「今こそ愚かな千手どもの里を、我らが手中に収めるのだ!」
俺の父であり、一族の長であるうちはフガクが拳を突き上げ、叫んでいる。
一族が集まった南賀ノ神社の地下集会所には、それに応える怒号が轟いていた。
(……始まったか)
俺は周囲に気取られぬように、腹の底まで溜まっていた冷気をため息として吐き捨てた。
この数ヶ月の、逆らえない急流に押し流されながら、それでも必死で抗おうとしてきた日々が脳裏をよぎる。
疑心暗鬼の中、管理をただ強めたがる里と、それに反発する一族との板挟み。
志村ダンゾウからの無慈悲な威圧。さあ早く反乱を起こせ、という意図の透けて見える挑発。
そしてとうとう「クーデターを阻止したくば、お前の手でうちはを全滅させろ」という非情な打診までしてきた。
俺はすでに覚悟を決めていた。もちろん、他の道は探した。探しつくした。
だが、どうしても見つからなかったのだ。残された道は、もうこれだけだ。
父と母を斬り、同胞を惨殺し、弟のサスケに深い絶望を植え付けて、一人闇へと消える。
幸い、せめてサスケだけでも、という願いは通った。恐らく、戻れぬ里外忍務へ出る俺への首輪も兼ねてだと分かっているが、それでもサスケが生きていてくれるならば、それでいい。
せいぜい憎たらしい悪役を務めてやろうじゃないか。いずれサスケがそんな悪を討って、里の英雄になってくれれば、俺がいなくなっても始末される事も無いだろう。
その地獄のような決意を胸に、死んだ眼で集会を見つめていた。
……その時だった。
「あ、あの! ちょっと、よろしいでしょうか!」
一人の男が、まるで寺子屋で手を挙げる子供のように右手をピンと高く掲げた。
確か、警務隊の中忍の男だ。目立たず、特別な才能もない、どこにでもいる普通の忍者。
(何をするつもりだ? 今更この場でクーデターに反対しても、興奮している過激派に斬り捨てられるだけだぞ)
俺の危惧を余所に、男は喉を鳴らしながら、妙に腰の低い口調で問いかけた。
「あの、クーデターが成功したとして、その後は、どうしますか?」
場の空気が、にわかに止まった。
男は「日向はどうする?」「他の名家は?」「一般人は従うか?」「従わなければ……里の全員を皆殺しにするんですか?」と、信じられないほど現実的で、かつ凄惨な「その後の未来」を淡々と提示し始めた。
おかしいな。逆らえない流れだったはずなのに、なんか流れが変わったんだが。
俺が感じた通り、集会所の熱気が、目に見える速さで冷え切っていく。
皆殺しはちょっと…… という空気が充満し、あんなに血気盛んだった過過激派すらもボソボソと「うちはの名が霧隠れ以下に……」などと日和り始める始末。
ちょっと待て。そうなるのが眼に見えていたから、俺はクーデターの実行を止めようと必死にやって来たんだぞ。
まさかお前たち、そこまで考えずに、ただ感情のまま暴走しようとしていただけなのか!?
一族に絶望する俺をよそに、男は最後に何気ない顔で言い放った。
「…………独立しましょう」
「木ノ葉を、捨てましょう。ここに拘らずとも、良いではないですか」
「……は?」
目立たぬよう、潜んでいたはずの俺の口から、とうとう言葉が漏れた。思考は完全に停止していた。
6歳でアカデミーを卒業して以来、優秀な忍びとして生きてきた。
暗部としても無数の困難だったり非情な任務をこなし、相当な悲劇が無くば開眼しない万華鏡写輪眼にも目覚めている。
そんなこの俺の頭脳が、完全にフリーズしていた。
立ち直ろうにも、目の前の流れがあまりにひどすぎて、戻るキッカケすらもつかめない。
流れが変わったと思ったが、勢いはむしろ増していた。さてはこれ、方向が変わっただけだな?
