マリスビリーと暁美ほむらは宇宙規模の恥知らず 作:あばなたらたやた
背後に、気配があった。ほんの僅かなものだ。殺気や魔力でもない。ただ、そこに何かがいるような、違和感。
それだけだった。それだけではあったのだが、暁美ほむらは振り返るより早く動いていた。
マリスビリーの身体を抱え、そのまま大きく空間を蹴り飛ばすように跳躍。一瞬で数十メートル後方へと離脱し、着地する。
その間にも、ほむらの視線は背後の存在から片時も離れなかった。
ほむらは自身の力を確認する。
魔力は潤沢。以前の自分とは比較にならない。身体能力、反応速度、魔法少女としての基礎性能そのものが次元違いに底上げされている。
時間停止に記憶改竄。そして必要とあれば、魔女すらドッペルとして召喚し、使役することすらできる。
戦力だけを見れば、正面戦闘で敗北する可能性は極めて低い最強無敵完全無欠。目の前の存在が何者であろうと、真正面から殴り負ける未来など想像しにくかった。だが、だからこそ、警戒する。
力があるからこそ。自分が強くなったと理解しているからこそ恐ろしい。己の力を過信した無知が、どれほどの地獄を招くのかを、ほむらは嫌というほど知っているのだ。
めちゃくちゃ強いくせに、調子に乗った結果、お菓子の魔女で死んだ巴まみ。
魔法少女の才能はあるのに恋愛のゴタゴタで魔女になる美樹さやかとかが良い例だ。
あの二人を見ていると、精神の安定はとても大切なのだと理解させられた。当時は余裕がなかったが、今はそれをちゃんと認識できる。
強いから安全なのではない。強いからこそ、強さでは対処できない異質や、そこから派生する精神の動揺に自覚的なければならない。
ほむらはその存在を視界に捉えた。自分と瓜二つの少女。
その姿を認識した瞬間、ほむらの唇から静かに言葉が漏れ出していた。
「ワルプルギスの夜……!」
「そう言う貴方は悪魔ではないのですね。とても強く、そして恐ろしい。悪魔と同じ顔をして、同じ様相で、同じ力を持ち。にも関わらずその在り方は変質している。貴方は一体、誰なのですか?」
問いかける少女の立ち姿には、どこか奇妙な優雅さが漂っていた。巨大な災厄。かつて自分が幾度となく挑み、そのたびに打ちのめされ、膝を折ってきた存在。
そのおぞましい名を冠するには、目の前の姿はあまりにも可憐で、あまりにも少女らしすぎた。
ほむらには分かる。
まどかと同じように『魔法少女の救済を願った者』なのだと。
(まどかの前任者のようなものかしたらね)
あるいは前作主人公、ともいうべきなのだろうか?
彼女が死ぬ間際に生み出した名塚底根がなければ、いまだに魔女はただの無個性として存在し、ワス(マルグリート)の能力の一部である『他者の穢れを移動させる』を引き継いだグリーフシードも落とさなかった。
回復手段のない永遠の消耗戦を変えてくれた功績は大きい。
「私は暁美ほむらよ。ただの人間」
「魔法少女と魔女の力を持っているのに?」
「ええ、こんなのはただの道具に過ぎない。重要なのは心の在り方。私はもうそれを知っている。ワルプルギスの夜……いえ、ワスと名付けましょうか」
「私の名前はマルグリートだけが知っている。私の女神だけが!」
あまりにも即答だった。しかも、そこだけ妙に強い。
ほむらは一瞬だけ黙る。
マルグリートや女神。知らない単語ではない。だが、今ここで掘り下げる必要もない。というより『じゃあなんて呼べば良いんだよ』と心の中で、ほむらは半ば投げやりに思った。
ワスは言う。
「……それは良いでしょう。貴方は無関係のようですし。ええ、はい。それはいいとして、貴方は悪魔とは関連はあるけど、本人ではないのね。悪魔のせいで色々と複雑になっている様子。これも理が崩れた歪みなのかしら」
「そう……その通りよ」
だんだんと、面倒臭くなってきた。
ほむらは心の中で小さく息を吐く。敵対するつもりもなければ、味方に引き入れるつもりもない。今の彼女にとって、目の前のワスという存在は、今すぐ排除しなければならない緊急の脅威ではなかった。
構う必要はない。いや、直感が告げている。この手合いは、下手に構ったら一番厄介なタイプだ。自分には、もっと優先すべき絶対の目的がある。
サクッと悪魔ほむらからまどかの人格を譲り受け、そのまま過去へ、過去へと時間を遡る。そして、全ての始まりである最初のループそのものを未然に阻止する。
それができれば、それでいい。
万が一失敗したなら、また別の手立てを講じるだけだ。いつだってそうやって泥を啜るように生き抜いてきた。
