うちはの里の夜は、木ノ葉のそれと比べると、どこか静かすぎるように思える。
事務所の窓から見下ろす街並みには、等間隔に配置された一部試験的な雷遁チャクラ式の街灯や、ガス灯が灯り、規則正しい格子状の道路を照らしている。
かつて木ノ葉の隅に追いやられていた「うちはの区画」のような、どこかじめついた閉塞感はない。
ここにあるのは、自分たちの手でゼロから土を掘り返し、設計図を引き、コンクリートを打ち込んで造り上げた、まったく新しい「うちはの自治領域」「俺たちの里」だ。
ふとデスクの上に置かれた書類に目を落とす。
『田の国における 大規模灌漑事業 および 防犯インフラ一括請負契約書』
一番下に捺された「代表取締役 うちはフガク」の朱印と、俺の「業務統括責任者 うちはイタチ」のサイン。
……忍びの書類とは、いつからこのような様式になったのだろうか。
というか、里長の事を代表取締役と言われて、違和感を覚えなくなったのはいつだっただろうか。
なにかがオカしい。間違いなく俺たちの日常は、なにかに浸食されている。
だが困った事に、その結果として手に入ったこの生活を、俺は嫌いではないんだ。
今も忙しくはあるが、数日間ずっと忍務で報酬は成功報酬だけとか、あの普通の忍者の日々には、もう耐えられそうも無い。
しかも忍務をこなして帰って来て、ようやくサスケの相手を――と思ったら、また即呼び出し。
「すまないサスケ、また今度だ」
この言葉を、何度言った事か。
手帳を開き、本日の現場復旧作業と明日の工程表をチェックしながら、俺は静かに息を吐いて、かつての疲れを体から追い出した。
永遠の万華鏡写輪眼を得て、巨大なチャクラの甲冑である、スサノオを日常的に業務へ投入するようになった今でこそ、我が社の建設事業は忍界を席巻している。
だが、ここに至るまでの道のりは、決してスマートなものばかりではなかった。
窓の外に広がっている里を作り上げるまでも、実に色々とあったな…… と、俺はしばし過去に想いを馳せた。
そもそも、この地に一族を連れて落ちのびてきた当初、ここはただの自然豊かな手付かずの原野だった。
田の国の首都からのアクセス自体は、意外なほど悪くはない。馬車を飛ばせば一日、我ら忍の足ならば小一時間で市場や行政機関へ到達できる絶妙な距離感だ。
だが、父上たちが選んだその土地そのものは、お世辞にも居住に適しているとは言いがたい場所だった。
半分以上は山に囲まれ、切れ落ちた谷もあり、そして平地部分には雑草と樹木が無秩序に生え、巨石が転がっていた。
「なぜ、このような何もない土地を選ばれたのですか?」
当時の俺が尋ねると、父上は腕を組み、厳格な面持ちで答えた。
「何も無いからだ。なにせ、地価が恐ろしく安い」
シンプルな答えだった。まあ、さすがにそれだけの理由ではなかったが。
「その上、土地の所有権が大名のものだったからな。我らが住み着くことで国の防衛に一役買うからと、ほぼタダ同然の値段だぞ。
それに、何もないということは、我らの好きなようにできるということでもある」
今思えば、その時の父の言葉にどれほどの現実的な先見の明があったかは怪しい。父の事だし。
だが、俺たちの「里作り」は、まさにそこから始まった。
最初に行ったのは、土地の開墾である。
鬱蒼と生い茂る原生林や雑草を、豪火球の術など一族総出の火遁で焼き払っていく。
煙が収まったあと、黒こげになった大地に天幕(テント)を幾つも打ち立てた。
それが、我が「うちはの里」の栄えある第一歩であった。
「ここをキャンプ地とする!」
と、例の男が謎の宣言をして白い目で見られていたが、確かに里というよりはただのキャンプ地だった。
あの時は、まだ。
そこからの生活は、地道という言葉すら生ぬるいサバイバルだった。
まずは水だ。
写輪眼の洞察力で地下水脈を強引に特定し、手作業と土遁で井戸を掘り進める。写輪眼の思っていた以上の便利さに、一族が気付き始めたのはこの頃だったかもしれない。
風雨を凌ぐための簡素な仮設住宅を組み立て、日用品や食料を調達するために田の国の首都へ何度も往復した。
忍びだけではなく、一般人や荷車に踏み固められた道のりが、やがてそれなりの獣道となり、里と下町を繋ぐ最初の流通ルートになった。
