死霊術師(ネクロ)ちゃんピンチ!   作:長串望

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登場人物

・レナータ・ハーカー
女死霊術師。倫理観に問題がある。
ルネーに殴り殺された。

・アネモネ・リターナー
女勇者。倫理観がふわっとしている。
ルネーを突き刺した。

・ルネー・ルネサンス
女神官。倫理観に自信がある。
レナータを殴り殺した。


13

 聖少女ルネーと交渉しようとしたら即座に決裂した上に暴力沙汰に発展してレナータは殺害されてしまった。なんということだろう。

 だってこいつ頭がおかしいんだもんと言う暇さえなかった。頭がおかしいやつが二人いれば、より手の早い方が勝つのだ。

 しかしレナータを殺害したルネーに刃を突き立てたものがあった。

 レナータの指示なく動き出した死体細工アネモネである。

 なにがなんだかわからんぞ、説明しろ、というところ。

 

 心臓を停止させられ、血流が停止し、意識が薄れゆくレナータ。

 そのそばで、ルネーの小さな体が中空にはりつけにされていた。

 勇者アネモネの細剣は正確にルネーの喉を貫いていた。

 正確に、実に正確に、急(・)所(・)を(・)外(・)し(・)て(・)い(・)た(・)。

 

 見た目の凄惨さに比べて、ルネーの出血は少ない。傷口は最小であり、血管は傷つけられず、肉だけが切り裂かれていた。

 そのあまりにも精密な刺突は、ルネーにほとんど痛みを感じさせないほどだった。神経さえも外しているのだ。

 

 なんの抵抗もなくするりと細剣が引き抜かれ、それでようやく攻撃されたことに思い至ったルネーは跳ねるように身をひるがえし、距離を取った。

 そして叫ぼうとしたのか、あるいは回復の祈祷を唱えようとしたのか。

 しかしその声はどこにも届かず、発せられなかった。

 ただガスの抜けるような音としめった水音がした。

 

「しー……静かにしたほうがいいよ。別にうるさくしてもいいけど、そのぶん苦しくなるのは君だからね。空気が漏れるから、呼吸がしづらいでしょ」

 

 アネモネは自然な所作で細剣についた血をぬぐった。

 死体細工アネモネ人形も自然に動いていたが、いまのアネモネははっきりと滑らかに動いていた。

 軽薄な口調は、昼下がりの喫茶店で女給をナンパするそれと何ら変わりない。

 

「君たちと一緒になってからは対人戦はとんとしてなかったから、知らなかったかな。術者に対してはまず喉を潰すのがセオリーなんだよ」

 

 ルネーが何事か言おうとするたびに、その喉の傷口から空気が漏れ出た。手で押さえようとしてどうにかなるものではない。声帯のみが的確に切り裂かれているのだ。

 詠唱や祈祷といった声に出すアクションが必要な技能は、この簡単な下処理で使えなくなる。無詠唱や黙祷といった技術もあるが、それには高い集中力を要する。

 奇襲による混乱はそれを阻害する。少ないとはいえ喉の出血も集中力を奪う。

 

 それでも事前のバフが消えたわけではない。

 ルネーは腰に帯びたメイスに手を伸ばしたが、その手は手首の腱を切断されて握力を失っていたからただ鉄の表面を撫でるにとどまった。

 

 驚愕。困惑。動揺。

 ルネーにはいつ斬られたのかわからなかった。斬られた後でさえ痛みがほとんどなかった。

 

 顔を上げ、アネモネをにらみつけ、その一挙手一投足を目に焼き付けようとして、そのうえでルネーはなにをされたかわからないうちに反対の手首の腱、両肩の腱、両足首の腱を断たれた。

 正面にいたはずの相手に、気づけば死角から全身を切り裂かれていた。アネモネの動きを何一つ認識できなかった。

 

 アネモネを追おうとするルネーの意識の死角だけを、正確に移動していた。

 

 然もありなん。

 勇者アネモネとはそのような戦法で戦ってきたではないか。

 

 どんな攻撃も傷ひとつ負わずに回避し続け、しかし相手には回避を許さず切り裂き続ける。

 回避ゴリラ、などとからかいを込めて呼ばれたその刃の実態を身をもって知って、ルネーは愕然とした。

 

 理論上は、確かにそうなる。

 確かにこうなった。

 だが同時に、そんなわけないだろうという常識的観念が否定を叫んでいる。

 