クーデターではなく、引っ越し。
そんな子供の思いつきのような代替案に、あろうことか父上や長老衆が深く納得してしまったのだ。
もう、どうしたら良いのかわからない俺の気持ちも、わかるだろう。
「うむ。自分たちの里をイチから作ればよいのだな」とか、ホザいていやがるのだ。
(待て。頼むから少し待ってくれ。俺がこの数ヶ月間、一人で血の涙を流しながら悩み抜いた、あの覚悟は…… 全てを飲み込んで闇に消えるという決意は、一体何だったんだ……!?)
ただただ困惑する俺を置いて、この変化した流れは方角を変えずに、勢いも落とさずに流れ続けた。
だが落差というものはあったようで、数日後に俺の困惑はピークを迎えた。
「イタチ、お前も荷造りを手伝え。明日には出発するぞ」
なにか吹っ切れたのか、幼少時より活躍と出世をする俺に対して、若干の隔意があったはずの父が「そんなものは忘れたな」と言わんばかりの、明るい笑顔で話しかけてきた。
一族の長、しかもうちは一族なのだ。ストレスの多そうな立場だなと察してはいたが、どうやら想像以上にアレコレと溜まっていたらしい。
完全にではないが、そこから開放された者の笑顔が、そこにはあった。
だがその開放感にまかせて、アレを実行するのは、危うい。
「父上。本気なのですか?」
極めて簡潔に問いかけた。
今の父は、酔っ払っているようなもの。極力、要素を省いて聞かねば、話しがあちこちに飛ぶ。
「当たり前だ! ただ去るなど、ガマンがならん。堂々と退職届を提出して去る!」
そう語る父の手には、誇らしげに『うちは一族 退職 兼 離脱届』の束が握られていた。
ただの退職届では物足りなかったのだろう。長年降り積もっていた、言いたい事や鬱屈した思いが、備考欄にこれでもかと書き連ねられていて、その厚さはもはや辞書のようだ。
そして父は、そのうちはの溜め込んだ闇の書を、例の中忍の男に手渡していた。
(正気か!? 火影邸にそんなものを持っていけば、ダンゾウや暗部が一斉に動き出し、下手をすれば、その場で開戦になる!)
俺は父の正気を疑いながら、密かにその男の後を追いかけた。
相変わらず、流れは止められない。この中忍のように、変える事も出来そうにない。
せめて万が一の時は、暗部としてではなく、一族の者として彼を救出しよう。俺には出来なかった事をやってのけた、この男を無意味に死なせないために。
そう思いながら火影邸の屋根から忍び込み、執務室の天井裏に潜んだ。火影直属の暗部だった時代の、杵柄だ。
そこには、三代目火影様と、火影直属“ではない”暗部を率いるダンゾウの姿があった。
暗部は火影直属のはずなのだが、ダンゾウは部隊を堂々と私兵化している。
つまり、ダンゾウは自分の意思だけで暗殺も、一族への奇襲も可能なのだ。俺が自由に動けなかった理由の大半を占める。
意思のこもった視線で気取られぬよう部屋全体を見ていると、例の男が入室してきた。
そして例の男は分厚い書類をデスクに「どすん」と置くや、堂々と宣言した。
「『うちは一族 退職 兼 離脱届』です。本日をもちまして、うちは一族は木ノ葉隠れの里から完全に退職させていただきます。長年のご愛顧、誠にありがとうございました」
「ふ、ふざけるな!! 謀反か!?」
即座にダンゾウが激高した。当然の反応だ。俺もウッカリ頷いてしまった。
だが、そこからの男の切り返しが狂っていた。
「うるせぇ!!!!!」
(!? ダンゾウを一喝した……!?)
「謀反なら! 里を襲撃して血の雨を降らせてますよ!
ですが我々は話し合いの結果、『お互いストレスになるから、円満退社して新しい会社(里)作ろう』って結論に至ったんです!
