死霊術師(ネクロ)ちゃんピンチ! 作:段々剃刀
・レナータ・ハーカー
女死霊術師。倫理観に問題がある。
いっかいやすみ。
・アネモネ・リターナー
女勇者。倫理観がふわっとしている。
こいんいっこいれる。
・ルネー・ルネサンス
女神官。倫理観に自信がある。
こんてにゅー?
死んでいたはずのアネモネが生きて(?)おり、生けるルネーをずたずたに引き裂いた。
助けるためとはいえ容赦がない。詠唱できれば自分で回復して人間ぶっ壊し暴力を繰り出せる奇跡ゴリラだから仕方がないのだが。
死にかけのレナータはアネモネの呼びかけに答え、あ、そうだったと心臓を動かし始めるのだった。
だいたい、あー、とみなさんお察しのところである。
心臓が止まるとどうなるか。
まあ実際止まるといっても、ぴたりと止まるのか、鼓動が乱れて血流が滞るのか、弱まって用を果たさないのか、いろいろある。
どれにしろ、血液の流れが止まるか弱まるかして、全身の細胞に届かなくなる。血液というものは栄養や酸素といった生きるのに必要なものを運び、代わりに不要物を回収していく体内の運搬屋さんだ。
物流が停止すれば、人体はたやすく機能不全に陥る。
血流が止まると、脳が酸欠を起こし、十秒程度で意識を失うとされる。
心停止後一分以内であればほぼ救命可能であるとされる。
三分くらい経つと助かる確率は七割くらいまで低下する。
五分経過すると確率は半分どころか四分の一まで低下する。しかもほぼほぼ後遺症が残る。
十分と経たず救命確率は限りなく低くなり、大変厳しくなる。
ルネーによる殴りつけると心臓を停止させる奇跡の行使から、アネモネの自分語りが終わるまで果たしてどれくらいが経過しただろうか。みなさんは試しに自分が前話を読み終えるまでにかかった時間を計測してみるといいでしょう。黙読と音読で時間が同じなわけないだろ。しかしどちらにしろ十分切るのは難しいかもしれない。平均的には分速500文字くらいだそうだ。
ともあれ、そう短くない時間が経過したにもかかわらず、レナータは「
心臓は無事に鼓動を再開したが、肋骨がへし折られたのかかなり痛い。という情報がある。まあすぐに治るだろう。
あー、死んじゃった、と思いながらもレナータは寝そべりながらアネモネの自分語りを聞いていたので、だいたいの話は分かっていた。
そうか。あの時まだ死んでいなかったのか。いや肉体的には死んでいたと診断して間違いではなかったのだが。慌てていたので霊なるものなどの計測はしていなかった。レナータは凡人なので霊視力などないのだ。
それに後悔したところで、ああなってしまった肉体を普通の医療行為で蘇生させることは不可能だった。天才美少女神官ルネーでさえ、死後時間の経過したものを蘇生させることはできないし、
「うーん……つまり…………つまり勇者様は最初から気づいていたんですか?」
レナータの問いかけはざっくばらんとしていて気負いがない。なぜなら相手が死体だからである。あ、死んでないのか。いや死んでるのか。よくわからないが、念話で通じているので、生きている人間よりごあんしんだ。
「まあ、そうとも言えるかな。君の技術がよくわかってなかったから、正確に理解したのは、ボクじしんが
「なるほど、なるほど」
こっくり、こっくりとレナータは頷いた。
勇者アネモネの特別な目によって見抜かれたが、それも詳細までわかっていたわけではなかった、と。
そして死にたくない、死後無限の地獄を味わいたくないアネモネが、それを回避すべく死のない身体であるレナータに希望を見出した、みたいな感じだろう。と。
「うーん」
結果としてはそうなったといえばそうなったのか。
疑似体液が十分に浸透し置き換えの進んだ死体細工は、基本的に死ぬことがない。全身が全身のバックアップなので、どこを傷つけても直すことができる。ガブのような使い捨てが壊れたときはタイパなどを考えて新規製造したほうが早いが、コストをかけていいなら不死身と言っていい。
