今日まで多くの感想や誤字報告などありがとうございました。見切り発車で書き始めた本作、なんとかここまで形に出来ました。最後までお付き合い頂けますと幸いです。
時は少しだけ遡る。
「薩摩よ、加勢に行かなくていいのか?」
俺は遊郭の敷地より少し離れた、全体を見渡せる高台に居た。隣に立つ狐の面を付けた男へ問いかける。
「危なくなればそうしよう。だがこの調子なら、宇髄と竈門少年たちならば問題あるまい!」
杏寿郎…もとい薩摩が見据える先では、正にその宇髄や炭治郎たちが、上弦の陸である妓夫太郎と戦っていた。距離があるため全ては把握できないが、どうやら首尾よく妹の堕姫をほぼ無力化できたらしく、鬼殺隊側が有利に事を運んでいるようだ。
「確かにそのようだが…下手に追い込む前に加勢して、さっさと倒してしまおうとは思わないのか?」
わざわざ文字通り高みの見物をする格好になっている事に、俺は至極まともと思える疑問を投げかける。
「…確かに万全を期すならそれが良いのだろう。だがそれでは彼らの…特に竈門少年たち、若い芽の成長にならん。宇髄の面子も潰したくはないしな」
薩摩の闘気が僅かに揺らいだのを俺は見逃さなかった。言っていることは分かるが、恐らく理由はそれだけではないだろう。
「怖いのか?奴らに会うことが」
「………」
あえて俺は直接そう尋ねる。
無言の薩摩。
面でその表情は読めない。
「炭治郎の手紙にもあっただろう。あの宇髄という奴には全て知られているし、今日突入するともわざわざ書いていた。お前が来る事を期待して、そう記したのだと俺は思うがな」
「……お前の言う通りだ、狛治」
ようやく聞こえたのは何とも弱々しい返事。
「俺は怖い。確かに今日まで人を喰う事もなく、己を保ち続ける事が出来ている。だがまた彼らの前に現れた時、或いは俺が戦闘で消耗した時…再び俺の中の鬼が牙を剥くかも知れん…それがたまらなく怖いのだ」
「……」
「彼らだけで事が足りるなら、そんな危険な橋を渡る必要は無い…と考えてしまう。そもそも日輪刀すら今は無いしな」
自嘲気味に笑う薩摩へ、俺は何か励まそうとしたが、上手く言葉に出来ない。
「…お前なら大丈夫だ。俺も居る」
肩へ手を置き、そう言うのが精一杯だった。
何かあったら俺が杏寿郎の鞘になればいい。
こいつを鬼にしたのは俺の身勝手だ。
ならばその責は俺が背負おう。
そんな事を続けて言おうかと悩んだ時。
異変に気づいた。
「なんだ…急に気配が」
炭治郎たちの戦況が急変したようだ。
妓夫太郎の強さが突然膨れ上がった事が、この距離からでも感じとれる。
何があった…下手をすると俺に匹敵するかも知れない、濃密な死の気配。
「狛治…!」
「ああ、行くぞ!」
薩摩も感じ取ったのだろう、このままでは炭治郎たちの敗色濃厚だと言うことに。
単純な強さだけで勝負が決まる訳ではないが、妓夫太郎は毒の技も扱う。それを俺の情報で知っている鬼殺隊側も当然対策はしているだろうが…この上昇した強さ同様、毒も強化されていたとしたら、事態は一刻を争う。
俺たちは風よりも疾く夜の遊郭を駆ける。
薩摩も仲間の危機に吹っ切れたようで、闘気が臨戦態勢になっている事が解った。
鬼殺の刀を持たない俺たちでは妓夫太郎を仕留める事はできないが、徹底的に打ちのめせば一時的に無力化はできる。その瞬間に宇髄でも炭治郎でもいい、頸を落としてくれれば終いだ。多勢に無勢で気が引けるが、そうも言っていられないからな。
「狛治!面は付けなくていいのか?」
「……くっ、気は進まないが」
走る最中、薩摩の呼び掛けに俺はため息をひとつ吐きながら、懐から狸の面を取り出す。まだ狐の方が幾分マシだったが…面がこれしか手に入らなかったから仕方ない。
面をする理由は、妓夫太郎とそれを通して見ているかもしれない無惨への正体隠しだ。果たして効果があるのかは疑問だが、薩摩なりに腹を括るため必要なことなのだろう…と思っておくことにする。
