棍棒ひとつで迷宮を往く   作:cla29

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第八話 あいつは、いつもそうだ。

 ――魔奔が起きた。

 

 

 その報せがギルドに届いたのは、夕暮れ前だった。

 

 

 ――迷宮で魔奔発生。負傷者多数。

 

 

 飛び込んできた伝令の報告に、広間が一気に騒がしくなった。

 

 職員たちが立ち上がり、冒険者たちも何事かと振り返った。

 

 その中を、バルドは重い外套を羽織って歩き出した。

 

 

「前哨基地へ行く。職員を五名つけろ」

 

 

 短い命令に、誰も逆らえなかった。

 返事を待つこともなく、バルドはギルドを出た。

 

 

 

 

 前哨基地に着くと、想像していた以上の騒ぎになっていた。

 

 迷宮から戻ってきた冒険者が次々と運び込まれ、広場には負傷者が並んでいる。

 薬師やギルド職員がその間を走り回り、あちこちから怒鳴り声が飛んでいた。

 

 

「そっちの重傷者を先に運べ!」

 

「包帯が足りない! 詰所から持ってこい!」

 

 幸い、魔奔そのものはすでに収まっているらしい。

 

 混乱の中で、バルドは職員を指で散らし、一人ひとりの顔を確かめていった。

 

 やがて、石壁の陰に座り込む一団を見つける。

 

 調査団――今日、迷宮へ入った面々だ。

 揃って地面に座り込んでいる。怪我らしい怪我はほとんど見当たらないが、全員ひどく疲れていた。

 

 

「……生きて帰ったか」

 

 

 バルドが低く呟くと、座り込んでいた学者が顔を上げた。

 

 

「ギルド長……っ、全員……なんとか……」

 

 

 そこへ、詰所の方から鎧を軋ませて歩く男が現れる。

 

 ヘルマンだ。

 

 鎧には血と土がこびりつき、本人も相当に疲れているようだった。

 それでもバルドを見つけると、まっすぐこちらへ歩いてくる。

 

「ギルド長」

 

「状況は?」

 

「詳しい報告は明日にでも。今は簡単にですが――」

 

 ヘルマンは一度、調査団の方を見た。

 

「上層で魔物の大群に遭遇しました。途中で完全に退路を塞がれましたが……死者はゼロです。全員戻っています」

 

「そうか。よく連れて帰ったな」

 

「……俺の力じゃありませんよ」

 

 ヘルマンが苦い顔をする。

 

 その反応に、バルドは何となく察した。

 

 改めて調査団を見回して――眉を寄せる。

 

 

「……タクミはどこだ?」

 

 

 ヘルマンが眉をひそめるより早く、後方でロイが手を上げた。

 

 

「タクミさんなら――」

 

 一瞬、言葉を詰まらせ、苦笑した。

 

 

「"チョット ヨウス ミテクル"って言って……戻っていきました」

 

 

「どこへだ」

 

 

 ロイが指さす先、いつもと変わらず迷宮の入口が開いていた。

 

 バルドはしばし視線を止め、低く呟いた。

 

 

「……あいつは、いつもそうだ」

 

 

 ◇

 

 

 翌朝。

 

 

 灰鉄の門の執務室で、バルドは昨日の調査報告書を読んでいた。

 

 向かいにはヘルマンが立っている。

 

 窓辺の外では、冒険者たちが交代で報告を上げている。

 

 どの顔にも疲労が刻まれていた。

 

 バルドは何枚か紙をめくり、最後まで目を通す。

 

 ヘルマンは背筋を伸ばして、無言でバルドを見据えていた。

 

 紙をめくる音だけが、部屋に響いていた。

 

 しばらくして、報告書を机へ置く。

 そこでバルドは、ヘルマンを見上げた。

 

 

「……よく書けてる。被害状況も正確だ。……それで――お目当てのタクミはどうだった?」

 

 

 ヘルマンの眉がぴくりと動いた。

 しかし、すぐに顔をしかめて黙り込む。

 

 

 その反応だけで、バルドには十分だったらしい。

 

 鼻で笑い、紙束を机に置いた。

 