 相(・)手(・)の(・)意(・)識(・)の(・)死(・)角(・)だ(・)け(・)を(・)動(・)き(・)続(・)け(・)れ(・)ば(・)、な(・)に(・)を(・)さ(・)れ(・)た(・)か(・)わ(・)か(・)ら(・)な(・)い(・)相(・)手(・)を(・)一(・)方(・)的(・)に(・)切(・)り(・)刻(・)め(・)る(・)。

 それができれば苦労はしないという理想論を、苦労なくこなしているのが勇者の剣であった。

 

 もの言うこともできず、身動きも取れず、芋虫の如く床にころがるルネーに対し、アネモネはただ静かに笑った。中身のない笑顔だった。ほとんどの相手が笑顔に対して意識の脆弱性を有することから張り付いた、死角歩きのための笑顔だった。そしてそれが勇者アネモネのスタンダードだった。

 

「やれやれ……レナータ。君ってやつは、一度死にでもしないと意識が止まらないんだね。おかげでようやく動けるようになったから怪我の功名ってやつかな」

 

 肩をすくめ、軽薄に軽口をたたく姿は、本物のアネモネ・リターナーの姿であった。

 誰も気にせず、気にも留めず、その表面だけを眺めてこんなものかと受け入れられていた女。

 その女は今、自分の意志と思考でここに立っていた。

 

「寝てるあいだでもコマンドを送ってくるから、こっちはずいぶん楽をさせてもらったけど……たまたま傍まで来てなければどうなっていたことやら」

 

 アネモネが礼拝堂にいたのは、偶然だった。

 宿坊の掃除がある程度片付き、食事の支度をするから二人を呼んでくるようにと言われて近くまで来ていたのだ。

 そのときレナータの心臓が停止し、死体細工へのコマンドを練ることができなくなった。それにより体の自由を得て、同時に主たるレナータの危機を察して飛び込んできたのだ。

 

「な、なん……で……」

「おっと、完全に意識が飛んだってわけでもないんだね。案外丈夫だね、君は」

 

 アネモネは苦笑しながら、ぐったりと倒れたレナータを軽やかに抱き起し、長椅子に横たわらせた

 苦しげに浅く息を吐くレナータの問いに、アネモネは顎に指を当ててうーんと小首をかしげた。あざとい仕草。それさえも相手に隙を生むための。

 

「なんでここにいるのか。なんで勝手に動いているのか。なんでルネーをずたずたにしたのか。違うね。えーと、な(・)ん(・)で(・)生(・)き(・)て(・)い(・)る(・)の(・)か(・)ってところかな?」

 

 見下ろす微笑みを、息も絶え絶えにレナータは見上げる。

 念を通じて伝わってくる、確かな精神活動。アネモネの肉体はかなりの割合を疑似体液に置換されながら、いまなお個人としての自由意思を有していた。アナスタシアやグレナデンのように。

 

「これはボクの加護……というより戒律でね」

 

 戒律。

 

 勇者は神または神々の加護を授かる。

 そして同時に、その身を縛る戒律を得る。

 加護も戒律も個々の勇者ごとに異なるが、それでもどの神に与えられたものかで、傾向は似通ってくる。

 

 例えば闘争に関する神の加護は戦闘向きであり、その戒律も戦いにかかわることが多い。無双の怪力を誇るが一日に一度は命あるものを殴らねばならなかった《剛腕の勇者》などはわかりやすいだろう。

 

「ボクに加護を与えた神は《死の神タン=タラン・タ=タン》。加護は《死を視る》こと。戒律は《殺されることを赦さない》。戒律破りの罰は……《死なない》だ」

 

 戒律は守らねばならない。

 しかし守れぬ時もある。

 そのような戒律破りに対して、神は容赦なく罰を与える。

 

 屋根の下に留まることのできない戒律をもつ《嵐の勇者》は、商店のひさしの下で雨宿りをした際、降りやむ前にその商店ごと地上五百メートルまで吹き飛ばされた。

 年老いて拳を握ることもできなくなった《剛腕の勇者》は、己が生涯で殴った回数だけ見えざる拳に叩き潰されて死んだ。

 

 理不尽にして不条理なその罰。

 アネモネに与えられたのは、《殺され》たときに《死なない》という罰だ。

 それはむしろ利点ではないのか。加護の二重取りではないか。そのように思うものもいるかもしれない。

 

