セールの案内を開くと、赤い数字が目に飛び込んできた。
【戦闘入門セット】
《身体強化》《格闘》《霊能力》
各Lv1〜Lv4
通常54SP → 36SP
【レベル上げポイント】
10pt 通常10SP → 7SP
30pt 通常30SP → 21SP
※1pt=スキルのレベル上げに使う1SP分
「18SP引きか。声真似を取った分、丸ごと浮くな」
所持SPは66。セットを買っても30残る。
3つともLv4まで取れるなら、俺にも熊と向き合えるだけの力がつくんだろうか。少なくとも、今の腕でどうにかするよりは望みがありそうだ。
ほかの候補も見ようと、おすすめを開いたら。
【おすすめスキル】
1.《身体強化》
2.《霊能力》
3.《格闘》
4.《魔術》
「前は思考系ばっかりだったのに、急にどうした」
少し下へ送っても、攻撃や防御に使うスキルが続く。編集を楽にしたくて眺めていたときとは、まるで品揃えが違った。
「俺、在宅の仕事を始めたんだけどな。転職祝いにしては物騒すぎるだろ」
戦闘入門セットを比較用に残し、制作の項目を探す。
こっちにも、安くなっているものがあった。
【神秘制作入門セット】
《霊能力》《魔術》《錬金術》《神秘道具制作》
各Lv1〜Lv4
通常72SP → 48SP
取得条件の未達成項目あり
[詳細]
「こっちもLv4までか。……48使うと、残り18」
ナガちゃんにもらった写真を手前へ寄せる。木の祭具に刻まれた小さな舌を見てから、《神秘道具制作》を開いた。
制作例には、明かりを灯す道具や、熱を保つ道具が並んでいる。
熊を探しに行くなら、暗い場所で使える明かりは欲しい。寒い山へ入るなら保温も助かる。いや、普通に家でも使いたいな。散歩へ持っていく飲み物が冷めなくなったら、それだけでも嬉しい。
「戦う道具も作れるんだろうけど……まず水筒を作りたい」
熱いお茶を飲みながら帰ってくる自分を想像していると、スマホが震えた。
ニュースの通知だ。
【道内で男性がヒグマに襲われ搬送 付近の住民に警戒呼びかけ】
記事を開く。夕方、畑で作業していた男性が襲われたらしい。搬送先で治療を受けているという文章の下に、目撃者が撮った写真が載っていた。
「……でかくないか?」
道の脇に停まっている車と、熊。
荒い写真でも、盛り上がった肩と太い脚が分かる。車の横を歩いているはずなのに、車がおまけみたいに小さく見えた。
画像を拡大し、指を止める。
記事には、体長4m以上と推定される、とあった。
「立った高さ……じゃないのか。鼻先から尻まで?」
地下鉄で調べた熊の、約2倍。
俺は椅子の背へ体を預けた。画像を元の大きさへ戻しても、隣の車との差は変わらない。
たぶん、こいつだ。
ウェンカムイ。
通知がもう1つ来た。今度はナガちゃんだった。
正樹:熊のニュース見た? さっきまで熊のこと聞かれてたから、変な声出たわ
直人:今見てる。4mって書いてあるぞ
正樹:写真だけなら遠近感のせいかと思いたかったんだけど、車との位置がなあ
直人:これもう魔物だろ
正樹:撮った人、よく逃げられたな。近所の人も怖いだろうし、襲われた人が助かるといいんだけど
男性についての記載を、もう1度読んだ。容体の詳しい情報は、まだ出ていない。
直人:ナガちゃんも家の近く、気をつけろよ。山あるって言ってたし
正樹:うん。しばらく夜に外うろつくのやめる。帰ってくる途中で見なくてよかったわ
直人:俺も写真閉じる。寝る前に見なきゃよかった
正樹:さっきの唐揚げの写真でも送っとくか
直人:また腹減るからやめろ
最後の返事に笑ってから、記事を閉じた。
目の前には、36SPの戦闘入門セットが残っている。
