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順番的には月、あるいは太陽だと思われていた。
天文学者や科学者達の提案を受け入れ、各国政府は「太陽が消えた場合」に備えて、暖房器具や毛布などを国民に支給し始めていた矢先だった。
(ほぼ氷河期と同規模の「寒さ」に対し、それらの準備が有効的かどうかは──あえて議論されなかった)
外国に旅行に出かけた先で「恒星消失事件」「惑星消失事件」の混乱に巻き込まれ、帰国できないままだった日本人は推定で約30万人(海外ボランティアや海外出張、留学、研究(あるいは調査)派遣なども含む)。
そのおよそ3割にあたる9万人がアメリカやカナダにいたと思われる。
各国は直ちに調査団を派遣したが、アメリカ・カナダ両国民や在留外国人の安否は不明のまま。
そこにかつて大陸や国があり、人が住んでいた事を示す痕跡は、何ひとつ残されていなかったのである。
まるで、最初から何も無かったかのように。
調査団は「捜索を続ける」と発表したものの、生存は絶望的であった。
間も無くして、調査団の大半も帰還しないままとなった。
消えたのではない。大陸がひとつまるごと消えたので、海流の流れがこれまで以上に激変。
赤道付近の熱帯性低気圧が急速に発達し、観測史上でも類を見ない「巨大ハリケーン」がいくつも発生したのだ。
予測は出来なかった。
大陸がなくなった際の海流データなど誰も持ってはいなかったし、予測演算が出来るほどの高性能コンピュータは、まだこの時代には存在していなかったのである。
結果、何の対策を施していなかった調査団の艦船はハリケーンに巻き込まれ、海の藻屑と消えた。
ハリケーンは勢いを弱める事無く海洋を横断し、ヨーロッパやアフリカを直撃。
ハリケーンによる被害は、最後まで不明のままであった。
「太平洋生まれのハリケーンがヨーロッパまで上陸した」とフランス国営放送「チャンネル2」が伝えたのを最後に、各地からの通信が途絶したからである。
そして。
それはついに回復しなかった。
◆
「ああ、なんて事だ……信じられるか高橋三曹……」
「いえ…この目で見ても、悪い夢なんじゃないかと思います…加護一尉殿……」
山狗の2人は、思わず互いを本名で呼び合った。
彼らの他にも自衛隊員やアメリカ海兵隊の兵士がいたが、みな2人と同じ方向を向き、呆然としている。
観測機材を組立てて作業に入らねばならないのに、誰も動こうともせず、誰もそれを諌めようともしなかった。
ブルガリアとルーマニア国境付近に彼らは立っていた。
ヨーロッパ地方との連絡が途絶えたため、日本は在日アメリカ軍と合同で調査隊を派遣したのだ。
(※在日アメリカ軍司令部は本国を失ったため、指揮権を臨時に日本へ移していた)
ソ連の衛星国家にアメリカ軍が入ることに関しては黙殺された。ソ連も、そんな些細な問題に文句をつけるほど余裕が無かったのである。
そこで彼らが見たものは、見渡す限りの海と断崖絶壁だった。
水平線を邪魔する島も見えない。
まるで鋭いナイフでチーズを切り取ったかのように、凹凸の無い垂直の崖。
「有り得ねぇ、なんだよコレ」
誰かが呟いた。
案内のために雇われた近隣の村の男が泣き叫んでいる。山道を誘導している間も、ずっとこの調子だった。
南スラヴ系のブルガリア語であったため、ほとんどの隊員は何を言っているのか理解できなかった。
通訳のアメリカ軍兵士が彼をなだめ、どうにか事情を聞きだす事に成功。それによると、
「ハリケーンが近付いて強い風が吹いていたのに、突然、山岳に霧が広がった。
次の瞬間には、霧ごと山が消えて海になっていた。ハリケーンも消えていた」
……というのである。
「そんなバカな」と誰もが思った。
しかし『アメリカが消えた』という紛れも無い事実が、彼等の脳裏で警鐘を鳴らし続けていた。
「神の怒りだ」
案内役の男は、それからずっとそれだけを口にしていた。
「カゴ大尉、観測ヘリから連絡が入っている」
呆然と海を眺めていた調査隊隊長・加護一尉は、アメリカ軍の兵士から声をかけられ、ようやく我に返った。
自衛隊の階級は特殊なので(アジア近隣諸国への配慮として、旧軍と同じ呼称を廃止したため)相当する英語がない。
なので「一尉」を「大尉」と呼び返るのを許可していた。
山狗部隊では更に一階級上の扱いになるのだが、ここへは「自衛官」として派遣されている。
「ああ、すまない」
アジア訛りの英語で返すと、運ばれてきていた通信機を手に取る。ブルガリア政府に要請し、ヘリを一機借りて偵察に
出していたのだ。ひと通りの偵察が終ったらしい。
「こちら観測班本隊。ヘリ、送れ」
「こちら観測ヘリ。──やはり駄目です。
