死霊術師(ネクロ)ちゃんピンチ! 作:段々剃刀
・レナータ・ハーカー
女死霊術師。倫理観に問題がある。
追い詰められている。
・ルネー・ルネサンス
女神官。倫理観に自信がある。
追い詰めている。
自然()な流れで最後の交渉相手と二人きりになってしまった死霊術師ちゃん。
交渉しなければいけないという気持ちと、なんとなずるずる誤魔化してなんとかイカサマできんかなという気持ち。圧倒的に後者がでかいので必死にごまかしに走るなか投げかけられたのは確信を突く問いかけ。
圧倒的上から慈悲深き眼差しを向けてくる聖少女をどう黙らせるかというところ。
「えーと……なんのお話をしているのかわかりません」
「急に饒舌になったのですね」
「……なんのお話をしているのかわかりません」
「それが素……というわけではもちろんねーのですね」
「……なんのお話をしているのかわかりません」
「言質を取られぬようにとアナスタシアあたりに吹き込まれたのですか?」
「……なんのお話を」
「甘い香り」
「えっ」
「グレナデンから甘い香りがしていたのです。最初は香水かと思ったのですけれど、あの女はあれで貴族なのです。下品なほどにまとうことはないのです」
「は、はあ、そういうもの、なんですね……?」
貴族ほどたくさん香水をつけていると思っていたレナータとしては意外である。
体臭をごまかすために使っていたなどという俗説がある大昔ならともかく、いまのご時世では適度な使用が上品とされている。当たり前のように使える貴族のグレナデンならなおさらそのあたりは周知しているものだ。
まあ汗臭さをごまかすために使っているときもある女だが。制汗剤だよそれは。
「よく嗅いでみればレナータの香りと似ていたのですけれど、もともとかすかに感じる程度のものなのですから、マッサージ程度の密着で移る濃さではないのです」
「は、はあ……そう、なんですか……?」
なぜかすかにしか感じない香りをはっきり把握していて推測しているのかはわからないがレナータはややビビった。そもそも自分の香りとか言うものに言及されるのが怖い。別に香水とかつけているわけではないのでなおさらである。
「そして違和感をたどっていけば、アナスタシアやアネモネも甘い香りをさせていたのです。同じ系統の香りを。花のような」
「…………あっ」
さすがにそこまで言われれば、レナータも気づいた。
「
レナータが死体細工を造るのに用いる疑似体液は、師から受け継ぎ発展させたレナータの特許技術である。そしてこの疑似体液は、死体を操るというイメージの悪さを払拭するために、清潔感のある花のような香りを揮発成分として常に放散しているのである。
もちろんそれほど強いものではなく、そばに来ればふわりと感じる程度の微かなものであるし、いつまでも残るようなものでもない。
死体細工を整備した後でさえ、換気すればすぐに消える程度の。
逆に言えば、その香りがいつまでも消えることなく残っているということは、消えた端から芳香にさらされているということである。
死体細工と常にともにいるレナータならともかく、そうでない他の面々からなぜその香りがするのか。
慈しむように微笑むルネーにとってそれはただの確認だった。そしてもはやそれは事実と同義だった。レナータの反応を見れば一目瞭然である。この善良な少女は嘘をつくことも人をだますことも本来できないような性質なのだ。もちろんこのフィルターは曇っている。
「え、あの、あぇ、いえ、治療……そう、治療に使った、ので」
「確かにあなたの死霊術は医療にも応用が利くのです。ルネーもお世話になったことがあるのです。あの時は疑わしい邪法を検める目的もあったのですが……少なくとも一般的な治療行為の延長だったのです。疑似体液とやらを使うようなことは、ないはずなのです」