そんな地道な開墾作業を続けていたある日、なぜか大蛇丸から大量の支援物資が届いたことがあった。
加工された石材や木材、さらには耐久性の高い建築用セメント。
『うちはの優秀な遺伝子が野宿で病死されたりしたら困るのよ。早く拠点を安定させて、一緒に木ノ葉へ行けるようになってちょうだい』
そんな添え状と共に送られてきた大量の資材に、俺たちは困惑しつつも、背に腹は代えられず使わせてもらった。
むしろ優先的に使ったのは、使ってしまえば区別はつくまい。という証拠隠滅の意識が働いたせいだろう。
間違いなく危険な犯罪者なのだが、そんな大蛇丸が一時的とはいえ我が里の「エンジェル投資家」のような役割を果たしていた時期があったのだから、世の中は分からない。
そのエンジェルの目的は「さっさと木ノ葉崩し」というダークな物だったので、そこに目を瞑る必要はあったが。
しかし予想外に資材が揃うと、今度はその資材の使い道で、内輪での揉め事が勃発した。
「里内の配置はどうするべきか」という議論である。
「押し込められてではあるが、あれはあれで計算して作った。木ノ葉の里のうちはの区画の配置を忠実に再現するべきだ!」
そう主張する、長老衆を中心とした再現派。
「バカを言え! あの狭苦しく、見張り塔に囲まれた閉塞感あふれる配置をなぜ新天地でまで再現せねばならん! これからはグリッド状の都市計画を導入し、物流と衛生を最優先した近代都市を作るべき!」
と、妙に具体的かつ新概念の入った主張をする、若手や実務派を中心とした新都市建設派。
……今思うとこれ、新都市建設派は、間違いなく例の男案件だな? 例の男案件というにはささやかだし、当時はまだ例の男案件という概念が無かったので、見逃していた。
この両派の意見は意外なほど激しく激突し、夜な夜な仮設の集会場とした大きめの天幕で、罵声が飛び交った。
最終的には「外観は伝統的な和風建築を取り入れつつ、区画整理と下水道インフラは最新の都市計画に従う」という折衷案で落ち着いたのだが、あの熱量は何だったんだろう。
のちに建設方面へと力を入れていく俺たち一族の、運命への感知かなにかだったんだろうか?
そうやって一歩一歩進んでいく俺たちを、何より苦しめたのは「お金」だった。
いつだって予算と書類は俺たちの、いや人類共通の強敵だ。
一族ごとの大規模な引っ越し、資材の購入、毎日の食費。いくら木ノ葉から持ち出してきた一族の蓄えがあるとはいえ、消費する一方では財政はあっという間に底をつく。
「このままでは二年も持たずに我が里は破産する……」
会計を担当していた幹部が青い顔で計算書を突きつけてきたときは、一族内に冷たい戦慄が走ったものだ。
俺たちは慌てて田の国の首都の片隅に「うちは各種請負受付所」という小さな事務所を開設した。
最初は忍びとしての暗殺や用心棒の依頼を想定していたのだが、持ち込まれるのは「荒地の開墾」「井戸掘り」「崩れた土砂の撤去」といった、土木作業ばかりだった。
「害獣駆除」だけは、ある意味想定に近かったかもしれない。
田の国は、俺たちの想像以上に平和で長閑で、おまけに民度が高かった。
いい事だ。いい事なんだが、それでは思ったような報酬が期待できない。
しかしそれでも、やらない理由は無い。仕事は仕事だ。ちょっとでもお金が欲しい。
ところが、これが奇しくも大きな転機となった。
日銭を稼ぐために土木作業をこなすうち、気付けば俺も含めて、本来は火遁を十八番とするはずのうちは一族の中に、土遁を修得する忍びが爆発的に増えていったのだ。
確かに火は燃え尽きると、灰という土を生む。火遁から土遁というのは、わりとありうる流れではあった。
そして土の性質変化を覚えてさえしまえば、あとは例の男のプロトコルで量産された写輪眼持ちにとって、術を覚えるのは簡単だった。
「土遁 土流壁!」
「土遁 地動核!」
「土遁 練瓦の術!」
地形をダイナミックに変える土遁は、土地の整備において凄まじい威力を発揮した。
特に練瓦の術のような、煉瓦を積み重ねたような壁を作ってくれる、まるで建築用にあつらえたような術さえもあって、仕事がはかどった。
