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世界で最初に気がついたのは、日本の少女であった。
ネガティブな言葉が似合う黒塗りの空を見上げ。
昨日まで残されていたはずの土星が。
無くなっていた。
まだ中学生になったばかりの少女だが、星が大好きだった。
全ての星座の名前を覚え、星の名前を暗記し、謎が多く残る宇宙に想いを馳せる。
もちろん天体観測も趣味のひとつだった。
だから「恒星消失事件」──天文学者はこう呼んでいる。マスコミが呼称する「暗黒事件」は好きになれなかった──は彼女の心を深く傷付ける事になった。
しかし太陽系にある惑星が残されていたので、それを観測する事ができた。
今となっては唯一の観測対象であり、彼女にとっての安らぎ。
その日も美しい土星の
「……あれ?」
太陽の光を受け、輝いて見えるはずの点。
天体運動上、そこになければならない唯一の光。
それが無い。
見えない。
黒く塗りつぶされ、輝きを確認できない。
雲が隠してしまっているのだろうか。
月明かりに霞んでいるのだろうか。
天体雑誌を読み返し、土星の動きと方角を再確認する。
父に買ってもらった天体望遠鏡を必死になって覗き込む。
視界は黒。雲の気配すらない。
呼吸が乱れ、手足が震え出す。
漆黒。
暗黒。
遮光。
皆無。
ゼロ。
──無。
「お母さん! お母さん!」
無呼吸のまま母を呼ぶ。
苦しい。我慢できず、ベランダに倒れこんだ。
怖くて怖くて涙が止まらなかった。
この恐怖を、涙で身体から圧し出してしまいたかった。
しかしその涙は恐怖が生み出したもの。
彼女の願いは叶わない。
「お母さん、土星が」
駆け寄る母親に何とかそれだけ言い残し──少女は気絶した。慌てた母親は警察と病院へ通報し、そこでようやく周囲の人間達も気がついた。
やがて各地から同様の発見と報告とパニックが沸き起こる。
テレビやラジオに臨時ニュースが飛び交った。
天文学者が、あわてて他の天体の位置を確認し始めた。
(星の消失の原因を探ろうと、何も無いところへ望遠鏡を向けていたため発見が遅れたのである)
「ああ、そんな」
誰もが口々にそう叫んだ。
土星だけではなかった。冥王星、海王星、天王星。
太陽系外縁部に位置する天体がそろって姿を消していた。
何の前触れも無く。忽然と。
爆発光は観測されていないので、爆発による消失というわけではなさそうである。
何らかの要因で軌道を外れたのか? 世界中の人間の目が深い闇の中へ注がれた。
しかし、何処にも4つの天体は存在しなかった。
沈黙の消失。
特にアメリカの落胆はひどかった。冥王星はアメリカ人天文学者が初めて発見した天体である*1。
それが失われた事に対し、大統領が「遺憾である」と発表したほどだ。
翌日には木星が消失。
世界は連続して起きた「消失現象」により、再び騒然となった。
少女は意識不明のまま入院中。
意識は回復せず、そのまま最期を迎える事になるのだが……
それはまだ少し先の話である。
◆
雛見沢を「祟り」と「防衛」の名の下に殲滅した山狗達。
表向きも「自衛官」をやっている彼らである。当然ながら公務に則り、給料分の働きをしていた。
厳戒態勢を敷き、交通誘導をこなし、暴徒と化した狂信者や政治思想家・暴走族などを実力で排除するなど与えられた任務を黙々と消化していく毎日。
動揺が無いといえば嘘になる。
いくら氷の心に徹する訓練を受けていても、この事態は異常だ。心を動かされないわけが無い。
「どうなるんだ、これから」
誰かと顔を会わせる度に、それが挨拶の代わりとなった。
彼等の耳にも、太陽系の外側が消滅したニュースは届いている。