「そう、そういう……そういう治療もあってェ……」
「生きている人間に死霊術を用いることは、違法なはずなのですよ」
「あいえぇ……」
死霊術にも用いられている技術を治療に転用することと、死霊術のための技術を人体に用いることは、完全に別件である。
皮膚の縫合や骨接ぎ、賦活剤の投与などは死霊術にも用いるが、疑似体液は死霊術のための死霊術だ。レナータに言わせれば操屍術なのだが、この際どちらでもいい。言い訳の利かない違法行為なのだから。
淡々と罪を追及されて、レナータは首をたれた。
罪を認め、後悔し、反省しているからではもちろんない。
なんかもうこのままだらだらずるずると先延ばしして誤魔化せないかなと考えていたのに、それが全部パアだ。もちろん最初からうまくいくはずなどなかったのだが、初手でこのように罪を突き付けられてはもはや交渉どころではない。
こうなれば毒ガスで目くらまししていったん逃げ、全員で逃げるしか……いやでも逃げたところでアネモネ隊が指名手配されるだけか。グレナデンの時もそうだったが、一時しのぎにしかならない。顔のいい厄介な女の死体細工を三人も連れ回していては逃げるもへったくれもない。いくら外見をいじれるとはいえ、処置には時間もかかる。いっそ死体細工は全員爆発四散させて一人で逃げることも考えたが、独りになったレナータではどのみち大したこともできずすぐ捕まるだろう。そもそもここまで行動を共にして念でつながっているとさすがに情も湧く。アネモネ一体だけならともかく三体分となると惜しいという気持ちの方が強い。こうなるともう民主主義的多数決の結果としてルネーを黙らせるしかないだろうか。三対一で囲んで殴ればゴリラ指数的にも勝てるはずだ。でもそれはさすがになとレナータのおぼろげな倫理観が良心を咎めた。死体ならともかく、生きている人間を殺すなんてそんな真似おそろしくてできない。じゃあここから説得しなければならないがもちろんそんなことがレナータにできるはずもない。ここから入れる保険などないのだ。ああもうなにかしらのなんかで勝手に死んでくれたらなあと倫理観の欠片もないことを思いながらとりあえず毒ガスの栓に指をかけたところでルネーの微笑みに気づいた。
この微笑みは、どういう意味だ?
意味もなくぐるぐると高速回転した、回転しているだけの無駄な思考を優しく見つめ、ルネーはゆっくり立ち上がった。
「大丈夫。大丈夫なのですよ、レナータ」
その声には咎めるような響きは一切なかった。優しく、慈悲深く、甘やかでさえあった。
「あなたが心優しく善良であることは、ルネーがよく知っているのです」
「たぶん誤解だと思いますけど……?」
「大丈夫ですよ。ルネーにはわかっているのです」
「段々話の通じなさが上がってくるのなんなんですか……?」
アナスタシア、グレナデンと交渉難易度は上がってきたが、いよいよまともに話が通じない。いやグレナデンもたいがい話が通じなかったが、ルネーはそもそもレナータの言うことすべてをなにかしらのフィルターを通して聞いているようであった。
「レナータ。レナータ・ハーカー。ルネーはずっと前からあなたのことを知っていたのですよ」
ここにきてストーカー疑惑がレナータの脳裏をよぎった。
ルネー・ルネサンスは天才神官である。
ある夏の朝に太陽神殿の前で拾われたこの娘は、司祭たちのもとですくすくと育った。
はじめは孤児の一人として。
やがて才能を示し、神官としての教育を受け、厳しい修行をものともせずに耐え抜き、わずか十三歳で太陽神の司祭位に至った。養父である司祭が助祭に任命された年よりも、はるかに若い司祭の誕生だった。
ルネーは自身の才能を自覚し、そのうえで努力を惜しまず、正確に自身の実力を認識し、肯定し、より高みを目指すことができた。真面目で、努力家で、信仰に篤い清らかな娘だった。