補足だが、今日までの間に何度か鬼から人間を助けている。その時から二人ともこの面をし、薩摩は鬼殺隊の隊服の上に只の古びれた布の外套を纏っている。俺は人間の頃のような白い道着(廃棄された道場跡で見つけたもの)を身に付けて、今も同じ格好をしている。
鬼を倒す目的ではなく、薩摩が人間に接して問題ないかを試す狙いが大きかったが、今のところは問題なかった。人間が鬼に傷をつけられた状況下では少し揺らぐ場面もあったが、以前のように俺が押さえ付ける必要は皆無だった。
そんな事を思い返している時だった。
「待て、誰か居る!」
戦場からほど近い家に人の気配を感じた。
俺は走りながら術式を薄く広範囲に展開していた為、流れる景色の端にそれを感知できたのだ。
鬼殺隊の隠とやらが避難させる計画だったはずだが…見落としたのか?このままでは戦いの余波に巻き込まれかねない。
「俺が見てくる!薩摩はそのまま行け!」
「わかった、頼む!」
手短にそう判断し、薩摩は迷わず進んだ。
あの様子なら上手くやるだろう。もし他にも逃げそびれた人間が居たとしても、俺ならそれを細かく察知できる。
俺は人の気配を辿って屋根を幾つか飛び、すぐにひとつの家の前へと降り立った。
「この中だな…おい、誰か居るのか?」
周りに人の気配はない。恐らく一人。
返事は聞こえないが、急いでいるため俺は中へと踏み込んだ。するとそこには、
「…すみません、すぐ逃げますので…!」
おろおろと部屋の中を歩き回る女が居た。
だが様子が妙だ、壁や柱に何度も当たり…。
「…まさか、目が見えないのか?」
よく見るとその目には包帯が巻かれていた。
それで逃げられなかったのか…?
「はい、ちょっと流行病で…あっでも一時的なもので、もう少しで治りますから!」
そう明るく言う女の足元に目を落とす。
さっきから何かを探している様子だったが、
「もしかして、これか?」
俺は部屋の隅に落ちていた御守りを拾って、女の手に触れさせ手渡した。
「あっ…は、はい!ありがとうございます!先ほど別の方が避難するよう教えに来てくれたんですが、これをどうしても-」
「後で聞いてやる。急ぐから背負うぞ」
「え?きゃ!」
俺は喜ぶ女の話を強引に打ち切ると、さっと背中に背負ってそのまま家を飛び出した。
「しっかり捕まっていろ。少し揺れる」
「お、重くないですか?」
「喋ると舌を噛むぞ」
呑気な調子の女は適当にあしらい、俺は意識を集中する。…街の角に人の気配が集まっているな。そこが避難所だろう。
俺は屋根を再び飛ぶ…と、万が一この女を落としては不味いな。少し回り道になるが普通に走って避難所へと向かった。
「わ、わ、すごい速いんですね!」
「喋るなと言ったろう…まあ噛まないなら別にいいんだが」
一応あまり揺れないように気をつけてはいるが、女はずっとこんな調子だ。
「もう少しで住人たちの避難所に着く。そこに行けばお前の家族も居るだろう」
「あ…いえ、身寄りはもう居ないんです。つい先日、母も亡くなってしまったので…」
耳元で女は、少しだけ寂しげに呟いた。
「…そうか、悪かった」
「いいえそんな!…この御守りは母が、私の目が早く治るようにって、作ってくれたんです。だから先ほどは有り難うございました。慌てて落としちゃって、ずっと探してたんです」
そうだったのか…。俺は少し反省した。目が見えないから、俺を怖がらないので都合が良い、この妙な格好を見られなくて済む…などと考えていたからだ。
「早く、治るといいな」
「…はい!恩人のお顔も見たいですし」
「大袈裟だろう。それに怖いぞ多分」
「えぇ?そんな事ないですよ、きっととても優しいお顔ですっ!」
すぐ隣では激しい戦いをしている筈なのに、俺は急ぎながらも何故かこの女の相手をし続けていた。
「だって、優しい男の人にこうして背負ってもらったこと…ずっと昔にあったような気がするんです」
……え?
走馬灯のように、遥か過去の記憶が蘇る。
それに思いを巡らせようとした時。
べべん!