もちろんアネモネが想像したように時間をかけて全細胞を焼き殺したり、全身を均一にナノメートル以下まですり潰したりすれば死ぬ。マイナス20度以下で48時間以上冷凍することでも殺せる。しかしどの場合においても仮死状態にして耐久構造体を形成すればいくらかは生き残りが期待できる。そしてある程度の質量があれば全身を復活できる。
師から受け継いだ技術を、レナータが改良したのが疑似体液だ。課題をすべてクリアしてはじめて改良と言っていいのだ。しかも今もその改良は続いている。
それほどまでの改良は、技術屋としての向上心もあるが、端的に言えばアネモネと同じである。
死にたくなかったのである。
いつものように突然回想が始まるが、読み飛ばしても構わない。ページ内検索で「回想終了」をチェキだ。
さて、レナータ・ハーカーが死霊術師であるハーカー氏に拾われたのには、別に特別な理由はなかった。
なんならハーカー氏の養子はレナータだけでもなかった。
正確には操屍術師であり、操屍工学者であり、操屍技工士であり、まあ世間の言うところの死霊術師だったハーカー氏は、墓地に建てられた古い屋敷の主人だった。彼は墓守でもあったのである。
埋葬がいい加減であったり、埋葬された死者に思うところがあったりすると、死体はアンデッドとなって彷徨い出ることがある。そうならないように、死体の専門家である操屍術師が墓守を務めることはままあった。
死霊術師が墓地に住み着いているとなると、墓荒らしでもしているのではないかという疑いの目は常にあるものだが、善良なる操屍術師であるハーカー氏はもちろんそんな過ちを犯したことはなかった。
だいたい、国家試験を合格した公認操屍術師である彼は、死刑囚や、技術の発展のために死後の肉体を献体してくれた人々の肉体を譲り受けることができたのだ。
それにそもそも大抵の実験は小動物から始まって徐々に大型の動物に移すものだったから、人間の死体を実際に使うことはごくまれだったのだ。
そもそも墓穴を掘るのさえ重労働なのだから、それをまた掘り返すなんて苦行だ。死後時間が経っているのだから素材としての価値も低い。
他に月の神の神官としての資格や医師の免状も、国家資格を取るうえで必要だったので持ち合わせていたが、どちらも人から頼られたことはなかった。特に公表もしていなかったし、そもそも死霊術師と言うだけで人々はちょっと距離をとっていたからだった。
ハーカー氏はコミュニケーション能力は(当社比)高いものの、もともと人付き合いも好きな方ではないので、毎朝散歩代わりに墓地の見回りをしては、屋敷にこもって研究を進める日々を送っていた。
それで、一応は週に一度は町に出てこまごまとした仕事をした。
人死にのあった家などでお払いの真似事や葬儀の手伝いをしてやることもあったし、害獣やら害虫に困る人がいれば虫の死体細工などで駆除することもあった。
人件費のかからない労働力として死体細工をレンタルしてみようかと思ったこともあったが、いくら便利でも世間体が悪いからと評判はいまいちだった。それに、無資格者が操作できる程度に制限をかけると、あまり難しいことはできなかったのもある。
困るのは、死霊占いをやってくれという頼みだった。
死んだ人の霊を呼び出して話をさせてくれという奴である。
これはそれこそ死霊術師の仕事であって、実際には操屍術師のハーカー氏には畑違いであった。
世間的にはどちらもひとくくりに死霊術師とされるが、死霊遣いと死体遣いは、大きく異なるのである。技術的にはたがいにまたがる部分があるので、やってやれないことはないが、やるべきではない。
それに、死霊を呼び覚まして語り掛けるためには、役所にこまかい申請を出して、許可が下りないといけないのだ。勿論、許可はまず下りない。国家にかかわる重大な事件とかであれば死者の証言を求めたりする事例はあるが、死者の眠りを妨げることになるし、あまりするべきではない。
死霊術師なのにできないんですかとあおられる度に「できらァ!」と言いたくもなるが、しない。してはいけない。
できないわけではないが、やってはいけないのである。法的にも、倫理的にも。幽霊が勝手にしゃべる分には勝手にしてもらって結構だが。