 しかし物心ついたときにはそれがどういう意味を持つのか本能的に察していたアネモネは、《死を視る》加護で徹底的に傷を避けて生きてきた。

 

 夜の町で産み落とされたアネモネは、生まれついての勇者だった。

 その聖痕は左目の角膜上にあり、円環状のそれは虹彩にうまく溶け込み、母親以外に悟られることはなかった。

 

 母がどうしてアネモネを勇者として売らなかったのか、その理由は知らない。勇者を隠すことは大罪であることを知ったのは、聖戦管理委員会の使者に捕えられた後だった。勇者を生んだ親は莫大な報奨金を得られることも。

 

 そのときには母はもう亡くなっていた。

 逃れえぬ死だった。その死を告げたのはアネモネだった。アネモネには母を蝕む病魔が見えていた。正確にはその病魔が運ぶ死が見えていた。本能的にそれがそ(・)う(・)であるとわかった。

 

 母は少し驚いて、しかし大いに納得して、死ぬまでのあいだにアネモネに様々なことを教えた。拙い説明を聞いてその加護と戒律を言語化し、扱い方を模索して、実験して、実証していった。幼いアネモネにとってそれは楽しい遊びだった。母にとってそれは、どうだったのだろう。わからない。

 

 いま思えば、母は勇者のことに異様に詳しかった。一般に知られる以上の、生の体験のようなものを知っていたのではないかと思う。

 母は一度も語らず、アネモネも問わず、周囲の誰も知らなかったが、あるいは父やその仲間が勇者だったのではないかと思う。

 

 母の死にあたっても顔を出さない、名も知らぬ父のことを恨みはしなかった。そもそもどうとも思わなかった。最初からいないものに感傷は抱けない。母は十分に与えてくれたし、それは何らのかげりも生まなかった。

 

 母は好きに生きろと言ってくれたが、アネモネは夜の町で生きた。

 子供のうちは裏で手伝いをして、月の障りが来る頃には店に立つようになった。母譲りの顔は美しく、どこか投げやりで陰のある軽薄さは、夜の町を訪う客たちに評判がよかった。

 

 なによりアネモネには死が見えた。

 別に客の生き死にをどうこうしたわけではない。

 

 死というと「生命活動の停止」とだけ考えるかもしれないが、アネモネに見えるそれはそうではなかった。

 アネモネは母との模索の中で、これを《急所が見える》ことだと再定義した。

 

 人も物も、万物には「これをされると嫌だな」という急所がある。

 人間でいえば、どこをどう刺せば死ぬかわかる。それは必ずしも物理的な刃でなく、言葉で心を刺す手段も見えた。

 物で言えば、どんなに硬い物体にも構造的に弱い部分があることが見えた。腕力が足りないことはあっても、十分な力や道具を用いて打てばそれは破壊できるとわかった。

 

 そして母は、これを逆(・)用(・)して使う発想をアネモネに教えてくれた。

 

 急所が見えるということは、急所を外(・)す(・)ことができるということだ。

 これをされたら嫌だなというピンポイントを、的確に避けることができた。

 ルネーを命に別状がないまま身動きができぬように破壊したのもその応用だった。

 やろうと思えばアネモネは、相手を生かしたまま急(・)所(・)以(・)外(・)のすべてを破壊することだってできる。

 

 そしてそれは言葉や振る舞いでも同じことができるということだ。

 相手が嫌がる発言がわかる。これを言われたら刺さるという弱点がわかる。だからそれを避けることができる。相手の喜ぶことだけを囁ける。心を傷つけられることのない安心を提供できる。

 それは日差しに焼かれて疲れ果てた人々を癒す、そんな夜の店の建前を十全以上に全うした。

 

 アネモネは瞬く間に売り上げを伸ばしていった。

 金銭にはさほどの興味もなかったが、ひとを喜ばせるのは楽しかった。自分も心地よくなれた。相手の顔も名前も覚えていなかったが、所詮はひと時の夢。

 ずっとこれが続けばいいとそう思っていた。

 

 しかしまだ、ひとの集団や組織、また遠すぎるもののもたらす死、なにより死なないように真綿で締め上げられる脅威を見抜くことは、そのときのアネモネにはできなかった。

 

 ある晩、聖戦管理委員会を名乗った男は前触れなく現れ、そしてアネモネを徹底的に打ちのめした。

 その前になにか問答をしたような気もするが、内容は覚えていない。いつものようにのらりくらりと急所を避けた物言いをしていたからだ。普通の相手ならそれで気をそらされてしまうところ、男はわずかな会話から加護の干渉を見抜き、即座に無力化に動いた。