聞き覚えのある琵琶の音。
次いで、覚えのある嫌な気配。
背筋が粟立つ。
よりによって今か。
「やれやれ、無惨様も人使いが荒いよな〜。妓夫太郎たちだけでも負けないと思うのに、念のため手伝いに行けなんて…」
俺は素早く建物の影へ身を隠した。
どうやらこちらには気づいていないらしい…偶然鉢合わせただけか?物陰から姿を確認すると、やはり現れたのは上弦の弐・童磨だった。
「あ、あの…?」
「喋るな…ここを離れるぞ」
背中で戸惑う女に有無を言わさず、俺はひとまず引き返す選択をする。住民の避難所はもう近いが、そこでもしあいつに住民が襲われたら被害は計り知れない。
かと言ってこのまま放置すれば妓夫太郎の加勢に向かうだろう。それでは薩摩たちが危ない。
ならば一旦この女を遠くへ隠し、その後こいつを引き付けて足止めして、夜明けを待つ。それが上策と思えた。
だが、俺は読みが甘かったようだ。
「あれあれぇ?なんかとってもいい匂いがすると思ったら…それにこの気配は猗窩座殿だよね?まさか女の子と一緒にいるなんて!」
しまった、馬鹿か俺は。
こいつの女への執着は知っていただろう。
あっさりと俺たちの居場所はバレてしまった。隠れている塀の上から愉快そうに覗き込む童磨を、俺は忌々しげに睨んだ。
今すぐ殴り掛かりたいが、俺はすぐさま女を抱えその場を離れる。
「あれ?鬼ごっこかい?鬼なだけにアハハ!」
遠くでやつの驚く声が聞こえたが気にもせず、俺は手頃な空き家へ飛び込むと、すぐに物陰へ女を隠した。
「いいか、絶対に声を出すな。ここから動くな。それと耳も塞いでいてくれ」
「あ、あかざ…さん?」
「いや…俺は狛治だ。お前は必ず守る」
俺はその両肩に手を置いて告げた。女は戸惑いながらも頷いて、言う通りに耳を塞いでくれた。
聞かせたい話は出来ないだろうからな。
家を出ると、予想通りそこにはもう童磨の姿があった。
「やあ久しぶり!ずっと探してたんだよ?」
「人違いじゃないか」
とりあえずは時間を稼ぐ。
気配から察するに薩摩はどうやら間に合ったようだから、向こうはもうすぐ決着が付くだろう。夜明けも近い。ならばやる事は大して変わらない、足止めに徹する。
こいつは女なら必ず喰いたがる。それもなるべく生かしたまま…だからこうして女の姿を隠してしまえば、迂闊にこの辺りを攻撃は出来ないはずだ。殺してしまっては勿体ないから。
仮に気にせず殺そうとしても、俺が守る。
もしかしたら、あの女は-。
「えー?そうかなぁ…だって君、鬼だよね?さすがにそこは間違えないよ〜。それにしても面白いお面と格好だなぁ」
けらけら笑うコイツは絶対に殺すが、今じゃない。ここで戦っては不味い。
「…ああ、確かに俺は鬼だ。そしてあの女は俺の獲物だ、手を出すな」
鬼ならどうするか、暗黙の了解というものがある。それは基本的に、獲物は横取りしないというものだ。低俗な下級鬼はその限りではないが、少なくとも十二鬼月に近い鬼ほど、その辺の縄張り意識というものがあった。
「…なるほど!そういう事なら仕方ないね」
童磨は手をポンと打ち納得したように頷く。
これで女を諦めてくれるといいが…。
「でもさっきの女の子、可哀想だと思わない?」
「……何の話だ?」
俺は本当に疑問に思い、問い返す。
「だってさあ、あれ目が見えない子でしょ?この遊郭で、そういう使えない女の子はひどい立場なんだよ〜。知らなかったかい?」
俺の髪が逆立つのが分かった。
落ち着け、奴はいつもこうだろう。
「あ!…あ〜あ、妓夫太郎たち負けちゃったみたいだなぁ…無惨様には間に合わなかったって報告しなきゃ。怒られちゃうよなぁ…あ、えっとどこまで話したっけ?」
当たり前のように人の神経を逆撫でする奴だ。
昔の入れ替わり戦でも、俺は冷静さを失ったことが敗因になった。
「そうそう!だからそんな可哀想な女の子は、救ってあげなきゃでしょ?だから俺が食べてあげようと思ったんだけど…君が食べるなら諦めるよ」
…そうだ、諦めろ。
これでいい。もう少しの辛抱だ。
いずれ夜明けだから逃げ帰るだろう。
「でもそうか〜人違いかぁ。俺の鼻も鈍ったかなぁ?てっきり猗窩座殿だと思ったのに…あ、でも猗窩座殿ならさっきみたいに、みっともなく逃げ回ったりしないよね?やっぱり人違いだったね!ごめんごめ」
プツン
考えるより前に拳が動いていた。
奴の顔を怒りに任せて殴りつける。
砕ける音とともに奴は吹き飛ぶ。
爆ぜる建物の倒壊音。
そこでようやく我に返る。
「…いたたた」