今まで「対岸の火事」だと感じていた「星々の消失」が、ここに来てようやく危機感が生まれ始めていた。
言葉では言い表せない焦り、と呼び代えてもいいかもしれない。
あの巨大な木星が、何の兆候も無く突然消えたのだ。
他の天体がそうならない保証は無い。
太陽や月、ましてや地球でさえもその限りでないのだ。
消えたらどうなるのだろう。
何処へ行くのだろう。
どうなるのだろう。
どうしたらいいのか。
どうする事もできないのではないか。
照光設備が搭載された車両によるライトアップで浮かび上がる街中を巡回していた山狗達は、今にも圧し潰してきそうな黒い天井を不安げに見上げた。
「もしもこれが、自分達がした事への『祟り』なら」
誰かが呟く。
よせよ、と小さな声で同僚が諌める。
それ以上は言葉にならない。言葉にしなくても、十分に伝わった。
あの作戦が実行された時。
嬉しそうに指揮をしていた上官の顔を思い出す。もちろん、真面目に『祟り』の真偽を語らうつもりは無い。
しかしどうしても上官の──鷹野三四の言動と現状を結びつけざるをえないのだ。
「どうなるんだ、これから」
自分達が立っている、まだ確実に存在している地面に視線を落として呟いた。
誰も答えない。
呟いた山狗も、そんなものは期待していなかった。
◆
太陽系の半分が消えた時点で「他の天体もそうなるであろう」と天文学者たちは悲観的な予想をしていた。
そうした事前の準備があったため「火星」が消える瞬間を、初めて映像に収める事に成功。
天体の動きを追っていたカメラの中で、火星と金星そして水星が、闇に溶け込むかのように消え失せた。
まるで最初から誰かが見る夢だったかのように。
山狗達の不安を加速させるかのように。
星々の消失より7日後。
6月28日の事である。
◆
月と太陽。
地球が闇の中で伴侶とする天体は、もはやその2つのみになっていた。
昼と夜の象徴。
基本的な日常だけを残して。
まるで決められていたかのように。
誰かが意図したかのように。
それは気色の悪い符号だった。
いよいよ「お仕舞いだ」と絶望し、暴動を起こす者よりも自殺者の方が目立ち始めた。
フランスでは、ニュース番組の最中に銃で頭を撃ち抜いたキャスターもいた。
西ドイツではTVリポーターが生放送中に錯乱し、通行人を無差別に殺害し始めた。
各国の首脳が「自暴自棄にならぬよう」と自国民に呼びかけたが、さして効果もないようだった。
何も行動しない人間は「冷静」であったのか。
そうではなかろう。絶望はしていたが、この期に及んで自殺する「決断力」がない。1人だけ孤独に「終わる」のが恐ろしい。
たぶん、それだけだったのだ。
◆
地上は混乱していた。
だが実はそれ以上に地球には大変な負荷が掛かっていた。
外宇宙はもちろんの事、太陽系内であっても他天体が「地球」に影響を与えていた引力の影響は小さなものであった。
冥王星が無くなった所で目に見えるような変化はないし、何年か後に衝撃波が襲い掛かってくるわけでもない。
だが一斉に消えたとなると話は別だ。
バランスを保っていたからこそ、影響が少なかっただけなのだ。
まず地球の自転に影響が出た。
1日に約7~15分の不規則なズレが生じ始めた。
公転周期も計算上では2時間近くの誤差。これによって世界中の時計とカレンダーが役立たずとなった。
このニュースが流れた後、アメリカのニューオリンズでは家という家の窓から時計が投げ捨てられる事件が発生した。
こういう事態でなければ微笑ましい「珍ニュース」として報じられるのであろうが……
「時間さえも我らを見放したのか」という悲壮感だけしか伝わってこなかった。
地質学者達は、地軸がこれまでよりも0.0009%ほど傾いた事を発表した。
火星と金星が一度に消失した事による影響と見られる。自転のズレも、このためと思われた。
微弱ながらも確実に地球の引力係数へ変化をもたらしたのだ。
「0.1%にも満たないのに、何であの人たちは大騒ぎしているの?」
と、興宮市に滞在していた雪絵は夫の赤坂衛に質問した。
彼女の疑問は「もっとも」なものだったが、赤坂は青い顔のまま無言であった。
どんなに微弱なものであれ、それは「
「何が起こるかわかりません」
世界中の地質学者は、その言葉を繰り返した。
明確な予言ではなかったものの、それは的中することになる。
わずかな地軸の傾きが「海流」の流れを変えた。中規模な津波が頻発に発生し、海岸に面した都市に物的・人的の両方に被害が出始めた。
海流の変化は天候や季節に影響を及ぼす。
東ドイツでは雨が降り続き、農作物が雨水に飲まれて甚大な被害がでた。
それだけではなかった。地殻の微妙な歪みがマントルの動きに影響を及ぼしたのである。
震度4~6クラスの地震が各地で観測され、建物の倒壊や破損が相次いだ。
地震に直接的に結びつくのが火山活動である。小規模ながらハワイのキラウエア火山が噴火し、日本の活火山帯に噴火の兆候と見られる運動が確認された。
(富士山頂の観測所が「火口から煙が昇っている」と報告してきた、という悪質なデマも流れたりしたが)
◆
日本国首相である
「しかしヤスヒロ、私は3ヶ月前にソ連のことを『悪の帝国』と呼び非難したばかりだ。
それを今更、手の平を返したように強調を求めるとなると」
「しかしですな大統領。
いまやソ連は平年の3倍近い規模の吹雪や氷、寒波によって、強制的な鎖国状態に陥っております。
今こそ……いや、こんな時だからこそ、長く続いた冷戦構造を終らせなければ」
「そうする事で日本は近隣アジア諸国に対し主導権を握──」
ブツリと。
ラジオアナウンサーや俳優時代から変わらぬ、流暢な英語が途絶えた。
「レールガン大統領? ロナウド?」
何度も呼びかけた。
フックを降ろし、再び受話器に耳を当てる。
プーッという無機質な機械音以外、何も聞こえては来なかった。
◆
《こちら『イーグルバレー航空744便』ッ、コードTRX-01475568!
誰かこの通信が聞こえてる奴はいるか!?
全ての周波数で呼び掛けているッ!
緊急事態、緊急事態だ! というより誰か我々に状況を教えてくれ!》
「こちらアメリカ海軍第7艦隊所属、第2飛行中隊のマインズ少尉だ。何が起きた?」
《それはこっちのセリフだ!
教えてくれ、ソ連はついに核攻撃に踏み切ったのか!?》
「はあ? 何の話をしている?
そんなものは本国から報告を受けていない。
酒を飲んで操縦してるならキップを切るぞ。
いったい何を見たんだ……現在位置は?」
《おお、神よ。信じられない。何ということだ。
これは現実なのか?
もう空港が、西海岸が見えてもいい頃なんだ。
けれどないんだ。見えないんだ。
何処まで飛んでもサンフランシスコ国際空港が……
サンフランシスコの街並みが見えてこない!》
「なんだって?」
《北アメリカ大陸が無いんだ!》
マインズ少尉は、通信機から聞こえる悲痛な叫び声に言葉を失った。
しかし悲鳴は、更に彼の耳を打ち続けていく。
恐怖に引きつった絶叫は、涙交じりの声になる。
《何もない、海しかないんだ!
何も、小島ひとつ、何も……何も! ああ畜生、クソったれ!
人々の前からデンマーク領グリーンランドとカナダ、そしてアメリカ合衆国が、永遠にその姿を消した。
1983年6月29日。
午後2時14分の事である。
1930年にその予想に従って観測を続けていたアメリカ人天文学者クライド・トンボーによって発見された