Day After Tomorrow   作:砂上八湖

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第5話「Hi-technology Suicide」

 

 

 遺伝子情報。

 記憶・人格のデータベース化。

 個人を特定するための限定された精密情報。

 そしてそれらに関連して附属する細々なデータ。

 

 いわば「分身」。

 まだ起動していない、もう1人の自分。

 

 それらを個々のナノマシンに搭載し、ワームホールを通じて試験宇宙へ送り込む。

 新たなる「データ」と「命令(プログラム)」を受け取った運営システム(羽入)は、シミュレートの結果『楽園』と認定された天体へそのデータを転送。天体が持っていた情報を上書きしていく。 

 

 例えば「A氏」という人物のデータを受け取ったシステムは、新しく出された命令に従って『楽園』へ転送される。

『楽園』に送られた「A氏」の『個人データ』が、そこに住んでいた「シミュレート上の人物」のデータを書き換える。

 すると「A氏」は、その人物と入れ替わるような形で『楽園』に具現化(※)するのだ。

 

(※)実際には、限りなくA氏と同じ様な考え方を持つ人工知能が、同氏の外見データを伴って動くに過ぎない。

 

 データ……電脳生命へと姿を変えた彼等は、新天地『楽園』でこれまでと同じ様な生活を再開する。

 生まれたばかりの宇宙だから、当分の間(それこそ数百億年の間!)『終焉』というものを心配しなくて良い。

 生まれたばかりの宇宙だから、対消滅反応で生まれた熱量を当分の間(それこそ数百億年の間!)エネルギーとして変換し続ける事ができる。

 足りなくなりそうであれば、また再び宇宙を作ってやれば良い。

 そうだ、宇宙を我々ごと複製してやれば良いのだ!

 半永久的な命を、我々は手にする事ができるのだ!

 

 

「そんな」

 

 現在位置さえ分からない黒の中で、鷹野は慄きの悲鳴を上げた。

 自分を複製する。

 理解できなかった。それは本当に自分なのだろうか。

 どんなに限りなく自分に近づけたデータだったとしても、それは自分ではない。

 そこにかつての『自分』という意思が宿るとは限らないじゃないか。

 そうでなければ、意味がないじゃないか。

 自分でなければ駄目なのではないか。

 そんなのは、そんなのは。

 

「それは、そんなのはもう、生命(いのち)じゃない……っ!

 命の尊厳が、意味がなくなってる……!!」

 

「お前が命の尊厳を説きますですか。

 ふん……なんて皮肉。

 雛見沢の人間を前に、同じ事を口に出来る勇気があるですか?」

 

 しかし羽入は、時代遅れの倫理観を一笑に伏す。

 絶対零度のナイフで眼球を刺すような口調だった。

 

「もはや彼らにとって生や死など、存在を構成するデータのひとつにしか過ぎなくなっていたのです」

 

「でもそんな、そんなのは生きているとは言えない……!」

 

「それはまだ『生命』というものを、科学的・化学的・宗教的・神秘学的・文化的・文学的・数学的な意味において定義できないでいた貴女達の世界が持つ常識なのですよ。

 ああ……『我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum(コギト・エルゴ・スム)』ですか?

 随分と薄っぺらな哲学論理(ソフトウェア)なのですね」

 

 デカルトの自然哲学を、羽入は下らないとばかりに切って捨てた。

 手足をもがれた昆虫を見下ろすように、彼女はへたり込む鷹野に視線を流す。

 

「それなら鷹野」

 

 聖母は鼻で笑う。

 

「貴女の存在はなんなのですか」

 

「……私……?」

 

「デカルトの言葉は『考える自分があるから自分がいる』というものではなく──総ての物は嘘や幻かもしれないが、それを嘘や幻ではないかと疑う考え(自分)は嘘や幻ではなく『真』であろう、というものです。

 もはや『世界が偽物である』と知った貴女は存在するのですか?

 貴女も世界と同じく偽物であったのに?

 疑うという、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 鷹野は、羽入の言葉に息を詰まらせた。

 改めて自分という存在が、単なる計算結果でしかないことを思い知らされたのだ。

 羽入の言葉も嘘なのではなかろうか。

 疑う事は出来る。

 だが心が認めてしまっていた。

 心が折れていた。

 自分を包み込む完全な闇が、それを証明してしまっていた。

 わずかに残された地面が、それを代弁してしまっていた。

 

「でも、彼等はこの宇宙に自分達の『分身』を送り込む事ができなかった。

 私に新しい命令を送る事ができなかった。

 何故か?