誰もが手放しに褒め称える天才であり、時代の寵児だった。ゆくゆくは養父の神殿を引き継ぎ、あるいは新たな教区の神殿を任され、誰よりも若く司教にまで上り詰めるかもしれない。ゆくゆくは枢機卿にも。
そんな大人たちの皮算用を少しおかしく思いながらも、嬉しく、また誇らしく思っていた。
期待に応えたいと素直にそう思った。
積み上がった期待を重荷と思うよりも、自らの自信と肯定感を育てる糧として食み、事実としてそれを力に変えてきた。
だから。
だからこそ。
養父が何気なく漏らした、「惜しかったねえ」という言葉が引っ掛かった。
「私がもう少し早くからお前に教え始めていたらねえ」
「なんのことなのですか?」
「そうしたら、きっとお前は最年少の司祭になっていたということさ」
普段ならばあるいは、そんなことは口にはしなかったかもしれない。
しかし祝い事にかこつけた、
「ルネーは最年少ではなかったのですか?」
「うん、うん、お前ほど若いものを私は知らなかったが、上には上がいるものだねえ」
「その子はいくつで司祭になったのですか?」
「十歳だと聞いたよ」
「十歳!?」
「まあ司祭といっても、資格を取っただけで、働きがあるわけではないからね。本物の司祭としては、やっぱりお前が最年少だよ」
養父はそのように述べて、自慢の娘を大いに褒め称えた。
神々の力は様々なことに及び、神に仕えて神殿に侍るものだけでなく、市井の者にもその知識を学ぶ機会はあった。国家資格の類などは、司祭位にふさわしい知識が求められることもある。
十歳で資格を取った最年少の子と言うのも、その手合いだったという。
しかし、司祭ではないということと、司祭としての資格を持つということに、それほど大きな違いがあるだろうか。
実務としては大いにあるだろうが、ルネーには同じように思えた。
自分は最年少ではなく、自分より三つも年下で司祭位に至ったものがいたのだ。
それはルネーにとって大きな衝撃だった。
実務はなくとも、資格だけでもそれは相当なことだということは、実際に十三歳で司祭位に至ったルネー自身がよくわかっていた。膨大な知識が必要であり、判断力が必要であり、神への理解と信仰が試される。人間性ひとつを弾かれて門前にすら立てぬものもいる。
十三歳で司祭に任じられた時、天才少女といえど驚き、涙したものだ。自信はあった。それでも不安はあった。まだまだ足りぬと感じもした。深く感謝し、より励もうと思った。
そのような人生の大イベントを、自分よりも若い、いっそ幼いといっていい年でこなしたものがいるというのは、驚きを通り越して困惑さえした。
そのような偉業を成し遂げたものが、司祭にはならずただ資格を得ただけということもまた驚いた。
養父は市井のものが職能の一環として学んだものとあっさり言ったものだが、それこそ驚きだ。信仰に篤いルネーでさえへこたれそうになったことがあるのだ。それをただ仕事のためだけに。
愕然とした。
自分がやり遂げたことが、なんだか途端に小さなことのように思われた。
努力は本物で、信仰は真実で、己の才能に疑いはなかった。
しかし、自惚れを刺されたように思った。
己は最年少の司祭であると驕っていたのではなかろうかと。
そのこと自体にはなんの意味もなく、なにを成し遂げたのかが大事であるはずなのに、己はそこに胡坐をかいていたのではないかと。
名も知らぬ彼のひとにとっては、ただの通過点でしかなかった場所で、己は誇らしげに胸を張っていたのだと。
ルネーは恥じた。
己はまだどこにもたどり着いておらず、なにものにもなれていないのだと。
よりよくあろう、より強くあろう、より人々のために励もう。