顔が粉々に吹き飛んだはずの童磨は、それを再生させながら瓦礫から起き上がる。
「この拳、やっぱり猗窩座殿じゃないか!何度も食らった俺が言うんだから間違いないよね。いやぁ〜なんかもう懐かしいぐらいだよ!」
やってしまった。
こいつを殴り飛ばせる鬼が果たしてどれだけ居ることか、余計な真似を…。
「ということは、あの子を食べるなんて嘘なのかな?だって猗窩座殿は女の子を食べないし…じゃあやっぱり俺の出番だよね!」
ホッとしたような、心底嬉しそうなその顔をやめろ…駄目だ、矢張りこいつと俺はどうしようにも合わないらしい。
「お前の出る幕じゃない。無惨様に報告するんだろう?さっさと帰ったらどうだ」
こいつの言う通り、向こうの戦いは終わったようだ。先程の音でこちらへすぐに薩摩たちが駆けつけるだろう。
「おかしいな〜、これは俺の優しさなのに…なんで邪魔するのかな?猗窩座殿〜」
「俺の名は…狛治だ」
「狛治?格好だけじゃなくて名も変えたんだね!うん、いい名だと思うよ」
もう少し、もう少しだ。
「でもそうかぁ…無惨様から頂いた名を捨てるなんて、本当に裏切ったんだ」
やつが涙をひとつ零した。
「じゃあもう、敵だよね?」
涙は地面にぽとりと落ち、
それが開戦の合図となった。
【血鬼術-蓮葉氷】
【破壊殺-乱式】
奴が無数の氷の刃を展開し襲いかかる。
俺はそれを瞬時に悉く撃ち落とす。
自身へ向かう分だけではなく、余波が後ろへと飛ばぬよう念入りに。
「すごい…本当にあの子を守るなんて!」
「お喋りしている暇はあるのか?」
先手必勝、とにかくここから引き離せ。
俺は先ほどよりも疾く殴りかかる。
だが手応えはない。
「でも狛治殿、今まで俺に勝ったこと無いよね?それどころかさ…」
背後、耳元から撫でるような声。
俺は直ぐさま裏拳を入れる。
今度こそ手応えがあった。
だが、奴は避ける素振りを見せなかった。
「…うん、やっぱりそうだ」
砕けた顎を瞬時に再生させ、そこを撫でながら奴は何やら納得したように呟く。
「狛治殿、前より弱くなってないかい?」
「…なんだと?」
「最後に人間を食べたのはいつだい?よく見たら随分、血の匂いが薄くなってるし」
心底、癪に障るやつだ。
俺が弱くなっただと?だからどうした。
力、速さ、無尽蔵の体力…それらは以前と比べて、俺は明らかに弱体化している。
鬼は飲まず食わず、寝ることもせずに生きていける。だが強さはそうはいかない。
人間を定期的に喰らい続けなければ、それによって積み上げた力はやがて崩れ去る。
ただの人間より、強者や稀血の人間を喰えばより効果は著しい。だから鬼は人を喰う。俺もかつてはそうだった。
「…俺はもう二度と、人は喰わない」
弱くなった、そうかもしれない。
だが言うなればそれは、借り物の力。
犠牲のうえで成り立つ偽物の強さだ。
杏寿郎たちを見ていて一層そう思った。
強くなりたい、本当の意味で。
今更だが、過去を無きものには出来ないが。
「それじゃあ俺には勝てないよ?」
【血鬼術-枯園垂り】
【破壊殺-空式】
奴はあえて女の隠れる屋敷を狙い、そこに無数の巨大な氷柱を降らせる。俺はそれに向けて拳を振るい、衝撃波で粉砕する。
「ね?だからその子も食べなよ」
その隙に左腕を切り落とされた。
俺は瞬時に…再生が遅い。傷口が凍らされている。前の入れ替わり戦でもやられた手口だ。俺は自ら凍っている部分を手刀で切り落とし、再生させる。
「くどい。俺は喰わないし、お前にも指一本とて触れさせない」
「再生速度も相当に落ちているよ?本当にどうしちゃったのかな狛治殿は…もしかして、その女の子の影響とか?恋しちゃってたりさ!」
何を的はずれなことを…と、言葉にできず俺自身も戸惑う。
「へえ…益々その子が気になるなぁ」
「させないと言っただろう!」
一秒に無数の攻防を繰り広げながら、奴は隙を見て女のほうへ近づこうとする。俺はそれを死守すべく立ち塞がる。
死守…そうだ、俺は守りたい。
ついさっき会ったばかりの人間を。
鬼である俺が、たった一人の女を。
『お前は何か守るもんが無いと駄目なんだ』
防戦一方の中、ふと脳裏に過ぎる言葉。
誰かに言われた…誰からだったろう。
だが今の俺に力を与える言葉だった。
苛烈な攻撃は俺を試すように絶え間なく、
だが俺は一歩も退かず迎撃する。
【血鬼術---】
強力な技が来る…と身構えた時。
その時はやってきた。
「あ〜あ時間切れか…残念、よく頑張ったね狛治殿!次はもっとゆっくりお話しよう!」
べべん!