「中央にいたことがあるって言ったろ。考えることくらい分かる。今回の調査にかこつけて、タクミの実力を見てこいってところか」

 

 ヘルマンは答えなかった。

 

「ついでに、使えそうなら中央へ引っ張りたい。そんなところだろ?」

 

 ヘルマンは苦い息を吐く。

 

「……あの男は異常だ。俺は特級と呼ばれる連中を何人も見てきたが、あんな奴は見たことがない」

 

「……そうだろうな」

 

 バルドは特に驚いた様子もなく答え、そのままヘルマンを見据えた。

 

「良心があるなら、報告はするな」

 

 バルドは続ける。

 

「お前も身をもって体験したろう。

 中央の連中は、こっちで何が起きてるかなんて、本当のところは分かっちゃいない。タクミがいなくなったら、誰が対処する」

 

 

 その言葉に、ヘルマンはただ無言だった。

 報告書を胸に抱え、黙って敬礼をする。

 

 

「……了解しました」

 

 

 彼が部屋を出ていく背を、バルドは何も言わず見送った。

 

 扉が閉まる。

 

 一人になったバルドは、しばらく椅子に座ったまま動かなかった。

 

 やがて、小さく息を吐く。

 

(……それだけじゃねぇな。守るしかねぇか。あいつを)

 

 

 ◇

 

 

 ギルドを出たヘルマンは、大きく息を吐いた。

 

 昨日の騒ぎが嘘のように、街はいつもの朝を迎えている。

 

 荷車が石畳を走り、店先では商人が品物を並べていた。パンを焼く匂いもどこかから漂ってくる。

 

 

 ふと視線を向けると、宿の前で見覚えのある背中があった。

 

 

 タクミだ。

 

 宿の前で、調査団の面々と話している。

 

 昨日は全員、立っているのもやっとだったというのに、今日はもう笑い声まで聞こえてきた。

 

 顔や腕に残った包帯だけが、昨日の出来事を思い出させる。

 

「元気なもんだな」

 

 ヘルマンが近づくと、タクミが軽く顎を上げた。

 

「キイタ。 カエル?」

 

 その問いに、ヘルマンは苦笑した。

 

「出直しだ。調査に使う高価な測定装置を、迷宮でなくしちまった」

 

 隣の学者が肩を落とす。

 

「予算が……また吹き飛びますよ……」

 

 タクミは少しだけ目を細めた。

 

「ソレ、ダイジ? ミツケル、テツダウ」

 

 学者は慌てて手を振る。

 

「い、いえいえ! 命を助けてもらっただけで十分ですから!」

 

 周囲から笑い声が上がった。

 

 その様子を見ていたヘルマンは、ふっと表情を緩めた。

 

「お前のおかげで、全員生きて帰れた。感謝してる。次も頼むぞ、タクミ」

 

 右手を差し出す。

 

 タクミは一瞬きょとんとしたが、すぐに表情を和らげ、手を握り返した。

 

 

「……マタ テツダウよ」

 

 

 すると、周囲の調査員たちも次々に手を差し出す。

 

 タクミは一人ひとりの手を固く握り、照れたように頷いていく。

 

 

 やがて調査団は荷をまとめ、馬車へと乗り込んだ。

 

 

 最後に乗り込もうとしたヘルマンが振り返る。

 

 

「おい、次は……あの異常の原因を突き止めるぞ!」

 

 

 タクミは静かに片手を上げた。

 

 

「……マッテル」

 

 

 馬車が動き出す。

 

 窓から学者たちが手を振り、タクミも小さく振り返した。

 

 車輪の音が少しずつ遠ざかり、やがて街の向こうへ消えていく。

 タクミはその場に残り、しばらく馬車が消えた方を見ていた。

 

 やがて、迷宮の方角へと視線を向ける。

 

 昨日、一度戻って確認した時には、すでに魔物の姿はほとんどなかった。

 

 だが――あれだけの魔物が突然上層へ押し寄せた理由は、まだ分かっていない。

 

(……まだ、終わってない)

 

 肩に担いだ棍棒が、ほんのわずかに震えた。

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