 男は慣れていた。勇者候補者を打ちのめし引きずり出すことに慣れていた。

 

 そのときのアネモネはまだ暴力に慣れていなかったとはいえ、死は見えた。危険な攻撃を避けることができた。それにもかかわらずわずかの間にアネモネの拙い反抗は攻略され、叩きのめされた。

 それは洗練された国家の暴力だった。殺さず死なさず傷つけず、ただ痛めつけることに熟達していた。

 仮に男をどうにかしても、控えがいるのだということがすぐに分かった。店の入り口で眺める別の者。そしてその控えにも控えがいる。いくらでもいる。そこはすでに囲まれていた。

 

 実際には死からほど遠いとはいえ、アネモネははじめて自分の死を意識した。そしてもしそうなったら、自分は死ねないということを魂に強く感じた。

 

 殺されても死なない。

 それは不死身ということではない。

 死しても魂が肉体を離れず、縛られ、苦痛と絶望を感じ続けるということだ。

 

 死んでいないのだから、いずれは治るかもしれない。しかしその保証はない。腐り、朽ち果て、骨と化して、砂に砕けても、その一欠片にさえアネモネの魂は縛り付けられるかもしれない。

 その恐怖はアネモネをたやすく屈服させた。

 

 勇者となり、訓練を受け、勇者隊を率いるようになっても、死への恐れは消えなかった。

 しかし目をそらすことはできても、見ないでいることはできなかった。アネモネの見る《死》は、瞼を透かして見えるものだった。なんなら己の瞼の《死》さえ見えた。

 

 死にたくないと思いながらも、死は常にどこにでもある。

 その恐怖はアネモネを自暴自棄にさせた。楽観的な性格はそのまま投げやりな生き方につながった。どうせ死ぬ。そして死ねない。終わりはいつか来る。終わらない終わりが。先延ばしにしてもいつか必ず。

 

 不安を埋めるように、アネモネは一夜の交わりを求めた。立ち寄る町で、村で、宿場で、男と、女と、老人と、子供と、どこの誰が相手でも構わなかった。

 

 相手が自分に好意を持ってくれているなら、あとは簡単だった。ひとは急所を刺されると憎しみさえ覚えるが、そこに近いところを優しく触れられると、このひとは自分を理解してくれているのだと錯覚する生き物だから。

 

 もちろん、理解などない。

 アネモネに見えるのは急所の輪郭だけ。その奥に触れれば死ぬとわかっていて、踏み込むことなどできはしなかった。

 その場その場で最適なように見える言葉を吐きかけるだけ。アネモネ自身、自分がなにを言っているのかわからないような始末だ。

 

 まるで自動的なんだな、ボクは。

 自嘲の言葉さえ、どこか白々しかった。

 

 前のパーティは、結局それが原因で崩壊した。

 アネモネは彼らの顔も名前も覚えていない。ただまあ、信用も信頼もなく、危うげなシーソーゲームを繰り返して、あるとき歪みがどうしようもなくなって、崩れ落ちた。それだけだ。

 

 勇者隊が崩壊したのだから勇者をやめられないかとも思ったが、聖戦管理委員会はほどなくして次の隊員を補充した。それが指定勇者隊第二二〇三九-二号。いまのアネモネ隊だ。

 

 新生アネモネ隊でも、なにが変わるというわけでもなく、アネモネの生き方は変わらなかった。

 ただ、補充隊員は違った。

 彼女らは、本当に、心底、アネモネが困惑するほどに、アネモネに興味がなかった。

 

 いままでも、アネモネに関心を抱かないものたちはいた。嫌悪や憎悪を抱くものさえいた。それでもアネモネが急所のすぐそばをくすぐってやれば、彼らはやがてほだされ、そして最後には壊れた。

 

 しかし新生アネモネ隊は本気で、微塵も、アネモネに興味がなかった。

 今度は長続きするようにと、アネモネ自身控えるようにはしていたが、そういう問題ではなかった。

 

 戦力としてあてがわれたグレナデンは紳士的に振る舞い、アネモネを勇者として立て、ざっくばらんな友として付き合ってくれた。しかし誘ってみれば「君は妹力がない」とすげなく振られた。

