棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第七話 魔奔

 ごう、と大きな音が背後から響いてきた。

 

 石壁が震え、張りついていた苔がぱらぱらと落ちてくる。

 

 魔物の群れが、階層を駆け上がってきている。

 

 

「後ろを振り返るな!」

 

 

 ヘルマンが叫ぶ。

 

 一行はすぐに立ち上がり、来た道を全力で引き返した。

 

 走りながら、斥候とロイが後ろの気配を探る。

 

 

「どんどん近づいてくる! 数が多すぎる!」

 

「こりゃ……丸ごと押し潰されるぞ!」

 

 

 兵士たちの顔から血の気が引いていく。

 

 そんな中、ロイは横から鋭い視線を感じた。

 

 戦いの最中に向けられるものとは、どこか違う。

 何かを確かめるような目だった。

 

 見ると、タクミがこちらを見ている。

 

 ほんの一瞬、二人の視線が重なった。

 

「……ウシロ イク」

 

 それだけ言うと、タクミは足を止め振り返った。

 棍棒を担ぎ直し、迫り来る敵を正面から迎え撃つ。

 

「……行くぞ!」

 

 ヘルマンの声に押され、全員が走り続ける。

 

 すぐ後ろから、凄まじい音が響いてきた。

 

 魔物の咆哮。何かが壁に叩きつけられる音。硬いものが砕ける音。

 

 誰も振り返らなかった。振り返る余裕などなかった。

 

 

 ◇

 

 

 二層目まで戻ってきた頃には、兵士たちはすっかり息を切らしていた。

 

 足取りもかなり怪しい。だが、休んでいる暇はなかった。

 

「……なんだ、これ」

 

 誰かが呟く。

 

 来た時とは、通路の様子が変わっていた。

 

 石床にはいくつもの亀裂が走り、その一部には大きな穴まで開いている。

 

 何かが下から這い出してきたようにも見えた。

 湿った風に混じって、嫌な臭いが鼻につく。

 

 ヘルマンが目を細め、剣の柄を握り締める。

 

「……前にいる」

 

 同じ瞬間、斥候とロイもすぐに武器を構えた。

 

「……来るぞ!」

 

 暗い通路の先から、いくつもの影が現れる。

 

 前には魔物。

 そして後ろからは、依然として戦いの音が聞こえている。

 

(まずい……挟まれる!)

 

 ヘルマンの脳裏に最悪の光景が浮かぶ。

 しかし、考えている時間もなかった。

 

「止まるな! 近いヤツから――」

 

 言い終わる前だった。

 

 

 何かが、真横を一瞬で駆け抜けた。

 

 

 直後、凄まじい音が響いた。

 視界に映った魔物の群れが、次の瞬間には壁のシミと化していた。

 

 硬い鱗を持つリザードマンも、鋭い牙を持つヴァルタイガーも、棍棒に叩き潰され、原型を留めていない。

 

 その向こうに、タクミが立っていた。

 

 返り血を浴びたタクミは、何事もなかったように棍棒を振って血を払った。

 そのまま肩へ担ぎ直し、こちらを振り返る。

 

「……モウ、ダイジョウブ」

 

 その言葉を聞いて、誰かが後ろを振り返った。

 

「…………」

 

 何も来ない。そこで、ようやく気づいた。

 背後から迫っていたはずの咆哮も、轟音も、いつの間にか消え失せていることに。

 

「まさか……」

 

 誰かが呟き、それきり黙った。他の者たちも同じだった。

 

 誰もがタクミを見ている。

 

 ――あの群れを、一人で止めたのか。

 

 そんな彼らを見回して、タクミは深く息を吐いた。

 

「アト、チョット。ガンバロ」

 

 言い終えると、タクミはさっさと背を向けた。

 

 そのまま先頭に立って歩き始める。

 

 しばらく誰も動かなかった。

 

 やがてヘルマンが歩き出し、それにつられるように兵士たちも後を追った。

 

 出口へ向かう足音だけが、通路に響いている。

 

 さっきまでの騒ぎが嘘だったように、迷宮は静まり返っていた。

 

 ヘルマンは少し前を歩くタクミの背中を見た。

 

 そして誰に聞かせるでもなく、ただ呟いた。

 

「……人間か、あれは?」

 

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