ルーマニアはもちろん、イタリア、フランス、東西ドイツ、スペインの海岸線は確認できません。超望遠カメラで見る限り、おそらくイギリスも消えています。
繰り返します。何もありません。
艦影も、救命ボートも、残骸すら発見できません」
「わかった。もういい、帰投しろ金城」
そろそろ燃料も限界のはずである。
深い溜息をつきながら、通信規則を無視して命令を下す。
通信機の向こうから、戸惑ったような了承の返事が聞こえた。
「アフリカはどうだ?」
「こっちと同じみたいですね。砂漠もジャングルも消え失せて、海ばかりだそうです」
何とか部隊としての機能を回復し、あわただしく観測準備を続ける隊員達。
尋ねられた高橋が、衛星回線の調子を見ながら返答する。
「イスラム圏はまるで協力してくれないそうです。空港は全部閉鎖されてるらしく……
なんとかしてトルコの空軍基地まで戻り、我々と合流するまで待機するとの事です」
「……そうか」
再び溜息。
話には聞いていたが、イスラム教国家の大半は国としての機能を放棄している状態らしい。
経済が混乱し、行政が機能していない中にあって、毎日アラーへの祈りを続けているそうだが……
「中東圏は機能停止、NATOは全滅、ワルシャワ条約機構も壊滅状態か……」
ソ連はここ数日に渡る気候の激変で、農作物と工業地帯に大打撃を被った。記録的な寒波が襲ったかと思うと、今度は前例のない熱射現象が襲ったからである。
ソビエト連邦を構成している各共和国から、これらへの対応への強い不満が続出し、政府は「国家の維持」を調整する作業で手一杯だったのである。
とてもではないが軍を動かせる状態ではなかった。
これは山狗部隊を通じての情報だが……ソ連のバルチック艦隊や各基地は最初の大寒波で部隊の大部分が凍死してしまい、食料と電力不足を相まって軍として機能していないそうだ。
「動かしたくとも動かせない」のが現状なのだろう。
もう一度、偽物のように水平線な海と不自然なほど平らな絶壁を眺める。
「もしかしたら、俺達は日本に帰れんかもしれんな」
日本に残してきた1人息子の顔を思い出し、ふと加護が呟いた。
──霧が出てきたからだ。
その予言は的中する事になる。
◆
「ああ、そう」
鷹野三四の返答はそれだけだった。
ヨーロッパ・アフリカ調査隊からの連絡が途絶えたとの報告を受けて、彼女が発した言葉がそれである。
抑揚が無く、無感情で、無機質な4文字。
報告に来た山狗は、まだ先があるものと思い直立不動のままでいた。
しかし上司がそれ以上何も喋らないため、思わず「あのう」と声をかけてしまう。
「なぁに?」
それでも彼女は外の景色を眺める姿勢のまま動かない。
唇すら動いたかどうかも怪しい、そんな声。
「い、いかが致しましょう?」
「いいんじゃないかしら? 連絡を取ろうとしても無駄よ。
たぶん、消えたんでしょう。ブルガリアごと……いえ、ユーラシア大陸ごと」
さらり、と。
柔らかく優雅に言い捨てた。春の小川の様に澄んだ声だったので、何を言われたのか良く分からなかった。
彼は知らない。自分の報告よりも早く、鷹野は『東京』からユーラシアとオーストラリアの消滅を知らされていたのだ。
今更そんな報告に興味を持てなかったのだろう。
「もういいわ。持ち場に戻りなさい」
だから彼女の姿勢は変わらない。
腕を組み、ややけだるそうに立つ妖艶な姿。
視線は窓の外へと注がれたまま。
気候の激変のせいか、空は不安定で暗く厚い灰色だった。
まだ夏に差し掛かったばかりだというのに、緑の山々は色褪せて。
窓から射し込む「色のない影」が、鷹野の背中に淀んだ物を浮かび上がらせた。
山狗は、そんなものを背負える鷹野に恐怖した。
その瞬間。目の前に立つ上官が、急に人外の存在へ変貌して見えた。
「……は……はいっ、失礼しますッ!」
敬礼して、逃げるように部屋をでる。
鷹野は雛見沢に来ていた。思い出の雛見沢に。
つい先日まで働いていた診療所。
もう誰も助ける事のない診療所。
滅びと死の屍の根源たる診療所。
愛していた者を裏切った診療所。
そして、自分が「神」として君臨する原点となった土地。
雛見沢。
そう。神。
「≪神≫」
その単語を呟く。
愛しげに。憎々しく。
軽やかに。重々しく。
爽やかに。黒々く。
楽しげに。苛立たしく。
そうだ。自分が中心になるはずだった。
この雛見沢が「神」としての自分の出発点だった。
歴史に名を刻むはずだった。
永遠に「自分」という存在は「神」として「時間」に刻み込まれ、忘れられる事のない物になるはずだった。
神の名の下に「祟り」を執行し、
それがどうだ。
星々が消え、惑星が消え、国が消えた。
今や「雛見沢大災害」など誰も気にしてはいない。
注目するべき人間も、その数を減らしつつある。
この調子でいけば、おそらく日本国も消える。