さらに、俺たちは影分身を作業に使いまくった結果、ある決定的な裏技に気づいてしまった。
複数の影分身を出して大工仕事や左官作業を行うと、それを解除した時の情報のフィードバックが、本体への経験値として入ってくる。
「釘の打ち方」「鋸の使い方」「鉋の掛け方」「最適なセメントの配合」などが、尋常ではない速度で蓄積されていくのだ。
本体が一人でなら習得に数年かかる大工の技術を、十体の影分身を使えばわずか数ヶ月で職人レベルまで上達させることができる。
写輪眼の絶対的な洞察力でプロの大工の手元を完璧にコピーすれば、その速度は一週間から十日にまで短縮された。
影分身による超並列学習で身につけた技術、基礎を素早く固める土遁。ついには設計にまで手を出して、強度計算まで完璧にこなす凄腕の建設集団へと、うちは一族は成長していった。
自分の影分身同士だからこそ可能な完璧なチームワークも相まって、その建築速度は一般的な大工の追随を許さなかった。
「忍びの仕事か、これが?」
作業着に身を包み、汗を流しながら土木工事に勤しむ己の姿に、一族の誰もが一度はそんな疑問を抱いた。
しかしすぐに気にしなくなった。何かを作る作業は実に楽しく、そして恐ろしいほどに儲かったからだ。
当初の武力を売る仕事よりも報酬は下のはずだった建設の仕事が、その回転の速さで荒事のそれを上回ってしまったのだ。
田の国どころか、各国の貴族や商人たちから「うちはの仕事は早い上に崩れない」と絶賛され、次々と大型案件が舞い込むようになったのだから、この流れに逆らえる者などもはや一人もいなかった。
俺たちはそんな流れの中でも地道な努力と試行錯誤を数年間重ね続け、職人としての腕を磨き上げていた。もう自分が忍者なのか大工なのか完全に見失うほどに、仕事に没頭していた。
「あなた達、最近何やってるの? 木ノ葉崩しの事は忘れてないでしょうね?」
メインスポンサーの大蛇丸にそう心配されるほどには、見失っていた。
しかしそれも、後に俺たちが『永遠の万華鏡写輪眼』を手に入れ、巨大なスサノオを召喚できるようになるまで。
テストでスサノオのもたらした結果は、なんとも言えない空気で、俺たちを包むことになった。
誰が呼んだか、本当に誰が言い出したのか『スサノオ・建築モード』。
それは人間にして数十人分、土遁忍者でも十人分の作業量を、巨大なチャクラの腕一本で軽々とこなしてしまう、圧倒的な破壊力と建設力を持っていた。
ビル一棟分の資材を軽々と持ち上げ、地盤を巨大な足で踏みつけるだけで完璧に整えてしまうその成果を見せつけられた時の、あの空気は何とも言えなかった。
「……俺たちのあの苦労は何だったんだ……?」
「いや、便利なんだけどさ…… 確かに助かるけどさあ……」
これまで数年間、泥にまみれて影分身で土木工事や大工修業をしてきた一族の忍びたちは、
呆れたような悔しいような、苦笑いを浮かべていた。
「なんか解せない」
そんな結論を出して、みんなで非常に微妙な、甘酸っぱいような切ない気持ちになったものである。
俺は6歳でスキップ卒業したので経験は無いが、アカデミーの普通の卒業式の空気とは、あんなものなのかもしれない。
技術…… 技術? の進歩に、自分の仕事を奪われていく職人たちの哀愁がそこにあった。
里作りの思い出を辿ると、ハッとさせられるような「事故」の記憶も蘇ってくる。
里ができて二年目の初頭、激しい地震がこの地を襲ったときのことだ。
当時、建設途中だった三階建ての役場が木造骨組みの段階で崩落し、作業に当たっていた一族の若い忍びや大工たちが何人も生き埋めになるという大事故が発生した。
救援に駆けつけた俺たちだったが、重い梁や土砂に挟まれた生存者を救い出すのは容易ではなかった。下手に瓦礫を動かせば崩れ落ちて二次災害が起きる。
その現場におっとり刀で現れたのが、伝説の三忍の綱手さまだ。
当時の綱手さまは、まだ我が里への一時滞在(という名の借金からの逃亡および酒盛り)という扱いで、完全には受け入れられていなかった。
一応は医術の講師として就職していたが、まだしっかりした医療所も講習を行う場所も無く、里の者にも講習を受ける時的余裕も意欲も少なく、ほぼほぼただの飲んだくれと化していたせいもある。