どうでもいい雑用はしてくれるが、一番してほしいことはしてくれないので、世間の評判はやっぱり良くなかった。善良なる操屍術師であるハーカー氏としては世間の役に立てないのは悲しいことだったが、仕方がないのである。
そんな、世間的には胡散臭くて怪しい死霊術師が住み着いている墓地には、いろんなものが捨てられた。置き場のなくなった粗大ゴミだとか、育てるあてのない捨て犬だとか、そしてまた捨て人間なんかである。
粗大ごみはまあ、そのうちなんかに使えるかなあと屋敷に持ち込んで、結局使わない。冬場にたまに薪になる。
捨て犬はまあ、死なせるのも後味悪いし、逃がすのも野犬になると困るので、ほどほどに育てて、里親を募集した。
困るのは捨て人間である。
「ヒトかあ……わしヒト育てたことないんじゃけど、わしの食うもん食わせて大丈夫?」
などといいながら拾い始めて、結局死ぬまでに十三人の養子を育て上げたハーカー氏である。
そのうち六人は、やっぱりと思い直した親が泣きながらに引き取りに来て、喜んでお返しした。その後も困ったことがある度、子供を預かったり、資金を援助したりした。それで若干世間からの目も柔らかくなった。
五人はある程度育ったころ、里親が養子として引き取っていった。金持ちの慈善家だったこともあるし、長く子供のいない夫婦だったこともある。たまに顔を出しにくる役人が引き取った子供もいた。引き取られた後も達者に暮らしてはいるようだが、この件があったので人身売買を疑われて世間の目は少し厳しくなった。
悲しいことに、一人は拾ってすぐに亡くなってしまった。冬の朝、見つけた時にはすでに冷たくなりつつあり、蘇生を試みるも泣き声ひとつあげることはなかった。役所に届けは出したが、身元不明の無縁仏の扱いになり、ハーカー氏が一人で埋葬してやった。
この話が妙な伝わり方をしたのか、墓場の死霊術師は赤ん坊を邪悪な儀式に使うとかなんとか噂が流れて、世間の評判は盛大に下落したが、ハーカー氏は疲れたので何も言わなかった。
なんか全然知らんおっさんだかじいさんの話が長々と続いて読者の皆様も困惑されていることだろうが、最後の一人こそが我らがレナータ・ハーカーであった。
暖かくなり始めた春の頭に、玄関前に捨てられていた赤ん坊を見つけた時、老齢のハーカー氏はさすがにしんどくなった。
「わし、生き物はカブトムシだって最後まで育て切ったことないんじゃけどォ!」
これで最後じゃからな、もう本当にこれで最後じゃからなと、十回以上繰り返した文句を今回も吐き捨てて、ハーカー氏は赤ん坊を育て始めた。
ただ、さすがに年齢的に子育てが大変だったハーカー氏、死体細工を使ってレナータを育てていった。だからレナータの人生には生まれた時から操屍術の死体細工があったし、それらは彼女の家族であり、玩具であり、また教材であった。
世間から忌み嫌われる死体細工に笑顔でじゃれつき、キャッキャと笑う養子の姿に、ハーカー氏も気持ちが若くなって、操屍術の様々な技術を見せてやった。
そうして気付けば、十歳で国家資格取得して喜ぶ愛娘と、十歳に国家資格取られてマジかよって顔してる役人と、十歳に国家資格取らせちゃってやっちゃったんだぜと肩をすくめる爺が発生してしまったのであった。年齢制限はなかったのである。誰も子供が取るとは思わかったのである。難易度的にも、内容的にも。
「いやーもう、うちの子、天才じゃね」
「ジジイ反省しろ!」
「あーい反省してまーす」
「国家資格持ちみんなこの調子だよクソがッ!」
こうしてレナータ・ハーカーはものの見事に操屍術にどっぷりとつかってこの年まで生きてきてしまい、年頃の若者と完全に感性の合わない
しかし幸福な日々もいつかは終わりを迎えるもの。
レナータが十五歳になった頃、ハーカー氏はベッドから起き上がることもできない日々を送っていた。
「うう……やだよ師匠……元気になって……!」
「しかたないんじゃよレニーや。わしももう、ずいぶん長いこと生きてきたんじゃ……百三十二年じゃったかな」
「それはしかたないくらい長生きだよ師匠……」