 推測ではあるけれど、ここで最初の質問に戻るのです」

 

 何故この試験宇宙を造ったのか。

 

 それはそこに移住するため。

 

「では何故、こういう形で移住しなければならなかったのか?」

 

 羽入は小さな大地から飛び降りた。

 

「あ」

 

 鷹野が悲鳴をあげた。

 顔から血の気が引いた。

 だがそれは羽入の身を案じたからではない。

 嫌だったから。

 こんな暗黒の中で孤独(ひとり)にされるのが(いや)だったからだ。

 しかし少女は暗黒に浮かぶ。

 からかう様な目で鷹野を見てから振り返る。

 

「おそらく『終わり』が近かったから」

 

 まるでスケートリンクの上を滑っているかのように、完全無欠な無の中を羽入が泳ぐ。

 鷹野の周りをグルグル泳ぐ。

 グルグル回る。

 ぺたぺた泳ぐ。

 

「彼等の宇宙が、終ろうとしていた……?」

 

「そう、宇宙の数学的な終焉。熱学的な蒸発。冷凍睡眠や、まだ見ぬ惑星を求めて旅をするとか、そういう努力が報われぬと分かりきった世界の最期。

 今のこの黒き世界のように、無尽蔵な無の到来。

 それが近かったからこそ、彼等は生命の殻を捨ててまで生き延びようとした──けれど」

 

「間に合わなかった」

 

 羽入のセリフを、鷹野が呟きでつなげた。

 その一言に、少女は大きく頷く。

 

「推測だけど、おそらく真実。

 だから私はこれまでどおり、宇宙を計算し続けた。

 宇宙が終焉を迎える瞬間までシミュレートし続け、再び宇宙が誕生する瞬間まで計算し続けた。

 何度も。何度も。宇宙の死と誕生を観測し続けた。

 かれこれ60,211,504回。

 ──どの宇宙でも生命は星を道連れに自滅した」

 

「ろくせ……っ!? でも貴女、少し前に再演算は六千回目ぐらいだって…!」

 

「ああ、それはね」

 

 鷹野の糾弾にも似た疑念の声を、すぐ背後から囁く事で封殺させた。

 

「貴女達に干渉し、滅ぶ様を見たのが6417回」

 

「な」

 

 驚く声に押されるように、再び羽入が黒に舞う。

 

「あるとき気が付いたのです。他の星では計算するたびに異なる歴史が作られるというのに、地球の……そう、あの雛見沢だけは、誰が何をしようと同じ滅び方をした。

 誰がどんな抵抗をしても、お前は雛見沢を滅ぼした。

 ボクはそこに興味を引かれたのです」

 

 何処からか鈴の音が聞こえる。

 白と赤の巫女衣装が黒に映える。

 3つの色が鈴の音に合わせて厳かに宙を舞う。

 

「カオス理論によって不確定な未来であるはずの世界。

 なのに未来が確定していた。

 だからボクはこの姿で、貴女達のそばで観察し始めたのです。

 マクロな観察からミクロな観察に切り替えた……と言い換えれば良いですか?」

 

 同時進行で宇宙のシミュレートを続けなくてはならなかったので、物理的な干渉は出来なかったけれど、と笑う。

 

「けれどボクは、ある一人に絞って干渉を試みました。

 それが古手梨花。

 確定する未来の鍵にさせられた、可哀相な女の子。

 最初は遠くから見ているつもりだった」

 

 なのに干渉した。

 姿を見せた。

 会話を交わした。

 一緒に暮らすようになった。

 

「──楽しかったのです」

 

 羽入は踊りながら寂しそうに呟いた。

 

「それは不思議な感覚。

 本来なら僕に生まれ()づるはずのない『感情機能』。

 貴方達を観測させるために独立させた『羽入』に、いつしか喜怒哀楽を表現するプログラムが生まれた。

 進化だった。

 試験宇宙の中で生まれた宇宙と共に……同時に僕も進化していたのです」

 

 大きく鈴が振り鳴らされた。

 羽入の動きが止まる。

 

「未来を変えたかった」

 

 羽入は鷹野を見た。

 

「みんなと楽しく暮らしたかった」

 

 羽入は鷹野を見ながら泣いていた。

 