いきなりやってきた部外者かつ大物なので、どう扱っていいのか誰もわからなかった、というのもあるかもしれない。
その綱手さまは、事故現場へと駆けつけるなり吠えた。
「バカども、そこをどけ! 医療のいろはも知らない奴が、うかつに触るんじゃない!」
綱手さまの凄まじさは、今でも鮮明に覚えている。
『怪力』で巨大な岩や太い梁を軽々と持ち上げて空間を確保すると同時に、瓦礫の隙間に手を差し込み、『掌仙術』で生き埋めになった者の生命活動をその場で維持。瞬時に優先度を見極め、的確な指示で救助隊を指揮された。
血に明らかに怯えて手を震わせながらも、それでも目の前の命へと、その震える手を伸ばし続けた。
その結果、あの事故で生き埋めになった者は、誰一人として命を落とさなかった。まさに、神業と呼ぶにふさわしい活躍だった。
あの事件以来、うちはの一族内における綱手さまへの感情は、それまでの「不作法なギャンブル狂の姫」から「命の恩人」「敬愛すべき医者」へと大きく傾いた。
里内に開設された『綱手流・応急救護講習』や『基礎医療忍術セミナー』には、定員を大幅に超える参加者が殺到。受講料が入ることで綱手さまの懐も潤い、彼女は連日ご機嫌だった。
さらに、うちはの若手の忍びたちが男女を問わず、美しく力強い綱手さまを「綱手お姉さま!」「綱手さま!」とチヤホヤともてはやすものだから、彼女自身も鼻が高くなっていたようだ。
「まあね! アタシにかかればこんなものよ! 坊やたち、何かあったらアタシに任せな!」
そんなふうに上機嫌で酒をあおる姿を、よくお見かけした。
ただコッソリと言わせてもらえば、少々いい気になりすぎているきらいはある。
自来也さまをフッたのも、そのせいだろう。もういい年なのだし、子供を作るとすればギリギリなんだと思うのだが。
なお、あまりにも綱手さまに入れ込みすぎ、鼻の下を伸ばしている若い衆が出た時は、経験豊かな年配の忍びがそっと肩を叩き、陰に連れ出して諭す。それが里の裏の風物詩となっている。
「おい、目を覚ませ。騙されるなよ」
「え? 何がですか、先輩? 綱手さまはあんなに美しくて、お優しくて……」
「アホか! あの方は術で若作りをしているだけだ! 実年齢を思い出せ! お前のお袋より年上だぞ! 眼を覚ませ!」
「ひっ……!? は、母上より……!?」
「シッ!! 静かにしろ…… 聞こえたら消されるぞ」
この「覚醒の儀式(笑)」が行われる際は、綱手さまに絶対に見つからないよう、複数人でチームを組んで全方位の警戒と、綱手さまの位置の監視に当たるのが、うちはの里における暗黙のマナーとなっている。
というもの噂をすれば影、と言うべきか、このマナーが確立する前に一度だけ、うっかり綱手さまにその会話を聞かれてしまったウカツなニンジャが出てしまったのだ。
彼はその場から疾風のごとく連れ去られ、三日間行方不明となった。
四日目の朝、やつれ果てた姿で帰ってきた彼は、心配する同僚たちに何があったのかを尋ねられても、虚ろな目で遠くを見つめるだけで、決して口を割ろうとはしなかった。
ただ、彼の部屋の机には『年齢とは何か』『美意識の深淵について』という怪しげな論文が山積みされていたという。
ちなみに、そんな恐ろしい綱手さまを長年にわたって口説き続け、果敢にアタックを繰り返してきた自来也さまは、我が里において「真の勇者」「死を恐れぬ伝説の男」として絶大なソンケイを集めている。
この間、砂隠れから帰った直後にまた告白が玉砕に終わったと聞いた際は、里の居酒屋で「勇者の健闘を讃える会」が催され、彼に酒をおごろうとする忍びが店にあふれた。
自来也さまも「いやー、フラれた心の傷に酒と情けが染みるのう!」とネクタイを緩めて飲んでいるので、win-winということにしておこう。
こうしてまだ短い里の歴史を振り返ると、俺自身の最大の変化は父との関係であったことに気づく。
忍者から、気付けば土木作業員になっていたという変化は、俺だけじゃないから除外する。
木ノ葉にいた頃の俺と父、フガクの関係は、ぎこちないという言葉では少し足りないくらいには歪んでいた。
