【悲報】ピッケル100本折ったアホ、神ハンターに暴言を吐いて人生をチェックメイトされる 作:翔田美琴
漆黒のゲートをくぐり抜けた瞬間、生温い夜風とともに、腐葉土と獣の脂が混ざり合った異様な臭気が一家の鼻腔を突いた。
背後で「ガシャン!」と重々しい音を立てて木柵が完全に落とされる。振り返れば、柵の隙間から漁師たちの掲げる松明の火がチリチリと揺れ、美琴の冷たい双眸と、高台のテラスで優雅にワイングラスを揺らすレムの銀髪が小さく見えた。戻る道は、文字通り断たれていた。
「あ、明かりがねぇべ……! 一歩先も見えねぇ!」
父親が腰を抜かして泥濘に手をつく。
月明かりすら遮る鬱蒼とした巨木の天蓋。闇の中でカサカサと蠢く無数の虫の這う音、そして木々の軋む音の合間に響く、地響きのような唸り声。
「くそっ……! キノコだ! キノコを探せばいいんだろッ!」
レッドは恐怖を誤魔化すように吠え、這いつくばって湿った大木の根元を素手でまさぐった。
指先にぬめりとした感触が触れる。
「あ、あった! おい、キノコだ! 青白く光ってやがる! これが『特産キノコ』じゃねぇのか!?」
「どれどれ、お母ちゃんに見せてみろ……」
母親がおぼつかない手つきで受け取り、暗がりの中で顔を近づけた瞬間――
ボシュッ!
「ぎゃあああああッ!?」
キノコの傘から紫色の濃密な胞子が噴出し、母親の顔面を直撃した。
顔中が瞬く間に水ぶくれとなって膨れ上がり、猛烈な痺れに母親がのたうち回る。特産キノコなどではなく、夜間に活性化する原生種の猛毒キノコだった。
「お、お母ちゃん!? 毒だ! 解毒薬は……ねぇ! 支給品なんにもねぇんだッ!」
父親がパニックで喚き散らす。図鑑を読まず、キノコの形状も毒の性質も知らぬまま手当たり次第に触れる愚行の、これが必然の代償だった。
その喚き声を聞き逃すほど、夜の森の上位生態系は甘くはなかった。
――グルルルァッ!
暗闇の奥、赤く光る二つの眼光が、音もなく三人の頭上の太い枝に着地した。
青紫の毛並みに、発達した頭部のトサカ。昼間の雑魚とは比較にならない巨躯を誇る、夜のジャギィノスとドスジャギィの群れだった。さらに遠くの空からは、夜風を切り裂く巨大な風切り羽の音――上位飛竜の威圧的な影が、月を横切って旋回を始めている。
「ひ……っ!?」
レッドの喉が完全に凍りついた。
武器の構え方も知らず、回避のタイミングも計算できず、ただ「腕力」を過信していた男の目の前に、正確無比な捕食者の殺意が牙を剥く。
「た、助けてくれぇぇッ! ギルドォッ! 美琴さん! レム様ァッ!!」
父親が柵に向かって絶叫し、血が出るほど木肌を爪で掻きむしる。
だが、柵の向こうからは、冷え切った夜風に乗って、ただ静かな声が降ってくるだけだった。
「指定納品物は特産キノコ3個、厳選キノコ3個。……猛毒キノコで悶絶する雑音など、1ゼニーの価値にもなりませんわ」
背後を塞ぐ絶対の絶望と、目の前に迫る夜の牙。
知性を捨て去り、学ぶことを侮蔑し続けたペテン師一家に、夜のモガの森の本当の地獄が牙を突き立てようとしていた。
夜のモガの森は、一瞬にしてペテン師一家の絶叫がこだまする地獄の運動場へと変貌した。
「ア゛ア゛ア゛ッ! 来るなァ! こっち来んじゃねぇぇッ!」