「無理だろ、これは」
さっきまで、身体を強くして、魔術も覚えて、道具を用意したら何とかなるかもしれないと思っていた。想像していた熊の大きさは、地下鉄で調べたものだ。
あんなのが走ってきたら、準備したものを取り出している間に終わる。
「1000SPは諦めよう。ここで死んだら、工場辞めた意味がない」
ようやく朝から自分の机で仕事をできるようになったのだ。納品したあと、今日は何を作ろうかと考えられる。その生活を始めて2日で、あの熊の前へ出る度胸は俺にはない。
比較用に残した戦闘セットを外し、おすすめも閉じて、制作の画面へ戻った。
【神秘制作入門セット】
通常72SP → 48SP
「……でも、これは欲しいんだよなあ」
《神秘道具制作》の説明を開き直した。明かりを灯す道具や、熱を保つ道具の作例が並んでいる。ナガちゃんにもらった資料も面白かったが、自分で作って試せるとなると、ますます気になる。
セットには《霊能力》も《魔術》も入っていた。取得したらどんな感覚になるのか、道具を作る前に、そっちも試してみたい。
「48か……。もうちょっと安ければ、すぐ買うんだけど」
買えば残りは18SP。プログラミングも上げたいし、気になったスキルを見つけたときに使える分も欲しい。
通常価格の72SPと、値引きされた48SPを見比べる。24SPの差は、さすがに惜しかった。
「安いときに買っとけばよかった、って思うんだろうなあ……」
購入のボタンに指を伸ばしかけて、もう1度セットの詳細へ戻った。
【change of perspective 佐藤直人→霊能関係者】
「父さん、熊のニュース見た? 4mあるって出てるんだけど」
三上和也が仕事部屋へ入ると、父は書類から顔を上げた。
「4m? 立ち上がったんじゃなくてか」
「体長。写真もでかいんだけど、動画が出てる。背中のあたり、見てほしい」
父が端末を受け取り、再生を押した。
道を歩く熊の背から、靄のようなものが噴き上がっている。脚を運ぶたび、足元にも広がった。
父は途中で止め、少し戻してから再生した。
「……母さんも呼んでくれ」
「父さんにも見える? これ、映像でも分かるって、現地で見たらどうなるんだ」
「まず、3人で見よう。母さん、茶は後でいいから、こっちへ来てくれ」
「もう入れたよ。そんなに急かさなくても――」
母は盆を机へ置き、父の肩越しに画面を覗いた。
「……何、これ。熊?」
「今日、人を襲ったらしい。ニュースの動画」
「足のところ、もう1回見せて。背中だけだと思ったけど、下からも出てない?」
和也が頷くと、母は父の隣へ椅子を寄せた。
「霊力だよね。撮影した人には見えてたのかな」
「俺たちが見て分かるものを、あの人も見ていたかまでは分からん。だが、熊から出ているのは間違いない」
「こんなに出してて、本人……熊は平気なのか。うちでこれだけ使おうとしたら、俺、途中で倒れると思うんだけど」
「お前が倒れるまで使っても足りんだろうな」
和也は画面を見た。熊は悠々と道を歩いていた。
「この体で、霊力まであるのかよ……。ただでさえ銃が要る相手なのに」
父は記事へ戻し、体長の記載を指でなぞった。
「北海太郎の剥製、見に行ったのを覚えてるか。500kgの熊だ。あれの前で、お前ずっと背伸びしてただろう」
「覚えてる、サイズは3mくらいだっけ?あれでも十分化け物みたいだったけど、これ、もっとでかいよね」
「北海太郎級が出ただけでも大騒ぎになるだろうに、4mか。ここまで育つものかね」
「霊力があるから、この大きさになったって考えるの?」
母が尋ねると、父はしばらく写真を見ていた。