俺が七歳で忍務に就き、間もなく暗部へ入り、戦場で手柄を立てて昇進していく様を、父上は決して誇らしいだけの気持ちで見てはいなかった。
時に痛ましいものを見るような目、時に能力への嫉妬を孕んだような目、そして時にただの親として深く心配するような目。
さまざまな感情が混ざり合い、その時々でその比率が変わる視線を、俺に投げかけていた。
俺も父も、お互いに何を話せばいいのか分からず、ただ「一族のため」「里のため」という言葉を盾にして、仕事へと逃げて、向き合うことを避けていた。
だが木ノ葉を出てから、根本から変わってしまった、俺たちの立場と仕事内容が、それを許さなくなった。
ただ上から降ってくる忍務を請け負う末端の駒ではなく、自分たちの里を運営し、一族全員の食い扶持を稼ぎ、財源を確保する経営者の側へと立場がシフトしたのだ。
経営の立場に立ってみて、俺たちはあらためて三代目火影、猿飛ヒルゼン様、いや、歴代火影たちの偉大さと、その苦労を思い知らされた。
日々の食糧、衣類のための布、書類を書くための紙と墨、寒さを凌ぎ、煮炊きをする燃料。
人間がただ「生きて息をしているだけ」で、毎日のように消費されていく膨大な物資。その確実な確保と流通ルートの維持、対価としての金銭の支払い。
それに加えて忍びとしての武具、各種術具、兵糧の備蓄、そして何より社員(しかもうちはの里は社員=一族だ! リストラすら出来ない!)への給料の支払い。何もしなくても莫大な固定費が飛んでいく。
「このままでは二年も持たずに我が里は破産する……」
会計担当のあの言葉に、父と俺だけではなく、経営に関わる長老衆全員の顔が青くなったのもわかるだろう?
そして一族は依頼を受け、その報酬で急場をしのごうとしたわけだが、最終的には上手くいったものの、それはすぐにではなかった。
俺たち建設課が一人前になって、評判を得て、仕事が回るようになるまでは、時間が必要だったのだ。
そしてその時間を稼ぎ、破滅的な財務状況を救ったのは、悔しいがやはり、例の男だった。
「木ノ葉崩しを、前向きに利用しましょう。この機会に、未払いの残業代と失われた警務部の予算、放棄してきた不動産を含む財産の代価。全てを木ノ葉の里から力づくで回収するのです」
これだからこの男は。だからコイツが活躍すると悔しいし、納得がいかないのだ。
俺には出来ない事なのは事実だし、それで結果が出るのも事実ではあるのだが。
幹部扱いなのに、未だに上忍に昇進できていないのは、そういうところだぞ。
里が出来て、まださほど経っていなかった頃。
ふらりとお隣の湯の国にできた音の里まで出かけて、そこが大蛇丸の里だと見抜き、しかも勝手に共同での木ノ葉崩しの提案までして来た。
その男が、今度は「うちはのために木ノ葉崩しを利用して略奪しようぜ!」と主張していた。
お前は何を言っているんだ。
話し合いに参加していた面々の全員からそんな目を向けられながらも、もはやそんな物は慣れたものなのか、あの男は涼しい顔で言葉を続けた。
「思えば、木ノ葉隠れの里は豊かでしたねえ。 ……ですが、その豊かさのいくらかは、我々の物だったのでは?」
「最前線での酷使、過酷な警務部勤め、なのに削られる予算、よくわからぬ天引きや割り引かれる報酬」
思い当たることが多すぎた。
確かに我々は搾取されていた。そういう一面は否定できない。
「誰にも否定させません。我々はただ、奪われたものを奪い返すだけなのですから」
「ねえ、そうでしょう?」そう言って爽やかな笑顔で唆す例の男は、俺の目には甘い言葉で悪の道へと引きずり込む悪魔のように見えた。
かつては長老たちにコキ使われる社畜にも、一族を救った英雄にも見えていたのだが、この所は悪魔に見える割合が増えてきている。そういう成長はいらないんだが。
だが、それよりもさらに俺を困惑させたのは、父の激しい反応だった。
「そうだ! まったくその通りだ! 我らの血と汗の対価を、あの狸どもから回収して何が悪い!!」
父は悪魔の誘いに対して、誰よりも早く、誰よりもノリノリで乗っかっていった。
このチョロすぎる反応に、俺は絶望に近い疑念を抱いた。
(実は父上は、里長としては、まるでダメな男なのでは?)
