棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第八話 あいつは、いつもそうだ。

 ――魔奔が起きた。

 

 

 その報せがギルドに届いたのは、夕暮れ前だった。

 

 

 ――迷宮で魔奔発生。負傷者多数。

 

 

 飛び込んできた伝令の報告に、広間が一気に騒がしくなった。

 

 職員たちが立ち上がり、冒険者たちも何事かと振り返った。

 

 その中を、バルドは重い外套を羽織って歩き出した。

 

 

「前哨基地へ行く。職員を五名つけろ」

 

 

 短い命令に、誰も逆らえなかった。

 返事を待つこともなく、バルドはギルドを出た。

 

 

◇

 

 

 前哨基地に着くと、想像していた以上の騒ぎになっていた。

 

 迷宮から戻ってきた冒険者が次々と運び込まれ、広場には負傷者が並んでいる。

 薬師やギルド職員がその間を走り回り、あちこちから怒鳴り声が飛んでいた。

 

 

「そっちの重傷者を先に運べ!」

 

「包帯が足りない! 詰所から持ってこい!」

 

 幸い、魔奔そのものはすでに収まっているらしい。

 

 混乱の中で、バルドは職員を指で散らし、一人ひとりの顔を確かめていった。

 

 やがて、石壁の陰に座り込む一団を見つける。

 

 調査団――今日、迷宮へ入った面々だ。

 揃って地面に座り込んでいる。怪我らしい怪我はほとんど見当たらないが、全員ひどく疲れていた。

 

 

「……生きて帰ったか」

 

 

 バルドが低く呟くと、座り込んでいた学者が顔を上げた。

 

 

「ギルド長……っ、全員……なんとか……」

 

 

 そこへ、詰所の方から鎧を軋ませて歩く男が現れる。

 

 ヘルマンだ。

 

 鎧には血と土がこびりつき、本人も相当に疲れているようだった。

 それでもバルドを見つけると、まっすぐこちらへ歩いてくる。

 

「ギルド長」

 

「状況は?」

 

「詳しい報告は明日にでも。今は簡単にですが――」

 

 ヘルマンは一度、調査団の方を見た。

 

「上層で魔物の大群に遭遇しました。途中で完全に退路を塞がれましたが……死者はゼロです。全員戻っています」

 

「そうか。よく連れて帰ったな」

 

「……俺の力じゃありませんよ」

 

 ヘルマンが苦い顔をする。

 

 その反応に、バルドは何となく察した。

 

 改めて調査団を見回して――眉を寄せる。

 

 

「……タクミはどこだ?」

 

 

 ヘルマンが眉をひそめるより早く、後方でロイが手を上げた。

 

 

「タクミさんなら――」

 

 一瞬、言葉を詰まらせ、苦笑した。

 

 

「"チョット ヨウス ミテクル"って言って……戻っていきました」

 

 

「どこへだ」

 

 

 ロイが指さす先、いつもと変わらず迷宮の入口が開いていた。

 

 バルドはしばし視線を止め、低く呟いた。

 

 

「……あいつは、いつもそうだ」

 

 

 ◇

 

 

 翌朝。

 

 

 灰鉄の門の執務室で、バルドは昨日の調査報告書を読んでいた。

 

 向かいにはヘルマンが立っている。

 

 窓辺の外では、冒険者たちが交代で報告を上げている。

 

 どの顔にも疲労が刻まれていた。

 

 バルドは何枚か紙をめくり、最後まで目を通す。

 

 ヘルマンは背筋を伸ばして、無言でバルドを見据えていた。

 

 紙をめくる音だけが、部屋に響いていた。

 

 しばらくして、報告書を机へ置く。

 そこでバルドは、ヘルマンを見上げた。

 

 

「……よく書けてる。被害状況も正確だ。……それで――お目当てのタクミはどうだった?」

 

 

 ヘルマンの眉がぴくりと動いた。

 しかし、すぐに顔をしかめて黙り込む。

 

 

 その反応だけで、バルドには十分だったらしい。

 

 鼻で笑い、紙束を机に置いた。

 

