グランデル――迷宮都市の冒険者ギルド〈灰鉄の門〉。
分厚い鉄扉を押し開けると、革と油の匂いが鼻に入ってきた。
石床を行き交う冒険者たちの靴音。武具を手入れする金属音。依頼書を片手に話し合う声。
朝からかなり賑わっているが、市場とは違って、どこか危険な空気がある。
(……荒っぽいな。だが、他の都市より魔物が強いと聞く。これくらいでなければ務まらんか)
調査団を率いるヘルマンは、四十前後の男だった。
短く刈った栗色の髪に、濃い顎髭。背は高く、厚手の外套の下には、使い込まれた鎖帷子を着込んでいる。
元は冒険者で、自ら迷宮へ潜っていた時期もある。その経験を買われ、今では調査団を任されるようになっていた。
そんなヘルマンの後ろを、測定器の入った箱を抱えた学者と、魔術師、斥候が続いていく。
案内された先は、ギルドの応接室だった。
分厚い石壁に囲まれたその部屋で、ギルド長バルドと二人の冒険者が席についている。
一人は若い護衛の冒険者。
もう一人は、黒髪の青年だった。
くたびれた外套を羽織り、椅子に座ってこちらを見ている。
「今回は街のために尽力いただき感謝する、ヘルマン隊長」
バルドが低い声で言った。
「こちらこそ、腕利きを護衛につけていただけるとは心強い。……それに、特級冒険者まで同行してくださると聞きましたが」
礼を返しながら、ヘルマンは室内を見回した。
だが、それらしい人物が見当たらない。
「……で、その特級冒険者は、この後合流か?」
バルドの顔がわずかに渋くなる。
そして、視線を黒髪の青年へ向ける。
「……そこにいる」
「――え?」
ヘルマンは青年を見る。
どう見ても、どこにでもいそうな冒険者だった。
学者と斥候も目を丸くしている。
そんな視線を一斉に向けられた青年は、軽く手を上げた。
「……コンニチハ」
妙に律儀な挨拶があった後、誰かが小さく呟く。
「……マジかよ」
◇
迷宮へ続く街道を、調査団は歩いていた。
道の両脇には針葉樹の林が続き、枝葉の間から朝の光が差し込んでいる。
一行は縦に並んで進んでいた。
先頭にはタクミと護衛の冒険者、その近くを斥候が歩き、後ろには魔術師と学者が続いている。
しばらく歩いたところで、中央を歩くリーダーのヘルマンは、ふと先頭へ並び、隣の黒髪の青年へと視線を向けた。
「……さっきは悪かったな。失礼なことを言ってしまった」
タクミは気にした様子もなく、首を振った。
「……ダイジョウブ。ヨク、イワレル」
ぎこちない話し方に、ヘルマンは少し戸惑った。
そこで、出発前にバルドから聞いた話を思い出す。
『あいつは辺境出身でな。言葉が上手く話せないが、会話は理解している』
なるほど、と納得しながら、ヘルマンは歩調を合わせた。
「俺が今まで会ってきた特級は、良くも悪くも目立つ奴ばかりでな。特級ってのは、そういうものだと思い込んでいた」
「……他ノ、トクキュウ、シッテル」
「お、知ってるのか」
後ろを歩いていた学者も、興味を持ったのかちらりと二人を見る。
ヘルマンは苦笑した。
「派手な奴らだろう? 派手なだけならいいんだが、我の強い奴も多くてな。君みたいな人の方が、こっちとしては仕事がやりやすい」
タクミはヘルマンを見て、少しだけ笑った。
「……ナンデモ。テツダウヨ」
「はは、それは助かる」
どうやら思っていたより、付き合いやすい男らしい。
そのやり取りを聞いていた他の団員たちも、少しだけ緊張が解けた様子だった。
◇
街道を抜けると、岩肌を削って造られた広場に出た。
迷宮の前線拠点だ。
周囲は石垣と木柵で囲まれ、中には十数張の天幕と仮設の詰所が並んでいる。