殺し合いより平和的で素晴らしい判断じゃないですか!?」
天井裏で俺は目まいを覚えて、片手で頭を押さえた。
うちは一族と、木ノ葉の里の存亡をかけた政治闘争を、なぜこの男は「劣悪な労働環境からの転職活動」のように語っているんだろうか。
いや、まあ…… 木ノ葉に限らず、忍者の労働環境はブラックだろうと言われれば、否定は不可能ではあるんだが。俺も児童労働(少年兵)やってたしな……
だが火影の執務室では、この後さらに恐ろしいことが起こった。
「…………………………分かった。一族の離脱を……認める」
なんと、あの三代目火影様が、一族の木ノ葉の里からの離脱を受諾してしまったのだ。
「老いぼれたかヒルゼン!!」
そう叫ぶダンゾウに合わせるように、俺も心の中で「老いぼれられたのですか火影様!?」と叫んだのは、誰にも言わずにすぐ忘れたい。
何かがおかしい。おかしいだろう? おかしくないか?
俺の知っている忍界の理が、常識が、音を立てて崩壊していく。
その後も、事態は俺の予測を完全に裏切り続けた。いや裏切ったというか、予測していなかった方向から殴られ続けたというのが正しいか。
まず田の国へ新設中の、うちはの里へ向かったはずの例の男が、なぜか抜け忍の大蛇丸のアジトに単身突撃した。
なぜ場所が分かった? なぜ生きている? なぜ行こうと思った?
聞いてみたら、大蛇丸をスカウトするつもりだったらしい。正気かこいつ。
しかも、それで終わらなかった。
その足で放浪中の綱手さまと交渉し、初代火影の孫である彼女を『客分の医療講師』としてうちは一族に引き抜いて帰ってきた。
どうしてそうなった? 代わりにと、大蛇丸から推薦された? お、おぅ……
あとで聞いても、理解が出来なかったが、説明無しで綱手さまを見た時は、それどころではなかった。
引っ越し行列の中に、酒瓶を持った彼女が混ざっている光景を見た時は、俺は自分の写輪眼が狂ったのかと本気で疑った。
万華鏡写輪眼を使いすぎると、視力を失うってこういう……? と真剣に考えた。
「イタチ…… あれは綱手姫ではないか……?」
だから同じ光景が見えているらしい父の言葉に、少し安心した。
だがそれはそれで、綱手さまが実際にあそこにおられるというわけで。
「……父上。ひとまず見なかったことにしましょう。私にも何が起きているのか分かりません」
「……そうだな。そうするか……」
父と意見が一致したのは久しぶりだったが、あまり嬉しくはなかった。
さらに数年後。
過労で頭が湧いたらしい例の男は、隣国に引っ越して音隠れの里を立ち上げた大蛇丸のもとへ単身挨拶に行った。
しかも行った先で正気を取り戻したのか、命の危険を感じてとんでもない提案をして帰って来た。
「いつ木ノ葉を攻めるの? 今でしょ!」とばかりに、勝手に軍事同盟を結んで帰ってきたのだ。
帰国後、長老たちからバチバチに説教されている例の男の背中を見ながら、俺は戦慄していた。
強さでも、忍術の冴えでも、高度な駆け引きや戦略、陰謀ですらなく。子供の思いつきのように、突拍子も無い発想と行動。
ただそれだけでうちは一族の命運を動かし、滅亡しかない流れを変えたこの男が、どうやら今後もたまに流れを変えるらしいと、気が付いたからだ。
いっそ始末するか? という考えが頭をよぎるが、これでも一族を抹殺するはずだった俺を含めて、一族ごと救ってくれた大恩人だ。一族の一員でもあるし、さすがにそれはためらわれる。
長老衆に進言して、監視でも付けてもらうか。今の状況なら、容易く通るだろう。
そして監視が付いても、例の男は例の男だった。
木ノ葉崩しが、まさかあんな形になるなんて……
興が乗った大蛇丸の意向で、かなり前倒しして迎えた「木ノ葉崩し」当日。
俺はその参加者の一員として、木ノ葉の里の屋根を疾走していた。鴉を無数に飛ばして、羽根を舞わせて、それを起点に無差別に幻術をバラまく。