薩摩がこちらへ駆けつけた。
同時に琵琶の音と共に奴は消え失せる。
戦闘開始からここまで数分…いやもっと短かったかも知れない。
「狛治!無事か?」
薩摩の声が、やけに遠くに聞こえる。
俺はこの通り問題ない。
顔を隠す面は顔の半分と共に早々に砕け、
片腕は再生もおぼつかず、
切傷と凍傷は全身無数にあり、
息も絶え絶えで情けないが。
「…問題、ない」
後ろの家だけは、傷ひとつなかった。
それで十分と思い、俺は笑った。
「…狛治さん?」
急に周りが静かになったためか、女が恐る恐ると中から出てきた。目が見えないというのに、その足取りは真っ直ぐで。
しまった、面が…この姿は…。
夜明けはもう間もなく薄明るい。
見られたくない、だが体が動かない。
「……目は、もう良いのか」
包帯は自ら外したのだろう。
薄目でこちらへ歩いてくる。
「はい…遠くはまだボンヤリですが…」
目の前で女は立ち止まる。
俺の汚い顔に、柔らかい両手が添えられ。
「…ほら、やっぱり優しいお顔でした」
その両目をはっきりと開いて、俺を見る。
俺も見る。懐かしい目を。
雪の結晶のような淡い瞳を。
ああ…やはり…。
「手が…汚れるぞ」
白い手だった。透き通るような。
「構いません。守ってくださったのでしょう?私のために、こんなになるまで…」
俺の冷たい頬を撫でる手が、とても暖かい。
「俺は鬼だ。お前を喰うかもしれん」
心にもない事を言う。
「構いません。天涯孤独となり、貴方に守られた命…なにを惜しむことがありましょうか?」
有無を言わさぬ姿勢の女に俺は気圧され。
「…さっきの様なことが、またあるやも知れないぞ。怖かったろう」
「いいえ。貴方を信じていましたから」
『お前は必ず守る』
ついさっき自分が言った言葉を思い出す。
…敵わないな。
「もう夜明けが来る…鬼は日の元を歩けないんだ。だから、行かなければ」
「私も、連れて行っていただけますか?」
そうしたい。強く、そう思う。
だが今はまだ…。
「待っていてくれ。必ず迎えに来るから」
もっと強くなろう。
この人を守り続けられるように。
それから自信を持って会いに来よう。
こんなボロボロの姿ではなく、格好よく。
綺麗な花でも携えて。
今度は俺から口説き文句も言おう。
そんな思いが伝わったのか。
「…はい、お待ちしています!」
女は嬉びの涙を滲ませた。そして、
「小雪と申します。狛治さん、お気をつけて」
「小雪か…良い名だ。ありがとう」
どちらからともなく、再会を誓う抱擁をし。
そのまま口付けをしようと…。
「うむ!一件落着だな!」
そこで薩摩の存在を思い出した。
顔から火が出そうになる。小雪もだ。
「住民達は向こうの方だ。では達者でな!」
「あっ…は、はい、狛治さんをお願いします」
俺は薩摩に肩を借り、そのまま遊郭を去る。
俺たちへ手を振り続ける小雪を、俺はその姿が見えなくなるまで見つめていた。
「…薩摩、仲間にろくに挨拶も出来なかっただろう。すまなかった」
間一髪で日を遮る深い山奥に駆け込むと、俺は隣の狐面を横目で見た。
「なに、気にするな!また機会もある!」
どうやら薩摩の方は大丈夫のようだ。
最初の弱気が嘘のようだった。
そういえば以前戦った時の刀があるから、
炭治郎あたりが上手くやったのだろう。
「…薩摩、俺に呼吸を教えてくれないか」
見よう見まねで俺も呼吸を意識してきたが、やはり付け焼き刃ではこの先通用しない。それが今日よく分かった。
「無論だとも!」
二つ返事で快諾される。
薩摩は今や俺より遥か高みにいる。
先ほどの戦いの気配、その漲る闘気、かつての比ではない。このままではもしもこいつが暴れたら止められないし、何よりも今は…守りたいものができたから。