槍を持った兵士が歩き回り、焚き火の近くでは冒険者たちが武具の手入れをしていた。
調査団が入ってくると、何人かがこちらを見る。
だが、すぐに興味を失ったように、それぞれの作業へ戻っていった。
ヘルマンたちは詰所へ向かい、名簿への署名と札の確認を済ませる。
広場の奥には、巨大な洞窟が口を開けていた。
グランデル迷宮の入口だ。
中から流れてくる空気はひんやりと冷たく、入口近くの松明が小さく揺れている。
ヘルマンは仲間たちを振り返り、静かに告げる。
「……行くぞ」
一行は隊列を整え、そのまま迷宮へ入っていった。
背後にあった前線拠点のざわめきも、少し歩けば聞こえなくなった。
◇
「よし、予定通り一層目から調査を開始する」
ヘルマンの声が石造りの通路に響いた。
「目標は中層だ。ただし、異常が強ければそこで切り上げる。……各自、気を抜くな」
再び隊列を組む。
先頭は斥候。その後ろにタクミ。中央に学者と魔術師が入り、最後尾を護衛のロイが固める。
今回の目的は単純だった。
階層ごとに魔素の濃度を測り、魔物の分布や周囲の変化を記録する。
異常がどこまで広がっているのか。
それを確かめるための調査だった。
しばらく一層を調べた後、一行は二層目へ降りた。
開けた広間を見つけたところで、休憩を兼ねて次の測定を始める。
学者が木箱を開き、中から器具を取り出した。
それを壁際に置いて操作すると、盤面に淡い光が走り、針がゆっくりと動き始める。
「コレハ、ナンデスカ?」
すぐ横から声がした。
見ると、タクミが興味深そうに器具を覗き込んでいる。
「これは魔素の濃度を測る器具でして……」
学者が説明を始める。
「オー、スゴイ」
思った以上にいい反応が返ってきた。
学者も少し嬉しくなり、さらに説明しようとした――その時だった。
「それで、この目盛りが――」
ふと、横を見る。
隣にいたはずの青年の姿が、消えている。
「……え?」
学者が目を見開いた瞬間、離れた通路の奥で、ドォン、と炸裂音が響いた。
砂がぱらぱらと降り、全員が通路へ目を向ける。
「何が――」
全員が立ち上がった時には、暗い通路の奥からタクミが歩いて戻ってきていた。
「……イキナリ キタ」
タクミが指を向ける先に、一行の視線が集まった。
通路の壁には、来た時にはなかった黒い穴がぽっかりと口を開けている。
その下には崩れた岩が散らばり、犬に似た魔物が倒れていた。
鋭い爪を持った魔物だったが、すでに動かない。
どうやら壁を破って飛び出してきたところを、叩き伏せたらしい。
斥候は息を呑み、己の耳と目を疑った。
さっきまで、気配はなかった。通路の奥で身を潜めていたわけでもない。
それなのに、出現と同時に仕留められている――自分では到底追えない速さ。
「……全く気づけなかった」
斥候が呟いた。
後ろから、ロイが感心したように声を漏らす。
「やっぱタクミさんはすげーな……上の連中も知ったら腰抜かすぜ」
ヘルマンは、しばらく言葉が出なかった。
(なんだ、今の速さは……。今、どうやって動いた……?)
目で追えなかった。
それどころか、動き出した瞬間すら分からなかった。
(……常識では測れん)
見た目こそ普通の冒険者だったが、やはり特級。紛れもない実力者だった。
一方のタクミは、肩についた砂を軽く払うと、平然と隊列へ戻っていく。
その時だった。
どこか遠くから、低い音が聞こえた。
ゴゴ……と、石の奥を何かが動いたような音。
「……?」
タクミが顔を上げる。
だが、それきり音は聞こえなかった。
静かになった迷宮の中で、測定器の針だけが、ゆっくりと揺れていた。