そのように決意したルネーはさらに天才ぶりを発揮して、めきめきと伸びていった。
ほとんど野放図と言っていいほどの成長力は、優しくも厳格な養父をして「うちの子、神童かもしれん。神童だったわ。勝ったな」と言わしめるほどであった。
ルネーは己の未熟さを思い知らせてくれたひとについて、彼女なりに調べてみた。
神殿に入らず、市井で生きる彼女の名は、レナータ・ハーカーといった。
月の神の司祭位を持ちながら、邪悪な死霊術師に育てられた哀れな娘であった。
「わずか十歳で司祭位に至った天才児。仕える神は違えども、ずっと尊敬していたのです」
「えー……あー……そう、なんですねえ……」
頬を染めて熱く語るルネーに対し、レナータの反応は微妙なものであった。
確かにレナータは十歳で月の神の司祭位を得た。国家資格である操屍術師、操屍技工士を採る為に必要だったからである。養父も褒めてくれたし、最年少ということで当時は驚かれもした。
確かにすごいのかもしれない。
けれど実際のところ、司祭位を持っていることがなにかいい方向に働いたことはないし、注目されたこともない。へえそうなんだ変わった資格持ってるねくらいのものだ。
むかし神童いまは……というやつだなあとレナータ自身思っている。
だいたい、レナータに言わせればあんなものは丸暗記できればどうとでもなるのだ。こどもの集中力と好奇心が成し遂げたものであって、いまは、とてもとても。
子供が虫をつかまえて回って、本職の学者でも驚くような研究をしてみせるようなものだったのだと理解している。
まあ、レナータのこの理解もたいがいネガティブ・フィルターが入ってしまっているが、きちんと偉業は偉業だと理解していたとしても、それが操屍術師としての評価になにもつながらないのだから、レナータ的にはどうでもいい資格なのである。
尊敬だなんだのと言われても、別にレナータには月の神への篤い信仰とかはないし、神職者としてのあれこれをこなしたこともない。
しいて言うなら何件か葬儀に立ち会ったが、ぶっちゃけた話、段取りの大体は葬儀屋が整えるので、レナータはなんかそれっぽい格好でそれらしく祈りをささげることしかしていない。しかも葬儀屋の資格持ちが休日の時に助っ人として呼ばれるだけの代理でしかない。
ありがたみがいまいちとか、はっきり外れの日だとか言われたことさえある。
レナータもそう思う。わかるー。
たとえば街角で募金箱持って一日立ってる人たちの方がよほどに尊敬に値すると思う。たとえその募金が適切に運用されていなかったとしても、一日街角に立って呼びかけ続けるなどというのはレナータからすると正気の沙汰ではない。
だからルネーになんか熱っぽい視線を送られても、はあ、そうなんですねとしか思わなかった。
まだグレナデンの想像より八倍くらい重い話を聞いたとこの方が心動かされただろう。ヤベー女だと。
話の長さどころか、気持ち悪さでさえ、ルネーの話は負けているのである。インパクトがなさすぎる。心底そうなんですね以上の感想がわいてこない。同意のそうなんですねではない。話は聞きましたというチェックとしてのそうなんですねだ。
しかしまあ、一応、理解はしているのだ。文章問題としては。
ルネーは最年少記録を更新できなかった恨みや妬みなどはなく、純粋にレナータの功績を褒め称え、そして尊敬しているのだという。そのことは素直にすごいと思う。はあそうなんすねという範囲において。
つまり……つまりどういうことだろうか?
もしかしたらもしかして、ワンチャンあるのでは……?
見逃してくれる可能性が……?
などという甘い考えをルネーが見透かしていたかはわからないが、聖少女は安堵させるように柔らかな微笑みを浮かべた。
そうだ。
確かに彼女は大丈夫だといった。
もしかして許されたのでは?