 戯れにお姉ちゃんと呼んでみたら鼻で笑われた。信じられないくらい悔しかった。

 

 会計として、また火力支援として雇われたアナスタシアは、スポンサー商会の紐付きだった。勇者というブランドを最大限利用しようとしており、アネモネの見た目の良さを積極的に売り出そうとしていた。これは好意的ではと誘ってみれば、算盤をはじいて「割に合わない」などと振られた。

 資産価値という語を自分に使われる日が来ると思わなかった。この女はガチで「人的資源」という言葉を字面通りに使う女だった。

 

 神殿からの目付も兼ねて支援職として送られてきたのがルネーだった。生真面目で、優秀で、若い。こういう手合いほど一度転がせば深みに沈むんだよなあと誘ってみれば、滔々と神の教えを説かれた。神の加護を授かった身分を最大限にアピールしてみたが、尊き神の道具の一つとして見られていることを知った。

 神のために戦って死ぬのが至高なのだと説かれて、あ、宗教の人かあと退散した。そらそうだ。宗教の人である。

 

 結果としてボロクソに振られたわけだが、アネモネはなんだか楽しかった。

 やろうと思えば彼女たちの心の急所を刺したりくすぐったりもできた。しかしそれが意味がなさそうなのである。好意というものの軸がずれている。人間として価値観が異質すぎる。

 顔のいい厄介な女たちと過ごす日々は、アネモネにとって幼小期以来の、人間と過ごす時間だったかもしれない。

 

 そしてレナータと出会った。

 

 なにということもない日々のなか、レナータはすこし俯いてなんかもっちゃりした半笑いでそこにいた。

 実際のところどういう場所でどういうシチュエーションで出くわしたのだったかアネモネはいまいち覚えていないのだが、興味がないことを覚えておく意味もないので仕方がない。

 

 たまには芋臭い子もいいかなあとアネモネは何気なく声をかけた。

 

「君、ボクといいことしない?」

 

 普通に最悪の呼びかけだと思う。

 だがアネモネという女は顔がよく声がよくその場限りにおいてはえぐいほど会話がうまい女だったので、いままでそれでうまいことやってきた。

 レナータは挙動不審にきょろきょろと周囲を見回し、自分が話しかけられているのだと気づいてさらに挙動不審になり、なにごとかもごもごと了承とも拒絶とも取れない反応を示した。

 アネモネは相手がはっきりしないことをいいことに、自然に手を取って喫茶店に連れ込んだ。

 

 その時アネモネは、ド(・)キ(・)ド(・)キ(・)していた。

 ほとんど生まれはじめての、胸の高鳴りだった。

 

 喫茶店に連れ込んだ後も、なにを話したのかうまく思い出せない。まあそれだけならいつものことではあるのだが、いつものことだけでなく、アネモネは高揚して頭がふわふわしていた。

 

 地味で芋っぽくて精一杯おしゃれしようとして盛大に事故る寸前みたいな危うい少女を前に、勇者アネモネは運命的な出会いを感じていた。

 目が合った瞬間からトキメキみたいなものを感じていた。

 

 だってその少女には急(・)所(・)が(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)のだから。

 

 厳密に言えば、ないわけではない。

 けれどそれは全身に分散し、致命的なものではなくなっていた。

 

 確かにほとんどの人間は頭や心臓、内臓、太い血管など、全身のあちこちに急所がある。ここを刺せば死ぬという部位がある。勇者アネモネは死の神の加護により、その《死》が見える。どれだけ鍛えようが、防具を着込もうが、《死》は絡みつき離れない。

 

 だというのに、目の前の少女には明確な急所がない。《死》が定かではない。

 見えないわけではない。存在しないわけではない。しかしひどく希薄だ。かといって死の神の加護さえ誤魔化すような超常の力が働いているわけでもない。

 単純に、物理的に、極めて死にづらいのだということを、観察するうちにゆっくりと理解していった。それは理解しがたい現実だった。変な笑いが出た。

 

 どんな人間も心臓を潰されれば死ぬ。脳を潰されれば死ぬ。首を斬りおとされれば死ぬ。内臓を潰されれば死ぬ。肺をえぐれば酸欠で、血管を切れば出血多量で死ぬ。

 なのにレナータの全身をどれだけ見透かそうとしても、そのすべての試行を脳内で繰り広げてみても、《死》ぬ運命が見えない。

 

