ余裕があるように見える。
それでも、収穫はあった。
相手も、自分の速さに必ず対応できるわけじゃない。
なら、やりようはあるはずだ。
タクミが棍棒を握り直すと、グラディオンの白銀の瞳がゆっくりと細められた。
その眼差しには、先ほどまでとは違うものがあった。