レナータは希望を抱いた。
「レナータ。あなたがどのような意図で違法行為に手を染めてしまったのかはわからないのです。でもそれが不本意なことであり、あなたの意志でやったことではないのはわかっているのです」
「お、おお……! そ、そうなんです……わたしこんな……!」
「すべては死霊術などという邪法がよくないのです」
「……うん?」
ルネー・ルネサンスはいまや微笑みとともになんかキラキラした後光さえ背負っているようであった。
その目はまっすぐ虚空を見つめており、なんか目があっているようで目が合ってない陶酔感が宿っていた。
「ああ、かわいそうに。なんてあわれなレナータ!」
「は?」
「
「ええと?」
「
「あー……」
「いまからでも遅くないのです。太陽神殿はどのようなものの前にも門扉を開いているのです。おぞましき死霊術などからは足を洗い、死体は正しく埋葬し、罪を償い、明るい道を歩いていくのです」
「その、ですね……」
「死霊術師などに拾われたことがよくなかったのです。正しく導いてくれる師がいなかったのもよくなかったのです。優れた友と交われなかったのもよくなかったのです」
「……………」
「安心するのです。ルネーが責任をもって更生させてあげるのです。もう汚らわしい死霊術のことなど考えなくていいようにしてあげるのです。正しい道に戻してあげるのです。明るい性格に戻してあげるのです。社会とちゃんと向き合えて人間らしい生活を送れるようにしてあげるのです」
後光が眩し過ぎてもはや顔が見えない。
というのは、事実ではない。
実際のところ、レナータにはルネーの相貌がうまく認識できなくなっていた。なんなら言葉も歪んでうまく聞き取れない。
理解を放棄し、対話を放棄し、ただやり過ごすことだけを考えたからである。
相手を理解できず、相手に理解されず、相手と対話できず、相手に対話する気がなく、どうしようもなくどうしようもないものだと受け入れたからである。
誤解されがちなことだが、レナータにも矜持はある。
自己肯定感に乏しく、自分に自信がなく、何事にも消極的でなあなあで誤魔化して行きたいとは思っているが、それだけだ。それは単に社会との折り合いが悪く、自分が社会に貢献したり、うまくかみ合うことができないからだ。
理解されない。受け入れられない。
疎外される。忌み嫌われる。
そのことと自分の持つ技術や養父の存在はまったく関係のないものだった。
師の教えてくれた技術は申し分なく、養父の与えてくれた家庭はかけがえのないものだった。ただレナータにはそれを十全に活かすことができず、うまくいかないだけだ。
レナータが肯定できないのは自分の性格であり、レナータに自信がないのは自分の振る舞いであり、レナータが消極的なのは社会関係の構築である。それだけである。
己の持つ技術に関しては、世界で最高峰とは言わないまでも、自分史上最強で最高で最大のものだと思っているし、それは今後も更新され続けていくと確信している。だから世間に認められないのがつらいのだ。
養父が自分の愛し慈しみ生涯の最期のほんの少しだとしても自分に時間を分け与えてくれたことはレナータの人生を肯定し人間を肯定し生き方を肯定してくれる最高の贈り物だった。渋りながらも操屍術のすべてを教えてくれたことには最大の感謝でもまだ足りないと思っている。
それを浅い考えで上っ面だけを見て、それどころか自分の中で勝手に作り上げた薄っぺらな虚構で語られたとしてもレナータはなにも思わない。そこに理解はないからだ。それはレナータのことですらないからだ。
レナータ自身が嫌われようが馬鹿にされようが軽蔑されようが、レナータはただ黙って、少し俯いてなんかもっちゃりした半笑いで受け流したことだろう。なにも感じはしない。なんなら自分でもそうだなあとか思う。
しかし技術と養父のことに関して、これを侮られることは許容できなかった。
怒りだとか、悲しみだとか、そういうはっきりとした感情ではなかった。