「ウェンカムイかもしれん」
和也は父へ顔を向けた。
「悪い熊の神、だっけ。伝承で読んだ覚えはあるけど……実際に出るのか」
「俺も名前と記録を知っているくらいだ。ただ、普通の熊として見過ごすには、目に入るものが多すぎる」
「何かが憑いてるなら、祓えば元に戻るかと思ったんだけどね」
「熊自身が神なら、熊をどうにかせんといかん。映像だけで決めつけるつもりはないが、祓うものを探して近づくのは危ないな」
母は湯呑を3人の前へ配った。和也も受け取ったが、口をつける前に机へ戻す。
「父さんの結界なら、止められる?」
「お前はどう思う」
「霊力を防ぐ練習はしてるけど、あの体が突っ込んでくるのは……。札を貼った柵ごと飛んでいきそうだ」
「俺も、熊の体当たりを受けたことはない。試しに張ってみて、駄目でしたと分かったとき、逃げる場所があるかどうかだな」
「その試し方は無茶だなぁ」
「私も嫌だよ。2人とも、確かめに行こうなんて考えないでね」
母は動画を止めた。車の近くに、熊の前脚が写っている。
「あの熊が追ってきたら、和也を先に逃がせる? あなた1人で止めておく自信はある?」
「……ないな」
「じゃあ、いつもの3人で行くのはやめて。他の家にも連絡しよう」
「ああ。うちだけで抱えるのは無理だ」
父は端末を机へ置き、自分の携帯を取った。
「水野に聞いてみるか。本人に経験がなくても、神を相手にした人を知ってるかもしれん」
「山へ入る依頼、前に行ってたよね。猟師にも知り合いがいるんじゃない?」
「亡くなった人の霊を探したときだな。猟師のつても聞いてみよう。撃つ人に黙って近づくのは危ないからな」
父が電話をかける間に、和也は記事の地名を調べた。地図を拡大すると、熊が目撃された道の近くに家が並んでいる。
「……ここ、家が多い。人のいない山奥を歩いてるんじゃないんだ」
母が隣から覗き、地図へ顔を近づけた。
「このあたりの出没情報、今日の分をまとめてくれる? 熊がどこを歩いたか、順番が分かれば知りたい。記事に時間が出てるものからでいいよ」
「分かった。あの動画、ほかの人にも送る?」
「父さんが電話を終えたら聞いて。私も2軒、連絡する」
父の電話が繋がった。
「夜分にすまん。熊の動画を送ったんだが、見てもらえるか。……ああ、4mと出ているやつだ。俺には霊力が見える。背中と足元を、もう1度見てくれ」
和也は地図を開いたまま、父の返事を待った。
「見えるか。そうか……。ウェンカムイを疑ってるんだが、お前、実際に対処した人を知ってるか?」
父は相手の声を聞き、椅子へ座り直した。
「俺もいない。今から相談したいんだ。来られるか。記録を持っているなら、一緒に頼む」
通話が終わると、和也は父へ携帯を差し出した。
「ほかにも送っていい?」
「ああ。いつも相談している家へ頼む。2人、今から来るそうだ」
「じゃあ、お茶を足そうか。和也、その動画、もう少し大きい画面で見られる?」
「パソコン出すよ」
和也が椅子から立つと、母が机の書類を片づけた。父は本棚から古い綴りを抜き、空いたところへ広げる。
「父さん」
「うん?」
「襲われた人、まだ容体が出てないんだ。近くの家にも、外へ出ないようにって呼びかけてる」
父は綴りから手を離し、和也の地図を見た。
「……そうか。今夜、どこまでできるか決めよう」
和也は机へパソコンを運んだ。
大きくなった画面で、熊がまた歩き始める。母は顔をしかめ、父も椅子を少し引いた。
「スマホで見るだけにしとけばよかったかな」
「いや、よく見ておこう。これと向き合う人がいるんだからな」
和也は父の隣へ座り、再生位置を最初へ戻した。