思い返せば木ノ葉時代、クーデターへ傾斜していく一族の暴走を止めようとしてはいたものの、結局は何一つ止められず、板挟みになって胃を痛めていた。
実は、一族のリーダーとしての資質が根本的に欠落しているのではないか?
しかし、そんな俺の失礼な疑いはすぐに晴れた。
父上が立案した『木ノ葉からの未払い残業代および奪われた予算奪還作戦(物理)』の計画が、恐ろしいまでに有効なものだったからだ。
木ノ葉の防衛線の隙を突く侵入ルートの策定、大名からの交付金や集められた報酬が保管されている金庫の特定、追撃を振り切るための複数の撤退ライン。
そして「いかに敵味方に死人を出さずに、法的な言い分を叩きつけて資産だけを奪い去るか」という困難な方針を立て、しかし実現可能な物へと変える、実践的な訓練。
父の指図と指導は完璧であり、合理的なものだった。
(いや、こういう不法侵入や強盗紛いの方向での有能さは、里長としてのそれとは別では?)
父を見損なって、見直しての反復で困惑する俺をよそに、この「差し押さえ計画」はあっという間にうちはの里の総意となって盛り上がった。
普段は小言ばかり言っている長老衆も「一銭残らず回収してこい!」と一人残らずノリノリで準備に協力している。なんなら、鍛えなおして自ら参加しようとしている。
一族みんな、ここまで木ノ葉に思うところがあったんだな。そりゃクーデターも企むよなあ。
この強奪、もとい回収作戦においてあまりにも輝かしい指導力を発揮してしまった結果、父上の一族内における人望と求心力は、過去最高レベルにまで爆上がりしてしまった。
(うちは一族は、本当にこれで大丈夫なのだろうか?)
かつて、クーデターという破滅の道へと、俺が何をしようとも突き進んでいった、あの頃の感覚。
止めたくても止められず、ただ外から暗澹たる気持ちで眺めているしかなかったあの絶望的な既視感が、形を変えて俺を襲った。
まあ、今回突き進んでいるのは、破滅ではなくゼニの道なんだが。
……まあ、ジッサイ、お金は大事だ。お金がなければ今日のメシも食べられない。
此度は仕方が無い。仕方が無いんだ。と、俺は自分を誤魔化すような言い訳を心の中で繰り返し、父が直接指導する「差し押さえ模擬訓練」へと参加した。
だがいざ本番の日、木ノ葉で『未払いの残業代』という言葉を耳にした瞬間だ。俺の中に、何か強烈なものが走った。
気付けば激しい衝動にかられて、とっさに生み出した影分身たちが、凄まじい手際で書類や金目の物を袋に詰め込んでいた。
(ふざけるな。俺たちの人生と命を、こんなカネに変えて溜め込みやがって……!)
そんな怒りが、チャクラと共に溢れ出てきた。感情でいくらでもチャクラが湧いてくるようなあの感覚は、写輪眼に目覚めた時以来だった。
……どうやら俺も、自分が思っている以上に鬱屈したものを抱えていたらしい。
歳の割には達観した性格のつもりだったが、自分のことがまだまだ分かっていない、若造だったなと冷静になってから痛感した。
そして、無事に木ノ葉から莫大な資産を回収し、里へ戻ってきた後のことだ。
押収した財産や備品の山を集計させられていた例の男が、またしてもフッと爽やかに微笑み ――この時点で、俺を含む慣れてきた一部の人間はイヤな予感がした―― おかしなことを言い出した。
「素晴らしい資金調達でしたね。さて、この資金を原資にして、本格的な『ビジネス』を始めましょう」
『お前は何を言っているんだ?』
再びこの言葉が、一族の者たちの心に浮かぶ。だが口には出さない。
なんかもうある程度慣れたせいで、諦めるのが早くなっていた。
まあ心の中では、ツッコミは入れるんだが。
なあ。こうやって、誰も予想もしていなかったオカしな方向へ、一族をぐいぐいと引っ張っていくのは、これで何度目だ?