「長いこと死と身近にあったからかのう。わしもそろそろお迎えが来そうなのを感じておる」
ハーカー氏は、自分の人生に一切の悔いはないと悟った。
死霊術師として世間から胡乱な目で見られてきた。はっきりと言葉で傷つけられたこともある。暴力を振るわれたことだってあった。しかしそれでも、百三十二年の生涯は、何の不足もなかったと思えた。
先代から引き継いだ墓守の仕事も大過なくこなした。操屍術師としても、大成はしないまでも心行くまで研究できた。そしてその研究の続きも、優秀な弟子に引き継げた。
不安があるとすればその弟子のことだけである。
「かわいいレニーや。わしが死んでも不安に思うことはない。役人も顔を出してくれるじゃろうし、死体細工もお前を支えてくれる。町の人は、まあ、誤解もあるが、まだ若いお前のことを、そう悪くはしまいよ」
「師匠……でも、でも私、口下手だし、友達だって……」
「お前コミュ障じゃもんなあ」
「師匠!」
「大丈夫じゃよ……わしはいなくなるが、きっとお前を助けてくれる人がいるじゃろう。あんまり健全とは言えんが、新しい死体細工を作ってもいい」
「師匠…………うう……師匠って献体登録してたよね……」
「わし、お前さんの道徳教育間違ったかのう」
幸いなのかどうなのか、ハーカー氏が亡くなった後、その遺体は賑やかな葬儀の後、レナータに死体細工にされることもなく、国定の保存霊廟に収められた。そうしていまもまだ献体として利用者の申請を待っているという。老人の死体はあまり需要がないのだ。
こうして天涯孤独の身となったレナータは、しばらくの間は論文を書いたり、研究を進めたりして、国から一定の給与を支払われて過ごした。墓守としての賃金も町からはいる。しかしもとより研究というのは金がかかるもの。お国からごっそり予算をもぎ取るには、レナータの研究はあまりぱっとしなかった。花の香りの疑似体液とか、
そうなると食べていけないので、仕方なく師匠の真似をして仕事もしてみたが、あまりはかどらなかった。
ハーカー氏はしばしばレナータを連れて街を歩いたこともあったので、道はわかる。ちょっと怪しいが、わかる。問題は人である。
生きた人間ほどこの世で恐ろしいものはなかった。
「あらー、レニーちゃんじゃない。おじいちゃん亡くなったんでしょ? 大変ね、これ持ってって!」
「久し振りじゃのうレニーちゃんや。うちの野菜もっておいき」
「お、爺さん死んだって? 俺がガキの頃から爺さんだったもんなあ。困ったら頼れよ」
「よっす、レニーじゃん。飯食ってけよ。家帰っても一人だろ?」
いいひとたちだった。
めっちゃいいひとたちだった。
なのでレナータはしばらく引きこもった。
接続詞が間違っているように見えるが、事実としてそうだった。
気持ちは嬉しいが、親切オーラが陰の者を焼くのである。
百パーセントの善意が眩しすぎるのである。こわい。
少し俯いてなんかもっちゃりと半笑いして、もごもごといやあのどうもですとかなんとかいうことしかできなかった。
げに恐ろしきは普通にいい人たちである。
そこは死霊術師バッシングしてほしかった。
なんとか師匠の仕事を引き継ごうとしたが、うまくはいかなかった。
もともとハーカー氏は、好き嫌いは別としてコミュニケーション能力は普通にあったので、持ち前のずぶとさと顔の広さで、あっちこっちでその場しのぎのようにこまごまと仕事をしていたのである。人見知りの十五歳の小娘がおなじようにはできない。
それでやっとありつけた仕事は葬儀屋で、遺体の防腐処理や死化粧などであった。
夏場などは遺体はすぐに悪くなってしまうので、操屍術師のいい稼ぎになる。しかし何しろ絶対数が少ない職なので、信用がない。全然ない。死体を盗むんじゃないかとか悪さするんじゃないかとか、あとでアンデッドになるんじゃないかとか疑われるのである。
馴染みの葬儀屋のおっちゃんなのでたぶん冗談だったが、客の方は笑えない冗談である。レナータもひきつった笑いしかできなかった。