自分の名を、神の名を教えるべき国民も。
祟りを植えつけるための国土も。
伝えるべき歴史も。
自分自身も。
よりにもよって
自分以外が起こした、
「神」のような所業によって。
「冗談じゃないわ」
表情が動く。誰もいない空を睨みつける。
その先にいるであろう「誰か」を呪いながら。
「私が神になるはずだった。私が総ての運命を握る絶対となるはずだった」
その為には総てを許容した。全てに妥協した。
身を売った。頭を下げた。罵倒された。差別された。無視された。唾を吐かれた。殴られた。身体を壊した。精神を病んだ。泥水をすすった。数え切れぬ傷を負った。寒さに震えた。暑さに目が眩んだ。
撃った。撃った。狙って、撃った。切った。削いだ。穿った。抉った。刺した。投げた。折った。殺した。
殺した。殺した。殺した。たくさん、たくさん命を奪った。
子供を殺した。少年を殺した。少女を殺した。
男を女を老人を。分け隔てなく平等に愛して殺した。
ジロウさんを、前原君を、レナちゃんを、魅音ちゃんを、詩音ちゃんを、沙都子ちゃんを、悟史君を、梨花ちゃまを。
自分を慕ってくれた全ての命を、みんな、みんな。
彼らが崇めたオヤシロサマさえも。
私が殺した。
全ては神になるために。
なのに。コレはどういうことだ。
鷹野は憤る。世界という機械装置に憤る。
神というシステムを備えたはずの世界装置に憤る。
私は人として限界を超えた事をやったはずだ。
人間という枠を捨て、境界を超えて神になったはずだ!
なのに、なぜそれ以上の事が起きて私を蔑ろにするッ!!
何故ッ 何故! 何故!?
「所詮、貴女も機械装置の一部だからですよ」
──声が聞こえた。
甘い、子供の声。
なのに戦慄が走った。
その言葉の内容のせいか?
否、甘いのに、この声は冷たい。とても冷たい!
腰にあるホルスターから銃を抜きつつ振り返る。
両手で構えた銃が、視界に入った姿を正確に捉えた。
撃てば確実に眉間を貫く。
しかし指が動かなかった。動いてくれなかった。
少女。
鷹野の腰までしか身長がない少女。
改造したのだろうか。肩口を大きく露出させた巫女衣装。
飾りとは思えない質感を持った、2つの
周囲の空気を赤黒く歪める、禍々しい気配。
「 ?」
名を尋ねたはずだが、声にならない。
神である自分が、子供の気配に飲まれている。
「ほら──少し殺意を向けた程度で呼吸が出来なくなる」
少女は楽しそうに笑った。
あの「大災害」の日、神になったと喜び天に両手をかざした鷹野よりも、楽しそうに。楽しそうに。
「お久し振り、鷹野三四。貴女のことだから、雛見沢に帰ってくると思っていた。
神になりきれなかった貴女が、最後に来るのは『出発点』だと思ったから。
ボクの大好きな人達の終極にして、貴女の望んだ究極」
少女が近付いてきた。
足が動かない。声が出せない。指が動かない。
心の底からにじむような『色』が脳裏を染め上げる。
「で? どうですか?
神になろうとして、みんなと幸せになれる可能性を否定して、全てを否定して──全てを否定するために大罪を犯して、そこまでしたのに成り損ねた気分は?」
「ぐ」
鷹野のすぐ下から少女が見上げる。
震える眼球を下へと向ける。
胸の陰に隠れるように、少女の笑顔が見えた。
いや。違う。
目が、少女の目は、笑っていない。一切、笑っていない。
ほんの僅かも。一片たりとも。
確かに「笑顔」という表情があるのに、その目だけは無表情。
氷。闇。暗黒。深遠。無。
「お前は」
「酷いです。散々ボクの事を研究していたくせに。
見たこともないくせに、見て来たかの様な嘘をついて。
初めましてではないですよ。
ボクは梨花と共にいた。貴女の後ろに立っていた。
愚かな貴女をずっと見ていた。後ろから。後ろから。舐める様にずっと。ずぅぅーーーッと見ていた」
「オ、オヤ、オヤシロサマ」
ようやく、喉から声が出る。
豚の首をひねったような声だったが。
少女は再び笑った。自虐的とも、嘲笑とも取れる口元の歪み。
「ボクはただの演算装置。
それ自体では活動できない『数式活動体』。
もはやたどり着くことはない、時間の果てで生まれた『演算機能』。
何のために造られたのか誰も覚えていない『永久循環宇宙』。
逆ラプラスの悪魔。マクスウェルの悪魔。シラードのエンジン……
ねぇ、鷹野。ボクも『神様』ではないのです。
──神様になろうとしたんですよ?」
独り言のように、少女は意味不明な事を呟いた。
鷹野の手から銃が滑り落ちる。だが床に落ちるよりも速く、銃は霧状に霧散し。
永遠に床へ落ちることはなかった。
「この姿では初めまして。だけどお久し振り。
ボクの識別名称は『試験宇宙・Object-846』……だけど梨花が名前をくれました。
羽入……ボクは羽入といいます」