しかし実際に話を聞いてみれば理屈は通っていたり、利益はあったりするから、彼のプレゼンは性質が悪い。この時も、言っている事は間違っていなかった。
「どれほど莫大な資金も、ただ消費していくだけではいつか必ず底をつきます。お金は「使う」のではなく「投資して増やす」ものです。戻ってくるお金の使い方をする、それがビジネスです」
そのためにまず設立されたのが、俺も所属する事になる『建設部』だった。
里の建設で培った土木技術、すでにコンクリート生成や高速整地、正確な穴掘りなど、工事専用の術の数々までが、いつの間にか開発されていた土遁。
自分たちは忍者なのか工事現場の労働者なのか。悩んだ末に「忍者として工事をすれば良い」という謎の結論に達した、一族の一部が開発したらしい。
いや、まあ、役立ちそうだからいいんだが。
他にも写輪眼のコピー能力と影分身の並列学習で身につけた、精緻な強度計算と、設計スキル。それを実現可能な工芸能力。影分身によるセルフ人海戦術。
「忍びの仕事か、これが?」
この根本的な疑問がもう一度、全員の前に立ちはだかってきたが、残念なことに『向いている上に、確実に儲かる』という動かせない事実の前に、再び敗北した。
ちょうどその頃、うちはの里自体の突貫工事が一巡し、建設部の手が余り始めていたというタイミングの良さもあった。
あとはダム建設や大規模な治水工事など、国家レベルのインフラ整備案件を待つばかりでヒマを持て余していた彼らにとって、外でお金を稼いでこられるという話は、願ったり叶ったりの渡りに船だったのだ。
そして彼ら建築部の活躍は世界へとその場を移し、うちはの名を土建屋として大いに高める事となる。
「……ふう」
過去の回想から意識を引き戻し、俺は冷めたお茶を一口すすった。
窓の外を見ると、警備事業部の夜間パトロールに向かう、スーツ姿の若い忍びたちが、ビシッと整った敬礼を交わしながら通りを歩いていく。
忍者装束ではない事にも、もう疑問を覚える者は里にはいない。うちはの忍びたるもの、いついかなる時もビジネスチャンスを探し、対応できるようにしておかねばならないのだ。
そのためのスーツ。そのための名刺。
若い忍びたちのその表情に、かつて木ノ葉の陰に怯えていた暗い影はない。
あるのは「今月も目標売上を達成せねば」というノルマに追われた社畜、もとい健やかな労働者の目だ。
迷走に迷走を重ね、時に強盗のような真似、いやあれ強盗だったな。でも公的には差し押さえと言い張らねば。ンンッ、差し押さえまでした。
その結果として、資本主義の波に乗って、我がうちは一族は勢いを付けて走り続けている。
これが正しい姿なのかどうかは本気でわからない。いつか歴史が証明するだろう。
だが少なくとも、サスケが曇りのない笑顔で生きている。
無駄な憎しみに囚われることなく、スーツを着て元気に営業スマイルを振りまいている。それだけで俺には十二分に過ぎる。
他の一族たちも、生き延びることが出来た。現状を見る限り、俺の、俺たちの選択は間違っていなかったのだと思いたい。
デスクの上の書類にサインを終え、俺は静かに万年筆のキャップを閉めた。
明日も早い。朝一番で『うちは建設 警備事業部』の全体朝礼がある。
それが終われば、影分身を二体ほど出して、現場に出ての復旧作業と、コンサル業務と事務作業の三手に分かれて働く予定だ。
わりとブラックだな。だがこれでも、木ノ葉時代を思えば…… と考えてしまうのは、悪いクセだな。今度、会議で議題に出そう。このままではうちはから、永遠にブラック労働は無くならない。
忘れないうちに、手帳に記入して、と。
「さて、明日も頑張るとしようか」
うちはの天才と呼ばれた男の、ごく普通の会社員らしい呟きが、夜の静寂の中に静かに溶けて消えていった。