「中央にいたことがあるって言ったろ。考えることくらい分かる。今回の調査にかこつけて、タクミの実力を見てこいってところか」

 

 ヘルマンは答えなかった。

 

「ついでに、使えそうなら中央へ引っ張りたい。そんなところだろ?」

 

 ヘルマンは苦い息を吐く。

 

「……あの男は異常だ。俺は特級と呼ばれる連中を何人も見てきたが、あんな奴は見たことがない」

 

「……そうだろうな」

 

 バルドは特に驚いた様子もなく答え、そのままヘルマンを見据えた。

 

「良心があるなら、報告はするな」

 

 バルドは続ける。

 

「お前も身をもって体験したろう。

 中央の連中は、こっちで何が起きてるかなんて、本当のところは分かっちゃいない。タクミがいなくなったら、誰が対処する」

 

 

 その言葉に、ヘルマンはただ無言だった。

 報告書を胸に抱え、黙って敬礼をする。

 

 

「……了解しました」

 

 

 彼が部屋を出ていく背を、バルドは何も言わず見送った。

 

 扉が閉まる。

 

 一人になったバルドは、しばらく椅子に座ったまま動かなかった。

 

 やがて、小さく息を吐く。

 

(……それだけじゃねぇな。守るしかねぇか。あいつを)

 

 

 ◇

 

 

 ギルドを出たヘルマンは、大きく息を吐いた。

 

 昨日の騒ぎが嘘のように、街はいつもの朝を迎えている。

 

 荷車が石畳を走り、店先では商人が品物を並べていた。パンを焼く匂いもどこかから漂ってくる。

 

 

 ふと視線を向けると、宿の前で見覚えのある背中があった。

 

 

 タクミだ。

 

 宿の前で、調査団の面々と話している。

 

 昨日は全員、立っているのもやっとだったというのに、今日はもう笑い声まで聞こえてきた。

 

 顔や腕に残った包帯だけが、昨日の出来事を思い出させる。

 

「元気なもんだな」

 

 ヘルマンが近づくと、タクミが軽く顎を上げた。

 

「キイタ。 カエル?」

 

 その問いに、ヘルマンは苦笑した。

 

「出直しだ。調査に使う高価な測定装置を、迷宮でなくしちまった」

 

 隣の学者が肩を落とす。

 

「予算が……また吹き飛びますよ……」

 

 タクミは少しだけ目を細めた。

 

「ソレ、ダイジ? ミツケル、テツダウ」

 

 学者は慌てて手を振る。

 

「い、いえいえ! 命を助けてもらっただけで十分ですから!」

 

 周囲から笑い声が上がった。

 

 その様子を見ていたヘルマンは、ふっと表情を緩めた。

 

「お前のおかげで、全員生きて帰れた。感謝してる。次も頼むぞ、タクミ」

 

 右手を差し出す。

 

 タクミは一瞬きょとんとしたが、すぐに表情を和らげ、手を握り返した。

 

 

「……マタ テツダウよ」

 

 

 すると、周囲の調査員たちも次々に手を差し出す。

 

 タクミは一人ひとりの手を固く握り、照れたように頷いていく。

 

 

 やがて調査団は荷をまとめ、馬車へと乗り込んだ。

 

 

 最後に乗り込もうとしたヘルマンが振り返る。

 

 

「おい、次は……あの異常の原因を突き止めるぞ!」

 

 

 タクミは静かに片手を上げた。

 

 

「……マッテル」

 

 

 馬車が動き出す。

 

 窓から学者たちが手を振り、タクミも小さく振り返した。

 

 車輪の音が少しずつ遠ざかり、やがて街の向こうへ消えていく。

 タクミはその場に残り、しばらく馬車が消えた方を見ていた。

 

 やがて、迷宮の方角へと視線を向ける。

 

 昨日、一度戻って確認した時には、すでに魔物の姿はほとんどなかった。

 

 だが――あれだけの魔物が突然上層へ押し寄せた理由は、まだ分かっていない。

 

(……まだ、終わってない)

 

 肩に担いだ棍棒が、ほんのわずかに震えた。

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