 恐らく、かなり真剣にしっかり丁寧に時間をかけて準備を整えて殺しにかかれば、死なせることができるとは思う。鉄の箱に押し込んで半日くらい燃やし続けたらたぶん。想像の中で試してみたらいけそうではあった。

 そうまでしないと殺せないという事実に心底ビビった。その驚愕はトキメキと似ていた。

 

 この子を逃すわけにはいかない。

 

 アネモネはおどおどと口ごもるレナータを口八丁で丸め込み、アネモネ隊に連れ込んだ。他の隊員たちにやれロリコンだの誘拐犯だの性犯罪者だの言われてもゴリ押しした。実際のところレナータは性的合意の形成が可能な年齢だったし、書面もかわして正式な隊員となった。

 

 それで浮かれすぎたのがよくなかったかもしれない。

 どう話を切り出すべきか考え事にふけっていたのもよくなかったかもしれない。

 久しぶりに気分が高揚したせいか、ふわっと死んでもいっかな、死ぬかーと躁気味精神になったのも悪かった。

 死への不安が薄れた瞬間、死へと傾きかねない。それはアネモネが幼少期から抱え続けてきた危うさだった。

 

 そんな精神状態だったからか。

 ノックされたドアを開けた先に、《死》を乗せた刃が見えたとき、つい対応が遅れてしまった。

 いっかな、と思ってしまった。

 刺した誰かの顔は覚えていない。見たと思うが、あいまいだ。たぶん男か女で、十代から六十代。

 

 恐れていた《死ねない》が到来した瞬間だった。

 

 軽率さへの後悔は、すぐだった。

 

 内臓を刺され、激痛で倒れ込み、出血多量で身体が動かなくなりながらも、意識は鮮明だった。苦痛は常に新鮮だった。血流が止まれば恐ろしい寒気が遅い、呼吸が止まれば終わりのない息苦しさに見舞われた。しかして死ねなかった。《殺されることを赦さない》戒律が、《死ねない》罰が、アネモネの精神をそこにとどめた。

 

 恐らく肉体は死んだ。

 心臓は止まり血流は停滞し肺は縮み脳は遮断され一切の外部刺激に反応しなくなった。細胞は緩やかに機能を停止し始め、全身が死につつあった。

 これは不死身ルートではないなと苦痛の中で察した。最悪のルートが開放された。すなわち全身が腐って骨になって灰になっても意識だけが現世に取り残されて苦しみ続ける地獄が。

 発狂しようにも、止まった脳はそれを許さなかった。新鮮な苦痛の中、魂は狂うことを赦されなかった。

 

 永劫に続くと思われた地獄から掬い上げ、救い上げてくれたのは、そうだ。

 彼女だった。

 

 操屍術師レナータ・ハーカーは、コントじみた動揺ぶりを見せつけたのち、恐ろしく被害者根性の染みついた妄想から、自分がかかわっていない犯罪の証拠隠滅に走ったのである。

 

 その後のことは読者諸君もご存じであろう。

 勇者アネモネは死体細工として再誕し、どうにかして爆発四散させたいなと思われながらもだらだらと運用され続けてきたのである。

 

 意識はあった。魂はそこにあった。

 しかし脳はレナータのコマンドに従う疑似体液によって運用され、アネモネの自我が介入することはできなかった。セミオートで動き回る自分を、半分夢心地で追体験することしかできなかった。だから勝手にナンパしたり、施術の邪魔をして裸体に手を伸ばしたりしたのもすべては自動的な反応であってアネモネはなにも悪くないのだ。そんなわけねえだろ。脳が覚えている悪癖である。むしろ疑似体液の方が被害を訴えたいことだろう。

 

 アネモネはあれほど待ち望んでいたものが呆気なく手に入ったことを知った。

 殺されても苦しまなくて済む、不死身の肉体を。

 

 ともあれ、そのコマンドもレナータが倒れたことで一時途絶え、その隙にアネモネは自分を取り戻したのだった。隙あらば自分語りである。

 

「って感じだね」

「え、ええ……?」

「それでレナータ。い(・)い(・)加(・)減(・)に(・)生(・)き(・)返(・)り(・)な(・)よ(・)」

 

 非常に長々と語った勇者アネモネに見下ろされて、操屍術師レナータは思い出したように心(・)臓(・)の(・)鼓(・)動(・)を(・)再(・)開(・)さ(・)せ(・)た(・)の(・)だ(・)っ(・)た(・)。

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