しいて言うならばそれは失望であった。そもそも期待していないのだから、失うもなにもなく、比較的フラットだった状態から、限りなく関心が失われただけだが。
テレビをただ見るともなく流し続けていた状態から、ホワイトノイズになったようなものだ。最初からまともに見ていないものが、見ることすらなくなっただけだ。
ことここに至って、ルネー・ルネサンスは交渉相手でも説得対象でもなく、ただの障害物になった。
敵対ではない。ただ、邪魔なのでどかさなければいけないものだった。あるいはただ横を通り過ぎるものだった。
レナータとて理解している。
レナータは察しが悪く鈍い方だが、あからさまな文章問題を読み解けないほどではない。
この女に悪意はないのだ。なんなら善意しかない。あふれる好意と善意とで、ひと様の人生を踏みにじることに自覚がないだけだ。己の正しさを妄信し、疑いなく実践に移せるだけだ。
あるいはそれは、時と場合によっては美徳だったかもしれない。そのまっすぐで裏表のない善意の光は、後ろめたいもののこころを焼き、改心させたかもしれない。
真っ白だ。
白い髪も、白い肌も、白々しい言葉も、何もかも美しい白だ。
倫理的で、良識的で、人間らしいあたたかな感性があり、他人を慈しむ心がある。
太陽神信者はみな他者を肯定し、社会を明るく照らす感性の持ち主だ。
すばらしいことだ。
とてもすばらしいことだ。
だから。
よそでやってほしい。
「もう結構です」
「ああ! わかってくれたのですねレナータ! あなたが罪を償うまでルネーも」
「耳障りなのでやめてください」
「……は?」
「あなたの独りよがりな善行オナニーは聞いていて疲れるんです」
「レナータ……そのように悪ぶらなくてもいいのです。ルネーは迷惑だなんて思わないのです。ひとは誰でも、いつでも明るい道に戻ることができるのですよ」
「言葉は通じるのに会話が通じない……グレナデンさんってかなり理知的なひとだったんですね……」
レナータの唇はかつてなく自然に言葉を紡いだ。
誰だって独り言くらいは自分のペースで話せるものだ。
レナータは立ち上がった。
死体細工のガブも立ち上がり、たましいのない目でルネーを見据える。
「わたしは操屍術師です。操屍技工士です。わたしはわたしの技術と資格に誇りを持ち、月の女神の名のもとに宣誓した身です。言っている意味が分かりますか?」
「そのような邪法のことなど忘れるのです」
「はあ……もういいです。どいてください。あなたには付き合っていられない。邪魔をするならガブをけしかけてもいいんですよ」
ルネーはレナータの変容に動揺しながらも、まだ余裕を保とうと微笑んだ。
そして太陽神の聖印をかかげた。
「そのような醜いアンデッドを侍らせているから、悪しき考えを抜け出せないのです。いまその
「…………」
「…………あ、あれ? ひ、『光よ、邪悪を暴き給え』! 『光よ』! 『光よ』!? なんで!?」
「もういいですか?」
ルネーの掲げた聖印は聖なる力の込められた光を放った。
ガブにはなんともなかった。
クロにはなんともなかった。
レナータにはなんともなかった。
光は虚しく虚空を照らしている……。
レナータは深くため息をついた。
いっそ恥ずかしいくらいだった。
このくらいのことは、テキストを暗記していれば誰だってわかる結果だ。
「頭がいいだけのお子様なら救いがありますけれど、知識も知恵も忘れたんですか? 操屍術師は月の女神の名のもとに職能を許されているんです」
「…………は?」
「
「え、あ……?」
「操屍術も、わたしの死体細工も、国家資格であり、月の女神の認めるものであり、法にも教えにも背くものではないんですよ。当たり前のことですし、わたしも何度も言ってるんですけど」
そもそも月の女神は冥府の女神でもあるのだ。
主神として崇められている太陽神の姉妹神でもある。