そんなわけで、働くとはいえ完全に裏方仕事である。名前も出ない。葬儀にやってきた神官などは、知識がない人だと、邪悪な死霊術師だと露骨に顔をしかめる。ルネーが特別差別主義者というわけではないのだ。
それそれそういう反応~、と暗い満足感を覚えるほどにひどい対応を受けることも一度や二度ではなかった。
そうした日々を送るうちに、レナータはメンタルが傾きつつあった。人付き合いが苦手という程度だったものが、段々卑屈に、かしいできた。生きている人間の目が恐ろしくなり、謎の劣等感と後ろめたさにさいなまされた。
師匠が亡くなったことを引き合いに出され、お惣菜やお野菜をあれこれと持たされる度に、レナータの自尊心はごりごりと削られた。
気持ちは嬉しい。
善意はありがたい。
しかしそれはそれとして、そんなにわたしは頼りないんだろうか、そんなに私はダメなんだろうか、そんなにわたしはかわいそうな子なんだろうかと心の中に積もりゆくものがあった。
拒むことを許されない善意が、レナータのメンタルをぼろくそにした。
葬儀屋で黙々と真面目に仕事している間は心が落ち着いた。生きている人間を相手にするより、物言わぬ死体を相手にしている時が一番心安らいだ。そしてうっかり漏れ出た安堵と満足の微笑みが顧客に見られてクビになった。
流れが速すぎてレナータ自身どうしてこうなったのかわからないスピード解雇である。そしてじゃないんだよ。接続詞がパワープレイしすぎなんだよ。もっとこう、流れを、さァッ!
などと文句を言おうにも、レナータはやっぱり少し俯いてなんかもっちゃりと半笑いでもごもご言うことしかできなかった。
退職金もなかったし、次の就労先の斡旋もなかった。これは訴えれば勝てた案件だったが、もちろんそんな元気があるはずもなかった。
っていうかほとぼり冷めたら戻っておいでとか言われたようにも思う。休職扱いだったんじゃなかろうか。でもしんどくて無理だった。無理寄りの無理だった。
働かねばならないとは思いながらも、どうすればよいかとなると頭は真っ白になって何も考えられず、気晴らしに研究を進めようかと思っても、なんだか以前のように楽しくない。世間様に顔向けできないようなことをしている、という謎の強迫観念が楽しむことを許してくれなかった。
それでなんだか億劫になって、ほとんど誰もやってこない墓地で、墓石を磨く日々を過ごした。
別に楽しくはない。
何もしていない自分の存在が心苦しく、何かしているふりでもしていないと耐えられなかっただけである。
そしてそのふりでさえひどく面倒に思えて、墓石にもたれて動けなくなることもままあった。
墓石は磨いても磨いてもきりがなく、この調子では多分最後の一つまで磨いたころには最初の方の墓石は元通りに汚れていることだろう。
墓石を磨くこと以外何をするのもしんどくて、お風呂も掃除も食事さえもいい加減になってきたが、赤ん坊のころから面倒を見てくれた死体細工がまめまめしくお世話してくれたし、近所の人がお惣菜なんかを届けてくれたので、死にはしなかった。
死にはしなかったがますます死にたくなった。
死にたいというより、死ぬべきだと思った。
決して死にたくはないのである。
死ぬのは怖いし、嫌なのだ。
しかし死ぬべきだ、死なねばならないという思いは募ったし、まだ死んでいない自分がどうしようもないグズに思われた。
世間様に面倒をかける自分の存在がどこまでもわずらわしかった。
それでも、死にたくなかった。
死ぬべきでも、死にたくなかった。
だから、死んで、死なないことにした。
生きていて、自ら志願してくれる検体など滅多にいないが、
すでに賢明なる読者諸君にはお察しの事と思うが、レナータは時間をかけて少しずつ自分自身の身体に施術を繰り返し、数年かけてほとんど全身を疑似体液に置換し終えた、死体細工であった。アナスタシアの言い方をするなら、人間細工だろうか。
人間としては死んだといってよく、しかし個人としては生存していた。
もしお察しでなかった場合、あなたは悪辣さや邪悪な想像力が足りていないので、善良な市民として胸を張っていただきたい。邪悪な読者のみなさんの方は反省して。
