いかなる理由があろうとも、俺は鬼にならない。
禰豆子君の前例は極めて稀だろうし、俺が鬼になり暴れようものなら、その被害はどれだけ悲惨なものになることか。仲間たちや愛する家族を、手にかける己を想像することすら嫌悪した。
様子が変わった猗窩座の提案も聞く耳持たない。未来の話だと?いつか人間に戻れるだと?俺を鬼にするための謳い文句に違いない。
俺は責務を全うした。
もう十分だ。休ませてくれ。
そう言うつもりだった。
『猗窩座の言葉、君は…どう思う?』
だが口をついて出たのは問いかけ。
竈門少年は驚いていたが、俺も驚いた。
何故そんな事を聞いたのだろうか。
自問自答するが、答えは簡単だった。
猗窩座の言葉に嘘はない気がしたのだ。
戦っていた時の猗窩座は、その戦い方こそ強く真っ直ぐな男だった。だがその口から吐き出される言葉のひとつひとつは、なんとも薄っぺらいと感じていたように思う。
では今の猗窩座はどうか。
大切な者のために生きろと言う。
人間に戻れる未来を信じろと言う。
鬼に打ち克つ己自身を信じろと言う。
何があっても俺を止めると言う。
その一言一言に、芯があった。
相変わらず鬼ではあるが、その言葉には心が…魂が宿っているように思えた。
この猗窩座はおそらく己の中で劇的に何かが変わった。
また何かを覚悟しているような気概も感じた。
ならば俺も腹を括ろう。
隊士たちの手前、俺は格好いい事を言っていたが、なんの事はない、恐れていただけだ。鬼に成り果てた自分が身も心も敗北する未来を。
奴が言う、都合のいい未来。
俺の描く理想の未来…。
もう少しだけ、信じてみよう。
だが全てが奴の思惑通りでは癪に障る、と猗窩座を俺のお目付け役にしてやることにした。面を食らった顔が少し面白かった。
母上、俺はみっともなく足掻いてみます。
幻滅するかも知れませんが、今しばらく見守っていて下さると幸いです。
俺は、敗けない。
ーーーーーーーーーーーー
「…お、俺は…敗けないッ!」
日の射さない深い森の奥。
鬼となってから三日…四日目だろうか。
巨木に爪をガリガリと突き立て、俺は必死に足掻いていた。
気が狂いそうになる程の飢餓。
口から涎はとめどなく滴り落ちる。
なんのこれしき、耐えろ。辛抱だ。
我慢する事には長男ゆえ慣れていた。
腹が減った時は、いつも千寿郎を先に…
千寿郎を…先に…喰い
「!?ーーーぐおおォォォ!」
いま何を考えた杏寿郎。
目の前に居たらどうするつもりだった。
鬼に染まるな、心を強く保て。
虚勢を張り続けろ。
俺は黒い思考を追い出すよう、巨木に頭を何度も強く打ち続けた。
ガサッ
「おーい大丈夫かぁ?叫び声がしたけんど」
しまった、人間だ。
すぐに、立ち去らなければ。
腹が減った。
頼む、足よ動け。
腹が減った。
見るな、振り返るな。
腹が減った。
腹が減った。
よせ、やめろ!
いただきま
「……あんれ?気のせいだべか」
木こりの男は首を傾げながらも、仕事へ戻るべく巨木の前から立ち去った。
「ふぅ、間一髪だったな」
俺は暴れる杏寿郎を羽交い締めにしたまま、一足飛びにあの場を離脱していた。
それにしても凄まじい腕力だ。鬼化する前から俺に匹敵…いや生身同士なら凌駕する実力を持っていたのだから、当然と言えば当然か。これが万全の状態なら、力比べでは遅れをとるかも知れない。
「はぁ、はぁ…すまん、猗窩座」
我に戻ったらしい杏寿郎を、俺は解放する。
「気にするな、俺の方こそ遅くなってしまった。…炭治郎から手紙を預かっている」
杏寿郎の血を採取させて貰い、炭治郎と取り決めた場所に行くと、そこに隠すように置いてあったものだ。
さすがに同じ鬼と何度も直接会うわけにはいかない、という提案だった。確かにまかり間違えれば、炭治郎が鬼の手先に下った等と取られてもおかしくはない。
「竈門少年から…?」
杏寿郎は手紙を受け取ると目を滑らせた。そう長い内容ではなかったようで、手早く丁寧にそれを折り畳むと懐へ仕舞い、薄く笑った。
どんな内容だったと、聞くのは野暮か。
「猗窩座、いい場所はあったか?」
「ああ。少し走った先に手頃な洞窟を見つけた。ここより人気もないから当分は安心できるだろう」
「それは朗報だ!俺はそこで今度こそ、暫く眠ることにする。すまんがその間、誰か人が来たら叩き起すか追い返してくれると有難い」
何かを吹っ切ったのか、遠慮なく俺を頼ろうとする杏寿郎に、俺もまた不敵に笑う。
「いいだろう。ならば洞窟まで案内するが、遅ければ置いていくぞ」
「望む所だ!」
それを合図に、二つの影が音もなく消えた。
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