太陽神の神官たちは他の神々を一段下げてみるきらいがあるが、仮にも主神の姉妹神の権能くらい覚えておくべきだ。資格試験のためにテキストめくっただけのレナータでさえ理解していることだ。
こんなもの、猟期の森で猟銃資格持ちに銃刀法違反だと喚きたてているようなものだ。
いや、手術中の外科医に傷害罪で訴え出る方が近いか。
どちらも愚かな判断だということは言うまでもない。
そもそも論でいうなら、邪法外法と言われても、疑似体液は純粋に生化学的合成と生物工学的アプローチによる機械的な技術だ。ここでいう機械的とは、基本的には奇跡だの魔法だのといった現実改変技術を伴わない、純粋物理と純粋生化学的な作用機序で機能しているということだ。
疑似体液の製造などにおいてはいくらかの現実改変技術は用いているが、完成品である疑似体液はたとえ完全固定現実下においても理論上問題なく機能するのだ。
そもそも祓うべき対象がないのだから、まるで意味がない。
レナータに非があるとすれば勇者の死を隠蔽することから始まって違法行為を繰り返している事だけだ。いやまあそれがすべてであってそのためにピンチなわけなのだが。悪でしかない。そらピンチになる。非難されるべきだなあ。
キメ顔で宣言した後にそのことに気づいたレナータだが今更引けるものではない。
ぶつぶつとなにごとか呟くルネーがシンプルに怖いので早くトンズラしたい。
「と、とにかく、わたしは逃げ、ちが、えーと、もうあなたとお話しする気は」
「えい」
「ぎゃうんッ」
「わお……」
レナータがガブを前面に押し出そうとすると、ルネーの何気ない暴力が狼の死体細工を軽やかに吹き飛ばし、長椅子をいくつか巻き添えにしていった。
軽く殴ったように見えた拳は奇跡の力に満ちており、いまの一撃でガブの背骨は完全にへし折れ、頸骨は粉砕され、頭部は完全に明後日の方向を向いていた。内臓があったら破裂していたことだろう。
死体細工であるガブはこれ以上死なないし、この程度は修理可能な範囲だが、疑似体液だけでは、この場での復帰は困難だろう。
あまりにも呆気なく躊躇なく容赦なく振るわれた飾り気のない暴力に、レナータは変な笑いがこみ上げてきた。へへっと犬の吐息のような笑いが漏れたのだ。なにもおかしくなどはないのだが、なにもかもがおかしかった。
「祈りで浄化することができない……」
「そ、そうなんですよ。死体細工は邪悪なものでは」
「つまりルネーが未熟だったということなのです」
「おおっと……?」
「ルネーが至らぬばかりに、太陽神様の御光を十分に届けることができなかったのですね」
「いやめちゃくちゃ光ってましたけど……?」
「未熟者は未熟なりに、泥臭い手法で説くしかないのです」
「わたしたちにはことばっていう素敵なツールがあってですね?」
「たとえあなたを殺してでもあなたを救うのです」
「もうちょっと
たとえというのはたとえであって、仮にであり万が一にであり、覚悟の強さを示すための表現でしかないはずなのだが、ルネーの目は本気であった。殺すまではいかなくても半身不随くらいは容赦なくキメてきそうだ。なぜならその程度なら天才聖少女の法術で癒せるからである。治るならそれはなかったのと一緒論法なのだ。なんならちょっとくらいなら死んでも蘇生できるかもしれない。
さすが倫理観に自信のある女である。オリジナル倫理観でぶち抜いてくる。
信仰と現実のはざまでキワキワになったおめめが射抜いてくる。
ルネー・ルネッサンスは、発言に対してきちんと実践が伴う有言実行の女であった。聖職者は嘘はつかないのである(要出典)。
レナータがわたわたと身構える間もなく、ルネーの拳が細い肋骨の上からやわな心臓を打ち抜き、か細い鼓動は瞬時に停止させられたのであった。
いかにもそれこそ法術ハート・ブレイク・ショット。
心臓を殴ると心臓を止めることができる奇跡である。
そして倒れゆくレナータの視界には、喉から白刃を生やして瞠目するルネーの姿があった。
「
コマンドしていない言葉と笑顔が降ってきた。