トサカを震わせたドスジャギィの統率された咆哮響く中、数十頭のジャギィとジャギィノスが、まるで測距された包囲陣形を敷くように一家を取り囲んでいた。
昼間のアプトロスにすら力負けしたレッドは、大剣を構えるどころか泥濘に足を取られて無様に転倒。背中からジャギィの鋭い爪を浴びせられ、ボロ布のような服を引き裂かれて悲鳴を上げる。
「痛ぇぇぇッ! 骨が! 骨が軋んでるべぇぇッ!」
父親は顔面を毒胞子でパンパンに腫らした母親の手を引っ張り、暗闇の中を闇雲に疾走するが、枝や蔓に足を取られては転がり、泥水を浴びるだけ。
走り方ひとつ、スタミナ配分の計算ひとつすら知らぬ無学者の逃走劇は、捕食者たちにとって格好の「動く肉塊の追い込み漁」に過ぎなかった。
さらに頭上を切り裂く轟音。
月光を遮り、巨大な翼を広げて急降下してきたのは、夜の森を支配するリオレイアの威圧的な影だった。
緑鱗の巨躯が着地しただけで地響きが起き、その余波の風圧だけでレッド一家はまとめて泥溜めへと吹き飛ばされる。
「ぎゃあああッ! なんで! なんでこんな化け物がいるんだべぇぇッ!?」
「村長の息子さんが言ってたろうがッ! 『上位モンスターが跋扈する森』だって最初から言ってたろうがァッ!」
親子の醜悪な罵り合いが泥の中で炸裂する。
だが、リオレイアは耳障りな甲高い悲鳴に苛立ちを露わにし、長大な棘付きの尻尾を薙ぎ払った。
大木が根元からボキボキとへし折れ、その破片が一家の頭上へ容赦なく降り注ぐ。
這う這うの体で森の入り口――閉ざされた村のゲートへと這い戻ってきた一家は、血と泥と毒の汁で原型を留めぬ顔のまま、丸太の柵に縋り付いて泣き叫んだ。
「あ、開けてぇぇッ! 死ぬ! 本当に喰われちまうッ!」
「キノコ! キノコなら探すから! 一旦中に入れてくれぇぇッ!!」
頑丈な柵の上から、松明の明かりに照らされた美琴の冷ややかな美貌が覗いた。
手元の手帳にペンを走らせ、乱れる息で喚くレッドを、ただの故障した機械を見るような瞳で見下ろす。
「納品ボックスは依然として空欄ですわ。……キノコ6個の調達すら完了していない段階で、ゲートの開放を要求する論拠は何かしら?」
「論拠とか知るかバカヤローッ! 後ろ見ろ、後ろッ! ドスジャギィが! レイアがそこまで来てるんだよォッ!」
レッドが柵の隙間から血走った目を剥き出し、絶叫した。
そのすぐ真後ろ、暗闇のブッシュから、ジャギィたちの黄色い獰猛な瞳がずらりと並び、遠くからはリオレイアが低く威嚇の火炎を喉奥で滾らせる音が迫っている。
高台のテラスから、レムが手すりに頬杖をつき、手元のグラスを軽く傾けながら涼やかな声を落とした。
「いい運動になったじゃないか。知識も技術もないなら、せめてその頑丈な脚で夜明けまで走り回って、上位モンスターたちの退屈しのぎにでも貢献したらどうだい?」
銀髪を潮風に揺らしながら、神ハンターは欠伸混じりに目を細める。
「ほら、後ろから次の追手が来てるよ。……休んでいる暇があるなら、足を動かしな。ペテン師の命がけの鬼ごっこ、観客席からは実に見応えがあるよ」
柵の隙間から、容赦なく漁師たちの掲げる松明の火の粉が払い落とされ、一家の手首を焼いた。
退路は完全に塞がれ、背後からは捕食者たちの涎の垂れる音が迫る。知性を冒涜し、学ぶことを放棄した愚者たちの「夜の追いかけっこ祭り」は、まだ始まったばかりだった。