問題が発生すれば情報を集め、情報が足りなければ体当たりで試し、多すぎれば一度引く。ただそれだけのシンプルな生存戦略。
今さら、目の前に現れた奇妙な少女一人に、貴重なリソースと時間を割いている余裕などどこにもなかった。
「私は貴方達と敵対するつもりはないわ。好きにしなさい。悪魔を倒すなり、蘇ったことに感謝して第二の人生を楽しむのも良いでしょう。貴方の意志を尊重するわ」
吐き捨てられたのは、あまりにもそっけない、あっさりとした拒絶の言葉だった。ワスは驚いたように、少しだけその目を丸くする。そして、ほむらのに隠れているマリスビリーが言う。
『大丈夫かい? 少し疲れているように見える。僕が対応しても構わない』
マリスビリーが、テレパシーで静かにほむらへ声をかけてきた。その声音には、揺らぎひとつない。
今目の前に佇む存在が世界を容易く滅ぼしかねない怪物であったとしても、処理すべき日常業務の一つに過ぎないと言わんばかりの冷静さだった。
『いいえ、平気よ。自分でできるから』
ほむらは小さく息を吐き出す。肺の奥が、どろりと重かった。疲れているその自覚はある。だが、戦えないほどではない。
それに今ここで、マリスビリーを前に出す理由などどこにもなかった。
彼は秘匿してこその存在だ。少なくとも、ほむらの中で彼を前に立たせる選択肢は存在しなかった。
自分が動けるなら、自分がやる。余計な温情も貸し借りもなく、それが最も確実で、一番早いのだから。
「貴方の目的はマルグリートと出会い、色々とやること。私は鹿目まどかを支配しようとする者の敵。私は好きにする。貴方も好きにしなさい」
言葉にすれば、単純だった。
互いに目的が違う。なら干渉しなければいい。敵や味方の二元的に割り切れない関係だ。利害の衝突がなければいい。
「あら、それはそれは。本当に悪魔とは違うのですね。あっちはもう少し……いや、貴方の敵らしく支配的だった印象があったけれど」
「…………そうね」
ほむらの肩が、ふと落ちる。
ほんの少し。本当に、ほんの少しだけ。
しょぼん、と。
自分でも思わず苦笑してしまうほど、あからさまな落胆だった。ワスはそれを見た。見てしまった。そしてあろうことか、それをひどく面白がったらしい。
「ふふ、はは」
しょんぼりと肩を落とすほむらに対し、ワスは楽しげに、ゆったりとした足取りで距離を詰めてくる。
その瞬間、ほむらの空気が一変した。練り上げられた魔力が弾け、その手に瞬時に武器が形作られる。
右手に漆黒の盾。左手に鈍く光る銃。そして彼女の周囲の空間には、一斉に巨大なギロチンの刃が顕現した。
ジャキ、と空間を切り裂く重厚な金属音が重なり合う。
幾重もの刃が円を描いてワスを包囲し、銃口が正確にその心臓を捉え、盾が隙なく構えられる。解き放たれた魔力が、一瞬で戦場に変えた。
さっきまで気の抜けた溜め息をついていた少女と、同一人物とは到底思えない殺意がそこにある。
ほむらは言う。
「何のつもり?」
「いえ、いえ、いえ、いえ? 少し可愛らしいと、思いまして」
「可愛らしい?」
「同じ顔をしている者同士です。少し親交を深めるのも悪くないでしょう?」
「それは……」
どうなのかしら? わからない。わからないけど、少しだけほむらは過った想いがあった。
まどかと同じ願いをして、少しだけ世界を優しくした少女。彼女に興味が無いといえば嘘だった。
「必要ないわ。私にはやることがある」
「あら、連れないのね。そのやることとは?」
「…………」
「それもだんまり。まるでクリプターのよう」
その声に反応したのは、マリスビリーだった。
「クリプター、秘匿者。それは良いコードネームだね。この世界に悪魔となった暁美ほむらと区別する為に必要だ」
「マリスビリー!? どうして出てきたの!?」
「蒼い、きゅうべぇ。インキュベーター?」
蒼い四足歩行型のマスコットをしたマリスビリーはほむらの方に乗る。
「あら、あらあらあら。面白い。珍しい。とても興味がありますわ。ぜひ、教えていただきたいですわね、クリプターさん。そして、マリスビリーさんだったかしら?」
クリプターというコードネームを与えられたほむらは、ため息をついて、敵対行動を解除した。そして背を向ける。
もう自分の計画はぐちゃぐちゃだから、流されることにした。
「ついてきなさい。家まで案内するわ」
もちろんこの世界にクリプターほむらの家はないので、周囲の人間を記憶改竄して、いい感じの豪邸を乗っ取った。
「クリプター、普通にモラルないのは良くないわ」
「噴水に寝っ転がって、そのまま歯茎を見て、学校行く女に言われたくないわ」