(まさか故郷への数年ぶりの里帰りが、こんな形になろうとはな)
警務隊として里を守っていた側のうちは一族の同胞たちが、その知識と経験を生かして、素早く里を無力化していく。
そこには何の迷いも、ためらいも無い。忍びも写輪眼持ちが容易く幻術に陥れている。
例の男の献策で、写輪眼持ちが量産された結果だ。
「写輪眼持ちの、覚醒した状況を全て聞き取り、幻術に落とし込んで再現します。
それを未覚醒の一族の者にひとつひとつ、受けさせては忘れさせ、また別のものを受けさせては忘れさせて、を繰り返せば、いつかは覚醒するでしょう!」
人の心とかないんか? と、長老衆の誰かが呟いた言葉が、強く印象に残っている。
だが実行はされた。そして結果が出てしまったので、恐らくこれはうちは一族の伝統になってしまうだろう。
イヤな成人の儀式だな。
あの時の例の男の眼は、疲労で濁っていた。
文官として便利なので、長老衆もつい酷使してしまうのだが、そうするとたまにこうして反動が出てしまうようだ。もう両者共に、いい加減にして欲しい。
この木ノ葉崩しの後も何かしでかしそうだという予感と、自分たちの手で木ノ葉の里が陥落していく様子で、胸を締め付けられる。
それでも手と足は緩めず、結界の張られた火影邸屋上へ向かった俺が目撃したのは――
――凄まじい手際で火影邸じゅうの金庫、機密書類、高級な掛け軸や絵画などをダンボール(巻き物)に詰め込んで運び出していく、うちはの忍たちの姿だった。
「未払い残業代の回収だーっ!」
「ダンゾウの裏金帳簿も押収しろーっ!」
『未払いの残業代』という言葉に、俺の中の何かが激しく反応した。
気付けば手が勝手に印を組み、チャクラが自然と練られて、限界一歩手前の数の影分身を作り出していた。
そして影分身たちはお互い目を合わせて無言で頷くと、火影邸で差し押さえ中の一族たちへと参加していった。
どうやら俺にも、あの忍務の日々の中で思う所はあったらしい。
「な、何をやっているのよ貴方たち!? これが貴方たちの木ノ葉崩しなの!?」
「頼むから来年度の予算案だけは置いていってくれぇぇ!」
大蛇丸が困惑し、三代目さまが嘆いている。
うん。まあ、そうなるだろうなと同意と理解はできる。しかしこれは例の男案件なんです。諦めてください。
いや、初めてだから理解できないでしょうね。なら覚えてください。これが例の男案件です。
その例の男は、爽やかな笑顔で大蛇丸に言い放っていた。
「大蛇丸様! 暗殺という一番美味しいメインディッシュはお譲りします!」
「都合のいいこと言って押し付けないでちょうだい!!」
意外と仲は良さそうだな。
三代目さまと戦闘を開始しながら、例の男にツッコミを入れる大蛇丸を見て、なぜかそんな感想が浮かんだ。
そしてそんな混沌とした故郷の状況を前に、特等席のパイプ椅子に座った綱手様が、缶ビールをプシュッと開けて高見の見物を決め込んでいた。
実にいい表情をしておられるが、それでいいのか、創設者の孫。
「……まあ、いいか」
俺は、静かに仮面を付け直し、木ノ葉の屋根の上に座り込んだ。
どうしようもない流れに逆らうでも、流されるでもなく、こうしてただ受け流す事をやっと覚えたのは、いつだったか。
殺伐とした殺し合いも、一族の血の惨劇も、暗部の黒い思惑も、結局ここには一切存在しなかった。
その代わりに、凄まじい活気で財産を差し押さえていく同胞たちと、疲れ果てて「もう帰るわ……」と撤退していく大蛇丸と、これからの仕事量に死にそうな顔の三代目さまが存在している。
第二の故郷となった田の国で、弟のサスケが「兄さん、早く帰って来てね」と無邪気に送り出してくれた時の顔を思い出す。ああ、早く帰って癒されたい。
俺は天を見上げ、静かに呟いた。
「なあ、シスイ。これで良かったのか? あの時、俺はどうすれば良かったのかなあ……」
ただ澄み渡る空に、俺の力の無い声が、虚しく吸い込まれて消えた。