そのようにして念願の大好きな死体細工になったレナータが心晴れやかになったかというと別にそんなことはなく、生前の脳と肉体を完コピした疑似体液の優秀さのせいで希死念慮も据え置きだった。なんの意味もなかった。死にづらくなった分だけマイナスかもしれない。
「君、ボクといいことしない?」
そんなくたびれ切ったぼろ雑巾に、よりにもよって曇天の墓地でコナかけたのが勇者アネモネだった。
いかにも軽薄でチャラくて陽の者であるアネモネは、レナータの一等苦手とする光を放っていたが、はっきり断ることも出来ず、少し俯いてなんかもっちゃりとした半笑いでもごもごとしているうちに了承ととられたのか、あんまりにも自然に手を取られて拉致られていた。
拒むのも億劫で、おぼつかない足取りで連れられた先で、レナータはアネモネの言う「いいこと」をさせられた。
こういうナンパでいう「いいこと」というのは大抵「悪いこと」だったりするのだが、アネモネもまた悪いことをさせる酷い人だった。
アネモネはまず、スイーツで有名な喫茶店に乗り込んだ。
「紅茶がおすすめなんだって! でもコーヒーにしよっか。ブレンド・コーヒー二つ!」
そしてレナータの意見を聞く前にさっさとコーヒーを注文した。その上、やってきたコーヒーに勝手にぼちゃぼちゃと角砂糖を幾つも落として溶かし、ミルクまで混ぜ込んだ。口に含むと、微妙にぬるくてバチクソ甘かった。そして本人はしれっとブラックを飲んでいた。
レナータが冷え切った指先をカップで温め、研究中の糖分補給に飲んでたようなコーヒーをちびちびやっているうちに、アネモネはさらにケーキまで頼んだ。それも一つや二つではない。
「これとこれとこれとー、あ、これも美味しそうだね。あとこれも」
ぼんやりしているうちに、テーブルにはずらっとケーキが並んでいた。どれも色鮮やかで、芸術品のように飾り立てられ、そして容赦なく甘い香りがした。
どうしよう、どうすれば、そもそもなんなんだろうこれはとレナータが困惑しているのも気にせず、アネモネはさっさとモンブランをフォークで削り、レナータの口に突っ込んだ。甘い。よくわからないけれど甘いのはわかった。
口の中の甘さを咀嚼して、飲み込み、とにかく何か一言でも、と思ったレナートのその口に突っ込まれたのは甘酸っぱいラズベリーのムースケーキだった。これも甘い。甘いのはわかった。甘酸っぱい。アネモネは極悪なことに、手を付けたモンブランも食べ切らないうちから、ムースケーキにまで手を付けているのである。
そんなことが許されるのだろうか。おののくレナータの口に、次々と一口分ずつケーキがねじ込まれていく。甘い。甘酸っぱい。甘い。ビターな甘さ。甘い。かりかりしてる。甘い。
甘さにおぼれているうちに、塩気があった。
唇の端に塩気が流れてきて、鼻の奥にも感じた。
気づけばレナータはボロボロと泣いていた。養父が亡くなったときにも流れなかった涙が、時間を置いていま決壊した。
そうだ。とレナータは悟った。
そうだったんだ。
わたしは悲しかったんだ。
悲しくて、寂しくて、つらくて、しんどくて、惜しくて、愛おしくて、置いていかないでほしくて、一緒に連れて行ってほしくて、それで、それがどうにもならないから、レナータはずっと死にたかったのだった。でも手放したくて、死にたくなかったのだった。
おえおえおげえげっほげっほじゅずるぞぞぶへぇとみっともなく湿度と粘度の高い嗚咽を漏らすレナータを、アネモネはただ見守ってくれた。なにごとかと駆け寄ってくる店員を制して、レナータがただ泣くだけの時間を守ってくれた。レナータにはそれが必要だった。
「へー。急に泣くからなんだろなって思ってた」
「勇者様ってホント口開くと最悪ですよね」
「普段はそんなことないんだけどなあ」
「いつもそんなでしたけど……?」
どうも相互不理解があったようだが、このようにして死霊術師もとい操屍術師レナータ・ハーカーはアネモネ隊に迎え入れられ、こんなありさまになったのだった。
回想終了。
なぜ飛ばしたんだい?
もしくはなぜ飛ばさなかったんだい?
「はあ……しかしどうしましょうか。ルネーちゃん。太陽神殿とのつながりが深いから、納得してくれないと困るんですよね」
「フムン。そうだねえ……勇者はある程度の違法行為をお目こぼししてもらえるって知ってる?」
「え? はあ、なんかそんな感じだとは聞いてます」
正直なところここまで長々と勇者隊やってるつもりがなかったので、レナータはまだ勇者法をしっかり調べたことがなかった。しかし勇者が強い特権を持っており、時には殺人すら許されるらしいということは知っていた。
「まあ実際には結構取り調べがきついし、勇者業を遂行するのに関係なければ普通に処罰されたりはするんだよね。懲罰勇者隊とかいるんだよ」
「はへえ……」
「逆に言えば、勇者としての責務を遂行するにあたって止むを得ない事情があったり、必要であったりする場合は、ほんとにお目こぼししてもらえるんだ」
それは例えば、本来行政などの許可が必要なことを事後報告で済ませられたり、民間人から徴発したり、勇者の戒律を理由になにかしらの生体を虐殺しなければならなかったり、大小さまざまなことが認められるという。
役人だったら絶対に嫌だろうが、勇者に関するあれこれを取り仕切る聖戦管理委員会は勇者の使命遂行の補助を至上命題としているため、その調査員はかなり甘い判定をしてくれるという。
意味のない大量虐殺とか強姦殺人とかでもなければ
一応の大義名分などを用意しておくとますます通りやすい。
「えーと……つまり?」
小首をかしげたレナータに、アネモネはとても軽やかで軽くて軽薄な笑顔を浮かべた。
「
高らかに嘘ではないがなにもかもがなにもかもな宣言をしたのち、勇者アネモネは操屍術師レナータに軽やかにウィンクし、さあどうぞとばかりに床に転がるルネーを指し示した。
ルネーは優秀なおつむですべてを察したようでなにごとか喚こうとしたが、依然としてその喉は潰されており、その手足は腱を切られて身動きも取れず、
「…………緊急事態なので、急いで処置が必要ということですね」
「そういうこと。センセイ、お願いします」
「……………………
察しの悪いレナータは、勇者アネモネの発言の意図を正確に察してオリジナル笑顔を浮かべた。
さていつもどおり音声ダイジェストのお時間です。
「はい。施術者はレナータ・ハーカー。助手はアネモネ・リターナー。被術者はルネー・ルネサンス。女性。不慮の事故により全身に創傷。声帯の損傷により本人による祈祷などでの回復が困難な状況にあり。現場は瘴気源にほど近く人里から離れており、医療施設への接続困難。迅速な治療が求められるため、勇者アネモネの指示により特例状況とみなし、現地での緊急施術を行うものとします。以下略……あ、以下略は駄目ですか。えー……施術に当たっては、全身麻酔処置の後、傷口の他、感染症予防も兼ねて脊椎、四肢、各種内臓器官等、部位ごとに速やかに疑似体液を浸透、固着させ、死体細工用の施術を流用した加工を行っていきます。脳神経系への侵襲は血流に乗せた緩やかなものとし、可能な限り生体脳の保護に努めます」
「うーん麻酔の効きが悪いですね。バフ切れてないのかな」
「時間ないので先に静脈から疑似体液を浸透させていきます」
「アーイイ……いいですね、さすがに血管内はカバーできてませんね。ガバです」
「麻酔効いてきたかな。どっちにしろ疑似体液が沈静させてくれました」
「うーん……内臓も若いというか、幼いというか。栄養失調ではないんでしょうけど」
「太陽神の影響かな……高位神官は放射線障害みたいなのあると聞きましたけど、そうでもないのかな」
「ちっちゃいと疑似体液節約できていいですね」
「勇者様、めっですよ。なんで意識あるのに手を出してるんですか?」
「脳が元気ですね。いいことです。がんばれがんばれ。でももう諦めよ?」
「固着試験していきますね…………右手、左手、右足、左足、はい、聖者は十進法を採用しましたのポーズ……試験完了。固着及び動作を確認」
「細胞賦活による開口部の閉鎖を確認。液漏れないですね。完璧です。ヨシ」
「術式を終了します。お疲れさまでした」
術後、聖少女ルネーはためらいなく勇者アネモネを殴りつけたとかなんとか。