待っていてくれ、小雪。
俺の大切な人の…生まれ変わりよ。
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遊郭での戦後処理は、隠たちの働きで滞りなく進んだ。戦闘の衝撃音を、住民は爆弾魔の爆弾の音だと誤解してくれたため、鬼の仕業と疑うものは少なく混乱はほとんど無かったようだ。
「しっかし竈門よ、人間に戻って死んだとはいえ…敵は敵だろ?そんな丁寧に埋葬する必要あるのかよ?」
俺と宇髄さんは手当を済ませると、遊郭にある墓地の一角に来ていた。目の前には二つの石、その下にはあの兄妹が眠っている。
「確かに敵でしたし、この二人は許されないでしょう。でも…俺も一歩間違えれば、こうなっていたかも知れないから…だからせめて、俺だけでも手を合わせたいんです」
「やれやれ、仕方ねえな…まあ一戦交えたよしみってやつだ。他の奴には言うなよ?」
俺の横で同じように手を合わせる宇髄さんに、俺は嬉しくなった。俺よりも重傷のはずなのに、さすが柱だなぁ。
ちなみに善逸と伊之助は傷が浅い為、街の壊れた瓦礫の撤去なんかを手伝ってくれている。けどあの戦いの時はかなり大変だったらしい。連れ出した堕姫の身体が消えるまでこれでもかと暴れて、伊之助と二人でそれを食い止めてくれていたようだ。あとで感謝しないとな。
「それにしても煉獄の野郎、美味しいとこ全部もっていきやがって…さっさと帰っちまうしよ」
「あはは、夜明け前でしたから…でも」
墓参りを終えるや否や文句を言う宇髄さんに、俺は苦笑してしまう。そして先ほどの狐面の彼を思い出す。
「でも、刀を受け取ってくれました。人の血の匂いひとつなく、煉獄さんのまま生きていてくれました。生きて…」
張り詰めていた気が緩む。
それと同時に涙腺が決壊する。
「よ、よかった…本当に、よかった…!煉獄さん、大変だったろうに…無事で、あんなに強くなって…どれだけ耐えて、どれだけ頑張ったのか…!」
煉獄さん、きっとまた会いましょう。
話したいことも、お聞きしたいことも、
山ほどあるんです。
それまでに俺ももっと強くなります。
この涙に誓って、強くなります!
「おいおい男がめそめそすんなって」
宇髄さんはそう言いながら頭にポンと手を置いてくれた。やっぱり嬉しいんだろう。
「天元さま〜!」
「お、嫁たちが迎えに来たな…帰るぞ」
「…はい!」
こうして長い夜が終わった。
傷だらけだけど、みんな生き残った。
待ちわびた再会もできた。
傷が治ったらまた修行と任務が待っている。
(…さようなら、仲良くお眠り…)
最後に二人の墓を振り返る。墓は木漏れ日に照らされ、小鳥が止まり歌っているようだった。
決意を新たに俺は、もう振り返らず歩き出した。
------------
「鬼を…人に戻す技、だと…」
無限城、その研究室。
妓夫太郎の目を通して戦いを観察していた男、鬼舞辻無惨。
彼は心の底から戦慄していた。
過去に類を見ない技。
あの強く忌まわしき男でさえも。
斬った鬼を人間に戻す…それがもし自在に扱えるようになったら、己の不変の命を脅かす存在。
「鳴女、上弦を呼べ。全員だ」
事態は大きく動き出そうとしていた。
〜 遊郭編・完 〜
遊郭編、ここまで長くなる予定ではなかったのですが、書いているうちに気がついたらこうなっていました。
書き直したい場面は多々ありますが、まずは一段落とさせて頂きたく。続きはまた構想が固まりましたら投稿しようと思います。ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました!