クラスにテロリストが入ってくる、という誰もが一度はしたことがあるはずの妄想を、クラス全員がしているお話。
日常は退屈で満ちている。毎日毎日同じことの繰り返し、代わり映えのしない日々。やれ彼女ができただの、部活のレギュラーになれただの、人は一大イベントのように語るが、俺から言わせてみればそんなもの、ただの欺瞞でしかない。何でもないことを祭り上げて自身の退屈をごまかしているだけなのだ。だから彼女がいなくても、部活に所属していなくても、俺と周囲の人間の状況はそこまで変わらない。そのはずだ。
一週間で最も憂鬱な日である水曜日(俺調べ)の五限目、そんな風にどうでもいい事を考えながら、俺は主人公席の窓からグラウンドをぼーっと眺めていた。外では体操服を着た名も知らぬ無数の同級生たちがソフトボールに興じており、実に楽しそうにボールを投げたり投げられたりしている。なぜ陽の者たちはいつもあれほど楽しそうにスポーツができるのだろうか。下手なプレーをしても周りから笑いが起きるのはなんなんだ。俺のときも笑ってくれよ、いややっぱ笑われたらきついな。現状維持でお願いします。
「ふぇぇ。あのあの、この和歌は作者の心情理解に必要ですう。えっと、テストにも出ると思うのでしっかり復習してくださぃ……」
教壇では古典の片木先生がいつも通り退屈な授業を熱心にしており、弱々しい声で必死になにやら重要そうなことを説明しているが、その声は最前列以外にはほとんど届いていない。ちなみに、気弱で可愛らしい先生なのだが、いかんせん声が聞こえず、話を聞くこともままならないので、生徒からの評価は芳しくなかったりする。俺は好きだけど。
まったく退屈だ。本当に暇すぎる。こんな日には、教室に突然テロリストが侵入してきた際のシミュレーションをするぐらいしかすることがない。別にいつもこんなこと考えているわけではない。今暇すぎるからしょうがなく考えているのだ。本当だよ。
そんなわけで俺は誰にしているのか分からん言い訳を述べながら、シミュレーションし始める。まず敵がどのような感じで来るかからだよな。数は五人ぐらいで、全員銃を持っていて……うん、こんなもんだな。銃を持っている相手には短絡的な行動は避けるべきだよな、相手の虚を突いて銃を奪う、なんて考えるのは素人だ。俺ほどまで思考が極まってくると、考えるのはどうやって武力に頼らずに、相手を無力化するかだ。まず警察に連絡を取るのはマストだろ。入ってきた瞬間机の引き出しの中で電話をかけて、周囲の音声を拾わせる。あっ、場所や状況を知らせるために話すことも必要になるな。となればあえて敵の気を引き、バカのふりして会話を引き延ばして……
「んふっ」
夢中になりすぎて、思わず変な笑いが出てしまう。
隣を見ると、女子生徒が「なんだこいつ」という目でこちらを見ていた。
終わった。ただでさえ友達もおらずクラスの立ち位置が危ういというのに、このままではクラスのスクールカーストピラミッドから追い出されてしまう。どうにかカースト最底辺の地位は守り抜かねば!
「うんん!ごほっ、ごほっ」
のどの調子が悪いことをアピールして、さっきのも咳だったんですよ、とアピールする作戦。どうだ。
ちらりと横目で様子を窺うが、女子生徒はもうこちらのことなど意に介さず、聞こえもしない授業を適当に受けていた。
なんか自意識過剰みたいで恥ずかしいな、俺。
その後も授業は劇的な展開を迎えることなどなく、ほどなくして授業終了のチャイムが鳴る、という時だった。
突然教室前方のドアが開き、目出し帽をかぶった男が二人、教室に入ってくる。
「全員動くな!動いたら殺すぞ!」
目出し帽の男のうちの一人が、手に持ったものをこちらに向けながら、ドスの利いた声で叫ぶ。その手に握られていたのは銃器。それも拳銃なんかがちっぽけに思えるぐらい大きな、いわゆるアサルトライフルのような重厚なものだった。
「言っとくけど本物だからなあ。もし俺たちに逆らったら」
パアン!!
「こう、だからなあ」
リーダー格の男のセリフに合わせて、もう一人が天井に向け引き金を引く。照準の先には深々と穴が開いており、パラパラと、破片のようなものが天井から零れ落ちてくる。素人目に見ても、それが本物の銃であることは確かだった。
ざわざわと、にわかに騒がしくなる教室。動揺を隠せない男子生徒の声や、悲鳴をのどの奥に詰まらせたようなか細い女子生徒の声が、そこら中から聞こえてくる。
かくいう俺もあまりに突然の出来事に、頭の中がパニックになっていた。さっきまで何事もなく日常を過ごしていたはずなのに、突然の来訪者によってその日常はあっさりと壊された。どうする。どうすればいい。未だかつて経験したことのないハプニングに、常以上に思考がめぐる。
そこでふと、気が付いた。
『いやこれ、いつもシミュレーションしてるくね?』
この状況って、暇な時男の子がやる妄想ランキングTOPスリー『もし世界がゾンビだらけになったらどこに避難するか』『もし一つだけ念能力を使えるならどのような能力にするか』に次ぐ、『もし教室にテロリストが侵入してきたらどうするか』まんまじゃん。この手の妄想はありえないぐらいやってきたし、なんならさっきもちょっと気持ちの悪い笑みが出てしまうぐらいには夢中になっていた。
これ、もしかしていけるか?シミュレーションは誰よりもしてきた自負がある。後は冷静に行動さえできれば。
そう思った瞬間、だんだん思考がクリアになっていく。考えるべきことが整理され、今までの妄想の記憶がどんどん掘り起こされていく。
いける、いけるぞ。普段はクラスの冴えない奴が、テロリスト相手に冷静に立ち回る。くぅーこれこれ。これが俺の思い描いていた理想の非日常だよ!
そうと決まれば、善は急げだ。先ほどのシミュレーション通り、まずは外部に連絡を取ろう。見つからないよう慎重に動いて……そこまで考えた時だった。
「おいそこ、何勝手に動いてる!動くなっつったろうが。次勝手に動いたら、ズドン、だからな」
おそらく同じことを考えていたのだろう。咄嗟にスマホを取り出し操作していた女子生徒がリーダー格の男に見つかり、スマホを取り上げられていた。
ふっ、馬鹿め。そんな机の上とかすぐに見つかる場所でスマホを触ればバレるに決まっているだろう。こういうのはバレないようにそっと机の引き出しとかでやるんだよ。こういう時のために、俺は常に引き出しには一定のスペースを空けるようにしている。その隙間にスマホを入れ、操作する。そうしようと思い、そっとポケットに手を伸ばすが、そこには家の鍵の感触以外、何も入っている感覚がしない。
嘘だろと思いながら尻ポケットも確かめるが、そこにもない。そこで気が付く。
『しまった!学ランのポケットにしまったままだ!』
現在季節は5月下旬、衣替えまであと少しだが、日によっては少し暑い日も増えてくる季節。今日はそこまで暑くはなかったが、なんとなくの気分で学ランを脱ぎ、椅子に掛けていた。
痛恨の大ミスである。さすがに椅子に掛けてあるスマホを取り出したら動きで相手に感づかれる。くそっ、こんなことならイキって学ランなんか脱ぐんじゃなかった。
シミュレーションの初手は失敗。焦る俺を置いて状況は動き続ける。
「よーし、大人しくなったな。皆さんが静かになるまで三十秒かかりましたーってか」
自分の言葉を気に入ったのか、男は愉快そうな声を上げる。クソが、全然面白くねえよ。
しょっぱなから出鼻をくじかれ、焦りが全身に広がるが、逸る気持ちをなんとか抑える。
渾身のジョークがよほどツボだったのか、男は気持ち上機嫌に口を開く。
「とりあえず、だれか一人人質として拘束させてもらおうかな。多すぎても邪魔くせえし。誰か、捕まりたいよーってな奴いるかあ?いなけりゃこのどことなく雰囲気がエロい先生を、人質に――」
「我が!人質になりもうす!」
どっしりとした声が、男の声を遮るように教室に響き渡った。その声の主である田中は迷いのない瞳でまっすぐ前を見据え、授業参観で親が見ている前で意気込んで一斉に手を挙げる小学生が如く、まっすぐ天に向かって右手を伸ばしていた。その曇りなき眼には、この状況への不安や暴力への恐怖などは一切なく、あるのはただ一つ、ひたむきに一人を想う真心だけ。そう、彼は片木先生のファンだった。
呆気にとられるテロリストたちをよそに、彼は黙々と席を立ち、片木先生の身代わりとなるべく歩みを進めようとする。
田中が動き出したことで正気に戻ったテロリストは、慌てて田中に銃を向ける。
「お、おい待て。てめえ勝手に動くな。あんま勝手なことすると撃つ――」
「撃つなら撃つが良い。とうに覚悟はできておる。だが、我を撃つなら片木氏は解放するのだぞ」
謎の強気に圧倒されたテロリストたちは彼と先生の人質役の交代を許し、田中に前に来るよう促す。
促されるまま教壇にたどり着いた田中は、間近で銃を構えられていることなど気にも留めず、先ほどから腰を抜かし教壇近くの床にへたり込んでいた片木先生に、優しく手を差し伸べる。
「あなたに怪我がなくてよかった。我が姫」
か――――かっこいいいいいい!!!!
あまりのかっこよさに鳥肌が立つ。周りを見渡さずとも、他の男子生徒も同じ気持ちだろう。愛する人のためならば、命すら惜しまんとする田中の立ち姿は、もはや主君を逃がすため立ち尽くす弁慶かのように見えてくる。が、それと同時に悔しい気持ちが俺を支配する。くそっ、俺もあんな風にかっこよく振舞いたかった!
「だ、大丈夫……ですぅ」
しかし、片木先生は差し伸べられた手からそっと目線をそらすと、自分で立ち上がる。
「ひ、姫……」
田中の絶望の表情は、俺には直視できなかった。
同じ男として不憫に思ったのか、リーダーの男はさっさと行け、というふうに銃を横に振り、先生を早急に田中から引き離そうとする。
先生は深刻な表情をしながら頷く。そして歩き出そうとするも、先ほどまで恐怖に竦んでいた体は未だ正常な機能を取り戻しきれていなかったのか、足取りはふらふらとおぼつかなく、途中で机の角に足を引っかけてしまう。
「ふぇっ」
バランスを崩し倒れ込む先生。あろうことか、その倒れ込んだ先はリーダーの男の胸の中であった。
「す、すみませえん。ありがとうございますう」
「お、おお。気い付けろ」
流れるどことなく気まずい雰囲気。男はすぐさま、先生を俺たちのいる方向へと押し出す。
「貴様だけは、我がこの手で必ず殺す……」
田中は血の涙を流しながら、もう一人の男に後ろ手に縄を巻かれていた。もはやテロリスト二人でさえ、同情の視線を田中に向けていた。哀れ田中、お前の命を張った大立ち回りは決して無駄じゃなかったぞ。たぶん。
田中によって完全に弛緩した雰囲気を仕切り直すため、リーダーの男が再び天井に向かって銃声を放つが、もはや先ほどの緊張は完全に失われていた。
ふと、教卓に一番近い席に座っていた須藤が、おずおずといった様子で手を挙げる。
「すみません、めちゃめちゃ腹痛いのでトイレ行ってもいいですか?」
「良いわけねえだろうが!舐めてんのかお前!」
しまいには普通の授業中みたいなことを言い出す始末。おい、もうちょいしっかりテロしてくれよ。このままじゃ俺の活躍する機会が無くなってしまうじゃないか。
そんな俺の心配をよそに、須藤はいつものいけ好かないクール顔をぴくぴくと痙攣させながら、便意をごまかすためか、くねくねと気持ちの悪い動きをテロリストたちに披露する。須藤の迫真の表情に、テロリストたちも困った様子で顔を見合わせる、そんな時だった。
どこからか、コツコツと机をたたくような音が聞こえた。思わず音の聞こえた方向に目をやると、真剣な表情で机を指で叩く坂本と目が合った。坂本陽介。このクラスをまとめる学級委員長。クラスのトップカーストに属するも、俺のようなすみっこ暮らしや、静かめな子にも優しく話しかけてくれる、オタクに優しいギャルを男にしたような奴。そんな奴が、期待を込めた眼差しでこちらを見ているのだ。何の意味もないはずがない。
どうしよう、俺のこと好きなのかな……困るな、俺ノーマルなのに……
あまりにも目が合うので一瞬血迷って思考が脳内を駆け巡るが、即座に目を逸らし、正常な思考を取り戻す。
視界を下に向けたことにより、先ほどまでは意識していなかった音に注意が向く。それはどうやら一定のテンポで刻まれているようだった。
(これ、モールス信号じゃね?)
一度気が付いたらそこからは早かった。短い音と長い音、二つの音の組み合わせによりつくられる文字を即座に頭の中で組み換え、文章を構成していく。その結果分かった文章は、
『おとりになる あいずでとびかかる』
だった。
いやー、覚えといて良かったモールス信号。昔、スパイ映画の主人公に憧れて1か月ぐらいかけてなんとかマスターしておいた経験が、こんなところで役に立つとは。
モールス信号を理解できた喜びで浮かれた気分になるが、そんな気分ではいけない。これは、坂本の決意表明だ。自分一人がおとりになることで相手の注意を自分に引き付け、その隙に皆を逃がすつもりなのだろう。この暗号は、これを理解できる人間がいたら、皆が逃げるのをサポートしてほしいという意図に違いない。
そう確信し、再び坂本の方に目をやると、彼は大きく頷きを返す。
どこまでも他人思いな奴だ。俺なんかにみんなの命運を託して一人で死のうなんて、バカにもほどがある。このクラスで唯一俺に話しかけてくれるお前を見捨てて逃げたら、これから食う飯がまずくなるだろうが。
教卓の周りでは、未だ須藤が腰をくねらせている。もしかすると、須藤も坂本の協力者なのかもしれない。そんなことを考える。
皆が逃げるサポートはしない。俺も一緒に戦う。そう覚悟を決める。
銃を持っているとはいえ、相手は二人だ。急に飛び掛かられたら対応できないかもしれない。絶対に、一人よりも二人の方がおとり役の生存率は高い。なにより、そっちの方がかっこいい!
チクタクと、秒針を刻む針の音が聞こえた気がした。
「今だ!」
坂本の叫び声と同時に床を蹴り、全力で前に走り出す。左手にはグラウンドで暇な時間に集めておいた砂を握りしめ、右手でカッターナイフの長さを調整する。
先に砂で目をつぶし、カッターで腕を攻撃、そして痛みで銃を落としたところを素早く奪う。ふっ、完璧な作戦。あくびが出るぜ。
リーダーの男は遠かったので、もう一人の男の方へ向かう。男は突撃に驚いたのか、目を見開き間抜けな表情を浮かべている。
行ける。勝った!自分を鼓舞するために、俺は雄たけびを上げながらスピードを上げる。
「「「うおおお!!」」」
思っていたよりも大きな声が出てびっくりする。おかしいな。俺ってこんなに声出たっけ。なんだかいつもの3倍くらい大きな声が出ているような……って違う!これ俺の声がでかくなったのではなく、単純に声を出している人数が多いだけだ!
走る俺の横には同じように必死の表情を浮かべ走る生徒が二人。恥ずかしいことに、三人とも利き手にはカッターナイフを握りしめている。客観的にその姿を見てしまうと、こんなちっこい武器で俺はアサルトライフルに立ち向かおうとしていたのか……と顔が赤くなる。
というか、モールス信号理解できていたの俺だけじゃないじゃん!こんなに多かったら俺の活躍が目立たなくなる――
そんなことを考えている間にいつの間にか男の目の前まで来てしまっていたらしく、考え事をしていた俺は、先ほど立てた作戦を一つとして実行できずに、ライフルのグリップでぶん殴られ倒れてしまう。
(しまった!俺、ダサすぎる)
しかし、先陣を切った俺により生まれた隙を活かし、後の二人が二方向から挟み込むように男に迫る。
「舐めるなあ!」
それでも相手は武装した大の大人。力で叶うはずもなく、二人もあっさりと地に沈められてしまう。
「あまり大人を舐めるなよ」
冷や汗を額にかきながらも、堂々と立ち尽くす男相手に、俺は足にしがみつくことしかできなかった。
「くっ、なんだお前。往生際が悪いんだよ」
男は振りほどこうともがくが、必死の力でなんとかしがみつく。こいつを倒すことはできなかったが、せめて皆が逃げる時間は稼げなければ。
他二人も気持ちは同じだったのか。それぞれ男の足にしがみつく。
「くそっ。揃いも揃って馬鹿な真似を。そんなに死にたきゃ殺してやるよ!」
唐突に男が俺の額に銃口を向ける。
ああ、俺はここで死ぬのか。まあ、なんだかんだ最期はかっこついたかな。なんてことが頭をよぎる、そんな時だった。俺と一緒にしがみついていたうちの一人が、したり顔でつぶやく。
「俺たちは布石さ」
その言葉ではっとしたテロリストが顔を上げる。するとそこにはこちらに向かって突進してくる巨瀬の姿があった。クラス最重量、120キロある巨体を揺らし、一心にこちらに向かってくる。力は重さ×速さ。その両方を兼ね備えて向かってくる巨瀬は、さながら人間ダンプカー。喰らえばただではすまない。
しかし男の両脚は押さえつけられ、銃口は下に向けてしまっている。彼にその突進を避ける手段はなかった。
「待て待て待てま――ぶぉえ!」
突撃をもろに喰らった男は、カエルがつぶれたような声を出しながら後ろに吹き飛ぶ。さらにそれに追い打ちをかけるように、巨瀬は突撃の勢いそのまま男の方に倒れこみ、その巨体の下敷きにしていた。
「皆、今のうちに逃げ――」
さすがに相手の方がかわいそうになる幕引きだった。しかし幸い敵のうち一人は無力化した。これで逃げることができると思い、顔を上げる。
「え」
すると目に映ったのは、同じように複数人の生徒によって取り押さえられているリーダーの男の姿だった。しっかりと銃をも取り上げられ、無力化されている。もはやこの教室に脅威となるものは存在していなかった。
リーダーの男は歯ぎしりをしながら叫ぶ。
「クソっ。だがまだ外に仲間が――」
「それももう取り押さえたよ」
たいしたことではないように、坂本が答える。教室の後方を見るといつの間に教室に入って来ていたのか、二人のテロリストが、これまたいつの間に行ったのか、生徒たちによって取り押さえられていた。
モールス信号を理解できていたのは俺含む三人だけではなかったのだ。クラスのほとんど全員が作戦を理解し、そのうえで言うことを聞かず敵の無力化に走っていた。うーん、こんなに戦力あるなら最初からみんなで突撃しよう、で良かったのでは。作戦。
再び目に視線を戻すと、テロリストの男たちは先ほどまでの勢いはどこへやら、しおらしく意気消沈している。それもそうだろう。わざわざ複数人で、銃まで用意して侵入して来たのに、たかだか17歳ぐらいの子供、しかも武装もしていない、に完全制圧されたのだ。落ち込まないはずがない。
しかし、悲しそうな顔をしていたのも束の間、リーダーの男はふっふっふと不敵な笑みを浮かべ始める。
「くっくっく。あーはっはぁ!!」
「どうした。何がおかしい」
坂本が問う。
「いやあ、悪い悪い。俺たちを制圧したごときで調子に乗っているお前らがあまりにも滑稽でな。つい笑みがこぼれちまった」
「何だと!」
その言葉に坂本が驚いた様子で反応する。
「どういう意味だ!」
何か予感めいたものを感じたのか、坂本が男に詰め寄る。優しい彼が普段見せないような、鬼気迫る表情だった。あまりに怖い表情で、見ているだけの俺がなぜだか縮み上がってしまう。
俺よりも近くにいた男の恐怖はそれ以上だったのだろう。狼狽えながらも、男は正直に答える。
「か、考えても見ろよ。学校に侵入するのに、一つのクラスだけを襲うと思うか?答えはNOだ。一クラスだけだったら、他クラスの奴らに妨害されてしまう危険性がある。だから俺たちは、全学年全クラスを同時に襲うことにしたんだよ!今頃は他のクラスの奴らが完全占拠しているはずさ!」
話しているうちに調子が戻ってきたのか、男は自信満々に答える。
嘘だろ、全クラス同時に襲った?それじゃあこの状態からさらに数十人のテロリストが、俺たちを襲いに来る可能性があるってことじゃねえか。
どうして学校占拠にそこまでのやる気を出しているのかは分からないが、このままではマズイ。俺は次々と変わっていく状況に混乱しながらも、何とか思考を巡らせる。
その間に、どうやら完全に調子を取り戻したらしい男は、得意げに叫ぶ。
「もうすぐ定時報告の時間だ。俺たちからの連絡がないとなれば、不審に思った他のクラス担当がこちらにやってくるはず。そうなりゃお前たちは終わりだ!!」
流れる絶望的な雰囲気。例えるなら、そうだな。魔王を倒したと思ったら大魔王が出てきました。いや違うな。必死な思いで何とか倒したボスが、第二形態を残しており、回復も尽きていたため、すぐにゲームオーバー。これ第一形態でもしんどいのに、第二形態も連続で倒さなきゃいけないとかもう無理ゲーじゃん。みたいな感じだ。
男の言う通り、応援のテロリストたちがやってきて、そいつらになすすべもなく制圧されてしまう。そんなイメージが脳裏によぎったが、そうはならなかった。
ピロン。とスマホのメッセージの受信を知らせる音が鳴った。音の先には、テロリストが来たなんて想像ができないほど、普段通りの気だるげな顔でスマホをいじるギャルの姿があった。ギャルはこんな騒ぎがあったにも関わらず、先ほどまでと同じように自席に座り、長い爪でカツカツと液晶をたたくようにしてスマートフォンを操作している。
そんなギャルの様子が気に食わなかったのか、男は身をよじりながら不快な声を上げる。
「おい、そこのビッチ。話聞いてなかったのか?もうすぐ俺の仲間がここにやってくる。そしたらお前のご自慢の顔もボコボコに――」
「あー悪いけど、それ無理」
「はあ?」
思ってもいなかった返答に、男は間抜けな声を上げる。
「今、他のクラスの友達から返信あったんだよね。こっちも制圧したよーって。だからここにお前の助けなんか、来ないから」
「う、嘘だ!一つのクラスだけが失敗するならまだしも、他のクラスも?んなことありえないだろ!でたらめを言うんじゃねえ!」
「はぁー」
ギャルは呆れた様子でため息を吐くと、ギャル特有のだるそうな歩き方で、ゆっくりと前に来る。そして、男の目の前でトーク画面を見せた。
そこにはしっかりと全学年、全クラスの人物とのトーク履歴が表示されており、その全てで、制圧が完了したとの旨が書かれていた。
「ほら、これで分かったっしょ。あんたらが拙い脳みそで考えたおままごとは、無事大失敗に終わったの。おっさんも大人なら大人しく観念しなよ」
「はは、なんだよこの学校。どうなってんだよ、はは。ははは」
ギャルにすごまれながら現実を突きつけられた男は、壊れたように乾いた笑いを上げ続けるようになってしまう。正直、俺もテロリストと同じ気持ちになっていた。本当、全クラスがテロリストに対応できるとか、頭おかしいよ、この学校。
壊れた人形のように笑い続ける男だったが、不意にその笑い声が大きくなる。蚊の鳴くような声だったそれは次第に勢いを増していき、ついには高らかな大笑いへと変貌していった。
「どうした、何がおかしい」
坂本が問う。なんかデジャブだな。
「お前ら、良く耳を澄ませてみろよ」
先ほどまでのハイテンションとはうって変わって、静かな声で男はそう言う。
その言葉に従い耳を澄ませてみると、男の方から何か小さな音が聞こえた。それはどうやら規則的にリズムを刻んでいるらしく。まるで、時計の針のよう――
「全員離れろ!爆弾だ!」
俺が気が付く前に、坂本は教室中に響き渡る声でそう叫んでいた。その声により、先ほどまで男を取り押さえていた生徒たちが蜘蛛の子を散らすように一斉に離れていく。
拘束を解かれた男が上着を脱ぎ去ると、そこには腹に巻かれた爆弾のようなものと、おそらく残り時間を表示しているであろう、液晶状のタイマーがあった。
「万が一の保険だったんだが、こうなりゃ仕方ねえ。みんな仲良く死んでもらおうかあ!!」
形成逆転だ。
完全に気を抜いていた。もうこれで危機は脱したと、マヌケな脳みそをしていた俺をぶん殴りたい気分だ。あの爆弾の量、おそらく相当な大きさの爆発が起きるはず。タイマーには残り3分しかないと表示されているし、その時間でどこまで逃げられるか――
そこで、ふとタイマーの数字が一向に変わらないことに気が付く。
「そのタイマー、動いてなくないか?」
思わず口に出すと、男は驚いた様子で自身の腹をのぞき込む。
「何を言って……ああ?なんで止まってやがる。ここに入るまではちゃんと動いていたはずだ!」
男にとってもそれは予想外の出来事だったようで、あたふたと慌てだす。
「あのう」
どこからかか細い声が聞こえた気がした。
しかし男の耳には届いていなかったのか、変わらず怒り心頭で喚き散らしている。
「えーと、すみませえん」
再び声が聞こえるが、それでも男の耳には届かない。
声の主は観念したのか、きりっと眉を上げ、覚悟を決めると、口いっぱいに酸素を取り込む。
「あ、あの!」
それでもその声はおおよそ一般人の話し声くらいの声量だったが、それでも男の耳には届いたのか、ようやく声の主の方へ顔を向ける。
そこには、急に注目が集まったことで緊張がさらに深まった様子の片木先生の姿があった。
「その爆弾なんですがぁ、さ、さっき私が無力化しましたぁ」
「はあ!?」
片木先生の言葉に驚いたのは、男だけではなかった。他のテロリスト、並びに生徒たちまでもが驚きの表情を浮かべる。
「ありえねえ、お前にこの爆弾を止めることができるタイミングなんてなかった!触れたのも、せいぜいこけたのを受け止めた時くらいで――」
そこまで言って気が付いたのか、はっとした表情を浮かべるが、先生は困った顔を浮かべるだけで何も答えない。
「まさか、あの一瞬で止めたって言うのか。どんな構造かもわからず、そもそも持っているかも分かっていなかった爆弾を……」
自分で言っていて恐ろしくなってきたのか、最後の声は彼女に匹敵するほどのかすれ声だった。
その問いに、彼女は同じく弱々しい声で、はい、と答える。
「教室に入ってきた時からぁ、なんだか体型のわりにお腹が膨らんでいるなぁとは思っていましたぁ。それで気になって耳を澄ませてみると、なんだかチクタクと音が聞こえたので、爆弾かなぁと」
「嘘だ嘘だ嘘だ!!」
先生の淡々とした口調に、男は耳を塞ぐ。
「それで、転んだふりをしてこっそりと配線を切らせていただきましたぁ。動きが素人臭かったので、オーソドックスな爆弾と決め打ちましたが、うまくいって良かったですぅ」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!」
男は声が耳に届かないよう大声で喚きながら、亀のようにうずくまる。それでも先生の声を遮ることはできない。
「なのでぇ、そのお腹に着けているものはただの壊れたストップウォッチなんです」
「嘘だああああああ!!!!!!」
その言葉がとどめとなったのか、それきり男は頭を抱えたまま動かなくなる。
止めはしたけれど、何かの弾みで引火でもしたら危ないという先生の助言に従い、生徒たちの手によって爆弾は男の体から取り除かれる。
これで完全に、教室に突如として侵入してきたテロリストとの攻防は終了したようだった。もう男の口から新たな脅威が語られることもなく、他のメンバーたちも、大人しく拘束されたままだった。
終わってみれば、誰一人として怪我人も出ておらず、本当にここでテロなんか起きたのかと疑いたくなるほどの現状。文句のつけようなどない。それでも俺は思ってしまう。
(あっれー、なんだか思っていたのと違くねえ?)
いや、良いんだよ?これで。だれも怪我せずにハッピーエンドで。人生何事もないのが一番なんだから。でもさ、もうちょっとぐらいはさ、俺の活躍のシーンがあっても良かったんじゃない?これじゃあ事前に妄想までして備えていた俺がバカみたいじゃん。どれだけシミュレーションしていても想像は想像。実際に起こったら何もできないなんて、あまりにも悲しすぎるではないか。
振り返ってみれば俺がやったことは、警察への連絡(スマホを持っていなくて失敗)、モールス信号の読み取り(他にも理解者多数)、テロリストの取り押さえ(ほぼほぼ失敗)。どこにもかっこいいところがない!
もう一度、もう一度同じことが起これば今度は活躍できるのに!次こそはかっこよく人質役を交代したり、モールス信号を出したり、爆弾解除したりできるのに!
そんな俺の願いに呼応するかのように、突如としてキーンコーンカーンコーンと、予鈴のチャイムの音が鳴る。授業終了の時刻にはまだ早く、それは緊急事態の発生を予感させていた。
「この学校を占拠した」
明らかに合成音声であろう声が、スピーカーの向こうから聞こえてくる。
「現在、校長室及び職員室を完全に制圧しており、教師複数名を人質に取っている」
「な、何だこの声、こんな奴ら知らない!!」
スピーカーの声に、先ほどまでうなだれていた男は取り乱す。その様子から察するに、こいつらとはまた別の組織なのだろう。
度重なる緊急事態。普通ならばありがたくない展開なのだが、俺の心は踊っていた。
「我々は100人規模でこの学校を占拠している。武装も最新鋭の銃火器を使用し、電波も遮断済み。爆弾も50個ほど仕掛けた」
なんとも分かりやすく先ほどよりもグレードの高い敵。恐らく先ほどまでのようにうまくはいかないのだろう。それでも――
「今度も姫のことは我が守りもうす」
田中は再び愛する人の守護を誓う。
「みんなのことは、僕が必ず守ってみせるから!」
坂本は恐怖に怯える皆を励ます。
「まあ、今度のもうちらの敵じゃないっしょ」
ギャルは余裕の姿勢を崩さず。
「こ、今度はもう少し歯ごたえのある敵だといいのですがぁ」
先生はなんだか怖い事を言っていた。
そこで俺はようやく合点がいく。そうか、皆俺と同じだったのだ。退屈な日常に飽き飽きし、何か刺激的なことを求めるあまり、教室に突然テロリストが入ってきた時に、自分だけが冷静に対処しクラスの危機を救うという妄想をしていたのだ。だからこんなにも事が上手く運んだのだ。
ならばもう恐れることは何もない。なぜなら俺たちは、もう全てシミュレート済みなのだから。テロリストを倒した後にさらなる強敵が現れた場合の行動ももう、完璧にシミュレートしてある!
「さあて、いっちょやってやりますか」
俺たちは意気揚々と、前へ足を踏み出す。妄想を現実にするために。
さあ、まずは先ほどの敵から奪った銃や爆弾を利用して、相手を欺く作戦を立てて――