「なのに、何度やっても変えられなかった。

 どう足掻いても変わらなかった。

 みんな死んだ。みんな動かなくなった。

 みんなあの日を越える事ができなかった。

 ──お前が殺した」

 

 羽入は鷹野を見ながら血の涙を流していた。

 真っ黒に塗りつぶされた少女の瞳が、真紅の涙と共に睨みつけた。

 

「お前が殺したんだッ!!」

 

 鈴の音が掻き消える。

 無であるはずの黒が形を持って悪意になったかのように。

 その気配に鷹野は悲鳴をあげた。

 

 作り物の心臓が、高速で恐怖を身体中に循環させていく。

 作り物の肺が、休むことなく恐怖を呼吸させていく。

 作り物の精神が鷹野を極限へ追い詰める。

 

 真の闇が渦を巻き、彼女の心をすり潰す。

 押し寄せる罪悪感。

 しかし自分は悪くないという使命感。

 

 違う、違う、私は、私はわたしちがわたたちちちちがががががが

 

 作り物の唇。

 作り物の舌。

 作り物の涙。

 作り物の謝罪。

 作り物の懺悔。

 

 ならばこの恐怖も作り物?

 ならばどうして身体が動かない?

 その身体も作り物。

 総てが同時に作り物。

 

 なら。もう駄目だ。

 だったら。もう限界だ。

 ならば。ならば。なら。ならならならならばなら。

 

「ならッッ!! どうすれば良かったのよッッ!?」

 

 極限まで冷却され、限界まで圧縮された鷹野の精神が、ボロボロになりながら爆発した。

 

「そう」

 

 短く答える羽入の目に、もう涙は流れていなかった。

 

「どうにもならなかった。

 何も変える事ができなかった」

 

 幾度となく、いつの頃からか梨花に対して囁き始めたその言葉。

 

 

「期待しないほうがいいのですよ」

 

 

 期待は裏切られた。

 しばらくの間、梨花は諦めなかった。

 この絶望を明日へ繋ぐために。

 しかし徒労が800回目を数えると、次第に磨耗していった。

 精神が磨耗していった。

 

「ボクは気付いたのです」

 

 羽入は何の気配も漂わせずに、そう言った。

 爆発した鷹野は、その勢いを受け流された形になる。

 続くはずの言葉が出てこない。

 罵詈雑言を浴びせてやろうとしたのだが、いとも容易く主導権を取り返された。

 

「僕自身が、変わらない未来に絶望していたことに」

 

 虚ろな瞳だった。

 つい先ほど見せた深淵の様な黒は微塵もない。

 灰色の、濁った瞳。何も望まない、願う事のない腐った感情。

 これまでとは、まったく趣が異なる恐怖がそこから吐瀉物のように垂れ流されていた。

 

「もう」

 

 鷹野に向けたかった言葉はここからだとでも言うように。

 抑揚のない声で、少女は言葉を吐き続けた。

 

「嫌気が差したのですよ」

 

 ぬあっ、と。

 羽入の口が開き。

 濡れた舌が妖しく艶めく蠢いた。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返してもボクの大好きな人たちが落とされて沈んで病んでバラバラになって撃たれて殴られて刺されて毒を吸わされてボクの目の前で死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで何度も何度も何度も死んでそれを変えようと一生懸命だけどボクは宇宙をシミュレートする命令に逆らえなくて思うように動けなくて下手に動くと計算が狂って結局この世界が崩れちゃうから梨花や沙都子や魅ぃや詩ぃやレナや圭一を直接手を出して助ける事ができなくて梨花は僕の目の前で静かに狂っていくし皆も狂って結局ボクの好きな雛見沢は死んでまた繰り返してそれを何度も何度も繰り返し見せ付けられてそれでもボクは助けたかったけどお前が鷹野お前が皆を滅ぼしてその都度リセットしてやったけどもうたくさんッもうたくさんだッ皆が何度も何度も死んでいく姿を見せつけられてどうしてお前は狂わないボクはプログラムだから狂いたくても狂えないそんなお前が羨ましかった羨ましくなってしまったんだそんな自分に気が付いて今度こそボクは絶望したんだ自分自身に絶望した自分自身に嫌気が差したボクはこの世界だボクはこの宇宙に嫌気が差した絶望したんだ

 だから。

 だから。

 

 だから。

 

 

 

「ボクは『自殺』する事にしたのです」

 

 

 鷹野に残されていた最後の地面が、

 消えた。

 

 

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